チサの心に迷いが、、、
そんなある日 日課にしている書道のおさらいの後
お万の方がチサを庭に誘った。
「今日は風も心地好く吹き、暖かな陽気じゃ。外に出て
庭を歩いて見とうなった。チサも付き合って下され」
「かしこまりました」 チサ達が住む一の側の局には
30坪ほどの庭が付いており、小さな池や泉水や築山が
あり、築山の上にはあずま屋もあった。牡丹の花が
今を盛りと咲き競い、紫陽花の姿も見られた。
当時の紫陽花は私達の良く見るこんもりと毬のような
形をした物ではなく、真ん中が白っぽく固いつぼみ
その先に額縁のように花を付けるガク紫陽花だった。
二人はゆっくりと花を愛でながらそぞろ歩き
お万の方はあずま屋に入りチサにも来るように招いた。
「チサ 何か心にかかる事があるなら、こなたにだけ
話してほしい」 「お方様」 「いつも陽気に振る舞う
そなたの姿 このところ時々愁いの影が映ります。
差し支えなくば話してたもれ」 チサは一瞬笑顔を
作った。(いやだぁ そんな事ありませんよ~)
そんな現代の言葉が口をついて出そうになったが
思いとどまる。この賢いお方様には通じぬ嘘であった。
お万の方は優しく微笑みながらチサの答えを待って
いた。その顔には嘘偽りのない心配気な様子が見て
取れた。「お方様 本当にこのところの私は、私自身
どうしようもなく気が塞ぐ時があります。
その原因はさしたることも無い事なので皆様に
このように優しくされておりますのに それは
とても有り難く思っておりますのに、、、
時としてどうしようもなく寂しくなるのです」
それがお楽と竹千代の心温まる姿を見たからとは言えない。
親子として家族として見えた絆に、自分には望むべきも
無い引き裂かれた家族への想い 「私には母もいました
父もいました。姉に甥も姪も、、、」言葉尻が震える。
「でももう二度と会えないと思ってしまうとして余計に
辛くて、、すみませんお方様 お方様にも優しくして
頂いておりますのに」 「そうですか。確かにそれは
誰にもどうしようも無い事じゃ。この身も13で
伊勢のお寺に参ってからは父上とは数を数えるほど
しかお会いしておらぬ。母上はずっと以前 幼い頃に
他界しておるし、この江戸に来てよりは一度も
会えぬ間に父上も他界なされた。こなたもその意味では
江戸に存じ寄りの者もなく、たった一人で大奥に
参った。後に異母弟の氏豊がこちらに召し出されて
時々会いに来てくれます。でも こなたも京にいた時も
伊勢にいた時も氏豊に会った事はなかった。
武家や公家の世界は往々にしてそんな物なのですよ。
チサは天涯孤独の身とか、、、それは辛い事ですね」
お万の方もチサの胸中を思いうなだれる。
「でも そなたを慕う者も多いはず それは悪く言う者は
どこにでもいるもの それより大切に思ってくれる
者がたくさんいるでは無いか。こう言うこなたも
さながら妹のように思うぞ」 「有り難いこと
かたじけのうございます」
続く。