伊豆守と絹物談義
その重陽の節句も半月ばかり過ぎた頃
チサはお万の方と共に中奥におもむいた。
伊豆守に会う為であったが、それには先日
こういう事があったからである。それはチサのいる
部屋でお三の間勤めをしている娘がチサのお掻いどりを
見てうらやましそうに「私もこのような上質な絹で
誂えてみとうございますが、、絹は高くて
良い物はなかなか」と ため息をついた。
「絹はそんなに高いのですか」とチサ 何分この頃の
お金の価値判断が付かないので、呉服の間から
言われるままの金額を支払っていたので、それが
高いのか安いのか相場がどれくらいかも知らなかった。
「はい 私達の給金ではなかなかに、、、同役の
方々もみな苦労しています」 「そうですか」
この時代 国産の絹は作られていたがまだ少なく
ほとんどが中国からの輸入品だった為、高値なのも
仕方がなかった。その夜 チサは久しぶりに暇だった
ので、絹の事を考えて見ようと思い乏しい記憶力を
かき集めてみたところ、確か綿は関西を中心に絹は
東北を中心に発達したように思われる。
それにはその土地の気候が関連していたようだった。
絹は確か成せば成るの名言を放った上杉家の当主
(上杉よう なんて言ったっけ 上杉ようの守だった
かしら)その人が藩を上げて開拓に取り組んだように
覚えている。その人が今この時代の上杉家の人かどうか
分からないが、上杉といえば謙信 武田信玄
ライバル同士 川中島の戦い くらいは知識があった。
そこでヒントを与えるべく、中奥に向かったのである。
チサがいつもの座敷に行くと、そこにはすでに伊豆守が
座っていた。「お待たせしてすみません」と 頭を下げる
チサに「いやいや それがしも今がした参った所でござる」
「早速ですが伊豆守様 絹の値段は今高いのでしょうか」
「さようでござるな。異国より参る物が多く」
「そうですか 国産の品が少ないのですね。先日 うちの
部屋の人が言ってました。上質の絹物は高くて手が
出ないと、、、それで私が必死で思い出したところ
越後の上杉家の当主 何代目の方か分かりませんが
上杉鷹山という方が国産の絹を藩を上げて栽培して
売り、貴重な産物にしたというのを思い出しました」
「ほう 藩を上げて、、」 「ええ 絹を作るにはまず
蚕でしょう。蚕は桑の葉を食べて生長し、糸をはく。
それを絹糸にして織る。なのでその人は農民に桑畑を
作る事を薦めて、新しく畑を作る人にはお金を
貸し付けたり、耕す馬を貸してあげたりして出来た
畑には藩から苗が無料で下げ渡されるのです。
農民は桑を育て蚕を育てて絹糸を取り、それを
下級武士の妻や娘が織って反物にした物を藩が
買上げ、全国に販売して財政を豊かにしたのです」
「ほう それは良い事でござるな」 「私がなぜ それを
思い出せたかと言うと、上杉鷹山が言ったと言う有名な
言葉があったからで、{成せば成る 成さねば成らぬ
何事も 成らぬは人の成さぬなりけり}というのです。
いい言葉でしょう」 「まさしく良き名言でござるな
成せば成る 成さねば成らぬ何事も けだし名言で
ござる」 「そうでしょう。この名言があったればこそ
後世に名が残っている人物なのです」
続く。