春日局の死 その後
「でも 本来ならばこれはお楽の方が」 なされる役目と
言うより早く、お楽はひと膝進み出て
「それは申して下さいますな。竹千代君をお産み参らせ
たと言え、私にはその任は向き兼ねると思います。
私に致しましてもこの度の事は道理にかなった
お心使いと、亡きお局様に感謝している次第で
ございます」と 思ったままの胸の内を打ち明ける。
そんな彼女にお万の方はじめみなが好感をもって
微笑んだ。こうしてお万の方の大奥取り締まり就任は
滞りなく定められ、彼女は春日局同様 中奥までの
出入りを許されたが、この度から付き添いの侍女一人
大奥に近い小座敷に控えさせておく事になったことで
ある。大奥に急用が出来た時とか、中奥にてお万の方の
雑用にとか、あまりはっきりしない名目が付けられて
いた。実はこれは伊豆守の考えだった。彼はチサと
大奥外で会うには、こうするより他無いと考えて
家光に進言したのだ。春日局の遺言と言うのも実は嘘、、
局が家光に言い残していた言葉ではなくかつて伊豆守が
局と歓談していた時 なにげなく(こなたの後に大奥を
引き継ぎのはあのお楽では、ちと無理であろうのう)と
漏らしていた言葉を思い出し、お楽の方でなければ
お万の方より他に人は無しとふんで家光に
「お局様より前もって伺っておりました」と言上したのだ。
そしてそのついでに「お局様のように中奥をくまなく
ご存知の方と違い、まだ若いお万の方様にはお一人
にて中奥に参られるのは心もとなく思われるのでは
ありませんでしょうか。 それにお局様は我等老中も
家臣達にもかねてよりお顔見知りが多うございました
お万の方におかれてはそれもなく、何か御用が生じ
ました時 男ばかりの中奥ではお気兼ねも
ありましょうから」等と 言葉巧みに付き添いの侍女の
事も言っておいたのだった。伊豆守の進言を聞いた家光は
胸の内で後任はお万の方にと決めていた事とて
これ幸いと同調し、局の遺言も信じて疑わなかった。
伊豆守にとっても亡き局の遺志には反するかも知れない
が死の数日前 チサ事をくれぐれもと頼まれた事だし
大奥より外で会うにはお万の方の侍女として中奥に
連れて来るより他はないと考えたのだ。
お万の方の侍女として、、、これが伊豆守の狙いだった。
しかしその為にだけ お方を推薦したのではない。
若くして人徳も知識も教養も持ち合わせているお方を
彼は人の上に立つ統率力ありと、高く評価していた。
その上 彼女とはかねてより面識もあった。
それはお万の方の弟 戸田氏豊が江戸城に召しだされて
初めてのお役 御小姓に任ぜられた時 その世話役を
したのが伊豆守であった。彼もまた9歳の時家光の
小姓として召しだされたのが現在の出世に繋がっている。
そういう訳で、お万の方とも2・3度 顔を合わせた
事があり、お方より氏豊の勤めぶり等 聞かれる事も
あったからだ。
続く。