春日局の死 その後
「まことそのような事がおきれば一大事でござるな
国を守る武士までが奢侈におぼれとは、、、
徳川の世も定ったとはいえ、まだ豊臣の残党もいる
今 基礎を築かねば」 「今と違ってその頃は徳川の
基礎は盤石になっていますが、武士は戦がないので
気も緩み魂と言われる刀まで大ぶりでは重たいと
言って細身にし、鞘に蒔絵など施して美しさを競い
暇を持て余して歌舞音曲にいそしんだりしたと、、」
「まったく持って言語道断でござる」
「武士に限らず 町屋の者も豊かな暮らしに慣れすぎ
貧しい百姓や名もない民人ばかりが生活に苦しめ
られる一方 要領良く金を掴んだ商人達は武士や
大名までに金を貸し、しまいにはその藩の内情にまで
口を挟むようになり、金の力をもって自分達の商いに
都合がよい肩書きを持つ人々に多大な賄賂をして
その引きによりまた儲けるというようになります。
だから綱吉 亡き後の徳川幕府は酷い財政難になって
しまいます」 「ふむ」 伊豆守は天井を見上げ嘆息した。
「信じられますか 私の言うこと」 そんな伊豆守に
チサはからかい気味に問う。「いや にわかには しかし
そういう事は無きにしもあらず、今は何とも言い難い
心持ちでござる」 「そうですね。まだこれから先に
起こる事ですものね。信じろと言うのが無理なのです。
でも 竹千代君を丈夫にお育てして立派なお世継ぎを
残されるようにするには反対なさらないでしょう」
「それは毛頭 我等幕臣にとって竹千代君は大切なお方
上様のご嫡子でござる。そのお方をもって五代様を
得られる事が最も望ましゅうござる」
「よかった。これで私も強い味方が出来たと思って良い
のですね。でも お話がある時どうやってあなた様に
連絡したらいいのですか」 「その手だてはこれより
考えねばなりませぬ」 「私は大奥より簡単には出れぬ
身ですから何か良い方法をお考え下さいませ」
「心得 申した」と いう訳でその日はそのまま別れた。
しかし これは伊豆守にとっても大問題であった。
大奥にはお広座敷というひと間があり、そこでお年寄りや
中臈が表御殿の人々と会見する事が出来るようになって
いたが、本来 何のでつながりも無いはずの伊豆守と
チサがたびたび会う訳にはいかない。
良い考えも浮かばぬ内に日は過ぎ、中奥にこもって
春日局の喪に服していた家光も、ようやく精進落としを
して政務に復帰し、その翌日には久しぶりに大奥に
お成りがあった。お目見得以上の奥女中総出でお鈴廊下に
お迎えし、仏間拝礼の後お小座敷で休息される将軍に
大奥を代表してお万の方が弔辞をのべた。
家光は悔やみの言葉に深く頷き 「春日も功なり名を
あげてこのように大勢の人々に惜しまれつつ
世を去ったのだから本望であろうが、わしはもう少し
せめて竹千代が長ずるまで生きて欲しかった」と
言うとお楽の方は、堪えかねたように目頭を押さえる。
続く。