春日局の死 その後
だが、次に座るチサの姿を見て誰も言葉には出さぬが
みな一様に心の中で首を傾げる。前述の3人に比べて
格段に落ちるその器量 一応目鼻立ちは整っているが
どこにでもいる取り柄のない顔立ちである。
伊豆守もチサを見て局が言い残した女はこの人で
あったかと胸の内でつぶやく。あの夜 局との約束通り
チサに会うべく屋敷を訪れた彼は思いがけず局の死に
行き合わせ、チサと顔を合わせる間もなく過ぎた
ここ数日であった。局がチサに自分の事を告げたか
どうかははっきりしないが、今日一度 顔合わせを
しておく必要があると彼は思った。やがてきらびやかな
袈裟をつけた僧侶達が祭壇の前に居並び長い読経が
始まった。チサはそれを聞きながら幾度となく涙を
こぼした。思えば春日局は厳しい人であった。
口うるさくあれをしてはならぬ こうせねばならぬと
もう嫌になるほど説教された毎日であったが、
その心底には一脈の温かさがあって無下に逆らう気に
なれなかった。家光を盲目的に愛し盾突く者には
我が身を持って刃向かい 本当の母のように庇い愛する
昔風の女 それさえも祖母のような気がしてチサは
局が好きだった。厳しい顔も声も今は懐かしい。
もうあのように叱ってくれる人はいないのだ。
それを思えばおのずと涙がこぼれる。果てしない読経が
続いて陽は西に沈み辺りが夕闇に迫る頃 盛大な葬儀も
終わり、人々は暮れなずむ町の中を列をなしてそれぞれ
の帰途に着く。何しろ大勢の人数なのでみないっ時にと
いう訳には行かない。徒歩の者もう駕籠の者もまず
与えられた座敷で順番を待つ。
その慌ただしい中 チサはそっと和島に手招きされた。
人目をはばかる様子なので何げなく立ち上がり側に
行って見ると、「松平伊豆守様があちらのひと間で
お待ちじゃ」と 小声で言う。「ええ~」びっくりして
聞き返そうとするチサを「シッ」と 押さえて側の侍女に
目くばせする。心得た侍女はチサに軽く一礼をして
先に立ち案内する。松平伊豆守 智恵伊豆として後世に
まで名を残すその人が自分に何の用だろう。
その時ハッと思い当たることがあった。局が最後に
言い残した言葉 (後の事は伊豆殿にゆうてある。
伊豆殿に会って話すのじゃ」と 言っていたあの言葉
である。あの日以来 忙しさに取り紛れてすっかり
忘れていたのだが、今その意味がおぼろげながら
分かる気がした。案内された部屋に行ってみると
そこには40年輩の肩幅ががっしりとしたいかにも
働き盛りと言った感じの男が一人端座していた。
この世界に来てから家光以外の男性に会うのは初めて
であった。いささか緊張気味で平伏すチサに伊豆守は
ニコニコと笑いかけ 「お呼び立て致しまして
松平伊豆守でござる」と 声をかけた。「中臈を勤め
まするチサにございます」 「お名前だけは伺って
おり申した」 「えっ」 「上様 おくつろぎのひと時
時々あなた様のはことを、この伊豆にだけはお話し
なされまする」 「まぁ」 家光がそんな事を言って
いるとは知らなかった。
続く。