Pチャットと自分
『こんにちは』
何度目の『こんにちは』なのかはもう分らなくなってきていた。
次から次へと色んな人に送り続けていた。この内8割ほどは返事が返ってこない。
ただ、それが心地よくもあった。
ここの人間はどんなに親密になっても或る日突然縁を切ることが可能である。また、それは逆も然りである。
これほど病的に人とのつながりを求めるようになったのは上京してからだった。
私にはどうやら現実世界で新しく人間関係を築き、その仲を深めていくということがひどく難題であるようだった。
無論、努力をしなかったわけではない。しかしどうやらその仕方を間違えているのか、自分の性格に根本的な原因があるのかは分からないが上手くいくことはほとんどなかった。
そんなある日ふと見つけたのがスマホアプリの「Pチャット」だった。なぜこのようなチャットに惹かれたのかは理由がある。
自分はネオ・デジタルネイティブ世代ともいわれる世代だ。生まれたときから当たり前のようにパソコンやインターネットが存在しており、それに触れずに生きていくことはほぼ不可能な世代である。
自分自身も強くその恩恵にあずかっており、小学生の頃には家にあったパソコンでゲームをしたり友人を作るといったことを当たり前のように行っていた。
特に自分は小学5年生の時、ゲーム掲示板を「荒らし」たことによって母にPCを一時期禁止にされるほどのめり込んでいたのだ。
その記憶をふと思い出した。自分は液晶画面の中の仮想空間であれば容易く友人をつくり、仲を深めていくことができるのだ。
そんななけなしの希望をもってPチャットをはじめたのだった。
「こんにちは」
『こんにちは!』
返事が来た。「fさん」という方らしい。当たり前だが性別、年齢、職業などの素性は一切わからないところからスタートだ。ただ現時点でわかるのは平日の午後3時からこんなチャットアプリをいじれる人間であること、「!」を付ける程には友好的な人間関係を築こうとしている人だということだけだ。
自分はこういったくだらない推理ごっこがたまらなく好きだ。
自分からこんにちはと声をかけた以上、ファーストクエスチョンの権利は自分にある。
さて…なんと仕掛けたものか?
「いい天気ですね。そちらはどうですか?」
『いい天気ですよ。』
さんざん恰好を付けた癖に天気の話題にしてしまった。これは悪手中の悪手である。
ただファーストクエスチョンはいつも迷う。あまり相手の事情を深堀するようなことをしては警戒されてしまうし、イケイケ風を装ってもぼろが出てしまうことは明白だったからである。
「今はお仕事中ですか?」
『違います。』
あっ…。自分は察した。最初のつかみに失敗してしまったことを。
これは「受け身」タイプである。この人たちの特徴としては自分たちから何かを聞いてきたり興味を示したりしてくることはほとんどない。それ故会話も続かないのだ…。
この手の人たちの興味を向かせるには単純に相手の興味のある話題や食いついてきそうなものをピンポイントで放り投げる必要があるのだが、このPチャットのプロフィール機能的にそれを探ることはこの上なく難しい。このPチャットには「ひとこと」機能と「プロフィール画像」がある。例えば犬のプロ画にしている人ならば無難に犬の話題などから始めるのが鉄則であるが、fさんは未設定だった。
最初の「!」で示してくれた友好的態度もつかみに失敗してふいにしてしまった。
やめだ…。時間を削って自分の気分を損ねるのは上策とは言えない。
この「受け身」タイプは往々にして殿様なのだ。
「で?次は何聞きたいの?」と言わんばかりの態度にはさすがにイラっとする。
というか何を目的にしてこのアプリをインストールしているのかすらわからないのだ。
そんなわけで「こんにちはテロ」を続ける。
そう、たくさん人はいるのだ。誰かに固執しなくてもいいというのはこの仮想空間ならではの長所ともいえる。面倒くさいやつとは早々に会話を切って次にいってしまえるのだ。
きっと、少し上の世代の方からは咎められるようなコミュニケーションの取り方だろう。
実際、自分も現代を生きる若者のコミュニケーションの希薄さにこのようなチャットの存在、コミュニケーションの取り方が少しは関与していると思っている。
ただ、郷に入っては郷に従えだ。
「こんにちは」
『こんにちは!いい天気ですね』
今度の人は食いつきがいい。「やなぎ」さんというらしい。まぁ、名前なんてなんでもいい。本名でなければ。
「ですね。お出かけ中ですか?」
『そうなんです、友人と遊んだ帰りなんです。』
これはいい。自分はコミュニケーション能力の無さからよく「聞き上手」なんて言ってもらえることがあるが、この手の「自己開示」タイプの人とは相性がいい。
話を聞いているだけでこっちもなかなか楽しくなってくるようなことも多々あるし、とにかく聞いてみることにした。
「そうなんですね。結構仲のいい友達なんですか?」
『はい。大学の親友なんですけど愚痴をたくさん聞かされましたw』
いい感じだ。恐らく女性だろう。
男はあまりこういった自己開示の仕方をしない。
ただ、女性の話は聞いていると面白いものがたくさんある。宝の山ともいえる。
ただあまり一方的に掘り返していくと段々警戒されても仕方なくなってしまう。
ここらでちょっと自分も自己開示していく必要があるだろう。
もしかすると心理学でいうところの「自己開示の返報性」が働いているのかもしれない。
「そういうことありますよねw自分もよく愚痴を聞かされるタイプです」
『そうなんですか?確かに聞き上手って感じがしますw」
「w」か「(笑)」は相手に合わせるのが自分の流儀だ。
ただ「w」の方がどちらかというとフランクでイケイケなイメージを与える…と思う。
なので紳士(笑)な私は基本は「(笑)」だが相手と合わせないと壁ができてしまう気がするのだ。
さて…ここでも聞き上手の評価をいただいてしまった。
現時点でお互い何もわからないのだから、ある程度の段階で得た相手の特徴を上手く誉め言葉っぽく変換して伝えるのは自分的には常套手段だ。
まさか相手に先を行かれるとは思ってもいなかったが…。
「ありがとうございますwよく言われます」
『そうなんですねwその聞き上手を見込んで聞いていただきたい話があるんですが…』
おや、こちらからいかずとも話し始めてくれるのは有難い。
このタイプのチャットで最も恐ろしいのは他でもない「沈黙」だからである。
さて…どんなお話をしてくれるのだろうか…。