第32話・なにか、きた。
俺が呼ばわる。そしてそれが届いたかと思った瞬間、竜の巨体は反転し、返事の代わりに尻尾が俺に襲い来る。
やっちまった、と思ったのと同時に体が動きはしたが、まだ後ろにマリャシェがいたことを失念していた。
そうでなければあるいは間に合ったか、さもなくば迂闊に声をかけたりしなければ…と後悔した直後。
「無茶する子ね~」
と、耳元で声がしたかと思ったら、次の瞬間、俺は二人分の体重を抱えたまま、中空にいる。
「…へ?」
「はい着地」
それに戸惑う間もなく、いつぞやシュリーズと共に空中散歩を楽しんだ時とは全く違ってごく優しく、地面に降り立つことが出来ていた。
「…おっもいわ……」
「そらそうだろ二人分だしよ…いや、ありがとよ」
「どういたしまして~」
飛んだついでに距離を置いたのか、下ろされた場所は竜の尻尾なんぞは一足では届かない程度には、離れていた。
「小次郎!」
呆れたことに竜を挟んで反対側に正宗がいる。てことはアレの頭を越えて反対側にまで来たってことか。とんでもねー跳躍力だな、と思いながら、無事だぞというつもりで正宗と傍に立つラチェッタに手を振り返した。
ん?ラチェッタ?
いや、あの黒髪は間違い無くそうだけど、それなら俺を抱えて跳んだのは、誰だ?
と、あの状況で離すことのなかったものの、流石にずり落ちそうになっていたマリャシェを背負い直しながら正体を確認しようとしたら。
「…後でね~」
顔を見る隙こそあればと、文字通り目にも止まらない速さで駆け出し…あ、いや飛び出していった。
その影を背中から目で追う。後ろから見た限り、シュリーズのによく似た金髪は少し長めで、背格好は……なんか。
「シュリ~、いい加減目を覚ましなさい、って~…」
飛び出した先には、人間の身長サイズの何か突起状のモノ。それを手に取った影は、声量こそ大きいものの、どこかのんびりした口調で。
「のっ!!!」
一切勢いを殺さずに、一喝するように、竜の首の辺りにそれを叩き込んだ。
それで何が起こったかというと。
「んきゃん!」
俺を竜の尻尾から救ってくれた影は無様にはじき飛ばされ、竜に傷一つつけることもかなわなかった。
…何しに出てきたんだ、アレ。
呆れて頭痛がするよーな気分で頭を振ると、力が抜けて背中のマリャシェをズリ落としてしまった。慌てて確認したが、とりあえず目に見えるような怪我などはなく、安堵する。
「くぉらーコジロウ!もっと丁寧に扱いなさいよーっ!!」
そしたら竜の向こう側でラチェッタが喚いていた。
うるせー!勝手にてめえの身内押しつけといて文句つけんな!
…とでも言い返してやろうと立ち上がった瞬間、竜に起こった変化に目が向いた。
突然紛れ込んだヤツに一発喰らわされた(どう見ても空振ってはいたが)ことに怒りを覚えて暴れでもするのかと思ったら、今の今までその身に触れるものと視界に入るもの全てを憎悪しているようにさえ見えた、怒りに満ちた双眸が閉じられている。
そのことが、何某かの意志を示すもののように見えて一瞬唖然とした。
そして今度は喘ぐように首を震わせて口を開け閉めし始める。それはまるで歌でも歌っているようで、そんな真似を一度もしたことが無かった筈なのに、何処かシュリーズがそうしているようにも思えた。
それが済むと今度は大きく体を震わせていた。
その巨体を支える四肢には力がある。重そうな自重を支える後ろ足は安定し、クラウチングスタートのように体を低く支える前足…という表現が正しければ…に生えた翼は、今にも強く羽ばたきを始めそうに大きく広がっている。
「…なんか、あれだな。昼寝して起きてきたみてーだな」
気がつけば自分の口元は緩んでいた。ほんの何分か前に、ヘタすりゃ殺されかけたことなんざキレイに忘れていた。
けれど最後の最後。そこにはまだ、あいつの姿が無い。帰ってこなけりゃあ、何も終わったことになんかならねえんだ。
竜が天を仰いで、もう一度嘶く。今度はどこか悲しげでもあった。
「シュリーズぅ!!」
感極まったように、正宗が叫んでいた。まあきっと、いやある意味俺よりもずっと、今の声が堪えたんだろうなあ。
おい、なんか大した時間過ぎてねえってのに随分長いこと顔を拝んでいねーような気がするぞ。いいから早く戻ってこいよ。正宗が待ってる。
そんな風に思って、相変わらずの巨体をじっと見つめている。
…すると、先程一撃を与えられた箇所の辺りから、ヒビのようなものが広がり始める。
それはもしかしてあいつが帰って来る兆しなのか。
そんな期待をこめてじっと見つめていたが、胸元にまで及んだところでヒビの広がりはぴたりと止んだ。
それと同時に今度は、明らかに苦しげな、慟哭にも似た一声が度々咆吼を鳴らした口から響き渡る。
「お、おい。どういうことだ…?」
不安から、思わず二歩三歩と足を前に出した。
そしてそれはあちら側でも同様なのか、口を手で覆って絶句している正宗と、多分「な、な、な、な…」てな具合に呻いているだろうラチェッタの姿が並んで立ちすくんでいる。
事情を問える奴がいないのかと見ると、さきほど吹っ飛ばされた金髪の姿が見えない。何処にいったのか見渡したら、タコの頭の上に、居た。正確にはタコの滑り台の、頭にあたるところに、だが。
どっちにしてもつるつるしている上に丸っこくて足場としては心許ないだろうに、大丈夫…なんだろうが、そこで大仰に腕組みして今現在変化が続いている竜の姿を見下ろしていた。その表情は、といえば割と遠目なのでなんとも言えないのだが、愉快そうってわけではない感じでいる。
「ぐっ…」
「シュリーズ?!」
けれどもそんな時に聞こえてきた、ただの呻き声はその場に居た全員の注目を、声を発した主に集中させるのに充分な力があった。
竜の姿のままに聞こえてくるアイツの声は、力は無くても確かにそこにいる、という存在感を主張し、この最後の混沌に終止符を打つ光明を見出させてくれる。
「ラチェートゥングァリュス、やっちゃって!」
「…って、何でアンタが居るのよ!…まあいいわ、最後の一押しってことだわね!」
その正体に怯んだのも僅かな間のことで、ラチェッタは得物を刺突の構えに持ち替え、全身にヒビ割れが広がりゆく竜の頭部に真っ向から迫り、そして裂帛の気合とともにその額に突き立てた。
「これで、どうよ!」
その結果、竜がどうなったか。
結果を待つことなく、ラチェッタは即座に飛び退きすぐに竜の傍を離れる。
「…ったく、最後は人任せにするとか相変わらずめんどくさがりだわね…あと名前全部呼びすんなっつってんでしょうが!」
そして離れた場所から、割り込んできた人物に文句をつけていた。愛称で呼ぶとか呼ばないとか、何か拘りでもあるんだろーか。
「何が起こってんのよ!」
埒もないことを考えていたら、正宗が大回りしてこちらにやってきた。
「いや分からんけどどうにかなったんじゃねーのか」
息を切らせている正宗を迎えて、我ながら呑気な口調で答える。
「だったら、シュリーズ戻ってくるよね?」
「だろうよ。でなけりゃ逃げずにここにいた甲斐が無え」
結局逃げなかったし、俺も最後まで付き合わせた正宗の頭を、労いの意味を込めてポンポンと上から叩く。
それになされるがままだった正宗は、竜に起こる変化をじっと見つめていたが、やがて一際大きな声で叫んだ。
「小次郎!見て!」
何が起きたのかと俺も顔を向けると同時に、竜の巨体が胸元からの光に包まれていく。
「…うわぁ……きれー……」
俺に注意を呼びかけたまま、そして今度はうわごとのように感嘆の声をもらす正宗が言ったとおりに、粒子状の光が散っていき、そしてそれにつれて竜の姿を構成している質量も溶け消えていく。
それはさながら、竜が光になって消えていくかのようだった。
「見たことあるよな、確か…」
そう、その光景は、規模こそ違えどシュリーズが鎧を納める時に見たものそのものだった。
「…ってことは!」
収まった光の中に、元の姿のアイツを認める。
「シュリーズ!」
「帰ってきたの?!」
そうして俺たちは並んで駆け寄る。倒れ伏したままではあっても、人として帰還したことに違いは無い。
「息は?!」
先に辿り着いた正宗が取りすがる。伏せている体を起こそうとして苦労していたから、代わって俺が抱き起こして息を確認した。
「…ゆっくりだし息も深い。大丈夫っぽいな」
「……良かった……生きてた」
「目を覚ますまでは心配だけどな」
そう言って俺は、汗で額に張り付いた髪を拭ってやる。熱があるわけでもないし、口元や目蓋の端も微かに揺れていたから、すぐに目を覚ますだろうと期待する。
「…う……」
「あっ!」
それはすぐに叶えられる。抱きかかえた俺の腕の中で一度呻くと正宗が名を呼びかけ、そしてそれに呼応するかのように、ゆっくりとではあったが目を開いた。
「……………お腹、すいたー…」
そして放たれた第一声の余りにもアレな内容に、ガクッと正宗が脱力していた。
「相変わらずだなおめーは。むしろ安心したよよく帰ってきやがったなコンチクショウ!」
腕の中で寝言をほざくアホに、流石に手を出すわけにはいかないとしてもツッコミだけはしっかり入れておかねばなるまい。どこら辺がツッコミになっていたのかは自分でも分からなかったが。
「こじ…ろ…?まさむ……はぅわっ?!」
そして次第に瞳に力の戻ってきたシュリーズが俺たちの名を呼ぶ間もあればこそと、正宗が俺の腕をはねのけてシュリーズに抱きつく。まだ横たわっているのだから、覆いかぶさるような形になったが構うこたぁないらしい。
「良かった!もうお別れかと思ったんだから!」
「あ、ああ。済まなかった…」
泣きこそしないものの、身を震わせて取りすがる様子は傍目にゃ感動的と言えなくもないが…。
「ちょっ、正宗…少し苦しいから離し…」
「はいストップ。正宗、話があるからちょい離れ」
「えっ、もしかして小次郎も抱きつきたかった…?」
「んなわけあるか。気持ちは分かるがハッキリさせとかにゃならんことが多いだろうが」
体がどうなっているか心配な奴を力任せに抱きしめるのもどうなんだ、と思ったが流石にそれは口にしなかった。意識が戻るなり腹具合の心配する女が体調の悪いはずがあるか…ではなく、まあいろいろと今後のために早急に確認せにゃならんのだ。
「シュリーズ、お前どこまで覚えている?」
抱き起こしておくのは正宗に任せたまま、ストレートに聞いた。
「………」
返事はない。考え事をしている風ではあるが、自分の正体を見失っているような混乱の様子は無かったので、じっとこちらを見上げる視線から目を逸らさずに言葉を待った。
「小次郎は私に抱きつきたくはないのか?」
がすっ。
「どうしてぶつのだ?!」
「アホなことを聞くからだよっ!…シリアスな場面なんだから真面目にやってくれよ…ったく」
そりゃまあ正宗に先を越されなければどーなっていたかは分からんが…でなくてだな。
まあ大ボケかましてくれる辺り、復調はしているんだろうが。
「………」
横からなんか睨んでいる正宗を無視してシュリーズに返事を促す。
「何処までといってもだな…マリャッスェールス殿と相対しているうちに耐え難い悪寒に襲われて…」
悪寒の結果があの不気味なテンションかい。つくづく理解に苦しむ行動をとるヤツだった。
「それで何をやっているか次第に分からなくなり…ラチェッタが現れたところで…」
そこで言い淀む。しかしすぐにガバッと半身を起こすと、必死の形相で俺に食ってかかってきた。
「そ、そうだラチェッタはどうなった?!あやつが来ればと思ってはいても、私にもどうすべきか全く見通しが立っていなかったのだ!まさかとは思うが…小次郎!」
「おい、落ち着けって…ラチェッタなら無事だよ。多分そこらに…」
前回のいざこざの様子からは意外なくらいにラチェッタの身を案じているシュリーズにいささか面食らいながらも、首を巡らしてその姿を探す。
「小次郎、あそこ」
暴れるシュリーズを抱えていて身動きの取れない俺に代わって、正宗が見つけ出してくれた。
俺の腕の中から飛び出してその方向に起き上がるシュリーズと一緒に目を向けると、俺たちの様子に気がついたのか、マリャシェを膝枕して横座りしているラチェッタがこちらに手を振っているのに気づく。
そこは俺がマリャシェを取り落とした場所そのままだったから、話し声がわけもなく届くというわけではなかっただろうが、それでも慌てたシュリーズの姿で色々察したのだろう、何とも小憎たらしいニヤニヤ顔で見つめている。
「…良かった、無事だったか……」
その事に気づいているのかいないのか、何の衒いも無く安堵しているシュリーズ。
まったく、とことん気のいいヤツだった。
そしてそれだけでは済まさず、今度は少しばかりふらつきながら立ち上がり、気後れを感じさせる足取りで二人の元に歩み寄っていく。
「行こ?」
「…だなぁ」
別にひでーことにはなるまいが、あれだけの切った張ったを繰り広げた二人である。放っておくわけにもいくまいと、正宗と一緒にシュリーズの後に付いていった。
躊躇いがちに一歩ずつ、歩を重ねる背中の向こうでは、一先ずこちらへの興味を失ったのか自分の腿に頭を置く叔母…だっけか?の様子を見守るラチェッタの姿がある。顔色なんかは別に問題無いように見えたが、目は覚ましていない。とはいえ、ラチェッタの方にも特に慌てた感じはないので命の危機とか、そういうわけでもないんだろう。
…思うに、この竜の娘、って連中はその名に負けずえらい頑丈に出来ているもんだ。役割があってそのために戦闘能力云々ってーのは聞かされた覚えはあるが、それでも実際に見るとまたとんでもない。
そりゃあ、銃だの戦車だの持ち出せば話は別かもしれんさ。あ、いやシュリーズが変身したら戦車くらいには勝てそうな気もするが、けどなんかこの連中の強さというか無茶苦茶っぷりってのは、そういう直接的なのとはなんか違うようにも思う。
「…大事ないのか」
「さあね。でも、あんたのせいじゃないわよ。気にすることない」
ラチェッタとマリャシェ。その二人を見下ろしながら問う背中は微かに震えている。
それは確かにラチェッタの言う通りに自分のせいではないとしても、それを背負わなければならないものと信じているからこその、言だ。
「だが、剣を合わせたことは事実だ」
「それを言うならマリャシェの方から襲いかかったのも事実でしょうが。そしてあんたを危うくしたのも同じこと。むしろこっちが糾弾されてしかるべきの状況、じゃないの?」
「…ラチェッタ。お前の、リュリェシクァに対する憤りの結果がこの形になっていると思うのだ。それを詫びることは決して私にとって不自然なことではない」
「長女家への憤怒ねェ…無いとは言わないけどさ、それは本当の長女に問い糾すべき事柄だとは思うのよね」
「……どういう意味だ?」
「アンタを助けたのはわたしじゃないってことよ。顛末の説明ならアレに受けなさいな」
そう言ってラチェッタは、とある方向を指さす。
シュリーズ、俺、正宗が目を向けた先には相変わらずタコの滑り台があって、その上にまだ仁王立ちしていたのは…。
「うち、参上!」
なんか、見得を切っているちびっ子だった。




