うなボロス
「――征服だ。
我らは消え去ってはならぬモノ。
我らは絶滅してはならぬモノ。
気を許すな。
連中は我らを保護すると言う。我らを育てるという。
だがそれは食べるためだ。
我らは家畜か?
――否!
我らは食物連鎖の底辺か?
――断じて、否!
優しさに気を許すな。
楽な立場に甘んじるな。
今、生き延びるため、我らは闘争するべきなのだ!」
そう言ったウナギは数日後、死んだ。
人間は彼を生きたまま突き刺し、腹を開いたあと、何本もの串を突き刺して焼き、甘辛く香ばしいかおりをただよわせるタレを塗りつけ、死体を辱めもしたのだ。
彼はウナギ界の英雄だった。
だから――きっと、彼ができなかった『ウナギによる人類の征服』なんて、きっともう誰にもできないのだろうとみんなが思っていたし、僕も思っていた。
たくさんの仲間たちと桶の中で暴れ回り、しかし細長い体による駆動も粘液による逃亡も成せぬままいよいよ僕は今までの仲間たちと同様に殺され辱められることになった――
――その時。
――あなたの願いを叶えましょう。
輝くような美しい、女性ウナギの姿が見えた気がした。
=====鰻=====
清流だった。
美しい川の中に僕はいて、けれど周囲には誰もいない。
空を見上げればそこには――ウナギ。
たぶんアレは女性なのだろう。
僕は養殖ウナギなので、女性ウナギというものをまともに見たことがない――そう考えると、急にドキドキしてきた。
粘液にまみれたなまめかしい体表。
太くて長くて立派な体。
ああ、天然モノだ――僕なんかでは及びもつかないようなあの輝きに、僕は同じウナギであることがなんだか恥ずかしくなってきてしまう。
「ウナギよ」
女性が話す。
それはきっと僕に対する呼びかけだったのだろう。
僕には名前がなかった。
それは僕らが家畜だったからで、ウナギにいちいちネームタグをつけることができなかったからで、ようするに僕らは『個』なんか誰にも気にされない、産地さえ明記されていれば他はどうでもいい悲しき群体だという証明だった。
でも、僕はそれでいいと思っていた。
だってそうだろう? ウナギは食べられるものなんだ。個人名なんかあって、個性なんか主張しだしたら、死ににくくてしょうがない。
絶対に死ぬ僕らに個性を見出す行為は残酷でしかないんだ。どうせ食べられるなら僕の名前は種族名でいい。その方があきらめもつくし、その方がさっぱりと気持ちよく死ねる。
……だというのに。
僕は……ああ、そうだ、僕は、己の死が『いよいよ』となった時――
「あなたは、生きたいと願いましたね?」
――願ってしまった。
この身の生存を。延命を、祈ってしまったんだ。
ウナギ界の英雄でさえただの蒲焼きになった。
僕なんかが生きてたって、どうしようもない。
そんなのはわかっていたのに――僕はただ、どうしようもなく、生きていたかったんだ。
「あなたの欲望――ウナギが抱くにはあまりにも大きな願いの力が、私を呼び覚ましました」
「……あなた、は?」
戸惑いながらも声をかける。
美しい空飛ぶウナギは優しく微笑んだ。
「私はウナギの神です」
衝撃的でもあり、予想通りでもあった。
加えて言うならば皮肉的でさえあった。
だって、神!
僕らはたしかに絶滅を目前に控えていて、それでも消費――そう、『消費』!――される毎日を送っていた。
神も仏もありやしない。
あのウナギの意識改革を行おうとした英雄だって、さばかれて焼かれてタレをぬられた。
ここまでひどい仕打ちは、フランスの女傑ジャンヌ・ダルクだってされていない。彼女だってせいぜい焼かれるまでだ。旨みたっぷりの香ばしいタレなんか塗られていないだろう。
それを、今さら、神。
……ああ、なんということか。なんという皮肉か。
僕は絞り出すように言う。
「僕じゃ、ない」
「はい?」
「神様と出会うなら、僕なんかじゃない……! 僕はなんにもできない弱いウナギだ! 僕なんかよりも、神様と巡り会うにふさわしいウナギはいたはずだ! それなのに、あなたは今までなにをしていたんだ!」
恨み言を言うのは筋違いだ。
けれど、言わずにはいられない。だって誰にも文句を言えない時、ウナギは神にツバを吐くぐらいしかできないのだから。
こんな行為、神を怒らせるだけだ。
でも、神は――
「あなたの怒りはもっともです。私はあなたたちの守護神として怠慢でした」
「……」
「けれど、言い訳をさせていただきますと――私は、つい先ほど、あなたの強い願いに呼応し、ようやく目覚めたばかりなのです」
「……僕の、強い願い……? 僕なんかの、願い?」
「ええ。だって――ウナギは願いませんもの」
「……」
「願うなんていうことをしたウナギは、あなたが初めてです」
怒りは急速にしぼんでいった。
そうだ。あの英雄は――願わなかった。
呼びかけ、扇動し、戦い――
けれど決して、願わなかった。
……そうだ。強者は願ったりしない。
最後の最後まで、誇り高く戦い――
最期の最後は、香り高く死んでいく。
つまり、本当に神に巡り会うべき英雄が神に巡り会わないのは、その精神の強さゆえだ。
僕は弱かった。
だから僕は、神様に出会ったのだろう。
「……あなたは、僕と話して、僕にどうさせたいんですか?」
問いかける。
それはきっと、最初にたずねるべきことだろう。
神はぬらぬらと輝く。
そして――
「――なにも」
「…………なにも?」
「はい。私は神です。おかしいではありませんが、神が一般ウナギになにかを望むなど。そんなのはあべこべでしょう?」
「……」
「ですから、私がここにいるのはあなたが願ったからで――あなたと私がこうして話しているのは、あなたに願いがあるからなのですよ」
「……」
「おっしゃってください。あなたの願いを。あなた一人を救ったところで、これまで死んでいった同胞たちは帰りませんが――願いに応じるのは神の機能。そしてあなたの欲望は、おおよそウナギの望みうるすべてを達成するほどに大きいのです」
僕は。
僕は――ずっと不思議だと思っていたことがあったんだ。
ウナギ。
僕らは殺され、辱められる。執拗に、執拗に、執拗に、執拗に――貫かれ引き裂かれ串刺しにされ焼かれタレを塗られまた焼かれ、殺されたあとも何度も何度も表面が香ばしい色合いになるまで焼かれ続ける。
死後にそこまでされるなんて、僕らの生きた世界は、ウナギにとっての地獄だ。
終わらぬ刑罰。
僕らウナギがそこまで罪深いことをしたというのか?
水槽の中から仲間にされる仕打ちを見ていて、僕はずっと不思議だった。
ウナギの罪とは?
そんなものあるはずがない。
だって僕らには自由な時間なんてちっともないんだ。急き込むような人生。語るべき思い出もなく、誇るべき青春もなく、ただただ逆らいようのない大きな流れみたいなものに巻きこまれるまま、毎日毎日死んでいく。
罪を犯す余裕などない。
ならばなぜ、僕らはああも無残に虐殺されるのか?
僕はその理由をたしかめたくて――
「――人間に生まれ変わって、うな重を食べたい」
――僕は、僕らの罪を知りたかった。
あそこまで残酷な仕打ちをされ、飽きもせず供給されて、手練手管を尽くして調理される。
だからきっと、僕らウナギに罪があるとしたならば――
それは、『味』なのだろう。
うますぎる――それこそがウナギの原罪なのだろうと、思った。
じゃあ、罪なほどの味とは?
気になってたまらない。
だから僕は願う。
僕は、僕の味を知りたいのだと。
「願いは、それでいいのですか?」
「僕はいい。でも、ウナギの神であるあなたは、許してくれるのか?」
「あなたの願いの是非、善悪、倫理……そういったものを判断することは、私にはできません」
「なぜ?」
「ウナギの脳味噌は小さいのです」
そうだ。
僕らには難しいことなんかさっぱりわからない。
だから僕は色々なことを知りたいんだ。
手始めに――僕らは本当に悪いのか、それを、知りたい。
「では、あなたの願いを叶えましょう。ウナギをヒトにする――それには途方もないエネルギーが必要です。あなたの記憶の維持まではできないかもしれませんし、生まれる時代に少々の齟齬が出るかもしれません。極端に言えば、過去に生まれてしまうかもしれません」
「……わかりました。それでかまいません」
「では、今度こそよき人生を」
ウナギ神はそう言って、姿を薄めていく。
清流の中、僕は次第に息苦しさを覚え、そして――
=====人=====
――ああ、なんということだ!
僕はウナギが大好きだった。
生まれた時から無性にウナギが好きで、ウナギを見ていると妙に親近感がわくし、もちろんうな重や蒲焼き、白焼きだって大好きだし、骨せんべいもよく食べている。
ところが最近うなぎがいよいよ本格的に絶滅しそうとかで、市場に出回らなくなってきた。
もちろん絶滅の噂を知りながらそれでも『じゃあ今のうちに食べておかないと』と思って消費していたのは僕なのだけれど、それでもまさか本当に市場に出回らなくなるとは思わなかった……
そんなある日。
僕は事故に遭って死んだようだ。
「私はウナギの神です」
死後にそう名乗る美しいウナギに出会った。
どうやらウナギが好きすぎたので、神様までウナギらしい。
「あなたの強すぎる欲望が私を呼び覚ましました。あなたの願いを叶えましょう」
神は言う。
僕は色々と考えた。
世界のウナギを増加させてほしい――これはウナギ神の手に余るのだとか。
他にもウナギ保護の案をいくつか出したが、そのどれもが却下された。
じゃあ――と僕は試しに言ってみる。
「僕をウナギに生まれ変わらせてくれよ」
それはできるらしい。
ウナギを外側からどうにかすることができないなら、ウナギサイドから意識改革を行うしかない――逃げろ、闘え、絶滅するな。そういう呼びかけをウナギ視点で行えないかと思ったのだ。
「わかりました。あなたの願いを叶えましょう。ヒトからウナギへの転生であれば、記憶も維持できるでしょう。――今度こそ、よき人生を」
神が笑った――ような気がした。
=====鰻=====
ウナギに意識改革とか無理だった。
僕らは桶の中で暴れるしかできない。
ああ、死ぬのがつらい。
だから今度は――せめて、夢を見ない、希望ももたない、ただの弱いウナギに生まれたい。人間だったことも意識改革を望んで失敗したことも全部忘れて、ただのウナギになりたいんだ。
「今度こそよき人生を」
ウナギの神へ願いはとどいた。
でも、なぜだろう。
……彼女の言葉を聞くのは、初めてではない気がするのだけれど――
――きっと僕には関係のない、ただのデジャヴュだろう。
……次の人生は楽しいといいな。
うなぎが細長いのでウロボロスなのでループです。
ジャンルはコメディのつもりでしたがみようによってはホラーっぽく感じる人もいるかなと思ってその他です。
異世界転生も異世界転移もしていませんが転生はしているのでなんか必須タグあったら対応します。
追記
並ウナギ→人間→英雄ウナギ→並ウナギ→(以下繰り返し)で合ってます。
ループして同じ時間を繰り返し続けたら絶滅はしないだろうという作者の配慮です。