第40話 リベンジャー《復讐者》
記念すべき40話ですが、特別な内容ではありません。
若干、文章の雰囲気が変わっている気もしますが、そう大した変化ではないでしょう。
40話以降もつづけていきたいと思っていますので、どうかよろしくお願いします。
では、今日も読んでくれるであろう皆さんに感謝を……
ありがとうございます。
女神は言う、あなたは罪だと。
勇者が言う、お前は悪だと。
それでも君は……私を友と呼べるのか。
朦朧とする意識の中、リンの脳裏に懐かしい言葉が浮かんでくる。
「当然だ……」
掠れた声で呟くと、リンは喉に溜まった血を吐き出した。口の中がわずかに痺れているが、痛みはない。噛み切った舌は完全に元にもどっている。体を縛っていた縄もいつの間にか解かれていた。
「起きたか……」
壁に寄りかかり、呼吸を整えていたリンに、雪の妖精のような白い幼女が声をかける。
「これが最後だ。今度やったら、本気でアラクラ狩りを仕掛ける」
愛らしい見かけに似合わない恫喝の言葉に、リンの体は微かに震えた。
リンは体に力を込め、震えを抑え込むと、自らに暗示をかけるように心の中で「怯えるな」と呟く。
「ああ、分かっている。もう逃げない」
そうして告げた幼女への返答は、リンにとっての覚悟の言葉でもあった。
獣人の娘に礼を言い、彼女が運んできた水を受け取ると、リンはそれを一気に飲み干す。乾いた喉が潤い、口の中の血生臭ささがなくなっていく。
「おかわり、いる?」
飲み終わるまで待っていた猫娘が、笑顔でリンに尋ねる。
「頼む」と申し訳なさげに答えると、少女は空のコップを受け取り、リンの耳元で囁いた。
「怖がらないで、ハルート様はあなたの敵じゃない」
少女の言葉にリンは目を見開く。
「それと、シンエモンさんのこと……ゴメンね」
猫耳の付いた頭を下げて、少女は小さく呟いた。
「先に仕掛けたこちらが悪い。だから、恨んだりはしないよ。色々ありがとう、カナリア……」
リンは微笑み、彼女の名前を呼んだ。
カナリアはニッコリと笑い、廃屋の出口へと駆けていく。その背中に向かって幼女が「私には酒をもってくるのだ」と叫んでいた。
二人きりになった室内で、リンは小さな怪物と対峙する。冬の湖面のような瞳に見据えられると、思わず心が竦んでしまう。この幼女の前に立つ、ただそれだけが、今まで潜ったどんな修羅場よりも怖ろしかった。
「アラクラは今も生きているのか?」
幼女の言葉は率直だった。
リンはその問いかけの意味に気付き、戦慄する。
幼女が求める答え……それは、ルスムの民が、教会や勇者を怖れ続けている理由にほかならない。
「ハルート様はあなたの敵じゃない」
苦悩の中、カナリアの言葉がリンの頭をよぎる。目を向けた先には、幼女の不敵な笑みがあった。
リンは思う。たとえ敵じゃなくとも、コレを味方とは思えない。
「あの方……アラクラ様は、六十年以上前に勇者率いる討伐隊に殺されている」
リンは幼女の青い瞳を見つめ、はっきりと答えた。
その言葉に嘘はない。未だ覚悟は定まらないが、嘘をつくのは得策ではないと判断したのだ。
「アラクラ様ね、付き合いは長かったのか?」
「二百年以上だと聞いている。山に轟雷鳥が大量発生して、集落が壊滅しそうになったところを助けられたのが、交流の始まりらしい」
「二百七十年、あるいはもっと前……江戸時代の人間か? 魔物の寿命はいい加減だから、いつからこっちにいたかは分らんな」
幼女は何やらブツブツと呟き、考え込んでいる。
「エドジダ? 何を言っている」
「ああ、気にするな。それよりアラクラの本名はなんだ。アラクラ何エモンだ?」
「……アラクラ・デンエモン様だ」
「素直でよろしい。伝衛門か……侍だろうが、聞いたことはないな。お前達はそれにあやかって、シンエモンだのカキエモンだのと名前を付けていたのか? ホント迂闊だな、警戒心低すぎない?」
「我ら以外にアラクラ様の名前を知る者はいない。それに、この名前をおかしいと言ったのはお前が初めてだ。一体どこに違和感を感じたのだ?」
リンの問いに、幼女は可愛く首をかしげて「分かんない」とのたまう。
「貴様……!」
また、からかわれている……リンは奥歯を噛み締め、冷静になれと自分に言い聞かせる。
「しかし、解せんな」
幼女が唐突に呟く。
「何がだ? 私は噓は言っていないぞ」
「それは分かっている。だが、二百年以上放置していたものを、ファルティナはなぜ急に滅ぼそうとした。江戸時代の知識を持った魔物など、さして脅威にはならんだろうに……」
そう言うと幼女は、ウーンと唸りながら何かを考え始めた。
「人と魔物が関わるのは許されざることだ。だから――」
「それは、人の理屈だ。女神には女神の理屈がある。そして勇者は女神の剣だ。その刃は本来、善良な人間に向けられるものではない。たとえ魔物を友としていたとしてもだ……お前達とアラクラは、人を襲ったりはしなかったのだろう?」
「当たり前だ! アラクラ様は誇り高き武人だぞ! そのようなことをするものか!」
幼女の言葉にリンは激昂する。
「では、お前達は何をした。誇り高き武人の伝右衛門殿と、純朴なルスムの山の民よ……お前達は何をして、ファルティナの逆鱗に触れたのだ」
幼女の冷たい問いかけに、リンは言葉を失う。それこそがリン達が抱える決して明かせない秘密だった。
「女神は言う、あなたは罪だと。勇者が言う、お前は悪だと。それでも君は……私を友と呼べるのか」
リンの心に、彼女の言葉が響く。
当然だ……
あの日、胸を張って答えた言葉は、今でも揺らぐことはない。
「我らの選択は、絶対に間違ってはいない。それを罪だというのなら……そんな女神は必要ない」
リンは幼女に向き合い、断言する。
「分かった……もう帰っていいぞ。シンエモンはその辺に埋めておく、自業自得だ、恨むなよ」
「は? 何のつもりだ。さては逃がして尾行を――」
「しない……というか出来ない。私の手勢は、ほぼ全てが獣人だ。お前が一度街に入れば、そこから先を追う術はない」
「じゃあ、なんで……」
「知りたいことは大体分かった。この先、私からお前達に接触することはない。それは竜の誇りに賭けて誓ってやる」
幼女の突然の変化に戸惑い、リンは挙動不審な動きをしてしまう。
「踊ってないで早く行け、気が変わっても知らんぞ。正直に言えば、確証が欲しいという思いがあるんだ。遺伝子的にあり得るのか、とかな」
イデンシというのは分からないが、おそらくコイツは気付いている……幼女の反応からリンはそれを確信する。
「何を企んでいる……」
「企んでない。ホント腹立つなお前は……安心しろ、お前達の大事なものを害するつもりはない」
「……とりあえず信じておく」
狐につままれたような気持ちのまま、リンは廃屋の扉を開ける。
視線の先には、両手に大きな骨付きの肉を握ったカナリアがいた。取りに行ったはずの水と酒はどこにも見当たらない。
「あ、お姉さん、よかったね」
リンに気付いたカナリアが、明るく声をかけてくる。
「ありがとう、どうやら助かったみたいだ。君のおかげだよ」
口にした言葉は、リンの偽りのない気持ちだった。
「私達は未来を手に入れた。アラクラにもきっと道はあるよ」
頑張って、と少女が笑顔を見せる。
その言葉にリンは涙ぐむ。カロッツァの獣人……彼らもまた、滅びの淵に立っていたのだ。
そして彼らを救ったのは……
「リン……」
呼び止める声に振り返ると、彼女はそこに立っていた。
「もしお前達が追い詰められ、抱え込んだものが守れなくなった時は、迷わず私の元に来るといい」
「助けるというのか?」
幼女の言葉にリンは驚愕する。
アラクラに手を貸す……それは、女神への反逆だ。彼女にその意味が分からないはずがない。
「助けるのではない、利用するのだ。ファルティナと結んだ約定のせいで、私は勇者にも女神にも手が出せない。ファルティナが先に動けば、不可侵の約定は破られ、私は容赦なく奴らを潰すことができる。そのための餌に、アラクラを使ってやろうというのだ」
「なにを言って――」
「一度、我ら一族の前に跪いたあの女が、女神を気どるなど気分が悪い。この世界の頂点が誰なのか、敗北の味と一緒に思い出させてやる」
幼女の青い瞳が炎のように揺らめいている。
押しつぶされそうな圧迫感と戦きの中、リンは絞り出すような声で呟いた。
魔王……と。
教会の鐘が鳴り響き、少女は顔をしかめる。鏡に映った顔は、彼女の年齢から考えれば驚くほどに幼い。
「エルフも似たようなものだと聞くが……」
少女は呟き、不機嫌に頬を膨らませる。そういう仕草が余計に幼さを引き立たせることに、彼女はまだ気付いていない。
自分の成長の遅さにウンザリしながら、少女は椅子に座り書物を開く。ルスムの遺跡に浮かんでいた文字を、彼女の父が書き写したものだ。何十年も読み続けているが、実はまったく理解できていない。
それでも少女は読みつづける。そこには奇跡があるはずだから……
少女は奇跡を求めていた。彼女の目的にはそれほどの力が必要だからだ。ゆえに少女はその本にすがる。自分に命を与えた、その奇跡の術を得るために。
かつて少女は、命のないモノだった。母から生まれたソレは、父とも母とも似ていないただの肉だった。心優しき彼女の父は、その物体を大層憐れむと、ルスム遺跡の中でも一番綺麗な箱に埋葬した。
そして三月後、ソレは少女になっていた。正確には、いずれ少女になるナニカになっていたのだ。
父と母、そして同胞達は、その奇跡に歓喜して、三日三晩踊り狂ったという。
その間の育児をどうしたのかは定かではない。
その話を聞いたとき、少女はそれを信じなかった。
彼女の顔は父にはあまり似ていない。体はとても小さく、大きな父とは全然違う。
そして何より不満だったのは、腕の数が違うことだ。父の便利な四本の腕が、彼女はとても羨ましかった。
自分は本当に父の娘なのだろうか……少女はそれを疑っていた。
けれど、その疑いはすぐに晴れた。現実が彼女に教えたのだ。人よりずっと成長の遅い体、いまいち賢くない頭……いや、こっちは関係ないかもしれない。
何より、ヤツらの吐いた呪いの言葉が、少女と父の繋がりを証明した。
どれくらい時がたっただろうか、少女の耳に、再び教会の鐘が聞こえてくる。
「ファルティナ……勇者!」
苛立ちの声と共に、少女は石の壁を殴りつける。壁には穴が開き、その右手は手首までめり込んでいた。
あの日……父は死に、母は死に、同胞達の多くが命を落とした。
少女の愛したものは、女神の名の下に滅ぼされたのだ。
彼女を生み出した……その罪の代償に。
「消えなさい、あなたの存在が罪なのです」
「悪魔の子よ、お前の存在が悪なのだ」
少女の頭に呪いの言葉が響く。
あの地獄の中で、彼女が生き残ったのは偶然ではない。父、デンエモンが仕組んだ遺跡の仕掛け、勇者と聖騎士が焼いたのは、少女の姿をした幻影だった。あの日以来、ルスムの山は教会の物になっている。
いつか取り戻す……
そして、遺跡の力をもって、勇者と女神を殺すのだ。
少女は部屋の窓から空を睨む、鳴りやんだはずの鐘の音が、頭の中で鳴り響いていた。
ようやくこの話に区切りをつけることが出来ました。
前話は必要なかったのではないか、という思いも少しありますが、これは、もう仕方ありません。
次話もあまり間をあけずに更新したいと思いますので、よければ読んで下さい。
では、ありがとうございました。




