第17話 女達《それぞれの想い》
読んでくれる皆さんに、良い事がありますように……
今日も感謝です。
ナタリアは窓から差し込む光と、鳥の声に目を覚ます。
横たわるベッドは、彼女が普段使っているものよりずっと小さく、寝心地も比べ物にならないほど悪い。
これでも、街では一番の宿だというから驚きだ。
「まるでアレフになった気分ね」
ナタリアは愛犬の名前を口にする。
庶民にとっては最高級の部屋も、彼女からすれば犬小屋のようなものなのだろう。
その犬小屋のベッド……あくまでナタリアの主観であるが、その上で毛布に包まる彼女は、すこぶる上機嫌であった。
表情には自然と笑みが浮かび、体に残る感覚はナタリアの心を幸福感で満たす……。
「キリュー……起きて」
隣で眠る男の名を呼ぶが、目覚める気配は無い。
彼女は本来このような場所にいる人間ではない。
ナタリアはローデン国王リカルドの娘……王国の第二王女である。
この、城嫌いの恋人に連れ出され、街の宿屋で夜を明かしてしまったのだ。
「本当に勝手なんだから……」
ナタリアは眠ったままの彼を睨んで呟く。
普通なら、首を刎ねられてもおかしくない行為なのだが、それを許されるほどに彼は特別だ。
勇者キリュー……十年前、女神によって召喚された異界の勇者、神の力を授けられた王国の守護者。
「フフッ……私の勇者様」
ナタリアは彼にすり寄り、その寝顔を見つめる……。
彼女より十歳年上のはずだが、無防備な寝顔はまるで少年のようにも見える。
実際、初めて会った十年前から、彼の容姿には殆ど変化が無い。
「勇者は年をとらないのかしら……」
その頬を指でつつく。
キリューはナタリアの初恋の相手である。
初めて彼に会った時、彼女はまだ幼い少女だった。
そして、十年間抱き続けた彼女の願いはもうすぐ叶う。
「私は勇者の妻になる……」
この十年、彼の周りには常に多くの女性達がいた。
それは今も変わらない……
聖女リアナ、騎士ヘルガ、それに……カサンドラ
ナタリアの表情が僅かに歪む。
「でも……彼は私を選んだ」
そうだ……私は勝ったのだ。
もし、リアナやヘルガが、彼の二番目、三番目の妻になるというのなら認めてやってもいい。
正妻は、一番は私なのだから……。
でも、あの女は、カサンドラだけは認めない。
ナタリアは、あの美しいエルフの顔を思い出す。
その目に暗い、憎悪の光が宿る……。
「死ねばいいのに……あの女」
ナタリアがカサンドラを憎むのは、彼女がエルフだからでは無い。何か恨みがあるわけでも無い。
彼女は知っているのだ。
彼が誰よりも愛しているのは、あのエルフだということを……。
まだ夜が明けぬ訓練場で、一人剣を振る者がいる。
休むこと無く、ただ一心に剣を振り続ける。
それでも彼女の中の雑念が消えることは無い。
ヘルガは思う。
これは喜ぶべき事なのだ……と。
敬愛する王女殿下と勇者が結ばれる。
殿下に仕える騎士として、自分もそれを望んでいたはずだ。殿下は、彼を十年想い続けた……そして、その想いは報われた。
ヘルガに婚約を告げた時の幸せに満ちた表情を思い出す。
そう……これは喜ぶべき事なのだ。
地面に剣を降ろすと、ヘルガは汗と涙を拭う……
「彼女もこんな気持ちだったのだろうか……」
あのエルフの哀しげな顔を思い出す。
すべては故郷の為だといっていた。
それが自分の使命なのだと。
そして彼女は姿を消した。
私にも騎士としての使命がある。
この身は……この剣は……姫様の為にあるのだ。
ヘルガは剣を構え、振り下ろす。
まるで想いを断ち切るかのように……。
王都の教会、その一室で彼女は祈りを捧げていた。
朝日が差し込む教会で、女神像の前に跪く姿は、まるで絵画の様に美しい。
しかし、その心の内も同じように美しいとは限らない……。
「ここまでは、予想通りよ」
リアナは立ち上がり、女神に背を向け呟く。
彼女の脳裏には、彼との婚約を告げた時のナタリアの誇らしげな顔が浮かんでいた。
憐れなお姫様だ、とリアナは思う。
王女である以上、彼女が正妻になるのは当たり前の事だ。
勝ち誇る様なことでは無い。
キリューは立場上、ナタリアを振ることなど出来ないのだから、つまり、この結果は決まっていた事なのだ。
結婚の順番など、私にはどうでもいい。
あのキリューの事だ、城の窮屈な暮らしに耐えられるはずが無い。何かと理由をつけては城を抜け出そうとするだろう。幸い、勇者の力を必要している者は国中にいる。
そして、その度に王女が同行する事など出来はしない。
そうなれば、あのお姫様はお城で寂しくお留守番だ。
リアナの顔に笑みが浮かぶ。
ナタリアが一人、お城で悶々としている間、私は彼と一緒にいられる。
「正妻の栄誉はあなたにあげる……私は彼自身を貰うわ」
そのうち、私に子供でもできれば、彼は責任をとってくれるだろう……妻になるのはそれからでも遅くは無い。
私はもっと彼と一緒の時間を過ごしたいのだ。
ちなみに、聖者や聖女も結婚は可能である。
リアナは彼のいる城の方角を見つめる。
それだけで彼女の胸は高鳴る。
でも……彼が本当に一緒にいたいのは、私でもナタリアでも無いのだろう。
リアナはあの美しく、物静かなエルフを思い出す。
カサンドラ……
正直、ナタリアやヘルガを脅威に感じたことは無い。
けれど……カサンドラには勝てる気がしなかった。
彼を、諦めようとさえ思った。
きっと彼はすべてを捨てても彼女を選ぶ……そう思っていた。
実際、そのつもりだったと思う。
けれど……カサンドラは姿を消した。
彼女が何故消えたのか、彼には分からなかったはずだ。
けれど……私は知っている。
あのエルフが勇者を憎んでいたことを。
川辺に一人、少女が立っている。
服を着ていない所を見ると、水浴びでもしようとしてるのだろう。
しかし、その表情は暗く、まるで入水自殺でもしようとしているかのようだ。
それに、今は十一月……もうすぐ冬である。
当然水温は低く、例え、彼女に死ぬ気が無くとも死にかねない。
少女は、ガチガチと震えながら川に入る。
口元はわずかに動き、なにか呟いているようにも見える。
もし、この光景を見る者がいたなら、天女の行水とでも見間違えたかもしれない
。
それほどにこの少女は美しかった。
美しい金髪に白い肌……そしてその耳は長く尖っている。
長耳族、つまりはエルフである。
「うあぁーざむい、づべたい……うぅ……もうムリ……」
少女は泣きながら川から上がると地面に突っ伏す……全裸で。
「どうせ、いくら洗ったって私の汚れはとれない」
少女……カサンドラは脱いだ衣服に包まりながら、自らの運命を呪う。
エルフは、太古より森に住まう種族である。
彼らは『深閑の森』と呼ばれる、美しい水が湧き、様々な動植物が生息する豊かな森に住んでいた。
森の中には魔物も多くいたが、優れた狩人であり、魔術を使える者も多いエルフ達にとって、それはさほど脅威ではなかった。
むしろ、魔物の存在は外部からの侵入を困難にし、エルフ達の生活を守る役目を果たしていたといえる。
そうして、元々内向的な性格であったエルフ達は、徐々に外界との関わりを無くしていくことになる。
しかし、彼らが森にひきこもってから長い年月が過ぎたある日、彼らの森に異変が起こった。
人族の来訪である。
ファルティナのもとで意志を統一した人族は、目覚ましい発展を遂げていた。
強大な軍事力を有し、魔物達とも戦う力を得ていたのだ。
そして彼らは、エルフ達のもとを訪れた。
深閑の森を手にする為に。
あるいはこの時、彼らが武力をもってエルフを制圧しようとしていれば、状況は違っていたかもしれない。
エルフは本来、強く、誇り高い種族である。
力による支配に対してなら、命がけの抵抗を試みたであろう。
そして、深い森の中での戦闘ならば、エルフ達は圧倒的な強さを誇る。
だが……人族は剣を抜くことはなかった。
彼らは話し合いでの交渉を求めたのだ。
相手が剣を抜かぬ以上、エルフ達も話し合いに応じるしかなかった……しかし、剣をもたずともそれは間違いなく戦争なのである。人間達はエルフを支配下に置くべくやってきたのだ。
極限の緊張状態の中、エルフと人間の話し合いが始まった。
そして……エルフの長老は緊張のあまり失神した。
長老の息子は逃走した。
なんとか交渉の席に着いた者達も、頭の中は真っ白だった。
結局、会話にさえならなかった……相手の目を見ることもできず、話せばどもり、かろうじて出来てのは、愛想笑いをしながらハイ……ハイ……と答えるくらいだった。
エルフ達はテンパっていた。
彼らのコミュニケーション能力は、恐ろしく低い。
なにしろ、何百年もひきこもっていたのだ……同族以外との関わりなんて考えたことすらなかった。
それが突然、一族の命運をかけた交渉である。
エルフ達は交渉という戦場において、人間達に蹂躙された。
そして、両者の間には幾つかの契約が交わされる事となる。
だが、意外にも、その内容はエルフ達にとってそれほど悪いものではなかった。
人間達は考えたのだ。追いつめすぎて反乱を起こされるよりも、交渉下手な彼らをうまく利用した方が良いと。
結果、エルフ達は緩やかに支配されていく。
反抗の火が燃え上がらぬように、少しづつ、ゆっくりと……長い時間をかけて。
それから、百年ほどの時が経った。
重い税金を課せられてはいるが、深閑の森の管理は変わらずエルフに任されている。
重税の為、暮らしは楽ではないが、誰も森を出て行こうとはしない。
彼らは、筋金入りのひきこもりなのだ。
お外はとっても怖いのである。
カサンドラも他のエルフと同様に、この森で生き、この森で死んで行くものだと思っていた。
なにより、彼女はそれを望んでいた。
けれど……悪夢の始まりをカサンドラは思い出す。
「魔術が使える若い女のエルフを一名連れていく……これは王命である!」
「勇者と共に邪悪なる者達を討滅する名誉ある役目だ! 進んで志願せよ!」
集落に男の大声が響く。
そこには、たくさんの兵士を連れた偉そうな男の姿があった。
「いいか! もう一度言う……これは王命である! 従わぬ場合は王国に敵意ありとみなすぞ! 志願者がいない場合はこちらで選ぶからな!」
カサンドラはあたりを見回す、さっき長老らしき人物が森の奥に逃げて行ったように見えたが、気のせいだろうか。
選ばれたら堪らない……隙を見てここから逃げよう。
カサンドラは魔術が使える。それも若年の中では飛びぬけて優秀だ。
それに、この集落に魔術を使えるエルフはそう多くない。
しかも、若い女といえば数人だけだ。
森の外なんて絶対いやだ。
カサンドラは、素早くその場を離れようとした。
そんな彼女の目に、一人の少女の姿が映る。
カサンドラよりも年下の娘……可愛くて、賢い、お気に入りの子だ。カサンドラは、たまに彼女の着替えを覗いたりしている。
確か、魔術も使えるはずだ。
少女は、兵士に驚いて固まっている……その少女に向かって偉そうな男が歩いて行く。
マズイ……カサンドラは思うより早く行動していた。
「私……志願……します」
ああ、いってしまった。
可愛い女の子の危機に反応してしまった。
「ほう、これは……娘、魔術は使えるな?」
カサンドラの体を舐め回すように見た後、男が尋ねる。
「はい……一応……」
でも、これであの子は助かったんだ。
カサンドラは少女を見る……。
あれ? ガッツポーズしてる。
少女と母親の話し声が聞こえる。
「変態のお姉ちゃんが志願してくれるって……兵隊も変態もいなくなるなんて最高だよ」
少女の笑い声が響く。
カサンドラは何も聞かなかった事にした。
今はもっと大事なことがある。
「あの……私は何をすればいいのでしょうか?」
「さっき言った通りだ。勇者殿と共に戦ってもらう」
「魔物と……ですか?」
さっきのこの男の目つき、それに若い女限定というのが気にかかる。
私達は王国の奴隷ではない。一緒に国の為に戦え、というのならまだ納得もいく、それに、私が手柄を立てればエルフの立場も少しは良くなるかもしれない……でも娼婦のような真似はご免だ。
そんなのは人間同士でやればいい……人間に……男に抱かれるくらいなら死んだ方がましだ。
「そうだ、細かい点については契約書を渡す。読んでサインしろ」
男は面倒そうに答える。
「契約書……?」
そんなものがあるのか……案外ちゃんとした話なのだろうか?
勇者なんてものが絡んでいるなら、あんまり変な事はできないのかもしれない。それに確か勇者は王国ではなく教会……ファルティナの使徒のはずだ。
「入れ……」
男が、村のはずれの建物の扉をあける。
たまに監視の兵がいる建物だ。
「契約書をよんだらすぐに出発する。生活に必要なものは向こうで用意するから心配いらん。俺は村長と話をつけてくるから、分からない事は中の人間に聞け」
「もし、契約書の内容に納得いかなかったら取りやめてもいいのですか?」
カサンドラが尋ねる。
「もちろんだ、その為の契約だからな……無理強いはしない。ただし契約を交わしたならそれは絶対に守れ……いいな」
男はそれだけ言うと村の方へと戻っていった。
正直意外だった。
自分は人間に対して悪い印象を持ちすぎていたのかもしれない。
契約なんかせずに村に戻るつもりだったけど、案外、外も悪くないのかも知れない。
「絶対いかないけど……」
軽い足取りでカサンドラは建物の中へと入っていった。
だが結局、カサンドラは泣きながら、森の外へと連れ出されることになる。
すべては仕組まれていたのだ。
そして、彼女は勇者に出会う。
カサンドラはあの日の事を思い出しながらもう一度、川の中へと身を沈める。
「悔しい……」
カサンドラの目に涙が浮かぶ。
あの男、ルーカス、それにナタリア、リカルド王。
なにより、勇者キリュー……
「お前達は絶対に許さない……」
怒りと寒さに震えるエルフの目に奇妙なものが映る。
川の上流からなにかが流れてくる。
どんぶらこ……どんぶらこ、と流れてくる
「なに? 桃?」
カサンドラが目を凝らす……いや、あれは……桃ではない。
あれは尻だ。
尻を丸出しにした幼女だ。
幼女がどんぶらこ、と流れてきたのだ。
「死体? いや、寝てるの」
幼女はスヤスヤ寝息をたてている。
そして、全裸のエルフは、全裸の幼女を拾い上げる。
幼女の目が開く……その青く澄んだ瞳がカサンドラを見つめる。
「おはヨーグルト……」
幼女が挨拶する。
その日、名もなき川の岸辺で……全裸のエルフが全裸の幼女に出会った。
あまり容姿についての描写はしないようにしています。
皆さん勝手に想像してくれたらと思います。
では、サンキューでした。