第14話 魔王《ハルート》
「ハルートはもうここには戻らないでしょう」
ペンス村の村長フランクは、少し寂しそうに呟いた。
「行き先は……ご存じありませんか?」
マルティナは大侵攻の後もハルートを探していた。
教会塔に戻る気はなかったし、なにより彼女に一目会いたかった。
「分かりません、元々どこから来たかも分からない娘でしたから、聖女様だと知ったのもいなくなる直前でした」
「そうですか。あの、シーナという女性は、彼女とどういう関係ですか?」
マルティナの言葉に、フランクの表情が変わる。
「母親ですよ、ハルートの……」
フランクの肩は震えている。
「実の娘を亡くして落ち込んでいたところに、森でハルートを見つけて養子にしたんです。本当に仲が良かった……いつも一緒で」
彼女の話はフランク以外の村人からも聞いている。
不幸な話だ。そして、よくある話でもある。
「この村を守ったのはハルートです。騎士連中は何匹か魔物を倒しただけで、後はこの村でやりたい放題だった。そして、しまいにはシーナを……殺した」
フランクの強く握り締めた拳からは、僅かに血が滲んでいる。
「聖女様、北西の草原に行ってみるといい。少し距離はあるが凄いものが見られる」
「草原……?」
「草原というより焼け野原かな、やったのは多分ハルートですよ」
そう言ってフランクは苦笑する。
「その光景が未来のレナード領の姿です……連中はやっちゃいけないことをしたんだ」
「聖女が復讐をすると?」
「聖女のことなんて私には分かりませんよ。でもハルートならやるでしょうね」
マルティナの問いにフランクが答える。
「それ以前に……ハルートは本当に聖女なんですかね?」
「え……?」
「いえね、ハルートは確かに傷を癒しましたし、女神の声も聞こえていたのでしょう。でも、あいつは女神に祈らない。行動も言動も教会の教えとはかけ離れている」
それに……フランクが言葉を続ける。
「聖女様達は人間ですよね。私達と同じ……といっては失礼でしょうが」
「いえ、おっしゃる通りです」
マルティナは頷く。
女神の加護を授かったかどうか……違いはそれだけだ。
「ハルートは違いますよ。力が強いとか見た目が変わっているとかいう話ではなく、存在感というか雰囲気というか、上手く言えませんが、あれは多分……人の上にいる者です」
「人の上……?」
神に近い存在、天使、いや……
「勇者……」
会ったことは無いが、女神が自分の力を貸し与えた存在だと聞いている。でも、勇者の召喚があれば『神託』が下るはずだ。
なにより、勇者は既に召喚されている。
「勇者様って感じじゃないですよ。あれは」
フランクが笑う。
「勇者様といえば、“世界を守る正義の騎士“みたいな方でしょう」
全然違います、とフランクが剣を構えるポーズをとりながら言う。
「ハルートならむしろ『魔王』ですよ」
「魔……王」
マルティナの声が震える。
「ええ、傍若無人で神をも恐れぬ……魔王です」
おや……!?
フランクのようすが……!
「大体、あいつはワガママだし、大食いだし、口は悪いし、殴るし、すぐ髪の話するし、だから子供は嫌いなんですよね、やっぱり女性は歳を重ねるほど魅力が増すというか、腐る前の果実の甘さ的なあれね、あと皮膚がたるんでくるでしょう、あれがいいんですよ、聖女様もあと二、三十年したら……うんたらかんたら……四十から始まって五十がピークですね、もちろん個人差はありますよ、でも熟女に貴賎は無いっていうでしょ、いわない? つまり熟女であることが……うんたらかんたら……要するに熟女最高という話しですよ」
フランクの言葉はマルティナの耳に入っていなかった。
マルティナは神託の内容を思い出す。
『魔王の誕生を阻止しなさい……』
魔王を倒せ、でも魔王が現れる、でもない。
誕生を……阻止?
「どうしました聖女様……心配しなくても皆いずれは熟女になれますよ」
フランクが真剣な表情で語りかける。
「…………」
マルティナはイラッとした。
「……だからこそ、シーナを殺した連中を私は許せない。シーナが生きていれば、きっと素敵な熟女になったはずだ」
「ハルートだって、少しやんちゃな村の娘でいられたんだ。そしていずれは凄い美熟女に――」
フランクは目を閉じ、大きな溜息をついた。
マルティナは思う。
これも大侵攻がもたらしたものだ。
そして、これから彼女がもたらすものもそうだ。
興奮に身体が汗ばむ。
「村の北西……でしたよね」
はやく会いたい……マルティナは焦がれる。
「そうです。そこにハルートの爪跡があります」
フランクが答える。
彼に頭を下げ、礼を言うと、マルティナは村を後にした。
フランクに聞いた場所は村から半日ほど進んだ場所だった。
一緒にいるのは従者が一人だけだ。護衛の信者達には近くを散策してくると嘘をついた。
今頃は必死でマルティナを探しているだろう。
「聖女なんて辞めるわ」
もう教会に戻るつもりは無い。
「なんで私を巻き込むんですか!」
従者が叫ぶ。
「一人じゃ危ないじゃない。魔物とか、山賊とか」
「こんな事やめましょう……無意味ですよ」
「一人で帰ってもいいのよ。聖女の義務を放棄した私を守る必要は無いんだし……その結果、私が魔物に食われても、山賊の慰み者にされても、貴女には何の責任もないし」
「それは……」
「バイバイ、ライラ……はよ帰れ」
マルティナが開き直る。
「この、クソ聖女!」
ライラはマルティナを睨む。
この従者……ライラは聖騎士見習いである。
元は『カルヴァン騎士団』に所属する騎士だったが、ライラの父親と騎士団長の妻が不義を働いた為、ライラは騎士団を退団した。父親はライラの貯金を盗んでどこかへ逃げた。
その後『ドルチェ騎士団』へと入団したが、今度は副団長の妻とライラの兄が不義を働いた為、ライラは騎士団を退団した。兄はライラの貯金を盗んでどこかへ逃げた。
その後、友人の紹介で『フェンディ騎士団』への入団が決まったが、『フェンディ騎士団』は既に廃団になっており、ライラから紹介料と入団金を受け取った友人は、どこかへ逃げていた。
入団金詐欺という言葉はその時に知った。
教会で泣きながら祈っていたところに声をかけてきたのがマルティナである。
「マルティナ……あなたには感謝しています。しかし、私にも聖騎士としての務めがあるのです。力尽くでも連れ帰りますよ」
ライラがマルティナの腕を掴む。
「聖騎士じゃなくて、聖騎士見習いでしょう……永遠のね」
「そんな事はありません。務めを果たしていれば、いずれは……」
ライラの言葉に力がなくなっていく。
「無理よ、教会があなたを聖騎士にすることは無い」
教会は当然、彼女の経歴を調べているはずだ。
マルティナの声は冷たい。
「あなた、ヴィゴールに色々されてるでしょう。セクハラ的なこと」
「あれは……その、教育だと……」
ライラの目が泳ぐ。
「私が悪かったのよ。あんな男だって分かってたら、あなたを連れて行ったりしなかった」
まったく、あのエロ騎士め。
「ライラ、一緒に行きましょう。教会にあなたの居場所はないわ」
「マルティナ……私は騎士に」
「尚更よ! 教会にいたってあなたの望みは叶わない!」
「それに、いずれこの国は荒れるわ」
一旗揚げるならその時だ。
「破壊の聖女……ですか。そう大したものだとは思えませんが、所詮は一人の人間、マルティナは彼女に執着しすぎだと思います」
「それを確かめるのよ」
「分かりました。では、納得したら一緒に帰ると約束して下さい」
「彼女に価値が無いと思ったらね」
とりあえずの結論をだした二人は、目的地へと急ぐ。
小高い丘の先で、何かが焼けたような異臭がする。
「たしか焼け野原といっていたわね」
あそこを登れば下の平地を見渡せるはずだ。
幼い頃のピクニックを思い出す。
「お花畑はないでしょうけど……それにしても臭いわね」
マルティナが鼻をつまむ。
一足先に丘を登ったライラは、その場で呆然と立ちすくんでいる。
「ライラ、どんな感じ?」
マルティナが、ライラの隣に立つ。
焼け爛れた大地には、無数の魔物の死骸が転がっていた。
それは……まるで地獄だった。
「何これ……嘘でしょ」
マルティナが呟き、ライラは言葉を失う。
なんだこれは……ここで一体何が起きたのだ。
「魔王……」
「マルティナ?」
「女神の神託は正しかった……」
大侵攻を経て魔王は誕生する……それを生みだすのは魔物ではない。
愚かな人間だ。
「ライラ、行きましょう……早く彼女に会いたい」
マルティナの瞳は輝いていた。
まるで、愛しい人を想う少女のように。
「アーガス!」
屋敷中にジーンの声が響く。
「なんだ兄上……喧しい」
椅子に座ったままのアーガスが、面倒そうに返事をする。
「お前、ペンス村で何をした」
「ペンス……? さすが兄上だな、あんな村の名前まで覚えてるのか」
大したものだと、アーガスは拍手する。
「騒ぐなよ、別に虐殺をやったわけじゃない……無礼を働いた平民を二人ばかり斬っただけだ」
「何を考えている、民を守るのが騎士の……貴族の務めだろう」
「ちゃんと守ってやったさ、その我らに対する感謝が足らんから罰を与えたのだ」
ニヤニヤと笑いながらアーガスはワインのグラスを手に取った。
「娼婦の真似事をさせるのが感謝か……?」
ジーンの目は怒りで血走っている。
「つまらん任務で兵士の不満も溜まっていたのでな……兵を労るのは将の務めだろう?」
笑みを浮かべたまま、アーガスは話し続ける。
「それに、これくらいの事はどこの貴族もやっている。カロッツァなどは獣人を獲物に見立てて、兵に狩りをさせるというぞ。父上にしても、甲冑イノシシの駆除に農民を駆り出して死なせたではないか」
「本気でいっているのか……一体どうしたのだ? お前はそんな人間ではなかったはずだ」
ジーンには弟が分からなくなっていた。
「兄上には分からんさ……」
アーガスはワインを一気に飲み干す。
「兄上が勇者と共に魔王と戦っているのに、俺は辺境で小物の相手だ……」
「……領地を守るのは大事な事だろう」
「そんな事は分かっている! だが、俺だって手柄が欲しいんだ!」
「それで、民に八つ当たりか?」
ジーンがアーガスの胸ぐらを掴み、立ち上がらせる。
「貴様! それでもレナードの男か!!」
ジーンの怒声が響く。
その凄まじい気迫にアーガスは怯んだ。
そして、堪えていた感情があふれ出す。
「殺すつもりは無かったんだ……女に手を上げられて、頭に血が上って……気付いたら剣を……」
アーガスが涙を流す。
「アーガス……」
「兄上……俺はもうダメだ。父上の……民の信頼を裏切った」
アーガスは泣きながら、ジーンに縋る。
「俺にはもう騎士の資格はない……父上や兄上のようにはなれない」
アーガスは跪き泣き続けた。
ジーンはアイザックの元を訪れていた。
「アーガスのした行為は、許される事ではありません」
「では、首でも刎ねるか」
「父上!」
「冗談だ……あれは私の落ち度だよ。アーガスの感情を考えていなかった」
アイザックが溜息をつく。
「お前はどうしたら良いと思う?」
「王都の騎士学校に入れてはどうでしょう」
「それが罰になるか?」
「何をしても死んだ者は戻りません。幸い、アーガスは心から悔いています。二度と同じ過ちは繰り返さないでしょう」
それに、家を追い出したということにすれば、兵士や領民にも示しがつく。
「アーガスは納得するか、あれは寧ろ、厳罰を求めてるのではないか?」
「修業だと言えば、嫌とは言えませんよ。実際、償いの方法など無いのですから……せめて、その死に意味を与えてやるべきです。アーガスが立派な騎士となれば、ペンス村や死んだ者の縁者を守ることにもなるでしょう」
「うむ……アーガスには立ち直ってもらわねば困るからな」
アイザックの言葉にジーンも頷く、死んだ女性は憐れではあるが、だからといって弟に潰れて欲しいとは思わない。
「そういえば父上、ペンス村や周辺の村落の様子はどうですか」
「それだがな……お前に様子を見にいって欲しいのだ。小事ではあるが、民の噂というのは時に厄介なものだ。これからハーンズと一戦交えるという時期に、内乱でも起きたら堪らない」
「それは、構いませんが……」
「他にもいくつかの街を回って欲しいと思っている。魔王討伐の凱旋もかねてな」
「なるほど……ペンス村への慰問をその手始めとするのですね」
ジーンは納得したように頷く。
「うむ、起きたことはどうにもならんが、上手くやれば汚点も美談に変えることが出来る」
「分かりました……領民の信頼無くして、領地の繁栄はありませんからね」
私にお任せ下さい、とジーンは笑顔で応える。
「フフ、お前がいれば、レナードは安泰だよ」
ジーンの言葉に、アイザックは満足そうに微笑んだ。
同じ頃、ハーンズ領主レオンは侍女のマチルダの尻を眺めながら、あの日の事を思い出していた。
現実感のない光景だった。
警備の兵達を薙ぎ倒してレオンの前に現れたソレは、透き通る様な声でこう言った。
「私に力を貸せ……さすればレナードの半分をお前にやろう」
まるで悪魔の囁きのように。
ハーンズにレナードと戦う力は無い。いずれこの地は奴等の物になるだろう。
レオンは思う。
私はきっと地獄に落ちる。
それでもこの地を失いたくはない。たとえ悪魔に魂を売り渡しても、奪わせはしない。
私にはもう女神に祈る資格はない。
だから……
レオンは祈る。
あの幼女の姿をした悪魔に。
それは、まさしく天啓であった。
隠れ里を追われ、必死に逃げた。
仲間達が次々に殺されていく。奴等は獣を狩るように我等を殺す。
女神は我等を救わない。あれは人の神だからだ。
我等に神はいないのだ。
故に、ガラードはすべてを呪う。
女神を、人間を、世界を……
兵士達が迫る。
ガラードの後ろには、女がいる、子供もいる。生き残った戦士達は、皆傷だらけだ。
黒狼の獣人は、最後の雄叫びをあげた。
戦える者も、戦えない者も、すべての獣人達が覚悟を決める。
もう、逃げ場はない。
「せめて一人でも多く殺してやる」
呟くガラードの眼前に、兵士の騎馬隊が迫る。
そして……
そのすべては、爆炎に包まれた。
兵士達がゴミのように焼かれ、虫けらのように殺されていく。
「やっと見つけた……」
血塗れの手が、ガラードの獣耳を優しく撫でる。
ガラードは動けない……理解が追いつかない。
「どうした……言葉は分かるのだろう?」
かろうじて頷く。
「ならば聞け……」
声が響く……
それは、まさしく天啓であった。
「ケモミミ共よ! 私に力を貸せ! 私の為に戦うならば、貴様らに安住の地をあたえよう!」
「人も女神も手が出せぬ、お前達の国だ!」
「私についてこい……楽園をくれてやる」
ガラードは後ろを振り向く。
仲間達は涙を流し立ち尽くしている。
ガラードは跪き、その存在に頭を下げた。
すべての獣人達がそれに倣う。
その日、獣人達は神を得た。
それは幼女の姿をしていた。
出てくる人が増えたので、名前を忘れてしまいそうになります。
なので実在するものに関連付けて名前をつけるようにしてますが、それはそれで面倒です。
外は雪です。
では、サンクスでした。