第10話 ガランサス《死を望む花》
ペンス村の北の森には様々な種類の動物や植物が生息している。
こんなに色々な生物がいるのだから、一見すると幼女にしか見えない生き物がいたとしても何ら不思議では無い。
そして、森の恵みは皆のものだ。
薬草を摘むように、獣を狩るように、幼女を連れ帰っても問題は無い。
「はずないわよね……どうしよう、これって誘拐になるのかしら」
家に戻り、冷静になったシーナは頭を抱えていた。
「せめて会話が出来れば良いのだけれど……」
幼女の話す言葉はシーナには分からない、今のところハルートという名前以外の情報は得られていない。
その幼女はというと、連れ帰ろうとした時には少し抵抗したが、今はゆったりとお茶を飲みながら家の中を観察している。
「薬屋か……」
薬草に毒草、昆虫に爬虫類の干物等、趣味で集めてるとしたら相当アレだが、整理の仕方を見るに観賞用ではないようだ。
ハルートはお茶を啜りながら、辺りを見回す。
森に女一人でいたのもなにかの材料を集めていたのだろう。
あの時は正気を失っていたようだが、今は落ち着いている……いや、落ち込んでいるか。
「フフ……幼女誘拐だからな」
幼女はニヤリと微笑み、シーナに視線を向ける。
こうしてみると、そう非常識な人間には見えないが、何にしろ、もう少し情報がほしいところだ。
「なまえ……なに?」
幼女は少しだけ覚えた言葉を使い、シーナに尋ねる。
「……言葉、わかるの?」
「すこし……」
「シーナよ、シーナ……わかる?」
「わかる……シーナ……くすり……つくるひと?」
「そうよ、よくわかったね。ああ、ホントにかわいい、そして賢いわ」
幼女を見つめるシーナの視線が、また変な感じに変わっていく。
「おまえ、ちょうこわい……ミザリーっぽい」
またおかしくなった。切り替わりのスイッチが分からんのが厄介だ。
「え? あ……ごめんなさい! 大丈夫、怖くないから! それで、ハルートちゃんはどうしてあんなところにいたの? 家族……お父さんかお母さんは?」
ふむ、分からない単語だが、話の流れ的に保護者についてだろうか。
「いない……わたし……ひとり」
シーナの問いに幼女が辿々しく答える。
「ああ、もう駄目だ! 愛おしい、抱きしめたい。娘にしたい!」
「おちつけ……」
「ねえ、ハルートちゃんうちの子になろ? お菓子あげるから、いいでしょ? お願いだから娘になって……」
シーナは跪き、涙を流していた。
「これでは、情報収集どころではないな……」
跪いたシーナの後頭部を見つめながら、幼女は深いため息を吐いた。
なんとか立ち上がったシーナは、幼女のコートの裾をずっと掴んだままでいる。彼女自身、おかしいことをしている自覚はあるようで、幼女の視線からは目を逸らし続けていた。
「まったく、どっちが子供か分からんな……」
幼女は呆れ気味に呟くと、コートを掴んでいたシーナの手をそっと握る。
「あ……」
シーナは一瞬驚いた顔をした後、その小さな手を握り返し、幼女に向かってニッコリと笑顔を向けた。
「死んだ娘の代わり……か」
幼女はポツリと呟く。
この女は、私のことをソーニャと呼んでいた。
娘の名のようだが、ここに一緒に暮らしている人間がいる気配は無い。離婚でもして連れて行かれた可能性もあるが……あの母親の様子からすれば、おそらくはもうこの世にいないのだろう。
「ハルートちゃん……お願いだから……ここにいて」
幼女の手を握ったままシーナが呟く、その目には涙が浮かんでいる。
……これは好都合かもしれん。
できるだけ早く言語は習得したいし、この見た目なら、保護者もいた方がいい。
「それに、女を泣かせるのは趣味ではないからな……」
幼女は考え、僅かな沈黙のあと小さく呟く。
まあ、十年くらいなら一緒に暮らしてもいいだろう。竜である私からすれば、ほんの僅かな時間だ。
「いっておくが私のエンゲル係数は高いぞ、覚悟しておけ」
幼女は微笑み、泣いている母親を優しく抱きしめた。
その頃アランは、ディナールの街を訪れていた。
隣には、黒髪を背中まで伸ばしたエロスな女性が立っている。
「やっと着いたな、まずは宿をさがすか」
「だね、はやくお風呂入りたいよ」
エロスが答える。
「ハルート探しは明日からだな」
まったくあの聖女様は何処にいったのか、報酬どころか礼さえ言わせないなんて格好つけすぎだろう。
「早く私も会いたいなあ……破壊の聖女様」
「会うのはいいが、気をつけろよミカ、ハルートは出会い方次第じゃ鎧大熊猫よりやばいからな」
ルイスなんて真っ二つだ。
ナイジェルにいたっては、どうやったのかさえ分からない。
女神の裁きを受けた……なんて言う奴もいるが、実際あんな真似、人間にできるとは思えない。
「わかってるよ。私も罪人の壁を見に行ったけど、ナイジェルがオブジェみたいになってたもの」
ミカが笑いながら言う。
「それに、ジェンソンも人格変わってたよね……」
「ああ、まさか聖職者になるなんてな」
ジェンソンは結局、街に残った。
ハルート様の降臨した街でその教え広めたい、と言っていた。
俺の知る限り、目潰しされたり、メイス代わりにされたり、飯や財布を奪われたりしてたけど……ジェンソンは一体、どんな教えを広めるつもりなのだろうか。
シリングタウンが殺伐とした街にならなければいいが……
「でもさ、気持ちは分かるよ。広場のアレはホントすごかったからね」
「俺、おっさん達がむせび泣いてるとこしか見てないんだよな」
並んで歩く二人の前に、ユニオンのディナール支部が見えてきた。
「ねえアラン、支部にも寄るでしょう」
「ああ、ハルートの情報があるかもしれないし、金も必要だから依頼も受けたいな」
あいつに礼をするにも金はいるし、一緒に旅をするならもっと強くならなきゃ駄目だ。巻き添えですぐに死んでしまう。
「その前に宿だな、ミカ、あそこでいいか?」
「何処でも良いよ、あと部屋も一緒でいいから……ね」
ミカが少し照れくさそうに答える。
「うい、承知したばい」
エロい反応を隠そうとしたアランが、ミカに奇妙な返事を返す。
「ばいって……なに? 方言?」
ミカは笑い、アランの腕を自分の腕に絡める。
「ああ、幸せだ……」
腕に柔らかいモノがあたっている。アランはその感触を味わいながら、あの白い幼女に感謝の祈りを捧げた。
パイオツをありがとうございます、破壊の聖女様……と。
『破壊の聖女』
あの日、聖女降臨に沸いた街の片隅で、一人の男が死んでいた。
『罪人の壁』に体がめり込み、真っ黒に焼け爛れた状態でだ。
身元が判別できたのは、壁にめり込んでいた部分がわずかに焼けずに残っていたからだ。
遺体が除けられた後の罪人の壁には、今でも人型の焦げ跡が残っている。
死んだ男の悪行が明るみにでるにつれ、あれは女神の裁きだ、という者が増えてきている。
死体の異様さと、罪人の壁という場所のせいもあるが、理由はそれだけではないだろう。
あの日、シリングタウンに現れた聖女、彼女が姿を消した場所は罪人の壁の近くだという。
本来、聖女や聖者と呼ばれる存在は、己に厳しい戒めを課した清廉なる者達だ。
しかし、彼の幼き聖女は、肉を食らい、酒を飲み、全裸で歌い、踊っていた。
まるで酒場の酔っぱらいのようだが、それにもかかわらず彼女が聖女であることを否定する者は誰一人としていない。
彼らは、その身をもって感じたのだ。彼女の圧倒的な力と聖性を。
死んだ男の元部下であり、裁判では証言台に立って男の罪の多くを告白した人物は、彼女の事をこう呼んでいる。
『破壊、あるいは破戒の聖女』と。
ちなみにその『罪人の壁』だが、最近は聖スポットなどと呼ばれて、街の外から訪れる人も多い。
観光資源が増えるのは我々としても有難いことではあるが、罪人の焦げ跡に人々が祈りを捧げる姿というのは、何というか、奇妙な気持ちを感じてしまう。
シリング商工会広報誌 『シリングにかけろ』
カーティスのギャラクティカ・コラムより抜粋
シーナは考える。
昨日の話からすると、ハルートには両親はいないらしい。
では、いったい彼女はどこからやって来たのか。
彼女に尋ねてみたが、『モリシンイチ』という謎の言葉と、ニヤリとした笑顔だけが返ってきた。聞いたことの無い地名だが……やはり遠い外国なのだろうか?
なんにしても、彼女の素性が分かった時に誤解を受けないようにはしておくべきだろう。
これは、誘拐ではなく保護なのだから。
森が危険だから連れてきたのであって、かわいかったから連れ去ってきた訳では無い……本当だ、嘘ではない。
「ハルート……今日は村長さんにご挨拶にいきましょうね」
ハルートの手を握ると、シーナは彼女に優しく話しかけた。
「NOだ」
シーナの言葉にハルートが首を横に振る。
「どうしたの、怖い人じゃないから平気よ?」
変人ではあるけども。
「ソーニャ……あいさつ……さいしょ」
シーナの目を見つめ、ハルートは片言の言葉でそう告げる。
「ハルート……」
「筋は通さなければならない。父親は……おっさんだからどうでもいいや」
「ありがとう……ハルート」
シーナは、言葉の意味をちゃんと理解できていたなら、決して流さないであろう涙を流す。
「よく泣く母上だな……」
幼女は背伸びをして、母の涙を指で拭う。
「ふふっ、見た目と違って男前なのね」
「さあ……いこうか、姉のもとへ」
ハルートは軽くウインクすると、玄関の扉を豪快に押し開けた。
シーナの家から森へと続く道の途中にソーニャの墓はひっそりと立っている。墓前に置かれた花は、昨日シーナが供えたものだ。
「ソーニャ……あなた、妹が欲しいといっていたでしょう。今日連れて来てるの……すごく可愛い子よ」
シーナはソーニャの墓前で目を閉じ祈る。
どれくらいたっただろうか、辺りを見渡すがハルートの姿が見当たらない。
「ハルート、どこ?」
まさか、森に入ったんじゃ……
「ハルート!」
足が震えて力が入らない。探さないと、また娘が……
「すまんな……花を取りに行っていたのだ」
姿を現したハルートは、三メートルはあろうかという樹木を担いでいた。手にはどこから持ってきたのか、剣が握られている。
「ハナミズキに似ているが……なかなか綺麗な花だろう?」
ハルートは微笑み、自慢気にシーナにその樹木を示す。
「え? なに……これ」
混乱するシーナをよそに、木を地面に置いたハルートは、猛烈な勢いで墓の近くを剣で掘り出した。
「こんなものかな」
ハルートは呟くと、掘った穴に先ほどの木を突き刺し、素早く埋め戻す。そして、小さな墓石のそばに、綺麗な白い花を咲かせた木が並んだ。
「私の名はハルート、縁あって君の妹となった者だ。これからよろしく頼むよ……」
呆然と見つめるシーナの目には、優しく微笑む幼女と、彼女に笑い返すソーニャの姿が映っていた。
「ハルート……その剣はどうしたの?」
家に戻ったシーナはハルートに尋ねる。
「あくとう……しばいた」
幼女がニヤリと笑い、剣を構える。
「しばいた?」
もしかしたらこの子、凄く強いのかしら。
まあ、でも、この子が何者であっても私の娘であることに変わりはないわ。
私は常に娘の味方、娘の敵は私の敵。
「今日はもう遅いから、村長さんのところは明日にしましょうね」
あの人、変人の癖に保守的なところがあるから、一応準備はしておこう。
私から娘を奪おうとするヤツは許さない。
「もぐもぐ」
「うふふ……」
この子はご飯を食べてるときが一番可愛い、にしてもよく食べる。この体のどこにあんな量がはいるだろう。
これからは食費も大変になる。可愛い娘にひもじい思いはさせられない。
村にも営業かけとかないと、最近ほとんど廃業状態だったから、街に薬を買いに行ってる人も多いはずだ。とりあえず、村の人達がたくさん怪我をして、たくさん病気になるよう祈っておこう。
後は、明日のための準備だ。
「トリカブト、ハシリドコロにフクジュソウ……バイケイソウとジキタリス……」
毒草である。
「あとは毒蛇と毒蜘蛛もまぜるか……」
私とハルートの生活を邪魔する者は許さない。あのハゲ町長がなにかいってきたら、コイツを食わせてやる。
ついでに、毒を塗ったナイフも用意する。
かつて『ガランサスの魔女』と呼ばれた、私達一族の恐ろしさを思い知らせてやる。
『ガランサスの魔女』
大陸東部の小領を治める『ハーンズ一族』、その先々代当主に仕えていた暗殺者集団の名前である。
その多くが女性であった事と、ガランサス柄のスカーフをトレードマークとしていた為、『ガランサスの魔女』と呼ばれている。
しかしその正体は、変装の名手であったレナータという一人の女アサシンであり、彼女の変装術によって作られた複数の暗殺者達の総称が『ガランサスの魔女』なのである。
ハーンズ家当主の三男、ジェラルド・ハーンズの愛人であった彼女は、ジェラルドと敵対関係にあった者達の命を次々に奪っていく。
その中には家督を継ぐはずだったジェラルドの兄や、当主であった父親も含まれていた。
結果、ジェラルドはハーンズ領主となったが、それから間もなくして、彼は隣領レナード領との領地争いの中で命を落とす。
ジェラルドの死後、彼の妻や息子達との争いを恐れたレナータは、ハーンズ領から姿を消した。
そして、そのナレータこそがシーナの祖母なのである。
「なにやら殺気が凄いな……」
幼女は寝床で転がりながら、母の殺気を感じていた。
「まったく、親子揃って殺人犯になるつもりか……そんなことより、添い寝して欲しいんだがな」
「ハルート、なにか言った?」
「ねむい……いっしょにねよう」
「ちょっと待って! すぐ行くから!」
シーナの目は血走っている。
「やっぱりいい……ひとりでねる」
「なんでよ!」
「フフッ……」
幼女は笑う。
しばらくはこの穏やかな日々を楽しもうか、と。