花蜜採取クエスト
日の満月間近の月光が、木々の隙間から零れて幾筋もの光が森を照らす。獣道と間違うくらい細い道を歩くのにも明かりはいらない程だ。いつも独りで歩くそこを、今夜は後ろに逞しい護衛を連れて歩く。
ローブは必要無いので動きやすい上着とズボンをはいて俊足の靴と強化籠手だけ装備した私は、持ち手の付いた小ぶりな樽を持って来た。
ちらりと振り向くと、ん? と少しだけ首を傾げるヴァル・ガーレンがいる。彼はご機嫌なようでニコニコしながら先導する私と同じ持ち手付き樽を持って私の後ろを歩く。
装備はここに来た時の黒上下とゴリゴリのブーツにウチにあった初心者ナイフを腰につけている。そのナイフがなんともアンバランスだけど、まぁ仕方ない。
体術だけでも相当な実力を持っている彼だから、なんら不安は無いけどね。
私はさっと視線を前方に戻してまた歩く。
だって、細い月の光がその黒髪をいつもより艶めかせ、楽しそうな銀の瞳がきらきらして、鼻血を噴きそうなほど綺麗なんだもの。
みとれるとか、アホでしょ私!!
だって、一応、中級対応の魔物が徘徊しているエリアなんだからね!
私の足音に重なるように、彼の足音もちゃんとついてくる。2人分の足音が静かな夜の森に響く。
──ん?
静かだった。
森を渡る優しい風が木々をくすぐるようなサワサワという音と、私たちの足音以外は聞こえない。
いや、静かすぎるだろ?!
いつもなら、ここまでに闘猪の一匹ぐらいには接敵しているところだ。あわなくても気配ぐらいは感じるのに……?
気配を探ってみて、はっと気がついた!
「ヴァル・ガーレン君?」
歩きながら後ろに声をかける。
「はい」
ご機嫌な返事。
「私さぁ、準備運動になるんじゃない? って言ったよね?」
「森の中を歩くのは運動になります。気持ちがいいですね」
そうじゃねーよ!
「魔物が襲ってこなきゃ、運動にならないでしょ!」
振り向くと彼はニッコリして
「護衛対象を戦闘領域に置かないのが一番安全ですから」
……ごもっとも
正論すぎて初めの魔女としては、言い返せません。
うう、ちょっぴりヴァル・ガーレンの戦ってるところ見てみたいとか思ってたのにさ。
「つか、闘気とかの部類なの、それ」
ふんわりと周りに穏やかな空気が流れている。たぶん、スキルで自分より弱い敵を近寄らせなくしてるんだと思う。
戦闘スキルで【威嚇】ってのがあって、闘気を出して敵をビビらせるのとかは知ってるけど、闘気みたいなピリピリ感はない。
「【畏怖】です。闘気ではなく、俺の気配を刺激しない程度に周りに流してます」
ほっほー、勇者になると気配調節で敵を恐れおののかす事ができるのかぁ。あれだ、フィールド歩いてエンカウントしまくってウザイから唱える、トとヘを見失ってしまいそうなあの呪文みたいヤツだね。
ぬぬ! 心地よいとか思ってしまったんですけど……。
つか、チミより強いっていったら、もう魔王ぐらいでないの?そりゃ、魔物は恐れておののくっちゅうの!
という訳で、なんらイベントはなく目的地に到着した。
月下魔花は、森の木々が少し途切れた小さな丘に咲いている。2メール弱はあると思われる大きなひと株。
数枚の葉に囲まれた一本の茎に、人の頭程の大きさの、ランプシェードのような花弁が10個並んで咲いていた。それは、鈴蘭によく似ていて、違うのはその花弁が硝子のように透明で青い光がぽわんと灯っているところ。
その青い光は、本日の私の目的である月下魔花の蜜に浮かぶ光の粒なのだ。月光当たりのよい丘の上で、月下魔花はきらきらと幻想的に優しく輝いていた。
月下魔花の蜜が丘全体を爽やかな甘い香りで満たしている。
しっかりとたわんだ茎と花弁の明るさ、その上には蜜溜まり瘤が出来ていて、樽2つを満たすには十分な収穫があるのがわかる。
花弁の下に樽を置く。後ろからついてきたヴァル・ガーレンも隣の花弁の下に樽を置く。
私はタクトをで花弁を軽くたたく。
──ちりんっ
澄んだ音が響きわたり、ぽろりと青い光の玉が樽へ向かって落ちていき、こぽんと柔らかな音をたてて樽底へ着地した。
──ちりんっ
隣の花弁も同様にたたくと少しだけ高い音がして、同様に蜜は樽に溜まった。
三つ目の花弁の下に樽を素早く運んで、どうぞと私をみるヴァル・ガーレンの手際の良さに、お礼を言って私は次々と澄んだ音を響かせる。
すべての花弁から蜜を落とすと、それぞれの樽に半分づつ蜜が溜まった。
少しだけたわみを緩めた茎にある最初と二つ目の花弁の下に、調整してそれぞれ樽を置いたヴァル・ガーレンは、腰を下ろしてワクワクキラキラした瞳で私を見る。
「うっ……」
あまりに慣れてた作業だったから、うっかりしてた。
その観覧モードは、次に私が何をするのか知っているのでそれを待ち構えて楽しもうとしてる姿だ。
えっと……蜜溜まり瘤にある蜜は、そのまま放置しておけばゆっくりと花弁に移り溜まる。でも、それには三時間ぐらいかかる。
だけど、瘤にある蜜を短時間で花弁に移す方法はある。
このクエストをギルドに依頼する時は、吟遊詩人推奨とする。
推奨なので居なくてもいいが、つまり……
「何、観客になってんのよ! あんた勇者なんだからあんた歌いなさいよ」
そうなのだ、歌を歌えばよいのだ。正確には音楽を聞かせればよいのだけど、私は楽器を演奏する技術もないし、いつもはソロでここまで来るから楽器は邪魔になる。
そう、必然的にアカペラだ。独りきりだから、下手だろうと何だろうと関係なく、静かに聞いては蜜をくれる月下魔花ちゃんの為だけに歌えば良かったのに……
「俺、覚えてる歌ないです。すみません」
ニコニコしながら頭を下げるヴァル・ガーレン
「嘘だぁ!」
「たしか、月下魔花は高音域の曲の方が早く蜜が移動するんですよね?」
ぐぅ……そうなのだ。
男性より女性の歌の方が蜜が早く花弁に移る。吟遊詩人ならスキルを使って高音域のひと節で終わるという。
決して腰を上げそうにないヴァル・ガーレンを、私の羞恥心の為だけに何時までもぐだぐだ攻めても効率は上がらない。しかし、人前で歌うなんて前世のカラオケ以降ない。感覚的には四半世紀前だ。
しかも、アカペラだよ……鼻歌みたいにふふふん♪ みたいなのでもいいのかもしれないけど照れて中途半端にしてる方が恥ずかしい。
よし、歌うぞ! と決めたものの往生際悪くヴァル・ガーレンに言う。
「耳をふさいでなさい」
「はーい」
と素直に両手で耳を塞いだヴァル・ガーレンだが、あからさまにきっちり塞いでないのがわかった。
私は俊足の靴で彼の背後に周り立て膝になり、その緩い手の耳栓を、上から私の掌でしっかりおさえた。
しかし、抵抗して空間をあけようとするヴァル・ガーレン。
私も私で意地で悪あがきを続ける。
あけようとした耳と手の間に私の掌を滑り込ませ直接私がしっかり耳を塞ぐ。
直接耳に触るとヴァル・ガーレンは
「うおっ、手冷たっ」
と首を縮めた。
私はパカッと彼の耳から手を外して
「緊張してんの!」
言ってすぐ耳を塞ぐ。
すっと、大きな手のひらが私の手の指先を包む。
──とくん
指先に感じる大きな手のひら
私の手のひらには彼の耳
ここで私は人肌に触れている事を自覚してしまった。
顔が熱くなる。
いやいや、まてまて、中学時代じゃないんだよ。わたしゃ、枯れてんの! なんで、こんなことぐらいでとなんとか取り繕おうと必死になってるのに、ヴァル・ガーレンは
「もう、聞こえませんから」
深く優しい声。
耳を押さえる手からも彼の声の振動が伝わってきて、私はこの子にはいろいろ敵わないのかも知れないと思った。
すーっと息をすって、私は歌い出した。
包まれた指先に感じる温かさを、そのまま声に乗せるように……
歌うのはこの世界の子守歌【めぐりうた】。
♪ながれる星ぼし
それはめぐる魂たち
たまうみみこのお迎えに
かけよる子だきしめる
またうまれる
そのひまで♪
この世界にも輪廻転生の概念に似たものがある。
魂産巫女は、自分の産んだ魂がその世界で死ぬと迎えにきてくれるそうだ。その魂は次の世に生まれるまで魂産巫女のもとにいるのだという。
♪ながれる雲たち
それは魂のゆりかご
たまうみみこのうたごえに
すやすやとねむる
またうまれる
そのひまで♪
ここまで歌うと緊張も羞恥心も、ドキドキもみんな合わせて歌と一緒に空間に溶けてしまって──目の前で青い光がぽわっぽわわっと透明な花びらに点っていく幻想的な景色にただみとれる。
何度みても、優しく可愛くて綺麗な私の大好きな空間。
♪めぐるよ魂
それはさだめの輪のなかで
しあわせさがして何度でも
めざめてはねむる
うまれてはかえる♪
何度も生まれてその果てに、幸せを見つけた魂は、その幸せを巫女に伝えて巫女の中にかえるそうだ。
そして、巫女は幸せの中、次の新たな魂を産む。
輪廻の中に旅立つ魂を……
♪やさしさに
つつまれて
またうまれる
そのひまで♪
私は……今度は巫女の中にかえれるかなぁ……
すっかり蜜溜まりが無くなった茎につり下がっている花弁は、青の光をたっぷり含んだ明かりを湛えている。
いつものように
「ご清聴ありがとう。蜜もらうね」
月下魔花にお礼をいう。
手に入っていた力を抜くと、それを感じてヴァル・ガーレンが指先を覆っていた手のひらをゆっくり離した。
今まで温もりがあった場所が空気にふれて、寂しさを感じた。
それをごまかしたくて、ヴァル・ガーレンの頭を右手でくしゃくしゃと撫でる。
「終わったよ。ありがとう」
耳を塞いでくれていた事にお礼を言って立ち上がる。
私はタクトを出して花弁に向かう
「アグリモニーさんの歌、俺は……好きです」
──とくん
背後からかけられた真剣な声。
その最後の゛好き゛という単語に心臓が跳ねる。
顔がボボッと熱くなるから振り向けなくて、なんとか動揺を出さないように
「なに言ってんの、プロ──吟遊詩人の歌とかたくさん聞いている癖に、誉めても出るのは突っ込みぐらいだっつーの」
「俺は……ずっと聞いていたいって思いました」
真剣な声。
それって……それって……
……
…………ん?
──まてよ?
「それって……さっきの歌」
私はゆらりとヴァル・ガーレンに振り向いた
「さっきの歌ぁ、聞こえてたっつうことかぁぁぁあああ!!!!!」
ヴァル・ガーレンは真剣顔から一転、ひやぁっと首をすくめて、私が振り上げたタクトから逃げようと立ち上がる。
ぺしぺしと頭を叩きながら後を追う。
ぃてててーと言いながら、塞いだ時は聞こえないと思ったけど小さくはあるがしっかり聞こえてしまって、止めるのもどうかと思い聞き入ってしまってと逃げる。
「あとで、追加指導じゃぁあ!」
「えー?!!!」
追いつけなくなったので叫ぶ。少しショボンとしたヴァル・ガーレンがとぼとぼとこちらに帰ってきた。
かわりに、私は歌を聞かれた事への意趣返しができてご機嫌だ。
もともと、彼の戦闘を見たかったので模擬戦を申し込むつもりだった。よい口実だとニヤリとした。
──ちりん
私は気持ちよく花弁を鳴らす。
まだ落ち込んでるヴァル・ガーレンはそれでも樽の移動を手際よくやってくれる。
──ちりん
あまりにもショボンと元気がないヴァル・ガーレンに罪悪感が湧いてくる。
「──もう、追加指導ってのは口実だよ」
耐えられなくなってネタバラシをする。
落ち込んだ背中がすっと姿勢を正してこちらを向く。
「家に帰ったら手合わせお願いしたくてさ、勇者にご指導お願いできたらなーってさ」
そう言うとヴァル・ガーレンはニコニコしだした。
「喜んで!」
なんだろ、私以上にチョロいよヴァル・ガーレン……
そして、それにホッとする私もそうとうチョロい。
うちらはチーム[チョロんズ]だね。
元気になった彼は重くなっていく樽をひょいひょい移動していく。
──ちりん、ちりりん
澄んだ音が丘に響く。
青い光がゆれる幻想的な丘での[チョロんズ]の蜜集めクエストは見事成功して、きっちり樽二杯が満タンの成果を得たのだった。
ん?……あれ?
もしかして、私、ヴァル・ガーレンの告白チャンス……
つぶしてしまったかぁ??!!




