勇者は謳われる
背筋がピリリとするあの嫌な感じがして、あぁ悪夢が来るなと夢を見ている事を自覚した。
──ここは、船の上だ。
私は二階の上の甲板の柵に身を預け、トートバッグからペットボトルを出して飲みながら風を受けていた。
あぁ、これは前世で実際にあった出来事を夢にみているのだと思う。
まだ学生だった。
家族旅行でいった芦ノ湖。
海賊船に乗って湖を渡った。
二階建て……いや三階部分まであったか、大きな船はマストが沢山立ってて『船首にある斜めになったマストは、なんのためにあるのかな?』なんて考えながら湖を見る。
回りには大学生のサークルだろうか? 若い男女が楽しそうに笑って騒いでいる。
「あれやれよぉ」
と、カップルっぽい二人を他がはやしたて、映画で有名になった男女が船首でイチャつくシーンの再現を要求していた。
氷山にあたって沈没するだろがー! いちゃつきやがって!
今の私の感覚では、大して年は違わないと思うけど夢の中の私には大学生達が大人に見えた。でもそうやって子供みたいにはしゃぐのを羨ましくもおもいながら、ガキみたいだなぁと鼻で笑った。
たしかあの時、私は転けて頭を打ったんだ。
縁起でもないことするからだよ! と心の中で大学生に悪態をついたのを思い出した。
となると、この後こけるんかぁーと夢の中の私は思う。
──ふわっと潮の香りがする。
ん?ここは湖だったはず。
チリリと痛む背筋に、あぁ、と悪夢だった事を思い出した。
斜めマストの上辺りの空間からじわりと黒い何かがにじみ出た。
──黒い霧!!
逃げだそうとして足を出したのに、動かない。
足元は既に黒い霧に覆われていた。
不安が足を伝ってじわりじわりと這い上がってくる。
助けを求めて回りを見るが、すでに黒い霧で視界は奪われていた。
──逃げなきゃ逃げなきゃ!
でも、霧が闇に似た濃度で吹き出すその空間の向こうから何かがゾワリゾワリとやってくる。
……べちゃっ……べちゃっと不気味な水音が濃い潮の臭いと共に迫る。そして、何かが私の首に巻き付いた。
いつも痛む背筋にあたってジリジリと侵食されていくような感覚におののく……
ひっいっ、いっ
息しかでない。
でも、絞り出す
「いやーーーーーーーーーーーー!!」
──ドン
体ごと体当たりを受けて私の視界から黒い霧が急に晴れた。
──ガン!
痛い!
後頭部をしこたまぶつける。
あーそう、あん時もここをぶつけたんだ。
晴れた視界にほっとしてそんなことを考える。
いや、いまそんな悠長なこと考えてる場合ではないと私の体に覆い被さる白布を見る。
『アグリモニーさん』
それはムクリと起き上がると私の名を呼びまばゆく輝き出した。
うっと目を細めて光をしぼると、それが人だと解る。
ひらひらと輝き、はためく白い布に今世の神の記しを見た。
そのさらに前方にも青と金でかかれた紋章が見える。
それは黒い霧から私たちを守る様に立ちはだかっていた。
その純白の聖なる光が黒い霧を散らしていく。
景色はどんどんホワイトアウトしていった。
また、深く眠りに落ちていく。
──勇者は無事に王島奪還してくれるよね。
あの光の中にいたのは修道女と聖騎士、だから少女のような魔術師も不敵に笑う精霊使いもそして、銀の瞳の剣士もいたかもしれない。
私の思いが見せた夢だろうか……
黒い霧をはらってくれた勇者たち──どうか現実になってくれますようにと祈る。
そして、私はまた夢を見ない深い眠りについた。
* * *
翌日の午後。指定された時間にギルドに行く。
転移部屋はしばらく閉鎖するというので乗り合い馬車で向かうつもりだったのだが、来る馬車来る馬車満員だった。
御者さんまでウキウキと、勇者様万歳! タゴレ王島奪還万歳! といいながら楽しそうに王都へ向かって馬車を進める。
朝のうちにタゴレ王島奪還の吉報は魔法便で世界中に知らされた。タゴレ王島に閉じ込められていた旅人達や冒険者達が転移門や自力で王都に帰ってきた。そして、吟遊詩人へ王島奪還の様子を伝える。
詩は紡がれ歌われ伝わり拡がり響き渡り、喜びが希望が安心がこの世界を包む。
なんとか馬車の隙間に入り込んで王都につくと、都は既に色とりどりの紙片や花びらが舞続け、祝福や魔法陣が煌めいていた。
どこもかしこも笑顔が溢れて、乾杯がなりやまない。
ほとんどの人はただお祭り騒ぎを楽しみ、飲む理由にして日頃のストレスを発散しているのだろうけど、こういう事をなんの気兼ねもなく楽しめる心があれば人は魔王に負けない。
辻毎に吟遊詩人が歌い、それを囲んで宴会が始まる。振る舞われる酒に気をよくして歌はおひれはひれをたなびかせどんどん盛大になっていく。
そんな娯楽とニュースをその身と楽器ひとつで広める為に、吟遊詩人は馬車に乗り旅立つ。
パーティーの魔術師と一緒に転移して行くものもいる。
聞こえてくる詩をしっかり聞きたいけど……先に要事をすませてからでいいかな、とギルドへ急いだ。
ギルド内も外と似たようなもので、受付前のエントランスは宴会場と化していて受付にはニコニコしながらエールジョッキを煽るギルマスがいた。
「もーなんでギルマスが受付てんですか? つか、完全に開店休業状態なら日を改めたのにっ」
クエストするより酒盛りだぁ! と浮かれる宴会中の冒険者達をかき分やっとけたどり着いたカウンターで噛みつくと。
「あーはっはっはー、アグリモニーお前はすぐ引き込もるからな」
ぐびっとさらにエールを流し込み、
「今日だって仕事じゃなかったらここまで来てねーだろーが」
そう言いながら、お前も飲めよと果実酒をカウンター下からとりだした。
おいおい、なんでそんなもんそこにしこんでんの? と睨むと、さらにグラスを取り出して、
「昨日の俺からの魔法便でだいたい解ってたんだろ?」
「まぁ、勇者パーティーの支援してるの知ってるし」
注がれた果実酒はカシスのような深い赤をしている。しかし、それは甘味はほんのりでかなり度数があるくせにさらっとイケてしまえる代物で、ヴガジィーオという木の実から出来ている。
「ほい、乾杯!」
無理やりグラスを合わされ飲めよと視線を寄越される。
ペロリとナメる程度に口をつけると
「俺へ魔法便で聞いて済ますつもりだったろ? まだ魔王討伐した訳じゃないんだからってな」
ぐぬぬ……さすが付き合いが長いだけあってお見通しだな。
私はぶっちゃけあまり人付き合いは上手くない。
前世からの性分だから直す気もないし、お婆ちゃんとの生活で困った事もなかった。
一人になってからもビギナーとのやり取りや、こうやってギルドへきたり、お得意さんとの交流もあるから、それ以上に積極的に何かをしたいなんて思わなかった。
「若い癖にみょーに落ち着いちまって、時にはこうやって魂ふるわせんといろいろ見逃すぞぉ」
ん? 見逃すだとぉ!?
ぐぅ、見逃さなかったから今すっげー面倒くさくなってるのに、何いいやがる!
やさぐれて、グラスをグィとあおる。
でも、ギルマスが私を心配してくれてる事はわかっているのだ。一応、前世30年以上、こちらも24年生きている。年長者の思いがわからないほど経験値は浅くないのだよ。
優しさに感謝していると、
「ほらなーそうやってすぐにおさまっちまう」
とぽっどぼどぼぉー!
止める間もなくなみなみと注ぎ足される赤い酒。
「お! 始まるぞぉ」
ギルマスの目線を追って見ると、エントランスの一角にステージが出来ていて男女二人の吟遊詩人が立っていた。
さっきまでガチャガチャワヤワヤと騒いでいた宴会冒険者たちはシーンと静まってこれから始まる演奏を期待の眼差しで待っている。
「彼らは王島内にいたんだ」
ギルマスが囁くように私にだけ伝えてくるのと同時に、男の構えた竪琴が旋律を奏でだす。
澄んだ音色は美しいがしかし、悲しく重い。
それに溶ける様に自然に女性の歌声が交じり
詩が紡がれ歌になる。
♪あぁいつ昨日がおわり
いつまで今日なのか
日の光は群がる魔物に遮られ
いつ終わるともしれない
この黒き霧との対峙
それでも我らは奮い起こす
希望を勇気を!
タゴレの王と共に
決して折れてはならぬと声を張る
そうだ折れぬと答える声
確かに飛び立った希望を呼ぶ鳥が
再びこの地に青き楽園の海を
輝きに満ちた青き海原を取り戻す
かのお方を連れてくるその時まで
奮い起こす
我らは勇気を希望を
あぁしかし
日に日に弱る答える声に
不安が忍び寄る♪
彼女の体から流れる歌は竪琴の旋律に乗り、聞く人々をその情景の中につれていく。私もいつしか黒い霧の檻に閉じ込められたタゴレ王島にいた。
王族が張った結界は強力だったし、方位磁石が壊れても王島の灯台には強力な魔法の光が宿っている。それを頼りにかなりの船が結界の中に避難してきていた。
しかし、その光は魔物にも目印になり、避難する船を追ってついてきた魔物が結界の外で層になって群がる。
昼も夜も解らず、絶え間ない魔物の攻撃や咆哮に完全な休息は訪れない。
負けじと希望を歌う吟遊詩人。
結界を維持する為に交代で魔法陣を描き続ける魔術師と王族。
人々に安らぎをと、休まず浄化や癒しをする聖職者たち。
結界を無理やり破り侵入しようとする魔物と戦う戦士たち。
黒い霧で弱る精霊を励ます精霊使い。
誰もが信じて立っていた。
動き続けることでなんとか不安を押し退けていた。
それでも声は枯れ疲労は蓄積していく。
そしてじわじわと気がつかないうちに人々の心が犯されていく。
誰かがポロリと落としてしまった言葉
『もうダメかも知れないな』
誰が?
いやそれはもしかしたら魔物がニタリと笑って言った言葉だったかも知れない。
でも、それは疲れきった心の隙間に急速に入り込む。
これが魔王の、黒い霧の真の恐ろしさだった。
人々は気づかない。
どうせ上をみても魔物の恐ろしい姿しか見えない。
前を見ても横をみても暗黒の世界が包み込む。
歌の向こうに、王の叫びの裏に、魔物の咆哮が耳なりのようにいつも聞こえて……
人々は足元へと視線を固定され、目を閉じて、耳を塞ぐ。
そして、動けなくなる。
ふっと流れていた情景がストップモーションのように止まった。
はっとして、ここがギルドのエントランスだった事を思い出した。
シーンと静まり返る空間。
ステージの上の二人が演奏を、歌を止めている。
聞き入っていた観衆も息をする事を思い出したように、サワサワと身動ぎしはじめる。
──りんっ!
歌い手の女性か持つ鈴がなる。
それはまるで黒い霧を払う浄化の光のように、ここを支配しようとしていた重い空気を一瞬ではらった。
♪それは光
足元の影が絶望ではなく己の立つ場所を示すものへ変わる
それは風
目を閉じても優しく頬をなでる
それは音
ふさいだはずの掌の向こうで漏れ聞こえていた魔物の咆哮が止む
それは希望
虹色に輝く魔法陣の輝きに人々が前を上を見上げる♪
旋律は突然激しく熱くなって、観衆たちの体温を上昇させる。
きた! やっと来たんだ! 勇者達が!!
ぐっとこみあがってくる歓喜に自然と声があがる。
わっと沸く中で演者たちは高らかに歌う。
結界の外に浄化の光が降り注ぐ。
黒い閃光が走り霧散していく魔物達。
その黒い光に押し寄せるが追い付けず列を成したところで一気に貫かれまた霧散する。
別の場所では、結界に張り付いていた魔物が反転して眩い光の塊に群がる。が、ドバッと溢れた衝撃波に散り散りになって消えていく。
あちらでは荒れ狂うが、しかし美しい水乙女立ちの舞いに飲み込まれ叫びさえあげずに消えていく魔物達。
見上げれば色とりどりの属性魔法陣から繰り出される魔法で焼き払われる魔物達。
さっきまで地獄かと思われた景色が一転。
美しく優しく神々しく心強く輝いて忘れかけていた希望がどっと溢れだした。
頬を伝う熱い涙に、生きている事を感じる。
枯れた声に力が宿る。
やっと訪れた安らかな休息の予感に笑顔が溢れる。
その美しい戦いはまだ続いている。
しかし、そこに絶望はない。
希望が喜びが人々に声をあげさせる。
勇者万歳!
勇者万歳!
その声は結界を越えて届いただろうか。
伝えてなくては、この喜びを。
届けなければこの想いを。
奏でられる旋律が終わりへ向かって速度を落としていく。
最後に、シャランと鈴がなり
♪そして私たちはここに生きている♪
竪琴が何処までも明るく澄んだ幸せな一音を弾いた。
余韻はこの空間とここにいる全ての人の心に染み渡った。
──どわっ!!と拍手と歓声があがる。
みんな泣いていた。
私も──泣いている。
横でギルマスが鼻を啜った。
そちらを見ないようにグラスを差し出すと、カツンと軽くグラスとジョッキが合わさる。
あおった酒はほんのり甘い。
まんまと揺さぶられた魂に息が震える。
まー今日は酔いのせいにしないで嬉しい涙を素直に流すのもいいよね?
私は手酌で次の一杯をグラスに満たした。