第1話 「バラ園での再会」
――チュッチュッチュッチュッ、ピー、チュンチュン。
光が射しこんでいる。
あの地下牢にはなかった光景だ。
フレアはゆっくりと瞼を開けた。
見知らぬ部屋の中だった。
フレアは寝台に横たわっていた。
だが、彼女が以前に寝ていたものよりは小さい。
窓から城の中庭が見えた。
だが、以前見ていたときと庭を見る角度が違う。
前はもっと高い位置から見下ろしていたはずだ。
ここは1階でフレアがいた最上階の部屋の対面に居た。
「クマさん……」
フレアはキョロキョロしながら起き上がった。
かつてフレアの寝台には、数え切れないほどのぬいぐるみが占拠していた。
だが今は、ぬいぐるみはおろか人形の1つも見当たらない。
大きなクマのぬいぐるみはどこに行ったのだろう。
それともあれは、だたの夢だったのか。
「シャルル……」
フレアは婚約者の名をつぶやいた。
――1週間前、バージニア城は謎の軍隊に取り囲まれた。
後見人の伯父夫妻が南へ静養に出かけた直後だった。
フレアは捕らえられ、城の裏側の森にある地下牢に閉じ込められた。
フレア・バージニアは15歳。
この城の第一王女だ。
両親は幼いころに他界している。
3ヶ月後に16歳の誕生日を迎えたら、隣国の第3王子シャルル・カール王子と結婚する予定だった。
「地下牢に居たはずなのに……」
寝台の脇のサイドテーブルに緑色の地味なドレスが置かれていた。
なんの飾りも無いシンプルデザインで長袖だった。
そのドレスは、フレアが1週間前まで着ていたどのドレスよりも粗末な綿で出来ていた。
フレアは緑が似合わないので、今まで決して着ることのなかった色だ。
一緒に白の綿の下着と友布で出来た緑色のリボンが用意されていた。
それらと一緒に紙が置かれていた。
それにはこうあった。
『湯浴みをしたらドレスを着てローズガーデン』
「湯浴み……ひとりで……するの?」
フレアは泣き出しそうになった。
いままでたくさんの召使やメイドたちに囲まれて暮らしてきた。
地下牢でのひとり暮らしは死ぬほど心細かった。
だが、この広い部屋でのひとりぼっちは比べ物にならないぐら寂しかった。
湯浴みをしないとドレスを着る事が出来ない。
フレアは風呂場を見つけるために部屋の中をキョロキョロと見回した。
寝台のうしろに小さな扉があった。
あれがそうかもしれない。
扉の前に立ちノックをした。
――コンコン。
返事がない。
取っ手を捻ると鍵は掛かっていなかった。
――キイッ。
そうっと開けてみた。
やはりそこは浴室だった。
なかに猫足の小さな浴槽があり湯が張られていた。
タオルやカラダを洗う海綿が用意されていた。
1週間前までフレアは、この何倍もある浴槽に入っていたのに。
フレアの目に涙が浮かんだ。
でも、グズグズしてはいられない。
意を決しひとりで風呂に入ることにした。
ウンと腕を伸ばしてなんとか背中のホックをはずした。
次に窮屈なコルセットの紐を苦心惨憺しながらほどいた。
湯は冷めていた。
サボンは置かれていなかった。
体を海綿で撫でながら、フレアの目にまた涙が浮かんできた。
体を洗い終えると風呂から出た。
タオルを体に巻いたまま部屋に戻った。
緑色のドレスを身に付けた。
コルセットはなかった。
フレアはまるで召使にでもなったような気分になった。
そのままフレアは、入り口の扉の近くに備え付けられた等身大の鏡の前に立った。
脇の台に櫛が置かれている。
「これは……!」
フレアは驚愕した!
なぜなら、自分の容姿が1週間前とはかけ離れたものになっていたからだ。
1週間前までフレアは、フワフワのロングヘアで金髪だった。
碧い瞳に白い肌、赤い唇をした愛くるしい少女だった。
――それがどうだ。
今のフレアの髪は縮れた赤毛で長さは肩までしかない。
瞳はグレーで自慢の白い肌はそばかすだらけになっていた。
変わらないのは、小さな背丈ぐらいだった。
フレアの瞳からハラハラと涙が滴り落ちる。
だが、その涙を拭ってくれる召使は1人もいない。
フレアは大きなため息を吐くと涙を指で拭い、櫛を手に取り自分で髪を梳かしはじめた。
タオルで拭いた髪はまだしっとりと濡れていた。
堅い赤毛は引っかかってとても梳かしずらかった。
リボンをこねくりまわして、なんとか1つに結んだ。
裸足だったので用意されていた茶色の革靴を履いた。
とても粗末な物だった。
1週間前までフレアは、ピンクの絹の靴を履いていたのに。
支度を終えるとそっと扉を開けて廊下に出た。
そこは静まり返っていて人っ子一人いなかった。
フレアは今までひとりで城内を歩いたことがない。
彼女の周りには常に召使がいたからだ。
迷ったらどうしよう。
フレアはドキドキしながら壁づたいに薄暗い廊下を歩いていった。
だが、やはりフレアは迷ってしまった。
ローズガーデンは窓の外に見えているのに、どうしてもたどり着くことができない。
「どうしよう……」
フレアの目に、また涙が溢れてきた。
――そのとき、フレアの前に影が立ちはだかった!
「だれ……!」
フレアは恐くて顔を上げられなかった。
床を見ながら、涙が目から零れそうになった。
だがそのとき、足下の影の形を見てフレアはびっくりした!
「クマ……さん……?」
フレアは顔を上げた。
目の前に、あの真っ赤なぬいぐるみのクマがいた!
夢ではなかったのだ!
円らな瞳はツヤツヤの真っ黒なボタンで出来ていた。
顔は真ん中部分が盛り上がっていて、木で作られた鼻が埋め込まれている。
その下の三口部分にはフェルトの赤い舌がチロリと縫い付けられていた。
2つのかわいい耳もまん丸だ。
正真正銘、モフモフのクマのぬいぐるみが立っていた!
「クマさーん!」
――フレアはクマのぬいぐるみに思い切り飛び付いた!
「クマさん……クマさん……グスッ……」
モフモフの胸に顔をうずめ、フレアはシクシクと泣きはじめた。
クマのぬいぐるみはフレアをやさしく抱きしめて頭を撫でてくれた。
フレアがひとしきり泣き止むと、クマは彼女の肩を抱き窓の外を指し示した。
「あっ……!」
夕日に浮かぶ『ローズガーデン』が目の前にあった!
「クマさん! ありがとう!」
フレアが振り返ったとき、そこにクマはいなかった。
「クマさん……どこに行ったの?」
フレアはキョロキョロとあたりを見渡したが、クマはどこにもいなかった。
「おかしいわ……幻だったのかしら?」
フレアはクマを探すことはあきらめ、大きな窓を開けて庭へ降り立った。
ローズガーデンの裏口にいるということは、かなり歩いて来てしまったようだ。
フレアは遅くなってしまったことが急に心配になり、急いでローズガーデンへと入っていった。
中へ進んでいくに連れて薔薇の芳香が強くなっていった。
ローズガーデンの中央に誰かいる。
フレアは小走りになってそちらへ向かった。
――ズザザザザッ!
勢い余って、フレアはローズガーデンの中央へ飛び出してしまった!
「きゃああっ!」
――ガシッ!
「おおっと! これは……」
フレアは自分の目を疑った。
目の前に、シャルルがいたのだ!
いきなり現れたフレアに驚き、抱きとめてくれた。
シャルルは目を見開き、驚いている。
どうして彼がここにいるのだ?
「こいつ! なんという無礼な!」
年老いた見慣れぬ執事がいて、手を腰に置き怒りをあらわにしてフレアを睨みつけている。
「ご、ごめんなさい!」
フレアは急いでシャルルから離れると、執事に謝った。
こんな風に怒られたことが今まで1度もなかったフレアは、ひどく脅えてガタガタと震え出した。
「サンダース! そんなに怒るな! 震えているじゃないか!」
「で、ですが……このような無礼な行為は……」
シャルルが、うしろからフレアの肩を支えながら庇ってくれた。
「シャルル……」
フレアはうしろを振り返り、背の高いシャルルを見上げた。
金髪に碧い瞳の美しいフレアの王子さま。
――だが、その隣には。
「シャルル! そんな醜い子に触るのは止めて! おまえ……どうやって出て来たの!」
目を吊り上げ髪まで吊り上げた金髪碧眼の美女が怒りもあらわに佇んでいた。
「コーネリアス……そんなことを言うな! わたしの側室だぞ。フレア……今までいったい、どこに居たんだ?」
「どうせ、結婚が嫌になってどこかに隠れていたんでしょう? だから嫌なのよ! こんな赤毛の痩せこけた娘が、わたくしの大切な夫の側室になるなんて耐えられないわ!」
「え……? そく……しつ? わたし……が?」
「下がれ! 姫さまのドレスが汚れる!」
執事がフレアをバラ園の奥に下がらせた。
緑色のドレスがバラのトゲで裂ける。
そんなことも気にならないほどに、フレアはショックを受けていた。
「わたしが……側室……そんな……」
フレアが唖然としている間に、シャルルと女は大勢の家来と共にバラ園から出ていった。




