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この作品は志室幸太郎様主宰のシェアード・ワールド企画「コロンシリーズ」参加作品です。
学校が終わると今日も俺は急いで家に帰った。部屋に上がったらすぐに机に置きっ放しにしておいたインターフェイスを顔に装着する。スイッチを入れればすぐに目に映る世界が六畳のせまっ苦しい部屋から広大な町へと切り替わった。俺は脇目も振らず噴水のある広場まで駆け出す。
3年前、突如スカイネット上に発見された巨大な仮想空間、オムニス。初めはキャラメイキングとグラフィックぐらいしか取り立てて特徴は無かったけど、この数年でその性能はみるみる内に上がっていき、気付けば従来のオンラインゲームの枠を越え、現実世界に影響を与える程にまで膨れ上がった。
貯めに貯めた小遣いでインターフェイスをようやく手に入れた俺が初めてオムニスにログインしたのはつい1年前。その魅力に一度でとりつかれ、それから毎日学校から帰ってくると欠かさずログインする様になった。俺にとってはオムニスはもはや生活の一部になっていた。
そこで俺は彼女に出会った。黒い髪の、ローブがよく似合うあの娘。それは初ログインから1ヶ月目の事だった。
ようやく操作に慣れ始めた頃、いつもの様に町を何の気無しにぶらぶらと徘徊していた時だ。突如肩が触れてしまった相手が彼女だった。
その美しい容姿に俺は思わずときめいた。いや、もちろんそれはゲーム上のルックスだ。だがそれでも可愛いと思ったのは事実だ。アニメや漫画のキャラを可愛いと思う事は誰にだってあるだろう? ついつい目を留めた俺は思わず彼女に話しかけた。古臭いナンパの様な言葉だったけど、彼女は丁寧に応じてくれた。
次の日にも偶然同じ場所で彼女と出会った。彼女もオムニスをやり始めた直後らしく、同じ目線で接せられるのが嬉しくて、俺はその日の別れ際、明日も会えるか尋ねた。すると彼女は喜んで頷いてくれた。
それから毎日彼女と会う様になった。適当にカフェでくつろいだり、一緒にミッションに挑んだり。気付けば俺は恋に落ちていた。
そう、恋に落ちていたのだ。
笑えるだろう? 相手は仮想空間にいるただのキャラクターだ。だけど彼女とオムニス内で触れ合う事で、俺は間違い無く充実した時間を過ごしていた。そうだ、これは紛れも無く恋なのだ。
だけど、ある日彼女の口からとんでもない事を聞かされた。
「私、多分バグなんだ」
「……え?」
それは信じられない話だった。確かに、オムニスでは時々バグの報告がユーザーからされている。だけどキャラクター……NPCそっくりのバグなんてそれまで聞いた事が無かった。
俺は戸惑った。俺がこうして話して、一緒に行動しているのは、どこか他の場所にいる誰かがログインして動かしているキャラではなく、プログラムに突如発生したバグ……。
思えば疑問に思っていた点はあった。彼女は決して名前を教えてくれなかった。その理由がこの時わかった。バグなんだから、名前なんてそもそも無かったんだ。
だけど、少しだけ考えてそんな事がどうしたと俺は返した。
なぜなら彼女は確かにここにいるのだ。ならばそれでいいじゃないか。人が操作していようが自然発生したバグだろうが、そんな事はどうだっていい。こうして話せて、感情を共有出来たらそれでいいんだ。それで彼女も楽しいのなら、それで。
噴水の前にはいつもの様に彼女が立っていた。俺がお待たせと声をかけると柔らかな笑顔で返事をしてくれる。
「今日はどうしようか。何かミッションやるか、それとも……」
「今日は……お散歩してもいい?」
彼女は静かな声で言った。どこか影がある様に聞こえたのは気のせいだろうか。
いや、気のせいじゃなかった。
「今日は大事なお話があるの」
人気の無い道をふたりで歩いていると、いつもは見せない表情で彼女が口を開いた。
「……それって、君がバグだって事以上に大事な事?」
「うん」
「……」
俺は黙りこくった。
「明日の0:00、私、消えちゃうんだ」
「…………え?」
俺は耳を疑った。
「アップデートが実施されて、私は削除されちゃうの」
「……どういう事だよ」
「昨日保守プログラムから通達があって」
「何でだよ! 君は別に何も悪い事……!」
「してるよ。存在してる。プログラムにとっては、バグはそれだけで害悪だよ」
「……そんなっ……!」
「彼らの言う事は正しいよ。私が存在する事で少なからずシステムに影響を与えている事は事実だと思うし」
「……っ! な、何とか出来ないのかよ!」
俺は叫んでいた。行き場の無い気持ちをどうにかするには、こうするしかなかった。
「……でもね、私が消える事で、きっとたくさんのユーザーが今よりもっと快適に、楽しくプレイが出来る様になるんだよ」
「……そんな事っ! 君はそれでいいのかよ!? 納得していいのかよ!? 自分が消えちゃうんだよ!?」
「だって私はバグだもの」
絶望。それが今の俺の心を表現するのに相応しかった。心が締め付けられて、今にも止まりそうで……君が消えてしまう事がたまらなく嫌だった。
でも、彼女はそれ以上に、どうしようもないほどの不安に苛まれている事は俺にも容易に想像出来た。当たり前じゃないか。自分がもうすぐ消えてしまうのだから。
それでも彼女はその気持ちを押し殺して俺と今接している。世界中のユーザーの事を考えている。オムニスの、この世界の未来の事を考えている。
……俺は、彼女のこういう所が好きなのかもしれない。こういう彼女だから、実在の無いバグでも好きになれたのかもしれない。
「見ていて欲しいんだ、私の事」
「……え?」
「私はもうすぐ消えちゃう。だからそれまでに、私の事、見てて欲しいんだ。その目に焼き付けて欲しいの」
「……わかった……わかった!」
俺はいつの間にか泣いていた。涙が溢れて止まらなかった。視界がぼやける。インターフェイスを一度外して涙を拭いたかったけど、そんな事は絶対にしなかった。1秒たりとも彼女から目を離したくなかった。
それから俺達は色々な場所を回った。初めて出会った場所、よく一緒にコーヒーを飲んだカフェ。いつも彼女が待っていた噴水。最初のミッションで訪れた洞窟……ああ、こんなにも、至る所に思い出が溢れているんだ……。
夕食に呼びに来た母さんの声も聞かず、風呂にも入らず、俺はずっとオムニスに居続けた。彼女の隣に居続けた。
そして、その時がやって来た。
11:59。アップデートまで、あと1分。
「もうそろそろ時間だ」
彼女はいつもと変わらぬ様子で笑った。残された時間は本当にあとわずか。俺は出来るだけ彼女の声を聞きたかった。彼女が話したい事をありったけ話して欲しかった。
「今日は楽しかったなあ」
「…………俺も楽しかったよ」
「ねえ? 最後にひとつだけ聞いていい? ずっと聞きたかったんだけど、なかなか聞けなかった事」
「……何?」
……ああ、最後だなんて言うなよ。お願いだから。
「……もしかして私の事……好き?」
この時、今まで堪えに堪えていた涙がまたぶわっと溢れ出した。止めたくても止められない。ちくしょう、最後の最後なのに、君の顔がはっきりと見えないじゃないか……!
「……す……好きだ! 君がたとえどこにもいなくても! 俺は君が好きだ!」
「……」
彼女は急に黙り込んだ。
そして、照れ臭そうにえへへ、と小さく声を漏らして、一言。
「……私も」
「……っ!」
彼女を抱き締めようとした瞬間、目の前が真っ暗になった。強制的にログアウトさせられたのだ。
「……ああっ!」
俺は何も見えない世界で、必死になって彼女の姿を捜した。
だけど、捜しても捜しても、どこにも彼女の姿は見付からなかった。どれだけ手を伸ばしても、決して君には触れられず、ただ無機質な机の角に当たるだけだった。
「うわ……うわああああああああああああん! あっ、ああっ、うあああああああああああ!!」
どこにもいない君に恋をした。オムニスは今も、とどまる事無く進化を続け、ユーザーも増え続けている。この恋に誰も気付く事無く。やがて時が経ち、緩衝地帯にどれだけアーティファクトが積もろうとも、この記憶は決して埋もれる事は無いだろう。
君がここにいた。それは数式では決して導き出されない事実なのだから。
今さっき「シュガー・ラッシュ」を見ていて思い付いた物に、今ハマッているアニメ「ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?」の要素を思い切り入れて発作的に書き上げました。少々粗っぽい気もしますが、こんな恋の形もあるのかなあと。