夏、壁越しの思い 2
「ただいまー」
香織が玄関のドアを開けて入って行ったので、私も香織に倣って入る。
ドアの先は、明かりが点いていないのと天気の悪さが合わさり、薄暗い空間が広がっている。
また屋根に打ち付ける雨音ぐらいしか響いてこないため、とても人がいるような気配はしない。
香織が言っていたように、誰も居ないようだ。
「お邪魔します……」
人がいないのは分かっているが、初めて来た場所だからか、緊張してしまって小声になってしまった。
「上がっていいよ……って、あー、ちょっと待ってて」
それだけ言うと、靴を脱ぎ捨てて、水を吸った黒色のソックスを片足ずつ引き抜いていく。
カバンとソックスを持って、裸足で家の奥に消えていってしまった。
音だけであるけど、どこかから物を出すような音や、扉やドアを開閉させてるようなバタンとかガタッという音がした。
そして、家の中に光が点った。
突然の明かりを眩しく思い、目を細める。
ペタペタとフローリングの床に足音が響く。
「比紗子、これ使って」
「お礼の前にその格好にツッコむべき?」
奥からタオルを持ってきた香織の姿は衣服を身につけておらず、バスタオル一枚身に巻きつけた姿で現れたのだった。
急いできてくれたのは分かるし、同性の前だからなのかもしれない。
それでももう少し羞恥心と言うものを香織は持ったほうがいいと思う。
「それよりも先に拭いた方がいいかな、風邪引いちゃうし」
「そうだね、ありがと……」
差し出されたタオルを受け取る。
髪や顔を拭き、靴と靴下を脱いだ。
足を拭いて、先程の香織に倣い、カバンとソックスにタオルを持ち玄関を上がった。
香織の後ろに付いて脱衣所に入る。
そこには乾燥機と思われるものから先ほどまで香織が着ていただろう制服の裾が引っかかるようにして出ているのが見える。
今更ではあるが、香織の家と自分の家では、綺麗さが違うなという風に感じた。
だけど、入ってくるときには、雨の慌ただしさで気が付かなかったが、こうして家の中を歩いているとゴミとか落ちていないし、物もしっかりと整理されている。
この時間だと買い物に行ってしまっているから断定は出来ないが、香織の両親は共働きだと思う。
しかし、両親が共働きなのであれば、誰が掃除をしているのだろうか。
「服は乾燥機で乾かすから、その間にシャワー軽く浴びておいでよ」
なんと言うか至れり尽くせりだ。
「一緒にシャワーでもいいよ」
「それはやめとく」
早めに強く断っておかないと、香織はすぐに調子に乗る。
ただただ調子に乗るのであれば良いのだけど、香織は妄想が暴走してどんどん話が進んでいってしまう。
「それで、香織はどうして動こうとしないの?」
「え?」
香織がきょとんとした表情で首を傾げた。
「香織が脱いだ服とか入れちゃってね。乾燥機のスイッチ入れたいし、それに同性だから見られても恥ずかしく無いでしょ」
前半の言葉に比べて、後半の言葉の方がスラスラと出てくる辺り、絶対に見るのが目的だったのだろう。
まぁ、同性だから見られてもというのも分かる。
だから、香織がしたいようなことが目的ではないなら自然と出来ると思う。
しかし、私の場合は意識してしまうとダメだ。
相手が自分を見ていると意識してしまうと体の芯が熱くなって、恥ずかしさで心が支配されてしまいそうになる。
「私が入ったあとでも出来るから、ちょっとの間出ていってくれない?」
「それに、替えの服出しておかないと比紗子、裸で過ごさないといけないし」
「そうだね、けど、私が入ったあとにでも出来ることだから、今は出て行ってくれないかな?」
「タオルとかも比紗子分からないでしょ。出しておかないといけないね」
「うん、けど、今すぐじゃなくてもいいし、何なら今出しておく?」
香織が微笑みかけてきたので、私も微笑み返しておいた。
二人ともふふふと声が出そうなぐらい綺麗な笑顔をしていると思う。
私は自分の服を指差しながら、香織に告げる。
「風邪引いちゃうよ?」
香織が微笑むのをやめて、溜息とともに肩を落とした。
「乾燥機には服とか入れておくけど、漁らないでね」
「はいはい……」
ひらひらと手を振りながら、香織は脱衣所を出ていった。
香織がドアを閉めガラスの向こうから姿が消えたのを確認する。
これで安心して服を脱げる。
まずは雨で濡れていて気持ちの悪い服を脱ぎ始めた。
制服を脱ぎ終わり、下着に手をかけたところで気がついていたことだけど、下着までしっかりと濡れてしまっていた。
脱いだ服と下着、靴下を乾燥機に入れる。
香織がいないと分かっているが、一応体を手で隠して風呂場のドアに手をかけた。
どうしようか考えるが濡れてしまったものを履き続けるのは無理だと結論付ける。
香織がいないと分かっているが、一応体を手で隠して風呂場のドアに手をかけた。
風呂場のドアを開けて驚いた。
私の家とはまず広さが全然違う。
湯船の大きさなんて、私が足を伸ばして入っても悠々と入っていられそうだ。
私一人だけじゃなく香織と二人で入っても余裕がありそうな気がする。
まぁ、お湯が張られているわけではないし、今はただシャワーを貸してもらうだけ。
けど、一人体を伸ばしてゆっくりと入ってみたいなとちょっとだけ思った。
シャワーの前に赤・青・黄色の三つのカゴが置いてあり、それぞれに洗剤が入っているみたいだ。
使わないけど、これが香織の使っているものなのかと興味をそそられる。
どんなのだろうかと手を伸ばしていたら、ガチャとドアを開ける音が聞こえた。
「比紗子ー、シャンプーとか分かるー?」
「シャワーだけだから必要ない!」
いきなり声を掛けられてかなりびっくりした。
胸に手を置いて、息を整える。
そう、今回は泊まりに来てお風呂を借りているわけではない。
ただ少しシャワーを浴びるために借りているだけなんだから、そこまで必要はない。
外で物音が聞こえてきたが乾燥機を動かそうとしているようだ。
少しの間そうしていたが、乾燥機が動き出してすぐにバタンとドアが閉まる音が聞こえた気がする。
体が緊張していたのか、息を吐くと一気に体が弛緩したようだ。
シャワーを出すと、最初は冷たい水が出てきたがすぐに温かいお湯が出てきた。
温かいお湯を浴びると体に熱が帰ってきた。
色々と考えたいことはあるけど、今考えるべきことではない。
それにあまり長い間ここにいたら、香織が入ってくる口実を作ってしまうことになりかねない。
そうならないように軽く髪と体をシャワーで流して、水を止めた。
扉を開けて、バスタオルを身に巻きつけて風呂場の外に出ると、脱衣カゴの中には綺麗な服が畳んで置いてあった。
体を拭いて、その服を着ようとしてふと考える。
今の私には下着がない。
つまりこれを着て行っても私はその下は全く何も身につけることなく香織と対峙しなければいけないということなのか。
下着も用意してくれてたら、というのはちょっと図々しい考え方である。
用意してくれてたら嬉しかったけど、私がいつ来てもいい様に用意されているのもそれはそれで空恐ろしさを覚える。
今回はたまたま私の傘が盗まれたから私が来ただけなのだ。
しかし、前から香織の家に行くと言っていたら、用意されているのだろうか。
それもちょっと嫌だな。
まぁ……忘れた場合は役に立つかもしれないが。
けど、香織がそんな用意するだろうか。
──いや、しないな。
香織が人を気遣ったりだとか、お節介を焼いてる姿を想像したが、あまりにもおかしくて笑えた。
そんな期待できる人物は香織の姿をした別人だ。
それはあまりにも似つかわしくない姿だ。
香織が用意してくれたタンクトップとハーフパンツに着替えるが、やはりい違和感しか無い。
それもそのはずだ。
タンクトップとハーフパンツの下に何も身に着けていないということも一つの理由である。
だけど、もう一つとしてはこれが香織が着ていた服だったのかと思うとなんだか落ち着かない。
やはり下着だけ、いやブラはサイズが合わないかもしれないから、ショーツだけでもお願いしようかとか考えてみた。
私が香織のショーツを履く。
想像しただけで全身が熱くなる感じがしたので、頭を振って、考えを打ち消した。
香織が用意してくれていたタオルを手に持って、脱衣所から出た。
家の電気は付いているが、どこがどの場所か全くわからないから迂闊に歩きまわって香織の部屋とか香織の親の部屋とかに入ってしまうのは嫌だな。
「香織ー?」
あまり大きな声ではなかったはずだが、それでも香織の耳に届いたようで近くのドアが開いてバスタオル一枚の香織が顔を覗かせた。
「服のサイズはどう? 小さい? 大きい?」
香織がいる部屋に向かった。
「ちょっと大きいけど、まぁ動いたりすることはないし、落ちてこないから大丈夫」
香織がいるリビングは、暖房がついているのか少しばかり暖かい。
風呂場に続いて、リビングも広い。
そして、ここもとても綺麗だ。
香織が毎日使っているはずなのに、あまり汚れている様子が見えない。
掃除機をかけていたり、皿洗いをしている香織はあまり想像出来ない。
家事とかも全く出来そうにないから普段はどうやって食事とかしているのだろう。
冷凍食品とかを一人で食べているのを想像したが、それはとても寂しい光景に思えるけど、香織にとってはそれが当たり前の光景なのだろうか。
けど、当たり前でも寂しいとは思うだろうし、そうは思ってないってことは両親との交流は結構あるってことなのかな。
こうして考えてみると、私は香織のこと全然知らないんだな。
今まで知りたいと思ったこともなかったが。
「それじゃあ、私も軽く浴びてくるから寛いでおいてね」
私の脇を通って、香織が部屋を出て行った。
その姿を目で追っていたが、脱衣所のドアノブに手をかけたところで何か思い出したように立ち止まり、こちらを振り返った。
「ホットココア入れておいたから、飲んでね、比紗子」
微笑み手を振りながら、脱衣所の中に入っていった。
私もリビングのドアを閉めて、部屋の中に入った。
ソファ近くのテーブルの上にはマグカップが置いてあり、湯気を立てている。
ソファに座るが、自分の家にある椅子とは違って驚いた。
あまりにも柔らかいし、それに座ると思いの外沈み込む。
それに目の前にあるテレビだって大きい。
よく芸能人の自宅とかで映されるテレビぐらいの大きさだ。
もしかして、いや、もしかしなくても香織の家って結構お金持ちなのか。
ということは、香織ってあれでもお嬢様なのだろうか。
いやいや、ちょっとそれは想像出来ない。
それならなんでうちのような学校に来たのだろう。
お金持ちであれほどの頭があれば、もっといいところ行けたのは間違いないはずだ。
それなのにうちに来たってのはホントに不思議だ。
やることなすことホントに無茶苦茶で何を考えているのかさっぱり分からない。
考えれば考える程香織のことは何も知らず、今まで気にしていなかったんだなって思う。
それもそうだ。
私にとって香織は超えるべき壁であり、ただただ倒すべき相手でしかなかったのだから。
マグカップを包むように持ち、香織が入れてくれたココアに口をつけた。
甘くて、美味しい。
体が弛緩して、大きく息をついた。
ソファの上で足を抱えて座り直す。
初めて訪れる家だから慣れないし、それにやはり服装が落ち着かない。
それとなんだか先程から眠たい。
変なことを考えていたせいかな、それとも緊張が解けて体が一気にリラックスしちゃったのかな。
香織が来るまでこれは、持ちそうにない。
私は気が付かない間に意識を手放していた。