夏、太陽と友達 2
球技大会当日は暑いぐらいの晴天になった。
梅雨のジメジメとした湿度もどこか吹き飛んでいったのかのようにとてもスッキリとした運動日和だ。
「今日、天気予報だと雨だったけど、外れてよかったですね」
おっとりとした口調で、いつもの微笑みを浮かべた杏奈が答えた。
杏奈や美樹と過ごしてきてちょっとずつ二人のことが分かってきた。
杏奈はよく微笑みを浮かべているが作り笑いではなく、自然と彼女がそうしている。
彼女は普段の生活ならば人形みたいに可愛らしいと様々な人は思う。しかし、表情が真剣なものに変わると雰囲気も一気に変化する。杏奈を取り巻く空気が張りつめたものになるのと同時に、優し気な目も少し吊り上がり、可愛さが美しさに変わる。
そして、優しく面倒見もいいため、クラスの中でも男女共に人気だ。
それと一緒に「あたしが男子だったら迷わず杏奈に告ってるね!」と美樹が言っていた。
そんな杏奈であるが美樹曰く、怒ると相当怖い。
まずは、静かな怒り。
口元は笑みを浮かべているのに、目はまっすぐとこちらを見据えてきていて、迫力が増すという話だ。
美樹から聞いたことだからどこまで本当かは分からない。普段の杏奈からは全く想像がつかないから、冗談にしか思えない。
「そうだね、室内だとやりにくいし」
「体育館シューズだと滑って転んじゃいますよね」
自然と笑みが溢れる。
私達の第一試合は終わって、他のクラスの試合を眺めていた。
真剣にやる試合でもなかったし、相手の方も体育の授業の延長のような雰囲気でさほど真剣さもなくお遊び程度だった。だから、私もそのように手をかなり抜き、フォームの確認することを念頭に置いて、試合を行っていた。
同じ部活に所属している人以外では負ける気はしないからこのようなことが出来るし、同じ部活に所属しても先輩相手ではなければほぼ勝てる自信がある。
唯一負けるかもしれないのが、香織と美樹のペアだ。
美樹の実力は、多分私と同じぐらいあると思う。
シングルで相手にしたことがないから、どれぐらい強いのかは分からない。練習中の動きから見ていたらという程度でしかないから、上か下かも正しく判断できない。
しばらく杏奈と話しながら、コートを見ていたら、美樹と香織が入ってきた。
どうやら彼女たちの出番になったみたいだ。
先攻後攻をじゃんけんで決めて、コートの真ん中から離れて行く。
杏奈たちはどうやら先攻のようだ。
サーブやラリーの球の速度も大して早くなくふんわりとしていて、自分のフォームやら動きを確認するような感じがするから、杏奈も私達と同様にいくらか手を抜いてるみたいな気がする。
そして、香織のサーブの番だ。
そこで、彼女の言う通りだというのが、とてつもなく嫌だけど、驚かされた。
高くボールをトスして、ラケットを振り下ろす教科書通りの、普通のフラットサーブだ。
そう、普通に美樹がフラットサーブを打ったのであれば、何も驚くことはない。
しかし、私が驚いているのはやっている人物が人物だからだ。
数週間前までテニスをしたことないような人間が、当たり前のように綺麗なフォームでサーブを打つなんておかし過ぎる。
フォームが崩れたり、打点がズレたりなんてことは、やっている人でもミスとしてありえることだ。
それが初心者なら、経験者以上にある。
それにボールの高さやまっすぐトス出来なかったり、打つタイミングがズレるなんて初心者にありがちなミスもある。
だから、ここまで綺麗に出来るわけがない。
これが才能の差というものなのだろうか。
一瞬だけ、香織と自分が持つ才能や能力について彼我の距離があると考えてしまった。
そう、諦めに似た敗北を認めようとしていた。
いや、認めちゃいけない。
考えていた、思ってしまったことを霧散させるため頭を振った。
認めてしまえば、運動も勉強も香織に負けたと心のどこかで諦めを持ってしまう。
私は彼女には勝ちたいんだ。
だから、私は認めることが出来ない。
認めちゃいけない。
香織がこちらに得意気な笑顔を向けて来た。
私はとりあえず、思いっきり睨みつけておいた。
それから、私と杏奈のペアと美樹と香織のペアは順調に勝ち進んで、決勝でぶつかる事になった。
クラスとしてはどちらが勝っても大して問題ない。
だが、個人としての問題で香織にだけは負けたくないというのがある。
「比紗子、どう私の実力?」
得意気な笑みを消そうとしない。
「全然。私に比べたらまだまだね」
「いやいや、これが大したもので、つい最近始めたとは思えないよ」
香織の隣に立つセミロングで香織よりも少しだけ背が低い美樹が横から口を挟んでくるが、彼女からしたらここまでやってきたので香織の実力がわかってきているのだろう。
「まだまだなところはあるけど、そのうちにあたし達かそれ以上になるんじゃない?」
「今井さん、まだまだそこまではいかないよ」
香織は私以外だと、こうして他人行儀が強くなる。
私だけに心を許しているといえば聞こえはいいかもしれない。
しかし、香織の場合は、学校にいるときの姿しか知らないが私にしか心を、気を全く許していないように感じるのはいいことではないと思う。
香織が一向に他人行儀を変えようとしないので二人はその扱われ方でもいいというようになった。
二人が踏み込まなかったのではなく、踏み込ませないように徹底してシャットアウトしている香織が悪い。
「しっかし、ホントに天才っているんだね」
美樹はニッコリと笑みを浮かべた。
彼女は大きな目と感情を隠したりしない裏表のない明るい性格であるため、心からそう思って言ってるんだろう。
「香織は違うから」
「そうなんですか?比紗ちゃん」
隣から杏奈も覗くように尋ねてきた。
「私は天才なんだけど、比紗子はなんでか頑なに認めてくれないんだよね。そんな意固地なところも愛くるしいんだけど」
「意固地でもなければ、愛くるしくもない! 香織、あんたはホントに一言多いの!」
私が強く睨みつけると、香織の笑みが深まった。
なんで、睨みつけて喜ぶような表情を作るのか。
まさか、香織ってマゾってやつなのかな。
それでは、私がしている行為や、してきたことっていうのは香織にとってはご褒美と呼ばれるものだったのだろうか。
少しだけ、心の中が重くなったように感じた。
私が睨みつけたまま、心を暗くしていると香織は隣の美樹に何かを耳打ちしていた。
美樹はその言葉を聞きながら、私の顔を舐めるように観察してきた。
「……なるほどなるほど、これは確かに」
「何よ」
今度は美樹を睨みつけた。
「へぇーこう変化するんだ」
今度は美樹も笑顔が浮かべた。
「え、どうしたんですか?」
「それがねぇー……」
美樹が杏奈に耳打ちし始めた。
「うんうん……そうなんですか……」
二人が何をコソコソと話しているのか聞こうとしたが、身長差と体を使ったブロックで二人の会話が聞こえない。
私と美樹と杏奈では多分10センチ程度の差。
香織とは頭一個分とはいかないが、美樹や杏奈以上に身長差がある。
一体何を話しているんだろうか、そんな秘密にするような話があっただろうか。
「そんな必死にならなくても、比紗子は自分に正直になったらすぐに分かることなのに」
「私は正直だから、香織みたいにひねくれてもない! ひねくれてるというなら、香織の方が私の千倍はひねくれてるじゃない!」
「早く試合始めてくださーい」
審判をやってる同級生の子に言われてしまった。
「怒られちゃった」
「怒られちゃいましたね」
「比紗子のせいで怒られた」
「怒られたわけじゃないし、私のせいでもない!」
ラケットを香織の方に向けて、宣言する。
「この勝負だけは負けないからね」
香織はいつものようにニヤッとした笑みを浮かべた。
最初のラリーで大体どれぐらいの腕前なのか理解した。
数日でここまでうまくなるのかと関心もしたが、それと同時に香織の才能に再度嫉妬を覚える。
美樹が上手いだけではなく、香織自身もしっかりとしたフォームで、ぎこちなさなしにボールを打っているのを見ると、未経験者ペアが勝つのは厳しそうに見える。
しかし、香織が私を相手にラリーを続けていくと少しずつ経験値の差が出てくる。
そのための前衛後衛のポジション分けでもある。
前衛に香織をおいて、美樹が後衛をすることで、私とのラリーは最小限に済ませる。
そして、私の相手を美樹がすることで後衛が打ち負けることはほぼなくなる。
香織の前衛に穴があるのかというと、初心者によくある向かってくるボールに対しての恐怖というのは微塵もない。
そのため、持ち前の運動神経の良さをいかんなく発揮できるフィールドに立っているという感じだろう。
香織は女子の中では高身長に入る部類であるため、半端なロブボールはスマッシュが打ちやすいチャンス球になる。
また反射神経も良いし、ボールを怖がらないため、顔を狙っても軽々と打ち返されてしまう。
よく動くし、よく反応する。
初心者とは思えないと感心も覚えたいけど、香織が決めた後は、私に対して、今の良かったでしょとでも言う笑みを浮かべているのだけは腹が立つ。
そこは私じゃなくて、ペアの美樹にその顔を見せて、褒めてもらえばいいのに。
私にそんな顔を向けても、知らないと一言言ってやりたくなるが止めておく。
代わりに睨みつけておくだけにしておいた。
しかし、それがなぜ「ねぇ、今の見た?可愛くない?」ということになるのかさっぱり分からない。
私はただ睨みつけていただけなのに。
試合も終盤になってくると、香織にエンジンがかかってきたのか、私の打つ先を読むようになってきた。
どこを見て判断しているのか、というのは分かっている。
体の向き、または足の先を見ているのだろう。
ストレートに打ち返そうとする時は、体が内側に向いたり、足の先が香織の方を向いたりしている。
クロスに打ち返すときはその逆だ。
だから、フェイントとして、わざと振り遅れたり、ストレートの体制でクロスに打ったりと細かいテクニックを動きに入れていく。
これだけでも香織には効果があった。
読み合いという点だけでも、経験・テクニックの差で香織の動きを封じることが出来たのなら、後は杏奈に決めてもらうだけ。
1セット取られはしたが、それでも美樹・香織ペアに勝つことは出来た。
私と杏奈のペアが一年生優勝となり、午後からは他学年の優勝ペアとのリーグ戦に出ることになった。
「やっぱり、比紗子とは気が合うよね」
四人でテーブルを囲みながら、昼食を取っていると突然香織が言い出した。
「どれぐらい気が合いそう? ベストカップルみたいな感じ?」
「それよりも合いそう。なにせ、あたし達はラブで繋がってるから」
「馬鹿なこと言わないでよっ!」
何がラブだ。
絶対にそんなことはない。
考えられない。
女子同士でそんな風にならないとか以前に、香織だけは誰よりも嫌だ。
「そんな強く否定して、照れちゃうよ」
何が照れちゃうだ。
いちいちツッコミを入れるほど、私は香織を構ってやる義理もない。
「それに、比紗子の考えてることなら、顔見てなくても分るから、最高のコンビネーション発揮できると思うんだよね」
「あ、じゃあ、先生かキャプテンに言ってきたら? 確か一年のペア仮だけど決めてるとか言ってたから」
「いやいやいや、無理だから。普通に考えて、そんな意見でペアとか決まるわけないじゃん」
思ったそばから構ってしまった。
昼食の弁当の中身に目を落としながら、反省した。
構うから香織は調子に乗るのを分かっていた。
だけど、どこかで止めないとこの妄想暴走女は突っ走ってしまう。
突っ走った挙句に何をしてくれるか分かったものではない。
そう思って、顔を上げてみたらさっきまで目の前に座っていた香織の姿が消えていた。
「え、あれ、香織は?」
「あれー? さっきまでいたんだけどなー」
美樹がそう言って辺りを見ていると、杏奈が教室の入り口のドアを指差しながら答えを示してくれた。
「なんだかすごい速さで出ていきましたよ」
目の前が真っ暗になりそうな絶望に包まれた。
香織の行き先が、誰かが言わずとも分かったからだ。
どうか彼女の願いは叶わないでほしい。
そう私は神に願った。
しかし、神様は私の願いは聞き入れてはくれなかった。