サイドストーリー美樹・杏奈編 過去と未来の私に恥ずかしくないように 3
※本編のネタバレが多量に含まれるため先に本編を読むことを推奨します
☆
比紗子が教室に来るようになって、私たちは一つ学年が上がった。
事前に比紗子の状態がどんなものかは聞いていた。
けど、知っていただけと、実際にその姿を目の当たりにするのでは全く意味が違っていることを知った。
クラスにいる男子生徒に怯えるようにして過ごす姿を毎日のように目撃する。それを見るたびに私たちがしでかしたことのどれだけバカだったのか突きつけられているようにも感じてならない。
そして、変わったのは彼女だけではない。
学校の雰囲気も随分と変わってしまった。
部活動で活気のあった放課後はなくなり、下校時刻近くではほとんどの生徒が学校からいなくなっているため静まり返っている。それでも数えるほどの生徒は自主トレという形でやっているが、それが報われる日が来るかは誰も分からない。
そして、二年生は三年生に対して不満が多い。それでもそれを態度に出す人は少ないが、真面目に部活動に取り組んでいた子達の多くがはけ口がないから、隠すことが出来ないでいた。
ただ、私たちのクラスだと同じ女子テニス部が中心になって、比紗子に聞こえるように遠回しの文句を言う人がいる。
香織が比紗子を守っているから、いいけど、私は気に入らなかった。
昼休みは大体の子がクラスに残って昼食を食べている。
一年の時からのくり上げでクラス変更なしだから、グループはほぼ固定されている。
クラスの中心的なグループは教室の前方に固まり、私と杏奈は廊下側の列の真ん中にある自分たちの席。そして、比紗子と香織は窓際の後方で今日も二人で何か言い合いのような攻防を繰り返していた。
その中に私たちは混ざれない。
あの日から私は比紗子に話しかけられないでいた。
あんなことをした後ろめたさが大きい。
なかったことには出来ない。
「ずっと部活が休みだし、バイトやろっかなー」
「あたしなんて塾だよ、塾」
教室の前の方からはいつものような雑談が聞こえる。
「部活がなくなったから、もっと勉強しなさい! だって、本当にウザいよね」
「先輩達だって大変だよねー、留年しちゃったりして」
「有り得るかもー」
そう言って笑い声が聞こえる。
杏奈は涼しい顔をして、弁当を食べている。
けど、彼女だとて、何も感じていないわけじゃない。
「春大会かなり期待されてたんだよー? けど、潰れちゃったじゃん? 最悪だよね」
「それうちらも。もう少しぐらい待って、春大会終わってからにして欲しかったよ」
一気に頭に血が上る。
「美樹ちゃん、抑えてください」
知らず知らず握りこぶしにしていた右手を杏奈が両手で包み込んできた。
チラリと比紗子の方を盗み見ると、香織が教室から連れ出そうとしてくれたのかドアの方に向かっている。
「私たちだって我慢してたんだから、もうちょっと我慢して欲しかったよね」
「そうそう、私たちだって先輩達に虐められてたんだからさ」
その言葉に特別怒りが湧いた訳ではない。
「美樹ちゃん!」
知らず知らず、椅子をどかして立ち上がっていた。
「いつもいつも文句ばかりでウルサいんだよ!」
だけど、抑えられなかった。
いい加減我慢の限界だったんだ。
「は?」
私の言葉に応えたのは、先輩達に見せしめにさせられた子だ。
「あんたらだって、文句の一つぐらいあるでしょ」
「ない」
文句なんてあるわけない。
どうして文句なんて言えるんだろうか。
「いつまで被害者面してるんだよ。確かに先輩達には脅されたりしたよ。けど、自分たちのために私たちは友達を、仲間を売ったんだぞ」
「それなら、美樹たちだって同じじゃない。被害者面って、私たちが加害者だって言うの?」
私がそれを頷きで返すと、その子の顔が怒りでだと思うけど、顔が歪む。
「だったら、あんたらだって同じ加害者じゃないか!」
「そうだよ、比紗子と香織以外はみんな加害者だ」
更に顔が歪む。
「開き直ってんじゃねーよ!」
「開き直ってるわけじゃない。私は最初から加害者だと思ってたさ」
あの日、比紗子を見捨てたときから、ずっとそう思っている。
一番最低なことをして、比紗子のあの泣きそうな顔を忘れられるわけがない。
「意味分かんない」
そう言って、話を切り上げられて、その子達の集団は教室から消えた。
私はその集団を見送り、席に着いたところで杏奈に話しかけた。
「私、決めた」
話していながら一つ決めたことがある。
「何でしょうか?」
杏奈の声音は変わらない。
「比紗子に謝るよ」
もっと早くにするべきだったと思う。
けど、後ろめたい気持ちに負けて、ずっと言えないでいた。
「許してもらえるとは思えませんが……」
首を横に振る。
「許してもらおうなんて思ってない。ただ、私の気持ちとこの件にけじめを付けたいんだ」
前向きじゃない私なんて私じゃない。
真剣な顔で杏奈が私を見つめてきたので、しっかりと見つめ返す。
すると、杏奈の表情がふっと緩んだ。
「そうしましょう、美樹ちゃん」
あっさりと認められてちょっとだけ拍子抜けしてしまった。
だけど、そうと決まれば話は早い。
「それなら、今日の放課後だね」
そして、放課後になって比紗子と香織を部室に来るようにメッセージを飛ばした。
部室の鍵を借りるのは、適当な理由を付けて貸してもらうことにして、杏奈に頼んでしまった。先生からの受けのいい杏奈が、行ってくれたから貸してもらえたような気がする。
杏奈と二人、部室で香織と比紗子を待っていると、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。
「開いてるよ」
私がそれに返すと、ちょっとだけ錆びたような高い音がして、部室のドアが開く。
先に比紗子が入ってきて、その後に香織が入り、部室の扉を閉める。
「それで用事って何ですか?」
不機嫌であること隠そうとしないし、睨み付けるような目つきは刃物のように鋭いような感じがする。
「それよりも先に昼間はありがとう、香織」
比紗子は分かってないのか、ポカンとした顔をして香織を見上げる。
「何のこと?」
「別に。何でもないよ、比紗子」
言葉の前後で随分と声音が変わるんだな。私たちには突き放すような言葉を、比紗子には優しく本当に何でもないように言う。
「それよりも用事ってなんですか?」
こうして本人を目の前にしてしまうと少しだけ躊躇いが生まれてしまう。だけど、チラリと覗き見た杏奈の顔はどこか覚悟を決めているような感じがして、それを見たら、躊躇っていてはいけないと思った。
言いだしたのは私なんだ。
何を今さら躊躇う必要があるんだと自分を鼓舞する。
しっかりと比紗子を見る。
比紗子の表情は何故か硬くなっていて、三白眼の瞳はいつも以上に私を睨むような目つきで見つめてきていた。
なんで比紗子の方が緊張しているんだろう。
そう思うと、少しだけ肩の力が抜けて、楽になった気がする。
一息吐いて、呼吸を整えてから、言葉を綴った。
「許して欲しいわけじゃないんだけど、これからのために謝らせて欲しい。あの日、比紗子が助けを求めてきたのに見捨てるような真似して本当にごめんなさい」
私は頭を下げた。
「美樹ちゃんには色々と言ってきたけど、多分一番怖がってたのは私だったのかもしれません。だから、美樹ちゃんと目を逸らして、逃げようとしていたのかも……全部自分本位な理由で何もしなくて……本当にごめんなさい」
杏菜が隣で頭を下げる気配がした。
それから体感では数分間、実際には一分も経っていないと思うが、比紗子が口を開く。
「二人とも頭を上げて」
ほぼ同時に頭を上げると眉尻の下げ、困ったような笑みを浮かべた久子の顔が映った。
「そんな謝らなくてもいいよ。私だって、きっと二人と同じ立場になってたら、同じことをしてたと思う。ううん、もしかしたら見て見ぬふりをして過ごしてたかも。だから、もういいんだよ」
そこまで比紗子が言ったところで、後ろにいた香織がソッと肩を掴んだ。
私たちに向けた顔は怒りで歪み、その瞳には敵意がしっかりと映し出されている。
「私は貴方たちを許せない。到底許せるものじゃない。比紗子を傷つけた貴方たちの姿も見たくはないし、声も聞きたくない。呼び出されてから不快でしょうがないし、今だって同じ空間にいること自体吐き気がする」
比紗子は香織を止めようとしない。
どうしてだろうか。
いつもであれば香織の暴挙は比紗子が止めに入るはずなのだが、止めに入らない。
だけど、言われて当然のことだ。
比紗子の対応が優しすぎたのだ。
「謝られたところで比紗子のことは変わらない。傷は癒えないんだよ」
しかし、そこで香織は一息吐く。
そして、顔から力が抜けた。
「だけど、比紗子がもう良いって言うんだ。私もこれ以上は言わない。だから、全部吐き出させてもらったよ」
香織のことは正直良く分からない。
比紗子のことを大事に思っているのだけは分かるのだが、それ以上のことになると考えは読めない。
だけど、比紗子に影響を受けているのか、優しいなと思った。
その優しさが嬉しかった。
取り返しの付かないことをした私たちをこんな簡単なことで許して貰えるなんて思ってもいなかった。
だから、もう一度頭を下げる。
さっきよりも深く。
「ありがとう、本当にありがとう」
「美樹、もういいからっ!顔上げてって」
そう言われて、顔を上げると比紗子に睨み付けられていた。
「今度同じようなことをしたら絶対に許さない」
香織の言葉に乾いた笑みが零れる。
「もうこりごり。二度としないよ。それにもう孤立することに怖くないからね」
そう私は一人じゃない。
比紗子に香織、それに杏奈がいる。
もしかしたら、始めから怖がることなんて無かったかもしれない。
弱い自分にさよならは言わない。
弱い自分がいたから、今の自分がいる。
だから、これからも弱い自分と一緒にいこう。
隣にいる杏奈に笑いかけた。
未来の自分を恥ずかしくさせないために。
過去の自分が今の私を目指せるように。
「比紗子、改めて友達になろう」
差し出した手を比紗子は笑顔で握り返してくれた。