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サイドストーリー美樹・杏奈編 過去と未来の私に恥ずかしくないように 1

※本編のネタバレが多量に含まれるため先に本編を読むことを推奨します

「ねぇ、まだ部活決めてなかったりする?」

 満面の笑みを浮かべる彼女。


「えーっと……まだですけど……」

 困った顔をしている彼女。


 それが私たちの始まりだった。



 桜が散った木々に緑が萌えるようになってきた四月の三週目の土曜日。

 灰色のフード付きのパーカーにショートパンツで神戸高校のテニスコートに私は来ていた。

 私服だけど見つかったところでうるさく言われるわけでもないから、気にしないでテニスコートに入っていく。

「あれ」

 誰もいないと思っていたが、先客がテニスコート内に設置してある青色のベンチに座っていた。

 私が来たことに向こうはまだ気が付いてないみたいだ。

 薄い青色のTシャツにロング丈の白のプリーツスカートにサンダルと動くことを考えていない格好をしたセミロングで少し茶色が混じった髪をした同級生にこちらから声をかけることにした。

「杏奈、来てたんだねー」

 私が声をかけると、杏奈が私の方に顔を向ける。

 やっと私に気が付いたみたいだ。

「はい、美樹ちゃんも来たんですね」

 私を見る杏奈の顔にはいつもの柔らかい微笑みが浮かび上がる。

「落ち着かないからなー」

 そう言いながら、杏奈の隣に座る。

 杏奈はまた正面に向け直り、目を少し伏せた。

「私も美樹ちゃんと一緒です。なかなか慣れませんね」

 テニス部としては二ヶ月ほど使われてないテニスコートは所々荒れているようにも見える。

 コートだけなら私や美樹、たまに部長やキャプテンなんかが来て、軽く打ち合ったりした後に整備はしているのだが。

 土曜日ともあれば、他の部活動も練習で多くの生徒が登校してきていたはずなのだが、今では見る影もない。

 少し前までは部活で賑わっていた学校が静かなのも違和感がある。

 それもこれも高校に入って友達になった村上比紗子と新田香織に対する強姦未遂・暴行事件による影響だ。

 主犯は比紗子をイジメていた三年生女子テニス部の三人。

 実行犯は三年生男子生徒。

 テニス部はもちろん、他の部活動も向こう一年は大会等に出場しないことが学校側から通達された。

「去年の今頃だったら、見学に来てたのに」

 私がフェンスにもたれ掛かりながら言うと、杏奈がふふっと小さく笑った。

「毎日のように見学に行こう、見学に行こうって私と比紗子ちゃんを誘っていましたものね」

「そうだっけ」

 神戸高校は進学校にしては部活に活気がある。

 生徒の中には部活動のためにここを目指してくる人もいるぐらいだから、やる気がある人の数は他に比べても多いと思う。

 その反動なのか、大会に出場出来ないとなったら多くの人間がやる気を無くして今のような状態になってしまった。

「テニス部どうなるでしょうね」

「…………」

 杏奈の呟きに私は何も答える言葉を持ち合わせていない。

 主犯となった生徒がいる部活だから、嫌でも人の目に付く。

 それも部活内でイジメがあったということで、いい目で見られないのも分かっている。

「みんないなくなっちゃったしな」

 テニス部に限らず、大会出場が出来なくなったと分かるや退部する人達は多かったらしい。

 その人達はどこに流れていったのかと言えば、主には新たに作られた文化系の部活動だ。

 大概の人は中学でやっていた部活と同じ物を選んできている。

 別の部活を選ぶ人は多くはない。

 それもそうだろう。

 一からやるよりも経験だったり、勘が合ったりした方がやりやすいと私は思う。

 だから、辞めていった人たちが他の運動部に入ったとしても、今から大会のレギュラーに選ばれるようになるには相当な努力が必要になるわけだ。

 数年の差を埋めるのはかなり難しい。

 そう考えた人達によって文化部が作られて、今はそちらの方に流れている。

「相も変わらず、部活もないのに美樹と杏奈はここに来るね」

 いつの間にか部長とキャプテンがテニスコートの入り口に立っていた。

「部長も結構来てるじゃないですかー」

「私たちは受験勉強のついでに寄っただけ。ね、真知」

 確か和泉キャプテンの下の名前が真知だったかな。

 美樹に後で聞いておこう。

「え~、先輩たちって案外勉強出来なかったんですね~」

「あんたこそ少しは勉強しなさい。先生たちが嘆いてたんだから」

 痛いところを突いてくる。

 美樹や比紗子はもちろん、香織なんて学年トップの成績を修めていて、私の周りの人達はかなり勉強出来る。それに勉強を特に苦にならず行うことが出来る。

 それなら、私はどうだろう。

 あまり勉強が得意ではない。

 テストの点数で言えば比紗子の半分ほどで、平均点にギリギリ毎回届いていない。

「ま、勉強する気になったら図書室においでよ。教えてあげるから」

 有難い申し出であるが、今日はとてもそんな気分ではない。

 いつも勉強する気分にはならないが。

「ええ、その時はお願いします」

 私の代わりに杏奈が答えて、頭を下げた。

「それじゃ、私たちは行くよ。先生たちに言ってある時間に遅れちゃうし」

 先輩たちが背中を向けて歩き出そうとする。

「頑張ってください、部長」

 部長が顔だけこちらに向けた。

 苦笑いが浮かんでいる。

「あんたも、ね」

 それからはもう振り向かず、部長とキャプテンは校舎の中に姿を消した。

 先輩たちが見えなくなったところで、杏奈が言葉を零した。

「部長、結構一人でここに来てるんです」

「本当に?」

 杏奈の方に振り向き聞けば、杏奈は顔を俯かせて答える。

「はい、私が見たときはとても悔しそう……いえ、恨めしそうなのでしょうか。上手く言えませんが複雑な顔をして見つめていました」

 悔しいのは分かる。

 テニス部としてこれからって時にこんな事件を起こされたんだ。

 先輩たちが届かなかった場所に届くかもしれない。

 そう思いながら比紗子と香織ペア、特に香織に対しては並ならぬ熱を持って指導していた。

 実際、実力は同級生の中では頭一つ抜けていたし、まだまだ伸び代もかなりあると思う。問題としては比紗子以外の人とペアを組む気が無いというところか。

 いや、組めるには組めるのだが、かなり手を抜く。あと、動きにやる気を感じなくなる。

 部長やキャプテン、顧問の先生も頭を抱えていたが、比紗子と組ませることで落ち着くことになった。

 二人の実力、比紗子を香織に釣り合うように引き上げるために練習メニューを構成したり、香織に技術を率先して教えていた。

 一番尽力していたのは部長だ。

 だから、悔しくなるのは必然だ。

 私だってそんな状況なら悔しくてしょうがないはずだから。

 だけど、恨めしそうとはどういうことなのだろう。

「見間違えじゃない?」

「それならいいんですが……」

 また杏奈の顔に影が差す。

 あの日から杏奈の顔はよく曇る。


 ☆


 私が美樹さんと出会ったのは中学に上がってからです。

 夕日が指す教室に私は一人残っていた。

 部活の入部用紙を前に筆が進まないでいた。

 色々と考えてはみたが私には特にやりたいことがなかった。

 家では茶道等の習い事を多少嗜んでいましたが、中学の部活にはそれは一切ない。

 部活の見学は一通りしたのですが、どれも興味をそそられるものはなかった。

 だから、困ったことに私は決めあぐねている。

 今日が提出期限だというのに。

 元々スポーツというものに今までは縁がなかったので、文科系の部活に入りたかったのだが、あいにくこの学校には一個もない。

 私が悩んでいると教室の後ろのドアが勢い良く開かれた。

「あれ、まだ残ってたんだ」

 ポニーテールを揺らして教室に入ってきたのは今川美樹さんだ。

「え、ええ、まぁ……」

 彼女が早足で歩いてくるが、学校指定の上靴を履いていないのか上靴特有の高い靴音が聞こえない。

 上靴を履かずにここまで来たんだろうか。

 汚れたりするのを気にしない人なのだと認識した。

「なーに、やってんのーっと!」

 彼女が私の机の横に来て、用紙に目をやる。

「あれ? まだ出してないの?」

 美樹さんが大きな目を丸くして不思議そうに私のことを見てくる。

 それもそうでしょう。

 他の子達はもうすっかり決めてしまっているのですから。

 クラスで決めていないのは私ぐらいだと思う。

「はい……」

 消え入りそうな声で答えると、美樹さんが机に両手を置いて、私の方に身を乗り出してきた。

「ねぇ、まだ部活決めてなかったりするの?」

「えっーと、まだですけど……」

 さっきそう言ったではないですかとちょっとだけ呆れた感情を持つ。

 それに顔が凄い近くて、困惑する。

 あと、なんでそんな笑顔なのだろう。

 こんな人にぐいぐいと迫られたことは今まで経験したことがない。

「入りたい部活もないの?」

「はい……」

 美樹さんの笑みが一層深まる。

「じゃあ、私と一緒にテニス部入ってよ!」

 一瞬思考が追いつかなかった。

「……え?」

 彼女が身を離す。

「テニス部に入ろうよ!」

 首を傾げて微笑めば、後ろのポニーテールもそれに合わせて横に揺れる。

「ね?」

 断る理由はないのだが、ちょっとだけイタズラ心が働く。

「私、その、運動はあまり得意じゃないんです」

「いーよ、いーよ! そんなのあまり気にしないし!」

「私、小学校の五十メートル走十三秒台ですけど……」

 美樹さんの笑顔が固まる。

 それもそうだろう。

 五十メートルで十三秒台なんて運動音痴に入る部類だ。

 ちなみに本当のタイムは九秒前半だから悪くないと思っている。

「……いや! それでも全然いいよ!」

 美樹さんが復活して言うが、先ほどと違って若干無理して笑みを作っているのかぎこちない。

 それがあまりにも可笑しくてつい笑みが零れた。

「嘘をついて申し訳ございません。本当は私、五十メートル走九秒台なんです」

 彼女がまた目を丸くして驚いている。

 本当に彼女はコロコロと表情が変わって面白い。今まで私の周りにいなかったタイプの人だ。

「なー……んだ、なんだ、もう、ちょっと焦っちゃったじゃん!」

 美樹さんが苦笑いを浮かべて頬を掻く。

「美樹さん見ていたら少しイタズラしたくなっちゃったんです」

 私も笑顔を作るがぎこちないものになっていると思う。

 私はお互いに笑顔を作っている状況が可笑しくなり、笑みが止まり美樹さんを見つめる。

 美樹さんも私の笑みが可笑しかったのか分からないが、苦笑いが消える。

 そして、お互いに見つめ合う状況になり、五秒も経たずにどちらともなく吹き出した。

 ひとしきり笑った後に彼女が顔を俯かせる。

「部活に入って貰いたいのは本当なんだ。今年の入部希望者聞いたんだけどさ、どうも奇数みたいだから」

 話が見えてこないので、美樹さんの言葉を待つ。

「中学生の公式試合ってダブルスが主なんだよ」

 彼女が何を言いたいのか理解した。

「だから、あなたが入ってくれると凄い助かるんだ」

 ダブルスで奇数の入部希望者。

 つもるところ、私は――

「私は数合わせですか?」

 私がどんな顔をしているのか分からないが、美樹さんはしっかりと正面から見てくれた。

 私たちの視線が交差する。

「数合わせじゃない、そう言ったら私が卑怯でしょ」

 美樹さんの目に真剣さが宿る。

「うん、数合わせだよ」

「…………」

「だけどね」

 彼女がまた机に手をつく。

「それ以上に私ね、あなたに運命を感じてる」

「は……い?」

 真剣な目をして突飛なことを言われると思考が停止することを私は知った。

「だって、運命的じゃない? 私は部員が足りなくて探してて、たまたま忘れ物して返ってきたところで、まだ入る部活迷ってるあなたに出会ったんだもん」

 また満面の笑みの花が咲く。

「すっごい運命的じゃない?」

 そうなのだろうかと考えてしまう。

「だから、テニス部に入らない?」

 迷いはある。

 本当にいいのだろうか。

 だけど、私には断る言葉が出てこない。

 それにこうして誘ってくれる人も私には、彼女しかいない。

「……はい」

 スラスラとシャープペンシルを動かして、入部希望欄にテニス部と書き留める。

 書き終えて、顔を上げると彼女が嬉しそうに笑みをまた深めている。

 それを見て何だか恥ずかしくなり、彼女から視線を外して立ち上がる。

「……私、先生に提出してきます」

「うん!」

 美樹さんの笑顔に見送られて、教室を出ようとしたことで振り返った。

「それでは、また明日、美樹さん」

「あ、うん、またね! ……えっーと……」

 美樹さんの目が中空を見つめて泳いでいる。

「もしかして、名前覚えてないんですか?」

 入学してからどれだけ経ったいると思ってるんでしょう。

 何度も授業で自己紹介されたのに覚えていないんだろうか。

「いやー……私さ、名前覚えるの苦手なんだよねー……」

 彼女が苦笑いを浮かべて、頬を掻く。

「それにさ、その紙にも名前書いてなかったし」

 自分の入部用紙に目を落とすと確かに名前が書かれていなかった。

 慌てて自分の机に戻り、氏名欄に名前を書き込む。

『川上杏奈』

 書いた名前を美樹さんの前に向ける。

「これが私の名前です」

「杏奈ね、杏奈。もう覚えたよ!」

 そして、歯を見せるように笑顔を向けて、右手を差し出してきた。

「これからよろしくね、杏奈」

「え、ええ、よろしくお願いします、美樹さん」

 私も右手を出して、美樹さんの手を握った。


 これが私と美樹さんの出会いだった。

 美樹さんがあの日、忘れ物を取りに来なかったら私はテニス部に入っていなかったと思う。

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