冬、最初で最後の争い
それからという日々は、ほぼ香織と二人きりの時間が増えた。
イジメは継続中だったから、他のテニス部員からは遠巻きに見られているだけで近寄ってこようとはしない。
面倒ごとに首を突っ込みたくないのはよく理解出来る。だから、面倒ごとに首を突っ込もうとする香織との時間が増えたともいえる。
アプリのチャットから毎日のように帰りに寄っていかないかとか、休日には遊ぼう等で誘われた。
迷惑というか、気があまり乗ってないような反応を返してはいたけど、本当は香織が誘ってくれるのを待っていたところもある。
少しだけ、少しだけ待っていただけで何もないならそのまま帰るつもりだった。
無駄に私のことだけは察しがいいから、そんな私の心理状態を察して、香織が誘ってくれたところもあるかもしれない。
だけど、そのおかげで今日は香織の家のささやかながらクリスマスパーティーに招かれて(一人でパーティしてもむなしいだけという理由だったが)、お泊りまで出来ているわけだが。
それから、あの日を境に私はテニス部を休部することにした。
ホントは退部したかったのだけれど、部長とキャプテンにかなり引き止められてしまい、話は平行線。だから、気休め程度というか話を終わらせるための妥協点としてであるが、戻ってきやすいようにという理由までつけて休部扱いということにした。
部長やキャプテンの人はとてもいい人だし、この悪い流れを止めようとして動いてくれてるのも分かってはいるけど、私自身の気持ちはもうテニス部にはもう少しも残ってない。
自分でも意外だった。
あれほど好きで頑張っていた部活をこうもあっさりとやめれてしまうものなのか、と。
一時とはいえ、イジメにあいながらもそれに耐えてまで頑張っていたものなのに気持ちが切れるのは早いな、と。
簡単に捨ててしまった嫌悪さと、縛っていた鎖から解き放たれた解放感が私の中には存在した。
それでも、その選択に後悔はない。
香織に選ばされたわけでもない。
自分で決めたことだから。
私が休部することに決めてから間もなく期末テストが始まった。矢のように期末テスト期間が終われば、すぐに終業式、そして、クリスマスが訪れた。
走り抜けるように行事が始まり、終わっていく。
ただ、一人でその行事をみつめているだけではなく、香織が隣にいて、一緒に過ごすことが出来たのは私にとっていくらかの救いだった。
冬休みまでの短い期間ではあるけど、その短期間でかつ教室では部活には行ってないにも関わらず、無視や小さな嫌がらせめいたイジメはあるから、そんなことされているのを関係なく私と一緒にいてくれる香織はどれだけの助けになったのか言葉に言い表せない。
ただ、この事はしばらく本人に言うつもりはない。
別にお礼を言いたくないとかでもなければ、助けてもらって当然とかうぬぼれた考え方をしているわけでもない。今このタイミングで言うときっと、いや、必ず何かしら要求をしてくるはず。
それも、キスとかそういう関係のものだから、今は絶対に言わない。
はっきり言って、香織がいてくれてるから私を保っていられる。
弱っているのは自分でも十分分かってる。
けど、それを差し引いてたとしても、情けないことだけど私は香織に依存に近い感情持っているんだと思う。
だから、私は彼女を受け入れてしまう。
香織が私のことを欲しいと言ってきたら、強く拒むことが出来ず、いつもの屁理屈めいた香織の話術で丸め込まれて受け入れてしまう気がしてならない。
だから、言葉にしない。
いつか言葉に出来る時まで胸の奥に鍵をかけて仕舞っておく。
「起きてる……?」
隣で寝ている香織に小さな声で聞いてみたが、反応はなし。
ちゃんと寝ているようだ。
小さく息を吐き、早くなっている鼓動を抑えようとする。
しかし、鼓動は治まることを知らないようにスピードは先ほどと変わりない。
隣で寝ている香織に聞こえてないのが、せめてもの救いだ。
今度は、長く息を吐きだして、心を決めて目を開ける。そして、私は香織の寝顔に語りかける。
「私はあんたに救われてるんだからね」
香織が寝ていてくれてホントに良かった。
起きて、何か言われたら死にたくなるぐらい恥ずかしいから。
「香織がいてくれて良かった。だって、私は一人じゃないから、一人じゃなくて、倒れそうになったり、転びそうになったらいつも香織がいてくれる」
こうして素直に言えたらいいのに、と思う。
私は香織みたいに素直に相手に気持ちを伝えたり、分かるように行動することが出来ない。
だから、こうして聞いていない状況で語りかけるのが私にとっては精一杯だ。
「私一人だったら、きっと耐えられなくて、こんな風に笑えなくなってた。学校だって行けなくなってたかもしれない」
あの環境は一人では無理だと確実に言える。
いや、実際にもう限界まで来ていた。
だから、あの日トイレで香織にあんな八つ当たりまでしまった。
弱い私にとっては厳しすぎた。
「ありがと、香織」
寝ている香織の横顔をジッと見つめているが、やっぱり綺麗だなって思う。
クラスの中で一番というのは過大評価しすぎかもしれないが、それぐらいあってもおかしくない位綺麗だと思う。
整った目鼻立ちに薄い唇、横顔だからこそよく見える長い睫毛、しっかりと手入れされていて艶のある黒のロングヘア。
それに起きているときにしっかりと表情に力がある時の笑顔は輝いている。私が真似しようとしても真似できるようなものではない綺麗な笑顔なんだよね。
ただ、私に対しての振る舞いや、言葉、それにあのニヤけた顔のせいで残念になっているんだけど、本人は少しも気にしてないから、言うだけ無駄な話だ。
少しだけ動いて、香織との距離を縮める。
「一生分っていうと、大げさな感じもするけど、私はそれぐらい救われているんだよ。だから……こんなものじゃ何も返せてないかもしれない。けど、私の気持ちってことと……」
息を整える。
躊躇ってしまっては、また気持ちを入れるところからやらなきゃいけないんだから。
「それに私からの……その、用意出来なかったクリスマスプレゼントも兼ねてってことで……」
香織の頬にキスをした。
けど、した後になって自分がどれだけ恥ずかしいことをしたのかと考えてしまって顔だけじゃなくて、全身が熱くなった。
恥ずかしくて、恥ずかしくてとてもじゃないけど顔を上げれない。
やったのは自分からなんだけど、それでも、恥ずかし過ぎて、消えてしまいたい。
香織はこんな恥ずかしいことをよく平気な顔ではないけど、躊躇いなく出来るのかと感心する。
自分からキスしたのは、別にこれが初めてじゃない。けど、やっぱり自分からするのは恥ずかし過ぎる。
香織のパジャマの裾をギュッと掴み、二の腕に顔を押し付けて、熱が冷めるのを待つ。
どれくらい時間が経ったのか分からない。体感だと一時間ぐらいそうしていたような気がするけど、実際はきっと数分も経ってないかもしれない。
呼吸を整えて、体の力を抜いていく。
香織が身じろいだので、顔を上げて、近づけていた顔を離す。
香織が寝返り打ってこちらを向いた。
寝ている香織と目があった。
☆
寝るには早すぎる時間だったものあり、まだまだ全然睡魔も来ない。だから、比紗子が寝てしまったあとでじっくりと起きない程度に体を触ったり、口や色々なところにキスをして楽しもうとしていたのだけど、当の比紗子がなかなか眠りにつかないから、比紗子の言葉で言えば、変なことが出来ない。
そして、待てども待てども寝ないと思ったら、突然話し始めた。
起きてるのか聞かれた時、思わず返事しそうになったけど、返事しなくてよかった。
きっと私が起きて聞いていると知れば、自分の気持ちを素直に話せなくなって自分の中に仕舞い込んでしまっていただろう。
比紗子は恥ずかしがり屋で、表情は素直なのに口は素直じゃなくて天邪鬼だから大変だなと常々思っている。
それに我慢強さだけは人一倍あるのだけど、繊細すぎて心に負担になってしまっている。
だから、こういう時位素直に気持ちを吐き出させてあげないと、気持ちが溜まりすぎてパンクしちゃうからね。
比紗子の声が途切れて、布団の中で動いているのを感じる。
ちょっとずつこちらに近づいてくるのが気配で分かる。
そして、顔の近くに温かい気配が近づき、吐息が頬に当たる。
緊張しているようで不規則な吐息がくすぐったく感じる。
段々、吐息と気配が近づく。
震える唇が私の頬に当たった。
数秒もしないうちに離れたと思ったら、パジャマの裾を強く引っ張られた。
引っ張るのはいいけど、結構強い力だから、体勢がちょっと辛い。比紗子側の裾を引っ張られているからそちらに寝返りを打って比紗子の方に体を向けたい。
比紗子が動く気配はない。
動く気配ないが、いつも私とキスした後みたいに熱のある吐息が部屋に響く。
聞こえるのは比紗子の吐息だけだけれど、どれだけ緊張していたのかというぐらい激しい。
そしてふと引っ張る力が弱まり、体を自由に動かせる。
ゆっくりと寝返りを打つ。
楽になった。
ちょっと強く引っ張られ過ぎて、苦しかったんだからと心の中で独りごちる。
開放感から油断して、目を開けてしまった。
顔を上げていた比紗子と目があった。
☆
言い訳や誤魔化しのセリフが何十個と一気に頭を駆け巡る。
しかし、先に口を開いたのは比紗子だった。
「ずっと、起きてた?」
「うん」
「どこから、起きてた?」
「寝てなかったから、ずっとかな」
比紗子の顔が熱い。
それに若干、目に涙をためているような気がする。
「え、あ、じゃ、じゃあ」
唇がわなわなと震えて、それ以上言葉が続かない。
そんな比紗子の袖を掴んでいた手を解き、指を私の唇に当ててあげる。
「ホントはここにしたかったんでしょ?」
顔だけじゃなくて、耳や首まで真っ赤になっているように見える。
ホントは暗くてよく見えてないけど、今の反応からきっとそれぐらいなっていてもおかしくはない。
「違、別に、そんなつもりじゃないし、てか、起きてるとか卑怯……」
比紗子は大分自分の気持ちに素直になったけど、それでも根っこの恥ずかしがりは治ることはないらしい。
だから、こうして一緒にいて楽しめるところでもあるのだけど。
「冬休みはあんまり比紗子に会えそうにないから、いいよね?」
年末年始は親とのこともあり、ホントに忙しい。
親の添え物であるけど、こういう時ぐらい一緒にいてあげたくなるものだし、いつも一緒にいられない私にとっても両親と過ごせる時間というのは貴重だから、大切にしたい。
「嫌……って言ってもしてくるんだし、好きにしたら……」
言葉だけだと仕方ないって感じなのに、体をこちらに寄せてきて、上目遣いに見られているから、やって欲しいって行動しているのがまた愛らしい。
比紗子の体を引き寄せて、抱き締める。
ゆっくりと顔を近づければ、比紗子が目を閉じた。
息が吹きかかる距離まで顔を近づけて、ふと比紗子がどんなことを思い、感じているのか考える。
比紗子は私に救われている、と。
私といる間は、比紗子は孤独を感じない。
だから、こうすることも受け入れられる。
そんな考えが浮かんだが、こんなこと本人に聞いたら怒られるかな。
比紗子は、私が比紗子のことを好きだから、助けていると思っているのかもしれない。
確かに、それは理由の一つだ。
だけど、ホントは違う理由もある。
私は比紗子を通して、かつての自分を救っている。
あのこと事態は、私の自業自得で言い訳のしようがない。
それでも、比紗子が孤独に嘆き、心に大きな傷を負うことなく、今こうしていてくれるだけで、私としては大きな救いになっている。
けど、こちらは比紗子が知らなくてもいいことだ。
だって、これも言ってみれば、私の自己満足なのだから。
「……ねぇ、いつまでこうしていればいいの?」
比紗子が不満そうな目でこちらを見てきていた。
「ごめんごめん」
上目遣いで見つめてくる比紗子は何度見ても可愛い。
「……別に私はやらなくてもいいんだけど」
そうはいっても、やめる気がないのは様子を見れば分かる。
だから、私はゆっくりと比紗子の唇に自分の唇を重ねた。
☆
それからしばらくの間は、全くといって良いほど連絡がなかったけど、冬休みの終わりがけに香織から連絡が来て、会うことになった。
その日以降は香織と会うこともなかったし、部活にも参加していなかったので、平和に家で過ごすことが出来たのは、新年のスタートとしては好スタートだったのではないかと思う。
あのまま部活に参加していたら、私は一年の始まりをきっと暗い気持ちで過ごしていたのかもしれない。
未練はあるけど、今の気分と比べて些細なものだ。
先日降った雪が少しだけ残る道を歩き、香織との待ち合わせ場所であるO市の駅に向かっている。
いつものように香織の家かと思ったけど、そうじゃなくて香織の親の用事で近くまで来るけど、親が少々時間がかかる用事を済ませる間、会えないかという内容だったと思う。
香織の言葉は無駄な情報が多すぎて、短くまとめるのはなかなか骨が折れる作業だ。
香織の誘いだからって必ず受けなきゃいけないこともないし受ける必要はないと考えてみたが、部活に出てないから家に引きこもってばかりだったし、香織の家まで行く必要もないなら出掛けるかと香織の誘いを受けることにした。
駅の南側の商店街の外れから、駅の方まで歩いて行く途中では、もうさすがに新年のセールとかは終わっているらしく、日常が戻りつつある。
駅方面から歩いてくる学生服に身を包んだ同世代の人たちとすれ違うたびに、部活とか始まっているんだなと考え始めてしまう。
ホントに未練がましい。
肩に部活の道具をかけて仲良く話しながら帰る集団、誰か仲のいい人と電話しながら帰る男子学生、カップルなのか中睦まじく歩く男子と女子。
ちょっと外に出歩くだけで、こんなにも学生に会うのかとちょっと気分が滅入ってくる。
彼ら、彼女たちには学校に居場所があり、誰かに後ろ指さされて、人の顔や人の笑い声を気にせず学校生活を満喫出来るのだろう。
それが心底羨ましく思うし、私を人の影に追い込んでいった人たちに少しだけ怒りを覚える。
だけど、今さらなんだよね。
駅舎が見えてくる。
もう少しで待ち合わせ場所だ。
こうやって私が香織の約束に合わせてここまで駅に来てしまったように、学校でのイジメはもう起きてしまっていて止まらない。
駅舎に入ってすぐのエスカレーターで二階に上がって、改札方向に進む。券売機があり、その近くの柱には定期券を購入するための用紙がおいてありテーブルになっている。そこを待ち合わせにしたし、はっきりと彼女に伝えたつもりだった。
駅舎から出て、すぐのバス停に彼女の姿がある。
最初は見間違えた。
知らない人だと思っていたけど、近づいていき顔が見えてくると香織だと分かり驚いた。
つばが広いベージュのフェルトハットを被り、ライトグレーのロングコートに白のミモレ丈のスカートを履いていて大人びた雰囲気で彼女だとは思わなかった。
私服の彼女はスカートよりズボン派だったから、私服で履いているのですら珍しく感じる。
「香織!」
私が声をかけると、香織は周囲を見渡して、私が視界の入ったのか、こちらをしっかりと捉えた。
「あけましておめでとう」
「あけましておめでとう、比紗子」
家族や親戚以外で同世代の人に新年の挨拶をしたのはこれが初めてだったような気がする。
☆
比紗子と冬休みあってから、三日もしないうちに三学期が始まった。
三学期は短いけど、短い間に様々な行事が詰め込まれててなかなか忙しいように感じるが、一年生の私たちに関係するところでは中間テストと期末テストの間が短いぐらいな気がする。
卒業生の人たちにはセンター試験とか、卒業式とか大切そうなイベント尽くしだろうけど。
昼の休み時間、比紗子は先生に呼ばれてどこか行ってしまったので、私は私で校内を一人で散歩。
向かうところは図書室か保健室と決まっている。
どちらも昼寝が出来る良ポイントだ。
頭の中空っぽにして歩いていると懐かしい顔振りの二人組が前から歩いてきていた。
一人は比紗子よりも少しだけ大きい背、短髪でボーイッシュな髪型、大きな目でほどよく付いた筋肉はいかにもスポーツやってますって感じで健康的だと思う。
もう一人は私よりも少し背が低いが、綺麗な背中までありそうなロングヘア。テニスをするときは後ろで纏めて、ポニーテールにしている。二重で眉尻が下がっているから、優しそうな雰囲気で、実際部員全員に等しく優しい。
二人は部長とキャプテンの関係で、短髪の方が確か加納という名字の部長で、長髪の方はキャプテンで和泉、だったかな。
「やぁ」
「こんにちは」
スルーしようと思っていたが、声をかけられたのならしょうがない。
「こんにちは、キャプテンに部長さん」
二ヶ月前では普通に毎日のように顔を合わせていたけど、こうして合わなくなると顔を見るのも少し懐かしく感じるのか。
「新田は部活やりにこないの?」
「比紗子がいかない限りは」
「今も村上と一緒なんだな」
「部長さんも、キャプテンとずっと一緒ですから、同じですよ」
そうかも、と言いつつ加納部長が頬を掻いた。
隣ではキャプテンが私の発言を肯定するように微笑んでいる。
「部活の方は……どうですか? 雰囲気とか」
加納部長の顔に少し影が差す。
「控えめに言えば、悪いわ」
控えめ、ね。
和泉キャプテンが言葉を引き継いだが、加納部長の顔に答えが出てしまっている。
誰も周りに人はいないけど、加納部長が少し声のボリュームを抑えて、話し出した。
「三年がいないから、二年の私たちが幅を利かせてるのは当たり前だけど、二年の集団が村上にやったことを、私たちの機嫌を損ねたらやっちゃおうかなーってのを吹聴してるから、一年生は怯えちゃってね。一年生は二年のご機嫌取りさ」
恐怖政治、的な感じかな。
「部活動としては成り立っているけど、これじゃあ、試合には勝てない。練習で試合形式のことをやっても、接待試合になっちゃってるし……」
良くない年と良くない人たちの時に、部長・キャプテンを引き継いだものだ。
ご愁傷様。
「暴走、という感じでいくら、私たちが言っても全く効果無し。だから、もうこれ自体は止められない。どうあっても、どこか近い内に堰が決壊するわよ」
そのまま内で抑えられているのならいいけど、きっとそれで収まらなくなる日が来る。
そして、その矛先が誰に向かうのかという話でもあるが。
「大変そうですね」
他人事かと加納部長が苦笑いを浮かべながら言っていたが、私たちに実害が及ばない限りは、他人事なのは間違いないと思う。
「はっきり言って、他人事じゃないわよ」
私が黙っていると、和泉キャプテンが真剣な声音で言葉を続ける。
「今の女子テニス部には対象がいないの。二年生の対象になっているのは今もずっと村上さんよ」
「しつこいですね。台所洗剤で落ちないんですか」
「それなら、苦労しないわ。だから、気を付けておいて」
気を付けるって言っても、どう気を付けるのか。
私が眉を顰めていると思うけど、それを無視して和泉キャプテンが言った。
「ここで話せてよかったわ。一応警告は出来たし」
頭を悩ませることを教えてくれたと思う。
「それじゃあ、行きましょ」
「え、けど、やっぱり」
「いいの」
複雑な表情をしている加納部長を、和泉キャプテンが手を引っ張っていく。
何かを言いたそうにしている加納部長を見つめているが、和泉キャプテンに何か小言で言って、結局こっちには何も言ってこなかった。
一体何がしたいんだ。
本当にどうしようか。
私がその二年生のところに行ったとしても、何も変わらない。
部長とかが止められない暴走を何とかしようと思うのが間違いなのか。
頭を回せ。
比紗子が危ないんだ。
どうにかしないといけない。
この流れを止めることは出来ないのか。
いや、部長たちによってある程度は流れを止めていてくれていた。
堰が決壊する、と言った。
だとしたら、もう止めておくのは不可能だ。
それなら、いっそのこと堰を決壊されるのを待って、彼女たちの流れに乗ってしまうのはどうだろうか。
警察沙汰になることはないだろうけど、一応念を入れた行動はしておいた方がいいかもしれない。
まぁ、警察は事が起きない動けない不自由な組織だから後手に回ってしまうのは仕方ない。
だから、後手後手にならないように手を回そう。
危ない時は市民の味方の警察さん。
子供のピンチには親の味方。
ここ数年は頼るのも嫌だったけど、今回はそんなこと言ってられない。
私のプライドなんかよりも比紗子が上だ。
見ていろ、先輩方。
どんなことを企んでいようが潰すよ。
子供には逆らえないもっと強い力があるってことを知ってもらおう。
冬休み明けのテストも終わり、また香織に負けたという結果を知ってから、すぐのことだ。
「しばらく用事があって一緒に帰れないから、一人で真っ直ぐ寄り道しないで帰ってね」
保護者か。
私がそうツッコミを入れれば、「保護者というより恋人?」等といういつものニヤけた面をしてきたから、睨み付けておいたが全く威にも返さない。
香織はそれを言った日から授業が終わればすぐにカバンを下げて、どこかに行ってしまうようになった。
どこにそんな急いで行っているのか興味はないけど、彼女がそんな急いで行動していることに少々驚いてる。
一日目は、まぁそういう日もあるだろうと思っていたけど、それが二、三日と続いてもう五日目だ。
いつもであれば、何かしら教えてくれるのだけれど、今回は何もなし。
それが不満なわけじゃない。
香織は私に秘密ばかり作る人だから、今更一個や十個の秘密があってもおかしくない。
だけど、そう……あれ、やっぱりちょっとだけでも不満、なのかな。
カバンの中に教科書等を詰めながら考える。
以前までは、予習に必要じゃない教科書とか置きっぱなしにしていたが、今置いていくと翌日まで無事に自分の机の中にあるとは限らない。
紺色のコートを羽織り、ピンクのマフラーを首に巻く。
廊下に出て、窓から外を眺める。
外は一面雪化粧。
昨日の夜から降り始めた雪は、まだまだ振り続けている。
昇降口まで来ると、外の寒気が肌に刺さるように感じて痛む。
上履きから靴に履き替える。
一歩昇降口から出ると、寒さでいっそう身を縮こませた。
こういう時、香織がいたら絶対に密着しようとするだろうな。
だけど、今その本人はいない。
そう、それでさっきの話だ。
私に秘密を作るのは別にいい。
あれは私に対して顔色一つ変えずに、大事なことを一人胸にしまってしまう。
それが不満だ。
あれは一人で抱え込んで、大事なことを共有しようとしてくれない。
私のことを思ってやってくれているのかもしれないけど、それが気に食わないし、蚊帳の外に頬りだされている気がするし、私の方だけ香織の内側に入れていない気がして疎外感のような寂しさがある。
マフラーの中に、大きなため息をつく。
誰かの足跡の上を歩いていく。
雪の中にいると、足音が雪の音にかき消されて、聞こえないような感じがする。
こういう時、香織と帰りたいなとちょっとだけ思う。
雪が降っているってだけでちょっといつもの通学路でも幻想的だから、身を寄せ合って、それで香織とくっついて、暖まって……
思いっきり、頭を振る。
違う、違う!
こんな香織みたいな想像いけない。
自分がどこまで考えてしまったのか、思い直すと顔から火が出そうなほど恥ずかしくなる。
絶対に香織に当てられてる。
私一人だったら、そんなことを思ったりはしなかったのに香織の悪影響だ。
それにさ、きっと、ちょっと寂しいだけだ。
そう、いつもいた人がいなくて、人寂しさがあるから考えてしまう。
やっぱり、香織が悪い。
何もかも、全部香織が悪い。
駅までの田舎道を歩いていると、後ろから声をかけられた。
「ねぇ、君って村上比紗子ちゃんだよね?」
「え? え?」
振り向くと知らない男子生徒が五人ほどいた。
こんな大人数が周りを囲んでいることに気が付けないぐらい、ぼーっとしていたのか。
「あれ? 間違ってた?」
「え、あ、そうですけど……」
私を囲む男子性の顔を見ていくけど、見覚えがない。
一年生の顔はなんとなくだけど分かるけど、この人たちの中に見た覚えのある者はない。だから、声をかけられる覚えもないのだけれど。
もしかして、二年生なのかな。
それなら余計に声をかけられる覚えがない。
「ちょっと、来てもらえないかな?」
そういうや否や男子学生たちに周りを固められた。
「あの、すみません。私行かないと」
「いいじゃない、いいじゃない。ちょっとだけだからね」
両脇にいた男子生徒に肩をがっしりと掴まれた。
「一緒に来てくれるよね?」
人当たりがよさそうな笑みが今は憎らしく思える。
返事をする代わりに思いっきり睨みつけておく。
男子生徒たちに連れられて駅までの一本道を外れて、山の方に上っていく。
こんな目に合うなんて考えてもなかった。
このまま連れていかれてはいけないとは思ってるけど、がっしりと肩を掴まれてしまい私の力では振り切って逃げることも叶わない。
ささやかな抵抗として、相手の歩幅に合わせずわざとゆっくり目に歩くことぐらいだ。
山に登っていく道の脇の小さな神社に上がる階段の方に連れて行かされる。
こんな雪が降っていて滑りそうな時に、石の階段上がらされるなんて危ないなんてものじゃないと心の中で毒づいて思いっきり睨みつける。
階段を登りきると、古びてはいるけど今だにしっかりとした作りの鳥居がある。拝殿まで一直線に参道があるはずなのだが、昨日から降り始めた雪が積もってしまっていて参道が見えず、まるで無いように見える。
その左脇に社務所があるが、木造で古ぼけていて、雪の重みで潰れそうな気がする。それに作りもあまり良くなさそうで、隙間風とか凄そうだし、人が常駐している雰囲気もなし。
私はその社務所に連れて行かれた。
社務所の中に入ると両肩を抑えていた二人に別々に少しずれたタイミングで押されたため、つんのめるように数歩よろめいて、何とか踏み止まる。
そして、私に声をかけてきた男子生徒が社務所の扉を閉めた。
「あいつらに聞いていたけど、実際見てみると結構可愛いじゃん」
こいつらに言われても全く嬉しくない。
ただただ不快なだけだ。
「ブスだとか、何とか言ってたけど、小さく顔もいいし、コート着ててもおっぱい大きいのも分かっちゃうぐらいだし、ホントに最高だな。あいつらに感謝しないとな」
下卑た笑い声が周りからする。
私を囲むようにして、暗がりからまた四人ぐらい現れた。
「ま、時間もおしてることだし、さっさと始めちゃいますか」
じわじわと周りにいる人たちが包囲を縮めてきた。
「こ、来ないでください!」
出来るだけ大きな声を出してみたが、効果はない感じ。
自分の体を手で抱きしめるようにして守る。
ホントにまずい。
この状況はホントにまずい。
「誰か! 助けて! 助けてください!」
「こんな時に誰か来ると思うか?」
確かにその通りだ。
大きい声を出してみたが、人がいる気配がないこの神社では助けが来てくれる確率が限りなくゼロに近すぎる。
私を包囲する輪が狭まる。
逃げようと顔を左右に動かすが、逃げる隙間がない。
「逃げるなんて考えても、無駄なんだから楽しもうよ」
こいつらの笑みは嫌いだ。
気持ち悪い。
両肩を押さえられた、そのまま押し倒された。
押し倒された際に、頭を打ち付けた。
「いたっ!」
コートに手をかけられる。
「や、やめて! 離して!」
押さえつけられているが、無理やり体を動かして抵抗する。
こんな奴らにいい様にされたくない。
「ちゃんと押さえつけておけよ!」
さっきよりも強い力で押さえつけられて、抵抗しても意味をなさない。
「やめて! やめてよ! 離して!」
「暴れんな!」
頬を強く叩かれ、頭を蹴られた。
頭が揺れて、視界がぶれる。
目の前にいる人が二人に見えたり、三人に見えたりして気持ち悪い。
「やっと静かになったか。手間取らせやがって。ま、暴力しなくてもここやっちゃえば、もっと早く静かになるんだけどな」
頬を叩いた男子生徒の指だと思うが、内ももに触れてきた。
「い──っ!」
叫ぼうとしたが、今度は頭部に拳が振り下ろされた。
頭が痛さと揺れでおかしくなりそうだ。
「お願い! や──っ!」
もう一度叫ぼうとしたが、振り上げられた拳を見て、心身ともに恐怖で凍りついた。
恐怖に竦んだ自分を情けないと思うと同時に、心を支配する恐怖を払拭できないでいる。
そして、手で口を抑えられて、言葉を封じられた。
嫌だ。嫌だ、嫌だ!
こいつに触られたくない。
私に触れていいのは、こんな奴らじゃない。
制服の脱がし方が分からないのか、無理やり引っ張られる。
恐怖と、自分の非力さに涙が出る。
怖い、助けて。
スカートの中に手が入ってくる。
太ももを撫でてくる手が気持ち悪い。
お願い、もうやめて。
何で私がこんなやつらにこんな事されないといけないのか。
諦めに似た感情で、頭がいっぱいになりそうになってくるけど、何とかそんな絶望めいた考えを追い出そうとする。
ここで諦めたら大事なところがダメになってしまう気がする。
けど、どうしたらいいだろう。
手の気持ち悪い感触は消えてくれない。
助けて、助けて!
助けて……か。
口は抑えられているし、もう怖くて体もうまく動かせない私に助けを呼ぶ力もない。
そして、香織は今この場にいない。
いつもいる香織がいない。
違う。
いつも一緒に入てくれていた香織がいないんだ。
助けを求めるのが、お父さんやお母さんじゃなく、香織のことばかり考えているなんてどれだけ私香織に寄りかかっていたんだろう。
男の手がショーツに触れて、体が一瞬跳ねる。
「はは、やっぱりここがいいんだろ!」
いや、だ。
嫌だ、嫌だ。
お願い、私の体。
こんなのに反応しないで。
違う、お願い、やめて、もうホントに触らないで。
怖い怖い怖い怖い怖い、助けて、香織!
こんな奴らの好きにされたくない。
私が触ってほしいのは、香織だけ。
香織以外に振られたくない。
私の大事なところを触っていいのは、香織だけなんだ。
助けて、助けて! 助けて!!
お願い、誰か、誰か誰か!
香織、助けて!
──助けて、香織。
その時、社務所の扉が力強く開かれた。
「助けに来たよ、比紗子」
そうして、本当に香織が現れた。
「あ? 誰だよ、てめえ」
「お前らこそ、比紗子に触んな」
そう言いながら、社務所内に入ってくる。
しかし、近くにいた男が、香織の肩を掴む。
「──!」
何かを言おうとしたが、歯がガチガチとなるだけで声が出ない。
何で私はこういう時にと思っていると、香織が男と向き合うが何かを取り出して相手の男の顔に吹きかけていた。
「何も用意無しに突撃とかするわけないじゃん。バカかな?」
男の方が倒れこんで、何か苦しみ悶えている。
こちらを再び向いた香織の顔は、普段とは違い眉間には皺が寄り、目は釣り上がっている。
「よくも……やってくれたよね。ホントに……よくもやってくれたよね、あんたら」
言葉の端々に抑えつけられないぐらいの怒りが漏れている。
けど、まだ何人もいる男子相手に一人で立ち向かうのか。
さすがに、それは無謀というものじゃないだろうか。
いや、無謀だ。
無茶すぎる。
このままだと香織まで酷い目にあってしまう。
嫌だ、それは絶対ダメだ。
逃げて、今すぐに逃げて。
助けてと呼んでおいて、今度は逃げてというのは我がままだと思うけど、そうして欲しい。
私のことはいいから、その扉から走って逃げて。
そういう意味を込めて、香織を見つめて首を横に振ったが、香織はなぜか私に微笑み返してきた。
「大丈夫だよ、比紗子。すぐ終わるから、待っててね」
あぁ、何も分かってない。
何でこんなにも、変に察するんだ。
ゆっくりと香織が一歩踏み出す。
「女一人にちびって、動けないの?」
バカ、挑発しないで。
「玉無し野郎は、さっさとママのところに帰りなよ」
男が一人、香織に近づいて胸ぐらを掴んだ。
「てめぇ……っ!」
「ばん」
香織がピストルのようなものを取り出して、おどけた様な声を出しながら、何かを噴射した。
すると、また数秒もしないうちに、男が倒れこんでしまい、同じように苦しんでいる。
それを見ていた別の男が近づくけど、今度は胸ぐらを捕まえようとかしないでいきなり殴りかかろうとしている。
男の拳を避けた香織は、また同じようにピストルのようなものを向けて、引き金を引く。
そして、また男が倒れる。
すごい。
男子相手の喧嘩でも一歩も引かないどころか、立ち向かい今のところは有利に立ち回っている。
今度は、二人が香織を抑えにかかる。
これは無理だ。
これはさすがに人数差がある。
一対一ならやれていても、二対一では力量差でも数でも不利と勝てる要素が一気になくなり、勝算はかなり低くなる。
私を抑えていた男たちは、香織の方を向いていて、気が付かなかったけど自由になっていた。
しかし、自分の体が、自分の体じゃないみたいにいうことを聞いてくれない。
何で私はこんな時に、こんなにも役立たずなのか。
「あ──っ!」
香織が二人の手から逃げていたが、足を踏み外して手を掴まれる。
そして、手に持っていたピストルを取られてしまった。
香織がやられてしまう。不味いと思った瞬間、腰のベルトに付けられていたホルスターからもう一丁取り出し、手を掴んでいた男子生徒に噴射した。
一人はそのまま悶え倒れたが、もう一人は距離を取る。
そして、また二人追加で三対一。
それは絶望的な人数差だ。
一人倒しても、二人に抑えられて終わる。
いけない。これは無理だよ、香織。
逃げて。
声が出ない。
何で、何で!
体の震えも取れないなんて。
結末はあっさりと訪れた。
香織は後ろに引こうと一歩踏み出そうとしたが、すぐそこは壁であり、逃げ道はなし。
前は男子生徒の壁、退路はなし。
ピストルを上げて、でたらめにふりかけようとしたみたいだが、左右前面から別々に手が伸びて捕まってしまう。
そして、左右の男子生徒が抑える役割となり、前方の生徒が香織の腹部を殴った。
「ぁっ!」
声さえ上げなかったが、痛みで体を折り曲げて、目は見開き、歯を食いしばっている。
香織が。
香織が死んじゃう。
前髪を掴まれて、無理やり香織が殴られているのを見せられる。
「あいつやった後に、お前だからな」
手がスカートの中に入り、ショーツの上から秘部を触られる。
不快感が一気に体を駆け巡る。
やめて、と叫びたいが、声が出ない。
私は助けに来た子が殴られているのに、ただただ男子生徒たちに好きなようにされている。
太ももや、ショーツ、胸を弄る手が気持ち悪くて、吐き気すら込み上げてくる。
私が触られている間に、香織への暴行は続いていた。
頬を何発も殴られて、口の中が切れたのか端が切れているのか分からないが血が流れているし、酷く腫れ上がっている。
それに鼻の方にも当たっていてのか鼻血も流している。
香織は力なく、ぐったりとしていてやられるがままになっている。
そして、悶ていた男の人達が起き上がってきたと思えば、、怒りに任せるようにして執拗に香織の腹部を蹴り始めた。
こんなこともうやめて。
こんな奴らの言いなりになるのは嫌だけど、香織が助かるならそれでもいい。
「──!」
しかし、それすらも声が出ない。
私は、私はなんて弱いんだ。
そう思うと涙が溢れてきた。
香織の服を脱がそうとする動きを男子たちがしている。
お願いだからと香織がやられてるのを見せられて、静かに涙を流すことしか出来ない。
そんなことしか出来ない自分が憎くて、悔しい。
「──!──!」
外から声が聞こえた様な気がする。
香織の服が破られて、下着が露わになった。
「こっちです!」
外が騒がしくなってきて、社務所の扉が開かれる。
男子たちが慌てだすけど、逃げ出すには扉しかない。しかし、そこが塞がれるから逃げ場はなし。
支えられていた香織は、支えが無くなりぐったりと倒れこんだ。
私は助かった……?
緊張で心の糸が切れ、目の前が暗転した。