秋、戦いと視線
中間試験近くになったが、私にとって初めて部活動の公式な大会を出場することになった。
大会自体にはさして気持ちは揺らいだりはしないのだが、まさか自分が部活動に参加して大会とか出ちゃうなんて去年の私だったら思ってもなかったことだ。
それもそのはず、今まで部活動というものに興味がわかなかった。
大体のスポーツで及第点は取れていたし、そこから少し練習したらやっていた人たちを抜いていたなんてことが良くあった。
そんなことをしていたから目立つことになり結果として、トラブルに巻き込まれたりした。
だから、目立つようなことはやらないようにしてクラスから存在感を消した。
誰からも、誰にも興味を示さず、つまらなかったが中学生活をやり過ごした。
高校になっても、それは続くのだと思っていたが、彼女が私を見つけてくれた。
その比紗子と一緒に過ごせる時間という意味でも、今では私にとっての楽しみの一つでもある。
「何ニヤニヤと気持ち悪い顔をしてるの」
いつもに比べて、いくらか覇気のない声で比紗子に横から声をかけられた。
試合の順番が近くになり、試合をするコートの入り口に二人で来ていたのを忘れていた。
今、私は比紗子と二人っきりなのだ。
場所が場所なら、デートといえるのだけど、流石にこんな会場をデート場所にするのは嫌だな。
「比紗子は今にも死にそうな顔してるね」
朝あった時から、青い顔をしてる。
可愛らしいピンクを基調としたテニスウェアにとても似合わない顔色だ。
風邪なのかな。
比紗子の額に手を当ててみる。
「……」
何も言われなかった。
こんな事は初めてだ。
何秒ぐらい行けるんだろう。
ゆっくり数えて……5秒。
……10秒。
20秒にさしかかろうとした時に、
「そろそろ離して」
比紗子に言われたので、手を額から離した。
もう、これだけで今日一日私は幸せに過ごせそうだ。
「風邪?」
それなら、私が付きっきりで看病してあげたい、というか看病する。
「……そうじゃない」
それはとても残念だ。
けど、比紗子には言わないでおこう。
また、怒られる。
比紗子から視線を外して自分の姿を改めて見る。
比紗子とお揃いのユニフォームを着ているのだが、比紗子からは「香織が着ると、なんか変。その死んだような目のせいで似合わない」と散々な酷評をもらった。
ピンクは自分には似合わない色だ。
なんかイヤらしい感じのピンク色なら似合うかもしれない。
チラッと映った視界の隅の方でテニスコートで動きがあったような気がして、顔を上げる。
どうやら、試合が終わったみたい。
次は私達の出番か。
「比紗子、行こ」
手を差し出せば、比紗子がおずおずと手を伸ばしてきてくれた。
けど、若干の違和感。
目を凝らしてよく見る。
変化を探した。
顔が青いぐらいだ。
比紗子の手に自分の手を重ねてみる。
そこで気が付いた。
ホントに小さくだけど、手が震えている。
緊張しているんだ。
自分も一応緊張はする。
だけど、こんな手が震えるほど緊張しないから気が付かなかった。
ここまで比紗子が緊張に弱いとも考えが思い至ってなかった。
どうしようか考える。
しかし、自分が経験したこと無いことに対してだから、いい考えが思い浮かばなかい。
必死で頭を回転させる。
きっと物語の主人公とかなら、こういった場面で洒落のきいたキザな台詞とかでヒロインの心を解したりするんだろう。
だが、どうも私はそういった存在にはなれないらしい。
そもそも、物語の主人公にも向いていない。
指先を見てみると、ずっと力を入れていたのか白くなっている。
比紗子はもう少し私に色々話してくれてもいいと思うし、頼ってくれてもいいと思う。
だけど、性格が邪魔してしてくれないのかもしれない。
私とは違う方向でホントに難儀な性格をしている。
早くデレデレした比紗子が見てみたいという思いは私の心の奥に隠しておく。
比紗子の手を握り、コートの入り口を目指す。
試合が終わった人たちを先に行かせて、コートへ降りた。
自分たちが試合する相手がもうコートに来て、入口近くのベンチを使っているので、私たちは反対側のベンチを目指す。
私は大丈夫だけど、比紗子がこれはダメみたいだ。
ベンチにそれぞれ荷物を置いて、ラケットを握る。
さぁ華々しくないけど、私のデビュー戦やってみるかな。
1セットやってみた段階で、比紗子の調子は戻らなかった。
けど、比紗子のガタガタ具合をよく理解することが出来た。
まずはあり得ないこととして、比紗子がミスった時に対してすごい暗く泣きそうな顔をして、「ごめん」って謝られた。
ものすごい可愛くて、その場で抱きしめてあげたかったけど、普段とは違いすぎて面食らってしまった。
あの驚いた時間がなければ、きっとできていたと思うのが残念でならない。
そんな風にしていたせいで、1セット目はストレートに相手に取られてしまっていいところがなかった。
ここからはコートチェンジでその間にコーチとか先生にアドバイス等を聞きに行く時間らしいと前に先輩たちが試合をやった時に見ていた。
さて、私達のコートには来ているのかと周りを見ていると、同じ高校のジャージを着ている同級生ではない人がいたので、その人のところまで比紗子の手を引いて歩いて行った。
「コーチとかは、2年生の試合の方を見てるから、代わりにあたしが来たんだけど、調子はどう?」
確か、この人、部長だったかキャプテンかどっちかだったけど、どっちだっけ。
ま、どっちも同じようなものだし、いっか。
「比紗子の調子が悪いです」
体がビクッと震え、繋ぎっぱなしの比紗子の手に力が入るのを感じた。
俯いていて表情こそ見えないけど、私の想像の中ではさっきみたいな暗くて泣きそうな表情しているんじゃないかと思う。
「ダメそ?」
先輩が苦笑いを浮かべている。
「私一人なら余裕ですが、比紗子が動けないので──あ、けど、今の比紗子がすごい可愛いのでこれを見続けれるならこのままでもいいかも」
「……君はマイペースだね」
私は試合は勝っても負けても良いのだけど、比紗子は勝ちたいんだろうな。
私に噛みつき続けてくるぐらい、とっても負けず嫌いなんだしね。
「こうやって手を握っていても比紗子が何も言ってこないので、負けても私としてはとても得るものが多いですので」
主に比紗子の表情とか、とはとても言えない。
「……それならいいけど、さ。それでもまだ勝てる見込みはあるんじゃないかな。比紗子ちゃんが緊張しているように、相手さんも初試合だし、体硬い感じみたいだし」
「比紗子がまともなら楽勝ですね」
実力的には大したことはないと思う。
「勝てそうな相手だけど、比紗子がこれだから今回は無理かもしれない。それに大会なんてこれからもいっぱいあるし、今回の一回ぐらい負けたって別にいいですよ」
これは割りと本心に近い。
「比紗子がこうなるってことは、勝てる自信がないってことだから、ここでなんとかなっても次はどうにもならないし、調子が上がってきた次の相手なんて、これよりもボコボコにストレートに点取られて終わるだけ」
比紗子がこの調子であるならば、多少言い過ぎても問題ないかな。
もし泣いちゃったら、それはそれで美味しいものが見られる。
けど、嫌われちゃったらちょっと嫌だなっていう感情が湧いている。
けど、後悔で泣かれるよりはマシだと思うと自分を納得させる。
「そしたら、きっと比紗子、今の顔よりも暗い顔になって、凄い泣いちゃうだろうなー。あ、それもそれで見てみたいかも」
「鬼かい、あんたは」
先輩が苦笑してると、繋いでいた手が振りほどかれた。
「……さっきから聞いてたら、好き放題言ってくれるじゃない」
あぁ、怒りでいつもの比紗子のスイッチが入った。
「ホントの事だし」
俯いていた顔が上がると、そこにはいつもの比紗子の表情が合った。
「アンタだって、普段なら取れるボール見逃したりしてるじゃない!」
意外と見ているものでビックリした。
比紗子があの調子ならバレないと思っていた。
「絶対に次からは香織よりも点数取るから」
顔を赤くして、いつもの様に上目遣いで見てくる。
「香織がいなくても勝てるってことを証明する」
「さっきまで震えていたのに?」
比紗子が唇を噛み締めた。
「もう大丈夫。香織こそ、天才だって言うなら私にフォローされないようにしなよ」
言い返せるだけ気力も湧いてきているみたいでいい感じだ。
「比紗子があの調子だったから、負けても良いかなって思って手を抜いただけだよ。私が本気出したら比紗子の活躍無くなっちゃうからね」
「それを言うなら香織の活躍がなくなるんでしょ。コートの隅に立って、震えていなよ」
「震えてたのは比紗子じゃない?」
「震えてないし!」
「震えてた、震えてた。子犬みたいにピクピクしてて可愛かったなー」
「可愛くない! っていうか、何で香織はここまで来てこの調子でいられるのよ……」
「お二人さん、調子が戻って何よりだけど、そろそろ時間みたいだから、続きは試合が終わってからにしなよ」
「はーい」「はい」
先輩に背を向けて、コートに入る。
比紗子の調子が戻っているなら、負けることはないだろう。
ここからは比紗子をいじれるように活躍させてもらいましょうか。
それから一回戦は危なげなく勝つことが出来た。
相手も緊張している感じで動きが固くなっているのが見えていたので、ちょっとかわいそうな感じはしたが、勝負事である。だから、情け無用ということでそのまま勝たせてもらった。
先輩方はどうやら部長キャプテンペア以外は一回戦で敗退していたため、応援に回っていた。
私たちはそこから快進撃でベスト16を決めるところまで進むことが出来た。
だがしかしここで優勝候補と言われるペアにあたってしまって、食らいつきはしたがあと一歩のところで負けてしまった。
その時、比紗子が
「ごめんね、負けちゃった」
と、泣きそうな声と顔ではなく、とても清々しそうに笑って私に言ってきたのがとても印象に残っている。
そして、今は帰りのバスの中、電池が切れたように私の隣の席でぐっすりと眠っている。
香織の頬をつついても起きる気配がない。
どれだけ緊張していたのだろうか。
記念に二人並んで写真をとってみた。
「後で、比紗子ちゃん怒らない?」
後ろから声をかけられた。
川上さんは、ちょっと苦笑いを浮かべている。
「もっといい比紗子の写真とか有りますけど、見ます?」
スマホを掲げてみせる。
あの動画は流石に見せることは出来ない。
正確には見せたくない。私だけのもの。
しかし、他の写真なら見せれるし、見たいというのであれば、喜んで見せてあげよう。
コレクターというのはただ蒐集するだけではなく、他の人に見せたくなるという心理が今なら何となく分かる気がする。
「どんなの?どんなの?」
今井さんは結構ノリがいいんだな。
比紗子を通してしか絡みがないから知らなかった。
「やめなよ、美樹ちゃん」
「いいじゃん、いいじゃん。比紗子は寝ちゃってるんだし、気が付かないって」
川上さんも止めてるけど、興味がありそうな感じが少しだけあるのかな。
本気で止めてるわけじゃないってことはそういうことだろうね。
あまりここでやり取りしていたら、私が比紗子を楽しむ時間がなくなってしまう。
「これとか、これとか」
二人の方にフォルダに入った写真を画面に表示しながら、スマホを差し出した。
「へぇ、これって香織の家?」
頷きで返しながら、比紗子の髪を撫でる。
横目で二人の様子を見ると、今井さんは普通に見てる。それに川上さんも今井さんを止める様子もなく、今井さんが操作しているスマホの画面を普通に見ている。
やっぱり興味はあったんだ。
「比紗子ちゃん、寝てる時って猫みたいだね」
それは合ってる気がする。
この甘え方が普段から出たら、私はもう蕩けるぐらい幸せになってしまうと思う。
そう思っていると、バスが停まった。
「学校着いたみたい」
そういうと今井さんが私にスマホを返してきたので受け取った。
「比紗子、バス学校に着いたよ」
言いながら、比紗子の顔に自分の顔を近づける。
比紗子の唇に私の唇が重なるように。
こうしておけば、比紗子が起きた時に少し顔を上げるだけで、キスすることが出来る完璧な位置取りだ。
「何してんの?降りないの?」
「比紗子、起こしたら降りるよ」
今井さんの方には振り向かない。
それにこの態勢は他にも利点がある。
それは私の髪の量で、比紗子の顔を隠してしまうことだ。
つまりここで私が何をしても二人にバレることはない。
「比紗子、起きないと」
そのままゆったりと舌を比紗子の這わせた。
すると、すぐに比紗子の目が見開かれた。
「お」
眠りが浅かったのかと悠長なこと考えてる場合ではなかった。
次の瞬間、
「っ!!!!」「っ!!!!!」
比紗子が思ったよりも勢い良く起き上がってきて、ただぶつかった。
「何してんのよ……あんた……」
二人で口のあたりを抑えている。
「比紗子を起こそうとしただけだよ」
「なら、こんなことにならないから。正直に言いなさい、何してんのよ」
「バスが学校着いたから、比紗子を起こそうとしただけだから」
ホントの事を言うと今だと何を言われるか、されるのか分かったものじゃない。
だから、本音は沈黙を続けておこう。
「それなら、顔どかして」
「はいはい」
いつものように睨みつけているつもりなのだろうが、顔を真っ赤にしてそんな顔をされてもただの照れ隠しにしか見えない。
それにいつもよりも距離が近いから可愛さ倍増、なんて言えば今度はこのまま頭突きをされかねない。
私が顔を上げると、比紗子もさっさと起き上がり乱れた髪を整える。
周りを見てみると、バス内に残っているのは私達含めて数人。
他の部員たちはもうバスから降りてしまっているようだ。
「ねぇ、比紗子。今日も泊まりに来ない?」
「はぁ?」
耳まで赤くして喜ばなくてもいいのに。
「そんなこと急に言われても……親に許可貰わなくちゃいけないし……」
「私の家だったら、大丈夫だから」
「ねぇねぇ、何の話してんの?」
今井さんが後ろから話しかけてくると、比紗子が何か思いついたのか意地悪そうな笑みを浮かべる。
「二人も一緒なら、泊まってもいいよ、香織」
「え、何々?だから何の話って?」
「あー香織がね、私と美樹と杏奈で今日の打ち上げをしたいんだって」
「へぇ、どこでやるの?」
「香織の家」
トントン拍子に話を勝手に進められて、話に割り込む隙がない。
「お、いいねいいね!さっきも行ってみたいって話してたんだよ、な、杏奈」
「え、けど、突然良いのかな……?」
良いのか悪いのかで言えば、私としては悪い。
私はあくまで比紗子だけを誘いたかったのだ。
それにおまけ二人は要らない。
「いいよね、香織。二人も一緒なら私も行ってあげるからね」
比紗子の笑顔が眩しい。
こんな眩しい笑顔を浮かべている比紗子は初めて見た。
「いいよね?」
首を傾げる可愛い仕草まで加えて、重ねて言われてしまった。
心の中でため息をつく。
もうこうなったら覚悟を決めよう。
「いいよ、おいで」
比紗子たちがハイタッチしているのを傍目に今度は実際に小さくため息を吐いた。
こんなはずじゃなかったのに、と思い。
その瞬間、何か嫌な感じがして、比紗子たちに向けて戻しかけていた首の動きが止まった。
この感じには覚えがある。
誰が見ているのか考える必要もない。
下級生である私達よりも前に降りて行こうとする上級生が私達を見ているんだ。
私達というよりも、私と多分であるけど、比紗子だ。
少し目立ちすぎたのかもしれない。
注意していたはずなんだけど、浮かれていると目立たないようにしていたことを忘れてしまうのはまだまだ注意が足りていないんだろう。
比紗子には悪いことをするかもしれない。
けど、この年になってまさかそんな子供みたいなことはしないのではないか。
そう願わずにはいられない。
何もない、何も起きない。
そう考えて、首を戻すと先輩たちはバスを降りて行くところだったが、目が良くて見えてしまった。
歪んだ顔を、嫉妬に狂ったその顔を。
「香織、いくよ」
比紗子が席を立ち上がろうとしていたが、通路側の私が動かないので、立てないでいるみたいだ。
「あぁ、うん」
気のない返事になってしまった。
頭を切り替えよう。
今はとりあえず、これから始まるお泊り会を楽しむ。
それだけを考えることにした。