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巣から落ちた雛は

作者: 夏帆

「ねぇ」

耳元で囁かれる熱の籠った声。掠れたテノールはやたらと艶っぽい。耳朶を擽る吐息と、不意に背後から私を抱き寄せるしなやかで熱い腕に、不覚にも心臓が早鐘を打ち始める。


無駄に色気を撒き散らすな、バカ。


心の内で悪態を吐きながら、私は体の向きを変えると頭一つ分ほど上にある見慣れた顔を睨み付けた。周囲からカッコいいと囃される面長で目鼻立ちの整った容貌に、少しだけ甘えるような色が見える。


何がクールなんだ。


これのどこを見たら、カッコいいお兄さんなのか。私から見たら、ただの甘えたがりの子犬だ。外で完璧に被っている猫たちは、どうやら私の前では剥がれ落ちてしまうらしい。玄関の外で「にゃおん」という幻聴が聴こえたような気がした。

半ば脱力している私を気にかけるでもなく、目の前の男は背中を曲げて私の顔を無遠慮に覗き込んだ。

「ねぇ、キスしたい。キスしよ。キスさせて」

「なにその古典文法の五段活用みたいな言葉は」

「うまいこと言うね。別に狙ったわけじゃないけど。で、キスしていい?」

ふわりと微笑んで、さも人畜無害ですみたいな顔をして、彼は欲を顕にする。

「イヤって言ったって結局するくせに」

唇を啄むように味わった後、ゆっくりと口内を犯していくくせに。腰が砕けて膝が折れてしまう私を満足げに抱き締めるくせに。

胡乱げな視線を向けると、切れ長の目が優しく細まった。

「なんとなく、今日はそういう気分だったから。…レイ」

近づいてくる彼の顔。結局、私の返事なんて聞いてないじゃない。そうぼやきながら、そっと瞼を下ろした。

唇に温かくて柔らかい彼の唇を感じる。いつも彼のキスは優しいけど、今日は特に優しい。労るように、慈しむようにゆっくりと触れては離れていく。

まるで宝物を扱うような仕草に、喉の奥から何かがせり上がってくる気がして、私は空いていた手を彼の背中に回した。

「レイ、」

息継ぎの合間に甘く私の名前が紡がれて、彼の両腕が私をしっかりと閉じ込める。


どうしよう、泣きそう。


熱くなった目頭。零れ落ちそうな何かを堪えながら、私は与えられる熱を享受した。






月明かりがカーテンの隙間から漏れている。薄暗い部屋に落とされたそれに、彼の滑らかな素肌が照らされていた。

「今日ね、雛が死んだの」

間近に見える光景を眺めながら、ぽつりと呟く。

元々は、職場の軒先にある巣から落ちたものだった。たぶん、何をしたって育つ子ではなかったのだと思う。鳥には体の小さくて弱い雛を巣から落とす傾向があるという。分かっていた。でも、もしかしたらという期待を込めて、落ちた雛を巣に戻した。

けれど、翌日。つまり今日の朝、出勤してみれば戻したはずの雛は落ちて、冷たくなっていた。

自然の摂理だとか本能だとか、頭では理解していた。

でも、私は目を反らすことができなかった。



あの雛は、私だ。



巣から落とされて、放り出された雛は私自身だった。


そう告げると、彼はいつの間にか流れていた涙を唇で掬い取り、そして私の頭を撫でてくれた。そして「俺はレイを捨てたりしない」と、私が欲しかった言葉をくれた。

私はいわゆる捨て子だ。母はとある企業の重役の愛人で、私は二人の間にできた子。とはいっても認知はされてない。だから私には戸籍上の父親はいない。母は母性本能の乏しい人だったのか、それとも私がお荷物だったのか、私が幼稚園に上がる頃に私を養護施設へ預けた。それ以来一度も会っていない。


里親に出された先で出会ったのが、彼だった。彼の父親は私の母と遠い親戚で、私のことを可哀想に思い受け入れたらしい。お人好しで簡単に人に騙されるような、そんな人だ。彼の母親も穏やかで優しい。こんな私を実の子のように可愛がってくれている。



私は、あの雛と一緒だ。でも違う。

日だまりのような場所を与えてもらって、たまらなく幸せだ。


けれど、時々捨てられた過去に触れると自分ではどうしようもないくらい、鬱になる。逃げたくなって、泣きたくなって。

「夏生君、ありがとう」

家族であり、最愛の人はすべてをお見通しなんだろう。


彼が甘える時は、私を甘やかしたい時。


本人は認めないだろうし、私も言わない。けれど、辛くて泣きそうな時は必ず傍にいて、どろどろになるくらい愛してくれる。

彼をお兄さん、と呼べなくなった時からずっと同じ。


月光と体を包む温もりに擦り寄って私は目を閉じる。

巣から落ちた私を拾い上げてくれた大好きな手が髪をすくのを感じながら、ゆっくりと夢の中に落ちていった。

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