第5話
4才に成長したベルーゼは、ドワーフたちが使う文字の読み書きも完璧にマスターしていた。
言葉を完全に覚えてしまうと少し暇になったので、ダスターが持っている書類を見て覚えたのだ。
初めはよくわからない記号の羅列にしか見えなかったが、書類の中には内容が読み上げられるものもある。それを利用して、発音と文字を照らし合わせていったのである。
さて、そんな彼は最近、計算の練習に挑戦していた。
どうせ暇なら、将来必要になるだろう技能を向上しておこうという魂胆である。
ダスターにおねだりして用意して貰ったお絵描き用セット(石の板とチョークみたいなモノと、消しゴム代わりの布)で、ダスターの持つ書類の数字を書き写していく。
この書類は貴族から納められた税金の内訳なので、結構桁が大きい。
(面倒くさいなあ。この世界にも電卓があればいいのに)
そう内心愚痴りながら書き進めていく。そんなベルーゼの足へ、じゃれついてくるモノがあった。
それは勿論、彼のペットのペルである。
何時もの如くふらりとどこかに行ってしまっていたのだが、いつの間にか戻ってきていたらしい。
その足下には、戦利品らしきトカゲが転がっている。ベルーゼの顔位の大きさがある大物だ。
ただのトカゲとはいえ、これだけのモノを捕まえるのはなかなかに骨が折れる作業だったことだろう。
その大物を捕まえてきた張本人は、さあ褒めろ!と言わんばかりに得意げな顔をしてスタンバイしている。
そんなペルに苦笑しつつ頭を撫でる。
やたらとベルーゼの世話を焼きたがるお兄ちゃん気質のペルだが、普通の猫同様に空気を読まない。
ベルーゼがどれだけ忙しそうにしていても、自分には関係ないとばかりに構って欲しいときにはこうして構えと催促する。あえて言うなら、あまり気が乗らない時でもベルーゼが触れば、嫌々ながら付き合ってくれるだけ普通の猫よりも優しいだろうか。
ベルーゼとしては、今はややこしいところなので後にして欲しいところなのだけれど、ペルは何が何でも自分の意見を通す。ベルーゼが自分のどういう仕草に弱いのか熟知している彼は、ある時にはころんと転がる悩殺ポーズで、またある時には捨てられた子猫のようなか弱い声で主人の心へ揺さぶりをかける。
それに一度として勝てたことが無いベルーゼは、最近では抵抗することを諦め、ペルがちょっかいをかけて来た時には気が済むまで構ってやることにしていた。
結局のところ、無駄に抵抗するよりも構ってやって早く満足させた方が時間がかからないのだ。
ペルの好きな耳の裏をコリコリしてやると、気持ち良いのか目を細めて喉をゴロゴロと鳴らす。
それに気を良くして、もう片方の手で指通りの良いしなやかな毛並みの背中をするすると撫でていくと、お尻の辺りで揺れていた二本の尻尾がピルピルと震えた。
その尻尾を弄りたい衝動に駆られるが、まだ駄目だとぐっと我慢する。
ペルは尻尾が敏感過ぎるのか、少しでも触ろうものなら跳び上がって逃げてしまう。触るのならば、直ぐに逃げられないくらいとろけさせてからでなければならない。
ベルーゼは、魅惑の尻尾を触る機会を虎視眈々と狙いながら、ペルの弱いところを焦れるくらい丁寧に、時には乱雑なくらい豪快にといった具合に強弱をつけて彼の判断力を鈍らせていく。
「ダスター様、この資料なのですが」
「フギャー!!」
「うわっ!な、なんだ!?」
あとちょっとでペルが陥落する。そう感覚的に感じたベルーゼが勝負に出ようとしたところ、ダスターに資料を持った兵士の一人が近付いた。
運の悪いことに、彼は手に持っている書類の多さでペルのことが見えていなかったらしく。ベルーゼのゴッドハンドによって隙だらけになっていたペルの尻尾を見事に踏みつけてしまったのだ。しかも二本ともである。
当然怒り狂ったペルにより、彼は引っ掻き回された。可哀想だけれど、彼とペルではランクが違うので、大した怪我はしないはずだから、放っておいても大丈夫だろう。
そう判断したベルーゼは、必死にペルの攻撃を避けようとしている若い兵士を見捨てた。
これには、あとちょっとで尻尾が触れるところだったのに邪魔をしたのだから、少しくらい痛い目にあって貰わないとという嫌がらせも含まれていた。
ベルーゼのそんな気持ちを汲み取ったダスターも、兵士を助けることなく仕事を続けている。
主君二人に見捨てられてしまった哀れな新米兵士は、手に持った書類を守るのに精一杯で、ペルの攻撃をまともに食らって切り傷を沢山作っている。
ちょっと可哀想だから、あとで薬を塗ってあげよう。
そんなことを考えながら、ベルーゼはやりかけだった計算を再開した。
因みに、計算に用いているのはアラビア数字である。
この世界にもきちんとした数字を表す記号があるのだが、それを使っているとすぐに計算を行っていることがバレてしまう。
なので、計算練習をする時にはこの世界では誰も知らないアラビア数字を使うようにしていた。
四歳の上、見た目は赤ん坊のままのベルーゼが何千万という単位の計算をしていたら、流石にダスターも不気味に感じるだろうという判断からの行動であった。
理性が戻ったあと、調子にのって言葉を話してしまったことを後悔したベルーゼは、ここ一年ほどは気を引き締め直して、慎重に行動していた。
父親に絞め殺されそうになったことで、自惚れると碌なことが無いと学んだのだ。
午前中はダスターの持つ資料を盗み見て計算の練習をし、午後はペルと思いっきり遊ぶというのが最近の彼の日課である。
(あれ?やっぱり合計が違う)
計算した内容と、ダスターの持つ資料の金額を見比べていたベルーゼは首を傾げた。
彼が計算した合計と資料に記載されている合計の金額が違ったので、計算をやり直していたのだ。
しかし、三回やり直しても計算が合わない。
これはどこか数値を書き写し間違えたのかもしれないと、ダスターが持つ資料と自分が書いた数字とを改めて見比べる。
しかし、どこにも書き間違いは見られなかった。
(おかしいなあ)
因みに、ベルーゼが今計算しているのはとある貴族領の年間支出書。それを月別で計算していたのだ。
しかし、一つの月だけ合計がどうしても合わないのである。
これはもしかすると、資料の方がおかしいのかもしれない。
そう考えたベルーゼは「間違っているのなら父上に教えないと!」という使命感を抱いた。
この支出書というのが、どういう目的でダスターへ提出されているのかは分かっていなかったが、間違っていて困るのは恐らくダスターだろう。
大好きな父親を困らせるモノは早めに排除しなければならない。そんな思いが、ベルーゼを突き動かした。
「ちーうえ」
「ん?どうした、ベル」
「ここちあうよ?」(ここ違うよ?)
「ん?」
ベルーゼが指差した部分を、ダスターは反射的に見る。
しかし、その部分だけを見ても特に問題が無いように見えた。
「文字は間違っていないぞ?」
「ちあうの。ここのこうけいへんあの」(ちがうの。ここの合計が変なの)
ダスターのその態度から、言葉で表現しても上手く伝わらなさそうだと感じたベルーゼは、手元の板へこの世界の数字で式を書き直していく。
この時の彼の頭には、赤ん坊が計算するのはおかしいという考えは消え去っていた。
大好きな父親の役に立ちたい。頭にあったのはただそれだけである。
周りが静まり返っていることにも気づかず、問題の月を計算したベルーゼはその式と資料を交互に指して説明をする。
「ね?ちあうえしょ?」(ね?違うでしょ?)
「・・・・・・・・・確かに。おい、ロシンお前も見てみろ」
「はい」
ベルーゼの言う通り、金額がおかしいことを確認したダスターは、この国随一の頭脳を誇るロシンを呼び寄せた。
実は、この世界では教育面があまり充実していないため、言葉は話せても文字が読める者は少ないし、計算が出来る者に至っては更に限られる。
それはこのドワーフ王国でも同じこと、いや、学者などになるよりも職人になる者の方が圧倒的に多い国なので、寧ろ他国よりも学がある者が少ないくらいだ。
そのため、この国の商店は、国民であるドワーフが品物を作り、売り子は人間がしていることがほとんどだ。
人間とは逞しいもので、作物が育ち難い代わりに鉱物が豊富なドワーフ王国にも、ギルドという組織の支店を設置し、人間の労働者を提供している。
その便利さから、貴族たちもこういった書類の作成は人間を雇ってやらせていることが多い。
しかし、人間とはどうにもずる賢い生き物のようで、雇い主を唆して脱税を行い、甘い蜜を啜ろうとする者が偶にいるのだ。
そういったことを防ぐために、王宮へ提出された書類のチェックはドワーフが行うが、中には担当者すらも抱き込んで潜り抜ける強者もいる。
もしかしたらこれもそういう書類かもしれない。
勘が鋭いダスターは直感でそれを確信したが、いくら彼でも赤ん坊が言い出したことを家臣たちにまで納得させることは難しい。
だから、彼が一番信頼出来て、誰も文句が言えないほどの頭脳を持つ幼なじみへと確認を頼んだのである。
これで彼もこの数値がおかしいと認めれば、この書類の不備は確定する。
そして、齢4才にしてそれを指摘したベルーゼの異様さも。
ここへきて、ようやくそのことを思い出したベルーゼは、顔を引きつらせた。
(やばい。完全に忘れてた)
このままでは不気味がられて嫌悪されてしまうかもしれない。そんな恐怖がベルーゼを襲った。
言葉を話した時には、その後のダスターとのやり取りの方が皆の印象に強く残ったらしく、気味悪がられるようなことは無かった。そのときに現場にいたのが、ベルーゼに好意的な者ばかりだったのも良かったのだろう。
しかし、ここには彼に好意的な者も多いが、少数ながらアンチ勢力の者も混ざっている。
既に怪訝そうな表情をしている彼らの表情が、宜しくない状況であることを物語っているようにベルーゼには感じられた。
いっそ計算が間違ってくれていたら。そう願うベルーゼの耳にロシンの冷静な声が響いた。
「間違いありません。どうやら合計の欄を少なく書き換えたようですね。」
ベルーゼの願いも虚しく、ロシンは彼の計算に間違いが無いことを証明してしまった。
ああ、完全に詰んだ。
そう、ベルーゼは死んだ目で遠くを見つめる。
そんな彼の様子に気づいた様子もなく、ダスターが興奮したように声を上げた。
「そうか!やはりベルーゼは天才だな」
「はい。流石はベルーゼ様です。このようなお年ですでに数学を理解されているとは」
どうやら、親バカの前では普通は異様であるはずの行為も「うちの子マジ天才!」の一言で済まされてしまうようだ。
そして、ダスターとロシンだけでなく他の家臣たちも仕切りにベルーゼを褒め称えていることから、この部屋の者は殆ど親バカということが確定した。
アンチ勢力の人間だけは凄く気持ち悪そうにベルーゼを見ているのだが、多くの者がベルーゼを褒め称えているため、強く発言出来ないでいるようだ。
おかげで部屋の空気は、ベルーゼが恐れていたのとは真逆にお祭りムードである。
いや、実際に一部の者は記念に祭りを開こうとほざいてすらいる。
それを、ベルーゼは茫然と見つめるしかなかった。
(えっと、これは良かった、のか?)
不気味がられることはなかったものの、この国のトップたちがこんなんで大丈夫なのか。そんな不安にかられる。
結局、興奮した親バカたちに詰め寄られ、文字も理解していることを暴露させられたベルーゼ。
これは、今すぐにでも色々と教え込まなければ勿体ない!
そんな親バカたちの暴走により、その日から教師を付けられて英才教育を受けることとなった。
彼の優雅な赤ん坊生活は、こうして終わりを告げた。
ここまで閲覧していただきありがとうございます。
猫って本当にこっちが忙しい時に限って構って?ってやって来るんですよね。
そして構わざる負えないような仕草で攻めてくるとか、もう、本当あざとい!
このテンションから分かるかと思いますが、作者は猫が大好きです。
この話は、好きなのに諸事情で猫を飼えなくて溜まった鬱憤を晴らすために書き始めた話なので、他の動物が出てきてもペルは多分贔屓されると思います。
ペルはベルーゼに対してだけはお店で看板猫やってたりとか、駅で駅長やってたりとかする感じの接客得意な世渡り上手系にゃんこというイメージで書いてるんですが、私的に猫は普段ツンっとしてて、けど、構って欲しい時とかご飯欲しい時にはすり寄ってくる都合の良いところが最高だと思うので、頑張ってツン要素を出していこうと努力中です。
まあ、姪っ子に「お前はツンデレのことを何も分かっていない」と、ダメ出し食らってますけど。
ダスターに対してはガンガン攻めて行く肉食系っぽい感じが出せてると思うんですけどね(笑)