第1話
閲覧していただきありがとうございます。
ちょっと長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただければ幸いです。
『やっと見つけた!私の半身。もう二度と離しはしない』
そんな言葉と共に、何かに引き寄せられるのを感じる。
そして、その一瞬後に自身を包み込んだとても懐かしく感じる温もりに、務の意識は呼び起された。
しかし、開けたはずの目にはなんの光景も映ることは無かった。そこにあるのは、せっかく戻った意識すら溶かし込んでしまいそうなほどの濃厚な闇だけ。
目を開けていなかったのだろうか?
そう疑問に思った務の視界に、自分の身体が映った。どうやら目を開けてはいたようだ。
それが分かったところで、ぐるりと辺りを見回す。
だが、やはりそこにあるのはただひたすらに続く闇。そんな空間に、ぽつんと何も身に纏わぬまま務は浮かんでいた。
いや、浮かんでいるのかすら今の彼には分からなかった。なにせ身体の感覚が一切無いのだ。
ただ漠然と、浮かんでいるのではないだろうかと思っただけに過ぎない。
普通なら、焦りや恐怖で動揺するような場面だろう。
だが、務はなぜかこの空間を満たす闇に対して、これまで感じたことのないほどの安心感を覚えていた。
(なんだろう、とっても落ち着く。それになんだか体の中に力が満ちていくような感じがする)
『それはそうだろう。ここは本来お前がいるべき場所なのだから』
背後から、唐突に言葉が投げかけられた。
務はその声に、この空間の闇と同様、いや、それ以上の安心感と懐かしさを感じた。それと同時に期待を抱くかのように心が高揚する。
そんな不思議な気持ちに促され、務は振り返った。
するとそこには、彼同様一糸纏わぬ姿で浮かぶ少女が居た。
闇の中だというのに、濡れているかのごとく艶やかに光る黒髪。雪をそのまま人型にしたかのような白い肌。
そして、その肌の色に対比するかのように濃く、鮮明な真紅の瞳と唇。
今までの人生の中で一度も出会ったことがないほどの、極上の美少女だった。テレビで見たことのある芸能人ですら、ここまでの美貌の持ち主はいなかったと断言できる。
だが、そんな美少女が裸体を惜しげもなく晒しているというのに、務の心には羞恥や欲情といった感情が一切浮かばなかった。
そのことに彼は首を傾げる。
(なんでだろう……。そういえば、俺電車に跳ねられたんだっけ?じゃあそのせいで不能になっちゃったとか?)
目の前の少女の胸は、平とまでは言わないが今まで散々お世話になってきたグラビアのアイドル達に比べれば、だいぶ貧相である。
しかし、それを補って余りあるほどの美しさと妖しさが、彼女にはあった。
そんな子の裸を見ているのだから、いつもの自分なら確実に欲情して息子を大きくしていたことだろう。
もしかすると、興奮しすぎて鼻血を出していたかもしれない。
それなのに、現在務の息子はなんの変化も見せていなかった。 そのことに、絶望的な気分になる。この若さで不能になるだなんて、思春期の少年にとっては受け入れ難いことであった。
だが、そこで漸く彼は自分に起こっている出来事の不自然さへと疑問を持った。
(なんで俺、電車に跳ねられたのに生きてるんだろう?それに、ここはいったいどこなんだ?)
『ふむ。どうやら、こちらの世界のことについての記憶が抹消されているようだな』
それまで務の様子を興味深げに観察しているだけだった少女は、まるで務の心を読んだかのようなタイミングで言葉を発した。 それと共に如何にも困ったというように眉を寄せる。
そんな彼女の仕草に、困っているのはこっちなんだけど、と務も眉を寄せた。
その表情から彼の不満に気づいたのだろう、彼の顔を見た少女は寄せていた眉を元へ戻すと、安心させるように優しく微笑みを浮かべた。
『すまない。困っているのはお前の方だったな』
「あ、いや、気にしなくていいよ。ただ、何か知っているんだったら、説明してもらいたいんだけど…」
『もちろんだ。だが、その前に自己紹介をしておこう。私はリリス。お前の半身だ。再会できたからにはもう二度と離れるつもりはないからそのつもりでな』
そう言って、悪戯っ子のような笑みを浮かべるリリス。
一方、その笑みを向けられた務の方は、言葉を返せないでいた。
別に、彼女が側にいることが嫌だと感じたわけではない。
寧ろ、彼女が側にいてくれると言ったことに歓喜する自分の心に戸惑ったのだ。
いくら相手が美少女でも、初対面の相手に抱くには可笑しいと感じられるほど、彼の心は歓喜に踊っていた。
『大丈夫、なにも戸惑うことは無い。元々私たちは一つの魂だったのだ。側にあることを喜ぶのは当然だろう』
困惑する務を落ち着かせるように優しい声で諭しながら、リリスは彼の体を抱きしめた。
彼女の突然の行動に驚いた務は、慌ててその体を引き離そうとする。
しかし、その直後に訪れた衝撃に、彼は動きを停止せざる負えなかった。
(な、なんだ!?体が熱い)
体中を、溶けてしまいそうなほどの熱が駆け巡った。
それと共に、彼の中へとリリスの声が直接流れてくる。
『これから私とお前の再統合を行う。だが、力をほとんど使い果たして消滅寸前の私と、力の有り余っているお前が混ざれば、おそらく私の意思は消えて無くなってしまうだろう。そうなれば、力はあってもこの世界のことを何一つ覚えていないお前では力も知恵もある強者の餌になるだけだ。それでは私も困る。だから、再統合が終わるまでの間、私が知っていることを出来るだけお前に教えようと思う。』
そこで言葉を区切ったリリスは、これまで見せてきたような魅力的な笑顔ではなく、誰もが恐怖で震え上がるような酷薄な笑みを浮かべた。
『だが、私はこれでも2000年以上生き、魔王の座まで登りつめた者だ。長い話になるから覚悟しておけ!』
そう一気に捲し立てたリリスは、熱さのせいで返事を返す気力もない務をいいことに、勝手に話しを始めてしまった。
その話は、彼女が言う通り壮大なものであった。
周りには闇しか無いため時間の感覚が無くなっている務には、どれだけの時間話を聞いていたのか正確なところは分からない。
一時間なのか、それとも一日なのか。もしかすると一年くらいかかっているのかもしれない。
それほどに濃厚な時間だった。
だが、その内容は全て大事なもの。一つとして無駄だとは思えなかった。
そのため、務は身体の熱で朦朧となる意識をどうにか集中させ、必死で内容を理解しようと努めた。
話の中身は、要約するとだいたいこのような内容だ。
まず彼女が説明してくれたのは、ここが務が今まで住んでいた世界ではなく、別の次元に存在する世界であるということ。
この世界は、務の世界が科学技術により発展した世界であるのとは異なり、魔術により発展してきた世界らしい。
闇・光・地・水・火・風。
世界はこの6つの属性の魔力により形成されており、さらにそこから物質だけで成り立つ物質世界と、肉体を持たない魂だけの存在が暮らしている精神世界の二つに分かれている。
リリスはその魂だけの存在の1つ、悪魔族である。
そして、務も元々はこの世界の悪魔族であったと言うのだ。それについてだけは、務も気力を振り絞って反論した。
「俺は確かに人間として生まれたし、魂だけではなく肉体も存在していた!」
しかし、リリスはそんな彼の主張を真っ向から否定した。
「お前はただ忘れているだけなのだ。私とお前が一つの魂であったということを」
「・・・さっきもそんなことを言ってたよな。俺とお前は元々一つだったとかなんとか。それってどういう意味なんだよ」
「言葉通りの意味だ、お前と私は本来一つの魂だった、と言ってもすぐには信じられんだろうがな」
それはそうだろう。自分は自分だし彼女は彼女だ。とてもではないが一つだったと言われてはいそうですかと納得することなんて務には出来なかった。
それを認めるということは、今ここにいる自分の存在を全否定することにもなりかねない。
そんな彼の考えが伝わったのか、それともまた考えを読んだのかは分からないが、彼女は世界の説明を切り上げ、自分の主張の根拠を説明することにしたようだ。
しかし、どこから話せば良いだろうかと暫し考え込んだ後、リリスが話始めたのは、自分の生い立ちについてだった。
生まれた当初、リリスはとても弱かった。
この世界の全ての生き物は、世界を創造した神が定めた基準によりランク付けされているのだが、そのランクで言えば最下位のGより二つ上のEランクではあった。
しかし、精神世界の生き物とは、魔力に意思が芽生えることで生まれる存在である。
そんな、この世界の源ともいうべきモノから生まれる彼らは、どんなに弱くともEランクであることが当たり前の存在であった。
それ故精神世界では、ランクの他に各属性ごとの称号制度が作られている。
悪魔である彼女へ与えられた称号は、騎士。悪魔族の中で最も地位の低い称号であった。
つまり、彼女は精神世界では最弱に分類される存在だったのである。
しかし、今から2000年近く前。彼女へ転機が訪れた。
魔法陣によって物質世界へと呼び出されたのだ。
本来、精神世界の住人は肉体を持たない。そのため、物質世界へ影響を与えるどころか、行くことすら普通は出来ない。
だが、物質世界の住人から召喚の魔法陣によって呼び出されれば、行くことだけは可能になるのだ。
彼女を呼び出したのは人間の少女だった。
その少女は人間の国の王女で、永遠の若さを求めた。
どうやら、召喚の魔法陣の効果をなんでも願いを叶えてくれる存在を呼び出す魔法だと勘違いしていたらしい。
そんな知能の低い女ではあったが、保有している魔力はなかなかのもので、魔法陣に使われた魔力の量は多く、上質であった。
その結果。魔法陣へ込められた魔力を全て吸収したリリスは、ランクが上がることこそなかったものの、確実に能力を上昇させることが出来たのである。
自分の身体に湧き上がる今まで感じたことも無い力の量に、リリスは感激した。そして、自分にこの力をくれた王女の願いを叶えてあげたいと思ったのだ。
それは、快楽主義者の多い魔族らしからぬ純粋な感謝の気持ちであった。
そして、彼女は生まれて初めての主従の誓いを王女と交わし、主の願いを叶えるため、王女の体へと憑りついた。
それからリリスは、王女に痛みを与えないよう細心の注意を払いながら、徐々にその魂を喰らい、身体を乗っ取っていった。
消滅する間際になって漸くそのことに気づいた王女は「騙したな!この裏切り者め‼」と、憎悪の籠った言葉を吐いたがリリスには何故王女が怒っていたのか理解出来なかった。
なぜなら、リリスには王女を騙したつもりなど欠片もなかったからだ。
寧ろ、全ては主の願いを叶えるために必要な行動だったというのに、何を言っているのだろうかと困惑した。
彼女の持論はこうだ。まず、寿命の長い自分と融合することで永遠とまでは言わずとも寿命が延びる。そして、彼女の体を使って自分が強くなり、最高点のランクSSS、悪魔の称号では魔神と呼ばれるところまで登りつめれば、主の願いである永遠の若さが手に入るのだ。
だから、彼女にとってこれは裏切りではなく。主の願いを叶えるための行為。自分の身体を張った精一杯の忠義であった。
それが例え王女が望んでいない形であったとしても。
そうして王女から身体だけでなく名前も奪ったリリスは、主の最後の願いを叶えるため、日々努力した。
ランクを上げる方法は幾つかあるが、最も効率が良いのは生き物を殺すことだと彼女は考えた。
そこで彼女は、王女の国の住人を弱い者から順に少しずつ殺害し、力を蓄えた。その中には王女の家族も含まれていたが、リリスには興味の無い事柄であったため直ぐに記憶から抹消された。
国に人どころか生き物すらいなくなった頃。彼女を討伐するために近隣諸国から続々と軍隊が押し寄せるようになったが、それすらも彼女は一人で返り討ちにしていった。
気づけば彼女はランクBの侯爵の称号を得ていた。
そこまでくると成長の度合いが遅くなり、一つランクが上がるまでにだいぶ時間がかかるようになってしまったが、リリスは根気よく待った。
すべては我が主のために。
そこから長い時間。出会った生き物を皆殺しにしていった。
彼女の噂が広がったのか、自ら向かって来る者は時が経つに連れて激減し、逃げるか隠れるかする者ばかりになったが、それなら探せば良い話。
命乞いをする老人や生まれたての赤ん坊。老若男女種族も問わず、ひたすら殺して殺して殺し尽くす。
2000年もの時が過ぎた頃、漸くランクSの王にまで成長することが出来た。
計画は順調。このままいけば、あと5000年もあれば目的の魔神まで登りつめることも可能だろう。
神になり、主の願いを叶えた自分を想像して愉悦に浸る。
それが楽しみの一つになっていた。しかし、一つの出会いが彼女の計画を狂わせた。
それは今から、約18年ほど前のこと。
彼女の前に、一人の男が立ち塞がった。
それは、ドワーフの屈強な男だった。背は低いが、その身体には鋼のような筋肉が備わっており、身の丈の倍はあるだろう巨大なハンマーを軽々と担いでいる。
ドワーフは物質世界の中では上位に君臨する生き物で、種族としてのランクはA。
更に、この男は戦闘経験がありそうだから、Aランクの中でも上位の強さを持っている可能性はある。
だが、彼女にとってはただの獲物に過ぎなかった。
ランクは一つしか違わないが、自分たちほど高位の存在ともなると、一つのランクの違いで能力には大きな差が出る。
これくらいの者ならば、今までに数名ではあるが殺してきた。
今回も自分の勝利で終わるだろう。
そう余裕を持って観察していると、男がリリスへ向けて手に持っていた箱を開いた。
その瞬間。彼女は身体から魔力と魂がゴッソリ抜け出るのを感じた。それに呼応するように、男の持っていた箱が砕け散る。
あまりに突然の出来事へ呆然とすることしか出来なくなっていた彼女の耳へ、男の声が届く。
その声はどこか感心しているような色を含んでいた。
『すごいな。伝説級の魔道具を使っても全てを転送できないとは』
さすがは虐殺の魔王、とやはり感心したように呟く男。
しかし、そんな男の言葉に応える余裕は、その時のリリスには無かった。
何せ、ほんの一瞬のうちにほとんどの魔力を奪い去られたのだ。そのうえ生命の源である魂も半分以上が失われている。生き物として、この上なく危険な状況だった。
「この時に奪われた魔力と魂がお前だ」
「えっ?」
壮大な話に引き込まれていた務は、いきなり話を振られたことに戸惑った。
しかし、この話を始めたきっかけが自分とリリスが一つの魂であったという話であったことを思い出し、納得する。
「随分遠回りになってしまったが、どこから話して良いのか分からなかったのでな。始めから説明させて貰った」
「なるほどね。まあ、その話を信じるかは兎も角、事情は分かったよ」
「そうか、物分かりが良くて助かる。どうにも私は説明するというのが苦手なのでな」
憮然とした表情になるリリスに務は苦笑した。確かに、彼女のここまでの説明は回りくどくて分かり難い。
しかも、難しい理論とかの話になると「こう、グワーっとした感じでやればどうにかなる」といった具合に感覚で話し始めるのでまるで要領を得ないのだ。
それでもどうにかここまで話を理解出来たのは、彼女の言う通り務とリリスが一つの魂であったからかもしれない。
「意思の伴わない魂だったはずのお前が、何故向こうの世界で肉体を持ち、意思を持つようになったのかは私にも分からない。あの後、どんなに魔力を探知しても何も感じることができなくなったからな」
「へえ、じゃあ俺が死んで偶々ここに来なかったら未だに見つけられなかったかもしれないな」
「いや、お前をここに呼んだのは私だ。これまでいっこうに感じることが出来なかったお前の存在を、急に感じることが出来るようになったので慌ててここへ呼び寄せた」
彼女の立てた仮説は、務の肉体が死んだのと同時に彼のことを感知できるようになったことから、引き離された魂が向こうで肉体を得て、務という一つの人間になってしまったことで、一時的に彼女たちの繋がりが断ち切れてしまったのではないかというものだ。
「ま、そんなことはどうでも良い。お前が帰って来てくれた。それだけで私には十分だ」
「そう言われるとなんか照れるな。でも、良いのか?今融合してるらしいけど、融合し終わったらお前の意識は消えるんだろ?」
「それは構わない。この自我が消えたとしても、お前がいる限り私が消えることは無いのだからな。ただ・・・」
「ただ?」
それまで明朗に話していたリリスが初めて言い淀んだ。その瞳に不安の色を感じ取り、務は何故だかこれを聞かなければ後悔するような気がして聞き返す。
それに背中を押されたのか、リリスは二・三度口を開け閉めすると、思いきったように言葉を紡いだ。
「お前に一つ頼みたいことがある」
「頼み?・・・俺に出来ることなら構わないけど、難しいことなら確約は出来ないぞ」
「ああ、それでも構わない」
務の言葉に頷いたリリスは、頼みに関する話だからと先程の続きを話始めた。
務とリリスを引き離した箱は、空間転移の魔法を発動させるための魔道具だった。
しかし、その効果は本来、魔力を込めた後、対象へ向けて箱を開くことであらかじめ設定していた空間へ対象を転移させるだけのシンプルな物。
それをドワーフの男は転移先を異次元に設定し、世界でも最高峰と言われている魔導士たちに頼んで、膨大な魔力を込めて貰うという離れ業を行った。
結果、リリスを排除することこそ叶わなかったものの、彼女へ致命的な打撃を与えることが出来たのである。
しかし、普通は転移先を異次元になど設定出来ないし、いくら魔王を倒すためとはいえ、偏屈者ばかりが集まる魔導士たちに協力させることなど出来はしない。
そんな、普通の者には到底出来るはずの無いことをやれたのは、男がドワーフたちの国の王で、世界に名を轟かす英雄だったからだ。
男の名はダスター。
王でありながら、戦となれば自ら先陣を切り、高い攻撃力を持つハンマーで敵をひねり潰し、相手の攻撃は『金剛石の肉体』という自身の防御力を強化するスキルによって跳ね返す。
その守りの堅さから、堅王と称され国民から絶大な支持を受けていた。
この世界の生き物全てに生まれた祝いとして神から贈られるスキル。
その特性は千差万別だ。
理論さえ覚えれば適性が無くとも覚えられる魔法とは違い、贈られた者にしか行使することはできない。
だが、その代りに詠唱が必要無く、魔力も消費しない。そして、使えば使うほどその能力が強化されていくのだ。
リリスはこの時知らなかったことだが、ダスターのように上手く使いこなせれば、ランクの差すら埋めてしまえるほどの、とても強力な一手となるモノだった。
しかし、どんなに優れた能力も、使いこなせなければ宝の持ち腐れ。
例えば、リリスのスキルは『闇のベール』というものなのだが、その能力は自分の部下の身体能力を一定時間上昇させることができるというモノだ。
しかし、部下など存在しないリリスは今まで一度も発動したことがなかった。
そのため、スキルの能力だけで言えば彼女はダスターの足元にも及ばない。
その他の能力はリリスの方が上だが、仲間たちと連携して襲い掛かれば、勝てるかもしれない。
自分のスキルの高さに自信があったダスターはそう考えた。
しかし、失敗して自分が死ねば国民は路頭に迷うことになる。
そこで彼が考えたのが、空間魔法を使った作戦だ。
油断させるために一人で立っていたが、彼が合図をすればすぐさま仲間が空間転移で助けにやってきてくれる手はずになっていたらしい。
だが、それはあくまでも保険であり、実際に使うことは無いだろうと彼は考えていた。
なぜなら、彼が使った魔道具はドワーフ王国に代々伝わる家宝であり、これの力に彼は全幅の信頼を寄せていた。
製作者は、世界随一の腕を持っていたという伝説の魔道具職人ルック。
彼が制作した道具はどれも素晴らしく。どの道具も全て、道具に付けられるランクの最上級である伝説級の称号を得ていた。
さらに、世界でも最高峰の呼び声高い魔導士たちが集う国サルマーダに協力して貰って膨大な量の魔力を箱へ込めたのだ。
これで失敗するはずがない。いかに魔王と称されている存在であろうとも抹殺できる。そう確信していた。
なのに、実際は彼女はこの世界に存在し続けた。魔力は著しく減ってはいたが、どうやら彼女の魔力量の多さに、魔道具が耐え切れなくなったらしい。
とは言え、彼女に残された魔力量はせいぜいEクラス相当。ダスターにかかれば秒殺出来るくらいの弱さだ。
それは、リリスにも分かっていた。
このままでは殺される。
この時、リリスは生まれて初めて恐怖を感じた。自分の存在が無くなることは別に構わない。だが、主の願いを叶えられなくなること。それが彼女は怖かった。
恐怖に打ち震える彼女は、それまで死の権化の如く凶悪な笑みを浮かべていた者と同一人物だとは思えないほどか弱く可憐だった。
薄らと涙をたたえて必死にこの場から逃れようと目線を彷徨わせる彼女に、ダスターがやにわに手を伸ばす。
リリスはその行動に驚き、身をよじって逃げようとした。しかし、その腕はびくともしない。その事実が、更に彼女を追い詰める。
そんな彼女の様子を暫しじっと見つめたダスターは、とても真剣な表情で口を開いた。
「俺と結婚してください」
「はあ?」
その下りを聞いた務は、思わず間抜けな声を出してしまった。
生きるか死ぬかの緊迫した状況でなにをやっているんだ?そう思った務は間違っていないだろう。
リリスも、このダスターの行動には呆れた。
だが、これは彼女が生き残れるチャンスでもあった。
男がなにを考えているのかは分からなかったが、ここをどうにか乗り越えられればそれでよかった。
魔力は時間をかければ回復できる。あとは、回復した魔力でダスターを食い殺せば失われた魂も補填出来るだろう。
「そう考えた私はダスターのプロポーズを受け入れた。だが、話は私が思うようには進まなかったのだ」
「なんで?」
「ダスターは呑気なようで頭の回る男だった。私が殺戮にしか興味がないため、魔道具に疎いという情報をどこかから仕入れていたのだ。そして、私に魔力封じの腕輪を嵌めた」
国に帰ったダスターは嬉々として家臣たちにリリスを紹介し、反対する周りの声を全て無視してリリスを妻とした。
そして、婚約指輪と共に魔力封じの腕輪を贈ったのである。何も知らないリリスは、ダスターを油断させるためにそれを受け取り、強力な封印の道具とも知らず腕に嵌めた。
おかげで、どれだけ時間が経っても魔力は回復しなかった。
しかも、常にダスターが彼女の側に付き添っているのだから、こっそり腕輪を外すことも出来ない。
それでも彼女は主の願いを叶えるため、根気良く機会をうかがった。
しかし、時が経つにつれ、彼女の中に今まで感じたことの無い感情が芽生え始めたのである。
何故か、ダスターに触れられると胸が高鳴り、嬉しくなる。
一方で、ダスターが他の者に笑いかけるとその相手が憎らしくて殺したくなるのだ。
そんな感情など今まで感じたことのない彼女は、自分は可笑しくなってしまったのではないかと恐怖した。
そうしてとうとう耐えられなくなり、ダスターに相談したのだ。
彼女としては大変不本意ではあったものの、彼以外に聞けるような相手がいなかったのだからしょうがない。
しかし、彼女の話を聞いたダスターは、だらしなく相貌を崩すとリリスを抱きしめた。
その行動にも胸が大きく高鳴り、自分はこのまま死ぬのではないかと泣きそうな顔で言う彼女に、ダスターは優しく話かけた。
彼が言うにはそれは愛情と呼ばれる感情らしい。
「あいつといると初めてのことばかりで、私は戸惑ってばかりいた」
そう言う彼女の顔はとても幸せそうで、務にも、彼女がダスターを愛していたのだろうということが分かった。
だが、彼女は次の瞬間にはとても悲しそうな表情になった。
それは、新たに知った感情たちに振り回されて、主の願いを疎かにしていたことを思い出したかららしい。
「だから罰が当たったのだ」
そう呟いて続けられた話に、務は怒りを覚えた。
9ヶ月ほど前、リリスが懐妊していることが分かった。
長命な種族であるリリスとダスターの間には、なかなか子供が生まれなかった。それをネタに彼女以外の妻も娶るように進言する家臣が多く、それに心を痛めていた彼女はダスター以上に大喜びした。
「平らだった腹が膨らんできて、お腹の子が動き出す。その変化をダスターと二人で喜びあうのは、本当に幸せだった。だが、それを良く思わない者たちがいた」
「それって、ダスターさんの家臣?」
「ああ。やつらは常日頃から私を目の敵にしていたからな。普通に接して来たものなど、ダスターの幼なじみのロシンくらいのものだ」
家臣たちとしては、英雄として名高い自分たちの王が殺戮の魔王などを娶ったことは汚点としか思えなかったのだろう。
彼らはどうにかしてリリスを排除しようとした。しかし、彼女の側には監視と称して常にダスターが付いている。
世界でも指折りの戦士である彼の目を盗んでリリスを殺すことは至難の業。
そんな彼らにとって、陣痛で動けなくなったリリスは恰好の獲物だった。
しかし、妊娠したことに浮かれていたリリスとダスターは、そんなことにも気づけなかった。
その結果、リリスは一人になった。
彼女を心配して付き添っていたダスターも、執務を滞らせるわけにはいかないと諭されれば抵抗出来ない。
家臣たちは、彼の責任感の強さを利用したのだ。
「やつらは殺し屋を医者と看護士へ化けさせ、ダスターが見張りとして残したロシンに人手を呼びに行かせた僅かな時間で私を殺したのだ」
「えっ・・・でも」
ここにお前はいるじゃないか。そう言おうとした務は、自分も電車に跳ねられていたことを思い出して口を閉ざした。
「そう、ここにいるのは私の魂だけだ。残念ながら物質世界に置いてきた主の肉体は既に死亡している。だかな、私も魔王にまで上り詰めた者だ。ただでは殺られんよ」
「どういうこと?」
「ふふふ、奴ら一丁前にも私の心音を確かめていたが、まだまだだな。私は元々魂だけの生き物だぞ?完全に殺すためには身体ではなく、魂を破壊しなければ意味が無いのだ」
「ああ、なるほど。だからそのままここに脱出して来たんだ」
「いや、それは違う。確かに以前の私ならばすぐさまそうしただろう。悔しいが、今の魔力では主の身体を蘇生することは出来ないからな。だが、私の身体には息子がいた」
「あっ」
そのことを失念していた務は思わず声を漏らした。
しかし、リリスはそのことを気にした様子も無く、話を続ける。
「私は残った魔力を総動員して疑似的な心臓を作り、ダスターへテレパシーを送った。・・・彼が来るまでの時間は、本当に長く感じたものだ。もしかしたら間に合わないかもしれないと弱気になったりもしたが、あいつはちゃんと来てくれたよ。後は、必死に自分の腹を割いて子供を出して、あいつに渡してきた」
「・・・・・・・・・」
「あいつの泣き顔なんて初めて見たよ。ぐちゃぐちゃで情けない顔だった。でも、あいつに預ければ、もうこの子は大丈夫だ、そう思った。その時にお前の気配を感じたのだ」
そしてリリスは、慌てて精神だけを精神世界へ飛ばし、そこへ務を呼び寄せた。
だが、務を呼び寄せる際に、残っていた魔力を全て使い切ってしまったらしい。
だから、今務と融合すればリリスの意識は務に飲まれて消えてしまう。
「先程も言ったが、私はそれでも構わない。身体が死んでしまった以上、主の願いを叶えることは出来ないからな。ただ、心残りなのは」
「子供とダスターさんのこと、だね?」
「ああ。お前に頼みたいことというのもそのことだ。頼む、あの子の身体に憑依してくれ」
「えっ!?」
「驚くのも無理はない。だが、私はあの子が心配なのだ。確かにあの子はダスターが保護してくれたから、今は大丈夫だろう。しかし、このままだとまた私みたいにダスターから引き離されて殺されないとも限らない・・・だから!」
そこまで聞けば、彼女の言いたいことが務にも分かった。
男の子だった以上、リリスの子は王位継承権の上位に食い込むだろう。しかし、リリスを殺した相手がそれを黙って見ているわけがない。
そこで、なにも知らない赤ん坊が敵ばかりのお城にいるよりも、事情を把握していて自我もある彼の方が安全だとリリスは考えたのだろう。
だが、その提案を飲むには一つ気になることがあった。それを聞いてからでなければ、彼女の頼みを聞くことは出来ない。
「でも、それだとリリスの子供の魂が消滅しちゃうんじゃないのか?」
「いいや、あの子にはまだ魂は無い。物質世界の生命は、魂より先に身体が出来る。そして、一・二年かけてゆっくりと魂を作っていくんだ」
つまり、生まれたばかりの今ならリリスの子供の魂を殺さずに憑依出来るらしい。
それなら大丈夫だろうと務は頷いた。もとより、子供の魂が無事なら憑依する気でいたのだ。
「ありがとう。それじゃあ、お前の新しい名前を教えよう。お前の名は今日からベルーゼだ」
そう言ってリリスは優しい母親の顔で務、ベルーゼを撫でた。
それに照れ臭さとともに確かな幸せを感じ。ベルーゼは、人生で最後になるであろう母親の温もりを噛み締めた。
「いいか、これからお前は敵だらけの場所で生きることになる。決して警戒を怠るんじゃないぞ」
「・・・はい、母さん。母さんの分も長く生きられるように頑張ります!」
一通り撫でて満足したのか、リリスは表情を引き締めてベルーゼから手を離す。ベルーゼはそのことを名残惜しく感じたが、時間が無いことを思い出し、気を引き締めた。
そんな、息子となった半身の姿に喜びを噛み締めながら、リリスはこの時間の終わりが近づいていることを感じていた。
二人の融合は、ゆっくりとだが確実に進んでいる。リリスの自我が消滅するまであと僅かだ。
融合しても、能力が統合されるだけで記憶の引き継ぎは出来ない。
そのため、ベルーゼは魔力は強くとも非力なことに変わりが無い状態だった。
この子は、無事に生き残ることが出来るだろうか。
そんな心配が頭を過る。
今まで他人のことを心配したことなど無かったのに、今はこんなにも不安が心を支配し、この子を守ってやりたいと感じる。
これが母になるということなのか。リリスはそれを実感し、先程撫でた息子の感触を思い出した。
しかし、時の流れは残酷だ。とうとうリリスの消滅の時がやってきた。
「もう時間が来てしまったようだ。ベルーゼ元気でな」
「うん。俺、母さんの分も長く生きるし、父さんのことも幸せにするから安心して」
消えゆく母に精一杯の笑顔で答える。
そんな息子の強がりを見抜きながら、リリスも精一杯の笑顔を浮かべた。
「ふふふ、ありがとう。さあ、扉は開いた。ここを通ればすぐにベルーゼの身体の中に入ることが出来る。そうすれば、数日もすれば自然と身体に魂が定着するだろう」
「分かった。・・・それじゃあ、お休みなさい母さん」
消えた母親にそう語りかける。これは別れでは無いのだから、言うのはさよならではないと思ったから。
少しの間、自分の中へ馴染んだ母へ思いを馳せてからベルーゼは次元の扉をくぐる。
彼の居なくなった空間には、ただただ広い闇だけが残った。
ここまで閲覧していただきありがとうございます。
ちょうど良い区切りがなかったので、話が長くなってしまいました。
ここで説明しなかったら、後で説明するの忘れそうだな、と思って詰め込み過ぎましたね。
途中で会話文いれたりとか頑張ってみたのですが、読み疲れたりとかしたらすみません。