愛しき人よ我が側に
それは一瞬の事だった。
完全に短剣はアリアの首目掛けて振り下ろされた。
だが、リュウは急にアリアの首から手を離して短剣を後ろにあるオブジェに突き刺した。オブジェにヒビが入り、細かい破片が床に落ちる。
アリアは呆然とその光景を見ていた。どうしてこんな事をするのか自分でもさっぱり分からない。だって、この少年はどう見ても会った事が無い他人だ。情をかけられる理由が存在しない。
だけど、何故か涙が込み上げてきた。忘れてはいけない何かがあるような気がした。
「貴様は……何者なんだ」
「世界の破滅を食い止めたい、ただそう願う者だ」
「何のためにだ。今更逆らったって遅いと分からないのか!もう世界は破滅へ進んでいる。この流れは何をしても止められないぞ!それなのに何故そんな事を願う!」
振り向いたリュウの瞳にも涙が浮かんでいた。
変わり果てた彼女を見ることは辛かった。リュウは何もかも忘れてしまった彼女を世界の平和のために殺す事が出来なかった。
失われた命は何をしても還って来る事は無い。つまり、永遠の別れを意味しているのだ。
これから世界が平和になったとしてもアリアには二度と会えなくなる。そう思うと首を切り裂く事が出来なかった。愛しさがそれを拒んだのだ。
リュウはアリアに近づいた。そして、優しく抱きしめた。
「戻って来い、アリア。俺だ、リュウだ。頼むから思い出してくれ……!」
悲痛の叫びに懐かしさが込み上げる。誰なのか分からないのに愛情が芽生える。
私は知っている。この人を。
アリアは目を瞑る。そう、私はずっとこの人と旅をしてきた。困難も一緒に乗り越えてきた。この人が居なければ今の自分はここに居ない。
ずっと自分を温かく見守ってきてくれた人。そして、自分が心から愛する人。
アリアの精神が真っ暗闇から光の下へ引き戻される。ゆっくり目を開けるとそこには自分を抱きしめるリュウの姿。
彼は自分を迎えに来てくれたのだ。
「……信じていたよ、助けてくれるって。分かってたよリュウ」
「アリア?もしかして、取り戻したのか自我を」
「うん。やっぱり私には貴方が必要みたい。貴方が居なければ私はずっと闇に閉じ込められたままこの世界を破滅させていた。こんなに助けてもらっているのに私は何もしてあげられてなくて、ごめんなさい。きっとリュウに酷い事したと思うの、自我が無い状態で」
「俺はお前が居てくれるだけで強くなれる。守ってやれる。俺もお前が居ないと駄目なんだ。だから……」
「だから?」
「側にいてくれると誓ってくれ。俺はお前の事好きだ。愛してる」
真剣な眼差しを見て、アリアは微笑みながら頷く。リュウも微笑む。
自然と唇と唇が触れ合っていた。
唇が離れて、アリアはリュウの胸に顔をうずめた。
リュウの鼓動が聞こえる。規則正しく命を刻む彼の鼓動が。
――さっきの約束、果たせないけど責めて今だけはその約束を果たすからね
これから起こる未来をリュウは知らない。知らなくていい。そうじゃないと決心が鈍ってしまいそうだ。
死にたくないのはあくまで自分の我儘に過ぎない。この世界が救えるなら、彼が助かって幸せになれるのなら、この命を捧げよう。
それで全てがいい方向へ行くのならば。
「行きましょう。エリアも闇に呑み込まれているから覚めさせなきゃ」
「そうだな。ってエリア解放したらこの世界って元に戻るのか?」
「……分からない。でも、エリアは私の双子の妹よ。責めて闇からは解放させてあげたい」
「分かった」
アリアの意図を尊重し、決断にリュウは応じた。
無意識にアリアはリュウの手を握っていた。二人の顔は赤くなる。
「こうしてたら嫌でも一緒に居るでしょ」
「まあそうだな。嫌でもって所が気になるがな」
「細かい所は気にしないの!さっ早く行きましょう。確かこっち」
誘導するようにアリアが歩き出す。はぐれないようにリュウも歩き出す。
このやり取りが最後の笑顔となるとも知らずに。