誘拐
熱も引いて体調も万全になったアリアだったが、心は不安定なままだった。
あの日見てしまった未来のせいだ。そのせいでリュウともまともに会話すら出来ない状況になってしまっていた。
彼はこればかりは深入りしようとはしなかった。元々チカラを持っているアリアだから何か良からぬ事があったのだとは予測が着くからだ。それにリュウはアリアから話すのを待っていた。彼女が隠そうとするならそれで構わない。
俯きながらアリアは歩く。
もう前など見たくなかった。とにかく、あの場所に行けば何が起こるのか知っている以上行きたくない。
リュウを悲しませる事もしたく無いのに……。
アリアは立ち止まる。その肩は弱々しく震えていた。
異変に気付き、リュウはアリアの肩を軽く叩く。そして頭をわしわしと強引に撫でた。
「迷ってたって何も変わらないだろう?お前があの場所へ行くのはこの世界の未来を守るためだ。それ以外の何でもない。余計な事まで考えている余裕は無いんじゃないか?」
「……な事じゃない」
とても聞き取りにくいほどか細い声でアリアは反論した。
「じゃあ、どうして立ち止まるんだよ」
「行きたくないからよ」
「訳聞いても言わないんだろ?辛いのはお前だけじゃないんだぞ。見てるこっちも辛い」
「ねえ、もし死ぬ場所と死ぬ時が分かっていたらどうする」
「は?……それって何かのために命を捨てなければならない場合で考えていいのか?」
こくりとアリアは頷く。
リュウはうむと考えながら結論を口にした。
「俺なら、その何かが命を懸ける価値があるならその時その場所へ行くと思う。それで大切な何かが守れるのなら。例え、俺の命が無くなってもだ。ま、今の俺には命を懸ける価値のあるのは一つしか無いけどな」
「それって……?」
そう問うとリュウは急にトマトのように顔を赤くした。そして照れ臭そうに呟いた。
「お前だよ」
その不器用な表現が可愛くて、思わずアリアはリュウの頭を子供のように撫でた。
リュウの言うとおりだ。悩む必要なんて無い。答えは最初から目の前にあったのだから。
守りたい。貴方と、貴方の生きるこのかけがえのない世界を。
「有難う、やっと答えが見つかったわ。これで安心して旅路を……」
言葉は途中で途切れた。
道の先には馬に乗った兵の姿があったからだ。彼らはこちらを睨みつけている。どうやら、標的らしい。
二人はいつでも戦えるように戦闘体制に入る。
先頭に居た兵の合図で馬は二人に向かって走り出す。そのまま体ごと突進してきた。
難なく二人は宙を舞って避ける。だが、その反動でアリアは足を滑らせる。それをいい事に一匹の馬が前足でアリアの体を踏みつけた。
どんなに筋肉質な馬でも人間の四倍以上体重はある。体の中の臓器が圧迫されて吐き気が襲い掛かる。
「アリア!」
リュウが馬の上に乗っていた兵を蹴り飛ばす。乗り手の居なくなった馬はコントロールを失って駆け出す。
辛うじてアリアは起き上がったが、込み上げる吐き気と全身の痛みに表情は歪んでいる。服も土だらけになってしまっている。
心の中でアリアはクリアを呼ぶ。すると、瞬く間にクリアは目の前に現れた。そして、兵士の戸惑いと共に両手を天に掲げる。
次の瞬間、雷鳴とも言える激しい光が放たれた。兵士が驚きの声を漏らし、姿を消していく。光がゆっくり弱まり、辺りが見渡せるようになった時には兵士達の姿は何処にも無かった。気絶して地面に倒れている姿さえも無かったのだ。アリアは背筋が凍るように感じた。
「主人に襲い掛かった無礼、時空の果てで思い知るがいい」
「クリア、時空の果てって……」
「彼らはあの光に導かれて時空の彼方へと飛ばされたのです。ただの人間ならばすぐに力尽きるでしょう」
「……そう」
そこまでしなくてもと思ったが、クリアにとっては主人が何よりも大事であって、それに背く者はどんな手段を使ってでも処分する。これがクリアの誇りでもあるのだ。それを壊してはいけないと思い、アリアは言おうとした事を喉で押し留めた。
これで何も心配は無いと安心した時だった。
突然アリアの周りの土が壁のように隆起した。そして黒い影がアリアを包む。
――何?一体何が……
声が轟く。
「我が主人の命令により、この者は連れていく」
それを聞いたアリアは急激に意識が遠くなっていった。抵抗しても深くなっていく闇にアリアは意識を手放した。