精霊の名
雨のように刃が降ってきた。
彼を守りたい。ただその思いだけでアリアは彼を庇うように剣を投げ捨てて身を包んだ。
次の瞬間、アリアの腕や足に何十もの鋭い痛みが走った。
「……っ」
その場にアリアは蹲った。
目の前が霞んでいく。恐らく毒の影響だ。運命の双子と言っても所詮はただの人間なのだ。体が傷つけば痛みを感じるし、心臓が止まったら死ぬ。
リュウが何事も無いのが異変と感じて目を開ける。そして傷だらけのアリアを見た。
麻痺してきてうまく動かない頬を何とか動かして笑みを見せる。
「どうして俺を庇ったんだ……」
「……」
貴方が死ねば私には何も残らなくなってしまうからだよ。
そう言いたくても口を動かす事が出来なかった。
リュウは俯いた。流れそうな涙を必死に堪える。
彼女は自分を必要としてくれているのだ。なのに、エルフ達はそれを信じない。
理解しようとしないエルフ達への苛立ちが怒りへと変貌する。奥歯を強く噛み締め、拳を震わせる。
――何も分かっていない。分かろうともしない。そんな仲間など……!
握り締めた弓でリュウは無我夢中で矢を乱射した。物凄い速さで次々とエルフ達を仕留めていく。
今の彼にはただ怒りの心しか無かった。
皆消えてしまえ。何も分かろうとしない堅物などこの世界には必要ない。そんな思いがリュウの体を蝕み、支配する。
彼の異変に気付き、アリアは言葉をかけようとした。だが、もう力が入らない。
このままでは彼も自分もどうなってしまうか検討は着いていた。だが、それを避ける術が無いのだ。
悔しいが、認めざるを得ない。ここで朽ち果てるしか無いのだ。
絶望を目の当たりにし、アリアは麻痺して言う事を聞かない体に力を込めるのをやめた。そしてゆっくりと目を閉じた。
睡魔がアリアを襲う。このまま眠ってしまえばもうずっと目覚める事はない。でもこれで運命と別れる事も出来るのだ。
意識を手放そうとしたその時、睡魔の暗闇に大きな光が現れた。白い精霊だ。
「この期に及んで逃げ出すおつもりですか。彼が後々どんなに辛いか想像できますか?貴方ならきっとこの世界の理も運命さえも変えられると信じていましたのに」
――私には運命を全うする強さなど最初から持ち合わせてなど居なかったわ。あったのは運動能力くらいね
「我がここへ来る前に言った事を忘れたのですか?」
まるで小さい子供を持つ母親のように精霊は言った。
「我が名前を呼んでくださればいつでも助けようと言ったではありませんか」
――名前を呼べば来るとしか言ってないわよ。現にここへ来ているじゃない
「我が真のチカラは名によって封じられているのです。それを解放出来るのは貴方だけです」
――そんな事言われても私には貴方の名前なんて分からないわよ
「貴方の記憶の何処かにあるはずです」
そう言われてアリアは必死で脳内に残っている記憶を探る。でも、名前らしき言葉など全く浮かんでこない。
本当にあるのかと疑ってしまいそうだが、精霊は真っ直ぐ真剣な眼差しでこちらを見つめているので嘘ではないようだ。アリアは記憶に集中する。
ピチョンッ
頭の中で水が落ちる音がした。
ピチョンッ、ピチョンッ
美しき泉の姿が浮かんでくる。その中心に蹲り眠っている精霊の姿。
「我の名を呼ぶのは誰だ……」
――この水の音が精霊の名前?
その糸口をきっかけに濁流のように精霊と自分の前世の記憶が押し寄せる。
震える声でアリアはその名前を口にした。
「クリア」
その瞬間、闇が砕け散った。思いっきり頬を叩かれたようにアリアは目を開けた。
体も自由に動く。毒を受けたのに何故かと思ったがすぐに眩い光を放つ精霊のおかげだと分かった。
目の前には今も我を忘れてエルフ皆が倒れているのにも関わらず矢を打ち続けるリュウの後姿があった。
アリアはぎゅっと後ろからリュウを抱きしめた。その途端、リュウの手がピタリと止まる。
「私は大丈夫よ。だから戻ってきて、リュウ……」
彼女の温もりを感じ、リュウは我に返った。今まで自分が何をしていたのか全く記憶に無かった。
「俺、一体何を」
「良かった。貴方が無事で」
「お前こそよく無事だったな」
「これも皆クリアのおかげね」
「クリア?もしかして、精霊の名前か?」
やっと主人に名を思い出してもらえてクリアは嬉しそうに笑みを浮かべた。