パパとママと娘の事情
初めての方は初めまして。
そうでない方はこんにちは。
冨樫ひばりと申します。自分のサイトにて銀魂の二次小説の連載をしているため更新は不定期ですが、ほのぼのとした作品が書けたらと思います。
よろしくお願いします(^^)
『たまには子供の面倒くらい見てよ。仮にも"父親"でしょ?』
低血圧な頭を抱えながらベッドを抜け出すと、自分よりもずっと前に同じベッドから起きていた妻に「おはよう」の挨拶よりも先にそう告げられた。
まだ些かぼんやりとする頭を徐々に回転させてその言葉の意味を理解しようとすると同時に、まだ夢の中なのだろうかと思い半開きの目で数回瞬きをしてみても、目の前の光景は一ミリも変わらなかった。否、変わってくれなかった。
「……………は?」
「私、今日仕事入っちゃったから」
シワ一つないスーツをきっちりと着こなして、答えになっていない言葉を並べて彼女はそのままさっさと玄関へ向かってしまう。状況を理解しようとすることを一旦中断し、脇を通り過ぎようとした彼女の腕を咄嗟に掴んだ。
「………なに?」
「『なに?』はこっちの台詞だ。どういうことか一から十まで説明しろ」
「だから、そのままの意味よ」
「意味がわからねェ」
「日本語通じてる?」
愛情の欠片もないような短い言葉のやり取りだが、これはいつものことでありこう見えて夫婦仲は決して悪くはないのでお互い気にも留めることも顔をしかめることもない。やがて掴まれていた腕をやんわりと抜け出した彼女はズボンのポケットから薄いスマートフォンを取り出して少し操作すると、そのディスプレイをこちらに見せつけてきた。
「ボスから。急に任務が入った」
「……………」
寝起きの目にはチカチカする画面に目を通せば、確かに彼女の上司からのメール。急に仕事を入れてしまったことに申し訳なさそうに部下にさえ恐縮した文面が彼らしいなどとこの場ではどうでもいいことを考えてから、目線を妻に戻した。
「今日は日曜だ。学校のねェ"アイツ"の世話はどうする?」
「それをいま頼んでるんじゃん」
「誰に?」
「まだ寝ぼけてるの?」
そんな辛辣な物言いの彼女がじっと目を逸らさずに見つめているのは、間違いなく自分。携帯を元の位置に戻す彼女に、すかさず反論した。
「俺だって仕事がある」
「今日は家で仕事って言ってたよね? 子供一人の面倒くらいみれるでしょ」
「そもそも休みならガキはガキと遊ぶもんだろ」
「今週は友達みんな家族とお出かけなんだって。あの子が言ってた」
「………金持たせてどっか放り込むとか、」
「ダメ。自分の子供なんだと思ってんの?」
あっさりと却下した彼女はスタスタと歩みを再開して、「夕飯までには帰るから」などと自分にとっては無責任もいいところな発言を残して颯爽と玄関へ向かう。口をへの字に曲げている自分を見て可笑しかったのか、玄関のドアを開けながら"母親"であるはずの彼女は「それじゃあ、」なんて言いながらニッコリと笑っていた。
「頑張ってね、パパ」
絶えず降り注ぐ雨の雫をバックとしたその美しい顔が、とんでもなく憎たらしく思えた。
妻が家を出て行った直後、残された彼女の夫である男は居間へ向かいどっかりとソファーに腰を下ろした。背もたれに背中を預けて天井を仰ぎ、長いため息を吐く。
寝起き直後から頭の中を巡っているのはただ一つ、今日一日をいかに"マシなもの"にするかということ。
傍から聞けば親子二人水入らずの家族団欒である。"マシなもの"呼ばわりどころか、仕事を少し脇によけたツケが後に回ってこようとそれを喜ぶ父親は少なくないだろう。
だが、この男にはどうしても喜べない理由がある。
それは―――
カタッ。
物音がして、男はいつの間にか閉じていた目をハッと開けた。その後耳を澄ませば、ペタペタと小さな足音がこちらへ近づいてくる。
誰なのかはわかりきっていた。
「おはよー……」
男が中途半端に開いたままだったドアを押し開けて居間へやってきたのは彼の予想通り、パジャマ姿の小さな女の子。寝ぐせで黒い前髪を跳ねさせてグシグシと目を擦っていたが、ソファーに座る男を目に留めた途端その目は意外そうに大きく開かれた。
そしてすぐにパタパタと駆け足で居間と隣接しているキッチン、風呂場、さらには廊下を渡りきった先のトイレに至るまでを小さな頭を突き出して除き込み、探している人物の姿がこの家のどこにもないことを知る。
一通り調べ終えて元の位置に戻ってきた彼女ははたと立ち止まり、男を再び見つめてくいっと小首を傾げた。
「ママは?」
「仕事だ」
訊かれたことに端的に答え、男はもう一度ため息を吐く。その答えを聞いた少女は、今度は反対側に首を傾けた。
「じゃあ今日、アヤおうちで一人なの?」
「俺がいる」
自身を"アヤ"と呼ぶその少女は、今度はさらにわからないらしく三度首を傾けた。そしてとことこと男に近づき、足を組んでいるその体の前に立ちくりくりとした目で真っ直ぐにこちらを見つめる。
「スギナ、しつぎょーしちゃったの?」
「馬鹿にしてんのかテメェ」
アヤに"スギナ"と呼ばれ、自分のこなす仕事にある程度の誇りを持っている男は幼子からのとんでもない発言にビキリと青筋を浮かべる。片手を伸ばして目の前の柔らかそうな頬をそこそこの力で抓ってやれば、アヤは「み゛ゃ!!」と奇声を上げてすぐに顔を歪めた。
「いひゃい!!」
「人を怒らせるようなこと言うからだろうが」
「はなひて!!!」
己の頬を抓る手を小さな手でぺちぺちと叩いて、己に出来る最大限の抵抗を行う。もちろんその力は己と比べるまでもなく弱く叩かれても痛くも痒くもないのだが、気の済んだスギナはすぐに頬を抓る手を放してやった。
「いたい…」
ぶぅと不貞腐れながら赤くなった頬を擦って、アヤは恨めし気にスギナを睨む。それを無視して目を閉じたスギナは、またため息を吐いて口を開いた。
「今日は俺とお前の二人だけだ」
「………ほ?」
スギナからの言葉にきょとんとしたアヤは、抓られた頬の痛みも忘れてじっと彼を見つめる。足を組んでいるその膝に手を乗せて身を乗りだし、こちらもまた首を傾げ質問をした。
「ふたり?」
「ああ」
「アヤと、スギナ?」
「そうだ」
「じゃあスギナ、アヤとあそんでくれる?」
「……………」
最後の質問にすぐ返事はせず、スギナは薄く目を開ける。
妻によく似た夜色の、キラキラと輝いている大きな目が間近に見えた。
「………少しだけならな」
目を閉じてため息と共にそれだけ吐き出せば、膝にのしかかる軽い重み。何事かと目を開けば、目の前の幼子はスギナの膝に体重をかけてピョンピョンと飛び跳ねていた。
「やったぁ!!!」
その無邪気な笑顔に返す言葉はなく、彼女の動きに伴ってふわふわと跳ねる前髪をぼんやりと見つめる。
やはり素直には喜べない。
何故なら自分は、
"父親"として実の娘に接したことが、今までまるでなかったのだから。
それから数十分後。冷蔵庫を探って見つけた食材でスギナは簡単な朝食を作った。元々器用で自炊の経験もある彼には造作もないことである。トーストにサラダにベーコンにヨーグルト。少し遅めに起きたために昼食も兼ねて量は多めにしておいた。
良い匂いのするそれらに上機嫌だったアヤも、その皿の上に乗った"あるもの"を見た途端突然顔を歪めた。
「……アヤ、グリーンピースきらい」
「黙って食え」
「ヤダ」
「じゃあ何も食うな」
「!! やぁだ―――――っ!!!」
ミックスベジタブルを混ぜて作った、見た目がオシャレなスクランブルエッグ。
スギナによって取り上げられかけた朝食の皿をアヤはテーブルに乗り出して必死に掴んだ。休日の朝にしては大きすぎて近所迷惑にもなるであろう大声に「うるせェ」と短くたしなめたスギナはコトン彼女の前に皿を戻してやる。
「……………」
「………なんだよ」
「どうしても食べなきゃダメ?」
成長過程の子供においてはよくある食べ物の好き嫌い。先ほど大声を上げていた時の態度はどこへやら、きちんと席についたアヤは眉尻を下げてこちらを見上げている。
はて、いつも彼女の世話をしていた妻ならばこういう時どうしていたものか。
記憶を少し手繰り寄せてみたが、全く思い出せなかった。
「ダメだ」
「どーしても?」
「ああ」
「だってにがくてぶつってす―――」
「とっとと食え」
少なくとも食べなくてもよいと甘やかしはしないだろうと、記憶を呼び覚ますというより結局は妻の性格を考えて答えを導き出した。優しさの欠片もない口調はもちろん彼女のものではなくスギナの自己流である。
それでもフォークを取って渋々ながらもスクランブルエッグに手をつけようとするのだから、父親と違って娘の方ははだいぶ素直なのだろう。
「………スギナはたべないの?」
「俺はこれで十分だ」
そう言ってクルリと回して見せるのは、白いマグカップに淹れられたコーヒー。「ズルイッ!!」とアヤはすぐさま抗議してきたが、「大人だからいいんだよ」と、子供に聞かせるにはなんとも理不尽な理由を述べて一蹴した。
「アヤもそれのむ!!」
「ほぉー、良い機会だから飲んでみろよ」
そう言ってカップを差し出せば彼女は素直に受け取って、「アヤだってオトナだもん!!」と意気込んでぐいっと勢いよくそれを傾ける。さすがにその勢いは予想外だった。
(バカ……)
そんな言葉は口には出さずに胸の中で留めておく。その途端、傾けたのと同じくらいの勢いでカップを元の向きに戻したアヤはこれでもかというほどに顔を歪めた。
「おいしくない……」
「まだガキってことだな。ガキはグリーンピースでも食ってろ」
アヤからマグカップを取り上げたスギナはそう言い残して、アヤが飲んだためにほとんどなくなったコーヒーを注ぎ足しにキッチンへ向かう。元々余分に作ってあったのですぐにテーブルへ戻れば、首を縮めたアヤが未だにグリーンピース入りのスクランブルエッグとにらめっこをしていた。
「………そんなに食いたくねェか」
「うん」
多少の驚きと呆れを含んでそう言えば、即座に短い返事と共にこくんと頷かれる。かと言って今更「食べなくてもいい」という言葉は教育によくないと妻がうるさいだろうし、何よりなんだかこの幼子に負けたような気がするので絶対に言わない。
どうしたものかとスギナが本日何度目かの溜息を吐き、それと同時につぶやきが漏れた。
「食べなきゃ遊んでやんねェぞ」
それは、ほとんど何の考えも意識もなくつぶやかれた言葉。
だがスギナにとってはその程度であった言葉に、アヤはすぐさま反応した。
「いやだっ!!!」
その大声に一瞬、コーヒーに口をつけようとしていたスギナの手が止まる。その声の主を見れば彼女はテーブルに身を乗り出すような体勢でこちらを見つめていた。
なんのことかと目を瞬かせていると、その大きな声量のままアヤは矢継早に言葉を放つ。
「アヤとあそんでくれるっていった!! やくそくしたもん!! やくそくやぶったら"ウソつき"になっちゃうってママいってたもん!!!」
いくつかの単語を拾い集めて、先ほど何の気もなしに己がつぶやいた言葉を思い出す。
『食べなきゃ遊んでやんねェぞ』
今にも泣きだしそうな顔で猛抗議をする幼子を見て、「なにをそんなに必死になってるんだ」とスギナは訝しる。しかしその問に結論付けるよりも早く、この男は都合がいいとばかりにマグカップの奥でにんまりと口角を上げた。
「チビ」
「チビじゃないもん!!」
「取引だ」
「……………とりひき?」
静かに、だがよく通る声で発せられた未知の単語に、泣き顔はどこへやらアヤはきょとんとした表情を見せる。「ああ」と短く肯定したスギナは、テーブルに肘をついて少しだけアヤに顔を近づけた。
「お前がちゃんと飯を食べることができたら、俺は約束通りお前と遊んでやる。ただしお前が飯を少しでも残したら、俺はお前とは遊んでやらねェ。この条件で、いまここで、俺とお前とで取引だ」
世間に向かってあまり大きな声で言えない職業柄、こういった取引や契約はスギナにとっては慣れたもの。ようやく訪れた得意分野の状況にご満悦の表情を浮かべるこの男はいま、目の前で未だぽかんとした顔のままの幼子の父親などとはとても思えない。
「……………」
しばらく考えていたらしいアヤは半開きだった口を意を決したようにぎゅっと結んで、やがてこくんと頷いた。
「とりひきせいりつ、ね。これであなたはわたしのものよ、もう二度とにげられないわ」
「………どこでそんな言葉覚えた」
「ママがいないときにみてるテレビ」
「あんまり変なもん見るんじゃねェよ」
大方主婦を視聴相手とした昼ドラだろうと予測し、スギナはそうたしなめる。するとアヤは理解したのかしていないのか定かではないが、頷くとすぐにその首をこくんとまた傾げた。
「とりひきせいりつ? スギナ」
くりくりとした大きな瞳でこちらを覗き込む彼女は、自分が普段本物の"取引"を行っている相手とは似ても似つかない。
「………ああ、成立だ」
「じゃあアヤ、がんばってグリーンピースたべる!!!」
「みててね!!」と再び意気込む彼女はフォークを手に取り、少し冷めてしまった朝食にも笑顔で頬張る。適当に頷きながらそれを見ている間も、スギナは別のことを考え込んでいた。
良く言えば用心深い、悪く言えば疑り深い。
そんな自分や妻と違って娘のアヤはひねくれてなく素直で、人を疑うことを未だにほとんど知らない。
自分たちのようになってほしくないと願った妻の希望通りに育っているのだからアヤの今の性格自体が悪いということは決してないのだろうが、ここまで信じ込む性格も問題だとスギナは思う。そして同時に、己とアヤが親子だという"リアル"がどんどんと現実味を失っていくのだ。
"この従順で素直な娘は本当に自分の血をわけた子供なのだろうか"
そんな風に疑ってしまうほどに。
まあそれも、仕事の忙しさにかまけて妻にばかり子守を押し付け、彼女の成長をほとんど見ようともしなかった自分にとっては自業自得でしかないのだが―――――
「スギナッ!!!」
己を呼ぶ声に、ハッと我に返って思考を中断せざるを得なくなる。なんだと思って声の方を向けば、フォークを握ったままの小さな女の子は顔を上げて、ニパッと満面の笑みを見せた。
「たべたよ!!」
誇らしげに掲げる皿を見れば確かに、ついさっきまで残されていたスクランブルエッグや野菜は欠片も残っていなかった。丸い皿を一周するように見ても何も見つからないということはあれだけ嫌いだと言っていたグリーンピースもちゃんと全部食べたのだろう。
「これでアヤと遊んでくれるよね?」
笑顔のまま、アヤはそう確認をする。こういうところは案外慎重なのか、はたまた早く遊べとの催促なのか。そんなことは彼女の成長から目を背けてきたスギナにはわからない。
ただこの場で唯一わかっていることは、自らが持ちかけた"取引"の多くは違えてはならない、そんな職業病のようなことのみだった。
「………ああ。皿洗いが終わったら遊んでやる」
「やった!!」
「だから大人しくそこで待ってろ」
皿を片づけながらそう命じれば、「あいっ!!」とアヤは元気よく挙手をする。どこまでも元気な奴だとのんびり考えながら椅子から立ち上がれば、すぐ近くから再び声が上がった。
「はやくおわらせてね!!」
「俺に命令すんな」
こんな素っ気ない受け答えは相変わらず。
自分は実の子供とどう接すればよいのかなんて知らないし、そもそもうるさいから子供は嫌いだ。
それでも―――
「ちゃんと遊んでやるから、もう少し待ってろ」
「ラジャッ!!」
ほとんど関わりのない父親とこんな風に遊んでくれと望んでくれるなら、
笑顔をこちらに向けてくれるなら、
妻の言うとおり、たまにはらしくない父親をやってみようと思えた。
パパ、始めました。
『で? 何して遊ぶんだ?』
『お姫様ごっこ! スギナはアヤのおうまさんになるの!!』
『却下』
そんなこんなで始まりました。木下家の日常です。
パパであるスギナの職業やママの名前はそのうち出てくると思います。
気長にお付き合い、よろしくお願い致します!!