振り向きざまに
漆黒と朱を撃つもの。
ひゅん、と空を切る音。刃の切っ先は鮮やかに翻り、動作一つ一つに見とれてしまう。あれは鍛錬で、いつか誰かを傷つけ命を奪うかもしれないのに。
「……ふっ……!」
一閃。閃くという字そのままに、一瞬であり鮮やかな筋が見えるようだ。
気配を探るような間があってから彼は迷わずこちらを振り仰ぐ。黒い瞳にじっと見つめられると「怖ろしい」という者がいるけれど自分はそうは思わない。ひらりと片手を挙げて、挨拶。
「……楽しいのか?」
毎日、飽きる事なくここにいるのが不思議でならないらしい。彼が鍛錬にと使う場は大抵敷地の裏手で、庭師ぐらいしかやって来ないような静かな場所なのだ。きちんと鍛錬場なる建物もありそちらの方が設備も整っているのに、夏は熱いぐらいの日の下・冬は痛いぐらいの空気の中で黙々と刀を振るう彼。気が付いたら傍にいた、幼なじみのような間柄である。
「そりゃあもう。…相変わらず綺麗に踊る」
武術を芸術だと思うのは悪くないだろう。実際それを生業にしている人間もいる。
「踊りとは違うぞ、これは」
「わかってるよ」
「わかってない」
かちりと刀を鞘に収める動作も秀麗だ。いい代物をあてがわれたというのに彼はぴくりとも表情を変えず、ただ恭しく頭を下げて「頂戴いたします」という文言しか口にしなかった。昔から彼の笑顔というものは数えられるほどしか見たことがない。(お前が端で笑い過ぎるからだろう、という理屈は何か違う気がする。)
20も過ぎればやれ酒だ遊びだと事ある毎に浮かれがち。そうでなくてもここの人間は陽気で、箸が転がるだけでも笑える年代の者ばかり集まっているのに彼はどうも違う。冷めているにもほどがあるだろうと言いたくなる事しばしば。
「市が出てるんだよ」
それで? という間。
「行こうよ。偶には息抜きしないと」
何故。という間。
「一緒のがいいからだよ?」
嘆息。
「…あのさあ、もうちょっと喋らない?」
何故。という間、再び。そして今度はこちらが嘆息する番だった。
見ていれば彼が言わんとする事は大概何となくわかる。(以心伝心というと聞こえはいいが、単に彼が無口なだけだ。)
「他の人にはちゃんと喋るくせに」
傍にいる時間の長さだとかがその要因なのだろう。後、自分は彼の事を注意深く見ている自覚はあった。そしてそれは意外にも彼も同じらしい。お互い知らない事はないのではないかと時々錯覚しそうになる。
窓枠を乗り越えて、芝の上にすとんと降り立つ。(親にやめなさいと窘められても、いちいち裏手に回り込むのが面倒だからやめずにこうしている。)そして彼の背後に回りぐいぐい背を押して前進させた。最初に若干の抵抗があって、仕方がないという風に小さな溜め息が漏らされる。
「強引だな、毎度ながら」
「まあまあいいじゃないか。行こう。善は急げ! 楽しそうな事は楽しめる内に楽しんどかないと」
ね、と笑いかけるが、前を向いたままの彼の表情はこちらからは窺えない。いつの間にやら背は彼の方がぐんと高くなっていて、背中も青年らしくかっちりと堅く逞しいものになった。歩幅だって違う。普通に歩けばさっさと先を行かれ置いてけぼりをくわされるのだ。
「……お嬢、押さなくてもちゃんと歩く」
「そ?」
でももう少し。自分の手に彼の体温を感じていたいなと思って。押す力はさっきより緩めているけれど、両手は確かに彼に触れている。
「敷地から出るまでは油断ならないから」と付け足すと、ふうん、とこの状況を変えるのを諦めたらしい溜め息が聞こえてきた。さっきとは違って苦い顔をしているかもしれない。
「お前が俺に構う理由が、よくわからん」
「好きだから、って言っとくよ」
「……またそれか」
「大事な幼なじみで友達だと思ってるよ」
軽い調子で口に乗せた好意を表す言葉は彼にはどう響いているだろう。そもそも響いてすらいないかもしれないなと感じるからこそ、こうして何度も言うのだ。
「言える内に言っとかないと。言えなくなったら大変だよ」
「…そうか、」
珍しく、微かに笑った顔が見えた。彼は首だけ振り向いていて、細められた双眸に映るのが自分だけで至極嬉しかったのをよく覚えている。
***
ひゅっと喉が鳴る。喉の奥がひきつっていて呼吸がままならない。見上げる先には彼がいて、手に握られている刀は薄闇の中でも淡く白い。綺麗だななんて思う余裕があるのは覚悟ができていたからだ。ずっと。
「お見事でした、」
控えていた守衛は床に伏せている。斬り伏せるまではあっという間で、今まで見た中で一番綺麗に舞う彼をただただぼうっと見つめていた。その間に逃げるなり何なりできただろうに、だ。
「綺麗だった」
「……言ったはずだぞ。踊りじゃない」
「はは、確かに、言ったね」
対峙したまま動かない二人。時間稼ぎなんかのつもりはなくて、少しでも彼を見ていたかった。背中や横顔ばかり見ていた。真正面からこんなに長く見つめていたら心臓が壊れるから。
「逃げないのか」
「無理、」
だってずっと見ていたから。自分の足では彼から逃げられっこないのはよくよくわかっている。
いつか自分に振り下ろされる一振りを、ずっと前から知っていて側で見ていたのだから。――そう言ったら君は、やめてくれるのかな?
「好きだなって思うよ。君がそうやってるの」
意のままに刃を振るい、鋭い眼差しで相手を見据えて離さないその様が、ずっとずっと好きだった。
最後に見た動きはやはり綺麗で、見とれている間に自分は光をなくしていた。
*
掻き抱かれる。
だかだか打ったやつに肉付けしたもの。時代とか場所は深く考えない方向で←
こんな調子で出力したやつばっかりですが、何か目に留めてもらえたら喜びます(´∀`)