城下町②
■なるほど、異世界…
門の中は光に溢れていて、眩しくて腕をかざして日陰を作った。
一体何がこんなに目に来るのかと、落ち着いてもう一度見ると、目の前に大きな川が流れていた。
その水面が光を複雑に反射して、チカチカと眩しさを感じさせるのだろう。
「凄い景色…」
奏多が呆然と呟く声が聞こえてきた。
確かにな。
門の内側には露天のようなものが何軒か並んでいた。そして50メートル程向こうが広い川だ。川にはアーチ状の大きな石橋が掛っているが、渡し船のようなものも幾つも浮かんでいた。
流れてくる方を見ると、左右に蛇行しながらもずっと遠くまで続き、その向こうに緑が濃い山があった。流れて行く方を見ると、さらに川幅をゆるやかに広げていき、やがて石造りの壁の向こうへと消えて行く。
その川の水は、信じられないほど透き通っていた。日本で見たどんな川より広い川幅なのに、上流かと見まごうばかりの透明度。
「なるほど」
異世界、か…。確かに、こんな景色はなかなか無い。
「リジア翠国を訪れた方は、皆この川に驚かれるんですよ。この国は精霊の国。精霊の恵みである自然を尊重する国です。川の流れ、山の形を変えずに、人が合わせて出来た国なのです」
「川も、国の一部なのですね」
「はい。一部どころか、中心と言っても過言ではありません。この川の細い支流は街中にも流れていて、そこここに水路と橋がありますよ。とても美しい街です」
イタリアのヴェネチアみたいなものだろうか。
「先生、楽しみだね!」
奏多が今にも走り出しそうにソワソワしている。
こういうの好きそうだもんな。
馬車はゆっくりと移動しながら、巨大な橋を渡り始める。橋はびくともしないし、この馬車が数台はすれ違えるだけの余裕がある。建築技術が発達しているのか、それともこれも魔法の力なのだろうか。
奏多が身を乗り出して川の底を見降ろして歓声を上げている。
「先生! すごいよ! 魚が見えるよ!」
「良かったな」
魚が見えるらしい。おざなりな俺の相槌にも嬉しそうに笑う。
一通り騒ぎ倒して満足した頃に、ようやく橋の終わりに辿り着く。
馬車が停車して、俺たちは順番に降りて行った。俺が降りて奏多が降りて、2人で支えながら春歌さんが降りる。
丁度メーテルさんと春歌さんの足の大きさが合っていて、馬車の中で予備の靴を譲って貰ったので、春歌さんは本物の皮で出来た民族風の靴で石畳に降り立った。裸足で地面に立つ度に、奏多が悲鳴を上げて自分の靴を履かせようとして大変なことになっていたからな。ひと安心だ。
「乗せて頂いてありがとうございました。とても助かりました」
春歌さんがふわりと笑い、モーリス一家に頭を下げた。
俺と奏多も後に続くと、モーリスさんとメーテルさんはやんわりと否定する。
「いいえ。助けて頂いたのは私たちですから」
「川の上流の方に、知り合いの家があります。私たちはそこへ向かう予定なのですが、もしよろしければ、そこで改めてお礼をさせて頂けないでしょうか」
有難い話ではあるけれど、俺たちは先を急いでいた。
何といっても、今日中に帰宅の手段を探し出さなければならないのだ。モーリスさんの豊富な魔法の知識の中にすらヒントも見つけられないのだから、別の方向から探る必要があるだろう。
けれど、双子の子供たちが奏多のスカートの裾を引っ張って主張し出した。
「お姉ちゃん、チルチル達と行こ!」
「ミチル、もっとお姉ちゃんとお話したい!」
必死な姿に、奏多の肩が細かく震えている。いや、悶えている。
こちらを振り返って窺う目には、ちょっとくらい…駄目? という心の声が浮き彫りにされていたが、俺は黙って首を降った。そんな暇は無い、とキツく睨んで返すと、ですよね、と肩を落とす。
「実は、お姉ちゃん達は急ぎの用があるんだよー。どうしてもどうしても、行かなくちゃいけないの」
「「ええっ」」
奏多の断りは予想していなかったのか、子供たちは悲痛な悲鳴を上げた。
一瞬で曇る2対の目を前にして、奏多はしゃがんで目線を合わせた。
「泣かないで! お姉ちゃんは行かなくちゃいけないけど、代わりに良いものをあげるよ」
「「いいのもの?」」
子供たちはきょとんと不思議そうにする。
そうして奏多は、自分の首の後ろに手をやって、ネックレスを取り外した。
銀の細かい鎖のネックレスだ。ペンダントトップに、青いハートの形の石がついている。…と思ったら、それは2つに分かれた。鳥の形にカットされた石を組み合わせてハート型になるデザインだったらしい。
「2人とも、手を出して」
そして1人ずつの手首に、二つに分けたネックレスを巻いてやる。
それは子供たちの腕で、青い鳥のブレスレットとなって輝いた。
「どう? チルチルちゃんとミチルちゃんお揃いの、青い鳥のブレスレット! 素敵でしょ?」
着け終わって、はい、と奏多が笑う。
「「かわいい!!」」
『青い鳥』だー!! と、子供たちが本当に嬉しそうに歓声を上げる。
「青い鳥はいつも側にいるんだよ。だから寂しくないの。ね?」
奏多が首をかしげると、「「うん!」」と元気に頷く声。
もしかしたら、子供たちに『青い鳥』の話をした時から、こうなることが分かっていたのだろうか…と思ったが、いや、成り行きだろう。
どう見ても手に入りにくそうな珍しい天然石とプラチナのチェーンに見えるんだが、手放して良いのか? 奏多の泣き顔は見慣れ過ぎていて、後で泣くんじゃないだろうかと思わず心配になったが、奏多は清々しそうに良い顔で笑っているから大丈夫か。
「こんなに高価なものを頂く訳には…」
じゃれあう子供3人の外側で、親同士の会話が始まる。
「どうか、あの子の好きにさせてあげて下さい」
春歌さんが目を細めて子供たちを愛おしげに眺める。
その目線を追って、モーリスさんとメーテルさんも幸せそうに笑う。
「では、これだけでも受け取って下さい。少なくて申し訳ないのですが…」
柔らかい雰囲気のまま、モーリスさんが懐から小さな袋を取り出して、春歌さんの手に乗せる。
春歌さんは「いいえ」とやんわり押し返すけれど、モーリスさんも引く気は無い。
ちら、とこちらを見てきたので慌てて目をそらす。
俺はそういうやりとりは遠慮したい。こういうのは当人がやるべきだ。
「奏多!」
「なあに? 先生」
双子を裾にまとわりつかせたままやってきた奏多に、モーリスさんが素早く袋を渡した。じゃり、と音がしたそれを眺めて、奏多は理解が追いつかないのか、「え?」と混乱した様子だ。
「どうか受け取って下さい。私たちのせめてもの気持ちです」
「え? あの、いえ…。…え?」
助けて! と明確なSOSを乗せた視線がこちらを見る。が、無視する。悪いが俺もそういうのは苦手なんだ!
必死な目が次に春歌さんを捕えると、春歌さんは「仕方無いわねぇ」と苦笑を浮かべ、
「頂いたのなら、お礼を言わなきゃ駄目でしょ、奏多」
受け取る事に許可が出て、双方ほっと息をついた。
「ありがとうございます。大切に使います」
ぺこりと奏多が頭を下げる。
「とんでもないです。本当に手持ちが少なくて…」
恐縮するモーリスさん。
その隣でゆっくり頭を下げるメーテルさんの腕の中で、生まれたばかりの子供が「あう」と声にならない声のようなものを上げて、視線がそちらに集まった。
その瞬間、「そうだ!!」とモーリスさんが大きな声を上げて膝を打った。
「カナタ様、どうか、この子に名前を付けて頂けませんか?」
モーリスさんの急な言葉に、奏多は「ええ!?」と悲鳴を上げるが、モーリス一家は賛成らしい。
「まあ、素敵。カナタ様、どうかお願いします」
「「お姉ちゃん、おねがいします!!」」
一家にそろって懇願されて、断れる奏多ではない。
「名前…。名前…」
と必死で考えだした。
「あお…。ブルー…。水色…」
小声でぶつぶつ呟く。『青い鳥』に拘っているようだから、関連づけた名前にしたいんだろうな。
「先生、外国語で青って何て言うの?」
「イタリア語ならアズーロ。中国語ならラン。ドイツ語はブラウ。ロシア語ならシーニー」
「可愛くない…。ランて、花みたいでなんか違うし…」
そしてまた悩みだす。
一家はにこにこと期待に満ちた顔で待っている。
「青い名前、か。あの話の鳥は確かハトだったはずだが、日本にいる青い鳥といえば、ルリビタキ…オオルリ、か」
俺が呟くと、奏多があんぐりと口をあけてこちらを見た。
なんだ、どうした。虫が入るぞ。
「先生、それ、良い!」
どれだ。
ぱっと顔を上げてメーテルさんの腕の中の子供に向けて、奏多が笑う。
「ルリ君! が、良いです! あの、私の国の言葉で、瑠璃って青い宝石の名前なんです。それで…あの、青い鳥の名前にも使われているし、宝石言葉に『幸せ』っていうのもあって、だから…」
「はい。チルチルとミチルに教えて下さったお話、私も聞いていました」
「私もです。この子は、ルリは、私たちの幸せそのもの。とても良い名前をありがとうございます」
「「ルリは、私たちの、青い鳥なの!!」」
大喜びの一家に、奏多はほっと息をついて、安心しきった緩んだ表情で笑う。
良かったな、と、ぽんと頭を叩いた。