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草原④

■水の魔法使い、本領発揮します。


 とにかく、と息子先生は言った。

「春歌さんは馬車の中に戻って下さい。今の状況では、母親が不安になることが一番危ない。すぐ側で励まして、安心させて上げて下さい。

 奏多の出す『回復水』というのが体力を維持できるようなので、メーテルさんが嫌がらなければ飲ませてあげてください。

 呼吸や胎児の動きでへその緒が外れることもあります。俺は他の方法に心当たりがありますので、それが可能か探ります。メーテルさんの方はお任せしても良いですか」

 お母さんは息子先生に「任せて」と微笑むと、私が回復水を詰めたペットボトルを受け取って、颯爽と馬車の中に戻って行った。

 やっぱり、私のお母さんは凄いよ。


 息子先生はくるっと後ろを振り返ると、モーリスさんの所に一直線に進んで聞く。

「モーリスさん。あなたは魔法に詳しいとお見受けします。水魔法について教えて下さい」

 丁度鍋が沸騰していたようで、私たちに知らせようと振りむいていたモーリスさんは息子先生の勢いに驚いたけれど、

「え、ええ。何をお知りになりたいんですか?」

 と丁寧に応えてくれた。

 息子先生は私の手を引いて連れてくると、水を出せというので、手のひらを上にしたままばしゃばしゃと溢れさせる。

「彼女は水魔法の使い手で、水を出す事が出来ます。『回復水』というものも出せるようです。ですが、出来る事はそれだけですか? 例えば、水を操る事は出来るのでしょうか」

「それは…もちろんです。いえ、むしろ、本来水魔法は水を操る魔法です。風は風を、土は土を、火は火を操ることが初級魔法…最も小さい魔力で使える魔法です。操る量や精度によって必要な魔力量はより大きくなります。水魔法で水を作り出すには、術者の魔力を直接変換するのでより多くの魔力を使いますが、その分簡単に操る事が出来ます。単純な操作ではなく性質を変えるには、そうして術者が生み出した水に魔力を込めて変質させるので、さらに大変です。ですから『回復水』を生み出すということは…」

「そこまで聞けば十分です!」

 モーリスさんはまだ話していたけれど、息子先生は途中で遮って私の手を掴んだ。

「奏多! 今の聞いたな。お前は水を操れる」

「う…うん。分かった」

「だから話は簡単だ。羊水を作って補給させながら、胎内を操ってへその緒を外せ」

「う…、……?」

 言われている事が良く分からないです先生。

 私が分かっていないのは一目瞭然だろうに、息子先生は自分の考えにうんうん頷いて、私の手首を掴んだまま馬車の方に向かっていく。ずるずる引きずられながら、中途半端に放置されたモーリスさんが困っているのが見えたので、叫んだ。

「モーリスさん! 取りあえず、タオルとカーディガンとハサミとクリップ…。そこにあるやつを鍋で煮たあと、乾かしておいて下さーい!」


 ばさ、と馬車の幌をかき分けて中に入ると、そこにはさっきの落ち着いた雰囲気は無くなっていて、メーテルさんの苦しそうな息使いと、チルチルちゃんとミチルちゃんの心配そうに名前を呼ぶ声で、緊迫した雰囲気になっていた。メーテルさんの呼吸は浅くて速くて、苦しそうに呻き声を上げると、双子ちゃんたちがビクッと怯えて、泣きだしそうになるのを必死に堪えてメーテルさんの手を握っている。

 私たちが馬車の中に入ると、お母さんはすぐに振り向いた。

「どうですか?」

「貰ったお水を飲んで頂いたら、少し持ち直したわ。でも…」

 尋ねる息子先生に、囁いて返すお母さん。危険な状態は変わらないってことなんだと思う。

 その時またメーテルさんが悲痛な声を上げて、今度こそ双子ちゃんが泣きそうになる。

 人が人を産むのがこんなに苦しいなんて思わなかった。

 痛いってなんとなく聞いてたけど、実際見た事なんて無いし、私がいつか自分の赤ちゃんを産むのなんて、ずっと遠くの事で実感なんて無かった。

 でも、人が産まれるんだよ? 良い事でしょ? 誰だってみんな喜ぶでしょう?

 それなのに、まさにその瞬間に、こんなに辛くて痛いなんて全然知らない。

「お母さぁん…」

 怖くてたまらなくて、お母さんに抱きついた。

 お母さんお母さん。私を産むときもこんな風に辛かったの? 私のせいで辛かったの?

「奏多、今は泣いちゃ駄目よ」

 ぽんぽん、とお母さんは私の手を優しく叩く。そうだね。あんなに小さな子たちが泣かないように頑張ってるのに、私が泣いてちゃ駄目だよね。うん、と頷いてお母さんから離れた。

「春歌さん、メーテルさんの隣に移って頂けますか。考えがあるんです」

「ええ」

 お母さんが立ちあがって、メーテルさんの横に行く。メーテルさんの腰に手を当ててお母さんが何か声を掛けると、メーテルさんの苦しげな表情の中に一瞬だけふわっとほほ笑みが混じった。そのままお腹に手を当てて、メーテルさんを励ますお母さん。じんわり、お母さんの額に汗が流れるのが見えた。お母さんも、必死なんだ。

「ほら奏多、座れ」

「……うん」

 息子先生が今までお母さんがいた場所に私を座らせる。

 そこはメーテルさんの足と足の間だ。メーテルさんの中から、赤ちゃんの頭の、水にぬれた薄い髪の毛がピンポン玉くらいの大きさで覗いていて、本当にいるんだ、って、分かっていることなのに実感して、手が震える。

「先生、先生どうしよう」

 私は異世界召喚されて凄い事が出来るようになったと思ってたけど、そんなの飛んだ勘違いで、何にも出来ない。出来る気がしない。怖いよ。逃げたいよ。

 こうして目の前にされて、やっと最初に先生が馬車の中に入るのを嫌がった理由が分かった。失敗したら死んじゃうんだ。助けられる自信が無いのに、来れない。

 でもお母さんはこんなに怖い所で1人で頑張ってたんだ。それも、柔らかな笑顔で。

「笑顔…」

 とにかく笑えって先生に言われたことを思い出して、無理矢理頬を引っ張って笑うんだ。そのまま先生を見ると、すごく優しい、初めて見るような目で私を見てた。

 そうだった。

「先生、私は先生を信じるって決めてるの。……私、やる」

「ああ。良く聞けよ。羊水っていうのは、母親の血液血漿と羊膜からの分泌物、胎児尿で構成されている。まず、魔法とやらでそれを生み出せ」

「待って、待って先生。血液けっしょう? ようまくの…分泌物? それなに?」

「落ち着け。98%以上がH2O、ようするにただの水だ。残り2%がナトリウム・カリウム・塩化物、それにイオンだ。俺が言ったことだけを耳に入れて、細かい事を考えずに、胎児を助けたいと思って水を出しながら触れてみろ。大丈夫だ。俺を信じて、やってみろ」

 そんなので大丈夫なんだろうか。

 私は震える手を伸ばして考えた。

 ―――助けたい。助けたい。生きて産まれて欲しい。メーテルさんも無事でいて欲しい。

 祈るように必死に願うと、手のひらから沸き出てきたのは透明の水だった。とろりとしているような気がする。けど、これが『羊水』なのかな? 

 先生の指示で手のひらで少し暖めてから、赤ちゃんの頭に触れた。メーテルさんがビクリと震えて、お母さんが宥めているのが、すごく遠くの出来ごとのように耳を通り過ぎて行く。

 先生の声だけが、私の耳に沁み込むように入る。

「奏多は、水を操る事が出来る。

 今、奏多が出した羊水と妊婦の胎内の羊水は繋がっている。

 奏多は胎内の羊水が操れる。

 ゆっくりと探れ。

 へその緒はあるか?」

 目をつぶって集中する。赤ちゃんの頭に触れていて、その隙間から私の『羊水』が沁み込んでいる。その中には大きな空間があって、赤ちゃんがいる。どくん、どくん、て水の中を赤ちゃんの心臓の音が響いていて、頭、首、体、腕、足。なんとなく分かる。首に何か…あるのは分かる。

「あるよ」

 首筋を汗が流れて行く。

「外せるか?」

 赤ちゃんの首に巻きついている、それを押すと、赤ちゃんが動く。メーテルさんの呻き声が響いて、私はビクっとして止めてしまう。

「どっちに押せば良いの? 右?左?上?」

 暗闇の中で触れたものを何か当てなければならないような、感覚で、どうしたら良いか分からない。

 先生も分からないみたいで、低い唸り声が聞こえる。

 間違えたら赤ちゃんの首をさらに締めてしまう。

 どうしよう、と頭が真っ白になった時、お母さんの声が降ってきた。

「―――左よ」

 左。左だね。

 細心の注意を払いながら、水を左にゆっくりと回す。ゆっくり、ゆっくり。それでもメーテルさんの息は苦しそう。だけれど、水の中で赤ちゃんの心臓は変わらず脈を打っている。

 生きてる。大丈夫。

「大丈夫よ。そのまま、ゆっくり」

 ゆっくり、回す。ほろりと解けて、水の中に何かが浮くのが分かった。

 赤ちゃんが、自分で体を動かして中の水が揺れる。

「今よ! メーテルさん、いきんで!!」

 お母さんの大声が響いて、同時にメーテルさんの必死の叫び声。

 はっとして赤ちゃんを見ると、さっきよりも頭が出ている!

「メーテルさん、頭、出た! 動いてる! 頑張って!!」

「次で行くわよ! 息を吸って……吐いて!!」

 すぽん、と赤ちゃんが出てきた。私は慌てて、その体を落ちないように受け取る。

 小さな体は、私の手の中に落ちてくると、口から水を吐きだして、突然泣き声を上げた。


 天を裂くような、大きくて元気な泣き声。

 私と、先生と、お母さんと、メーテルさんと、チルチルちゃんと、ミチルちゃんと。

 馬車の中にいた全員がほっと息をついて、安心したら涙が出てきた。

 私の手の中でびしょぬれの小さな赤ちゃんが一生懸命泣いている。

 生まれてきて嬉しいって、言ってるみたいだった。



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