城下町⑧
■リュー青年による貨幣についての説明
とりあえず詳しい話を聞きたいと言われ、リュー青年の勧めるままに喫茶店に入った。
お茶を人数分頼んで少し落ち着いてから、彼はゆっくりと話しだす。リュー青年とテーブルを挟んで真正面の奏多の目を覗き込むようにじっと話すので、奏多は俺の隣で借りてきた猫のように固まっている。
「この国では、厳しく価格が定められているものがいくつかあるんだ。
宿の値段なんか、まさにだよ。例えば、あの通り道にある宿屋は、朝と昼の食事は常に銀貨一枚と決まっているんだ。夕食は、銀貨二枚。
宿泊は、泊まるだけなら銀貨三枚。それで、朝と夜の食事をつけるなら銀貨五枚だから、一枚分得になる。
まあ、指定された時間に食堂にいなくて食べれなくても返金されないから、どちらが良いとは言えないね」
リュー青年が一息つくと、奏多が不満顔になって質問する。
「なんで昼ご飯は付いてないの?」
田舎者と馬鹿にされたのが堪えているらしい。
「ああ、だって宿に泊まるのは、この街に家も知り合いもいない人だけだからね。
商人か、冒険者か、旅人か。用事があってこの国にいる以上、みんな日中は用があるでしょ? 付いていても無駄になるから昼食は別料金なんだ」
理路整然と説明されて、むくれながらも「なるほど…」と呟いて納得したようだ。
日本でも昼がついているホテルはあまり見ないしな。だが、今回の『赤犬亭』は明らかに誤解させようとしていたが。
「だから、おやっさんがカナタちゃんたちにしたことは決して許されることじゃない。国から言いつけられた価格を勝手に水増ししたんだからね。
それでね。申し訳ないんだけど、この件は僕に任せてくれないかな? 他の旅行者にも高額を請求していそうだ。
裁判で、全て明らかにしたいんだ」
丁度届いたティーカップを出して受け取ってから、青年は少しだけ寂しそうに笑う。
「それは構いませんが…『赤犬亭』の店主とは親しいのでは?」
尋ねると、青年は小さく頷く。
「良くして貰ってるよ。でも、それとこれは別問題だ。
こんなことを外からきた人に勝手にやられたら、この国の損失になる。だって、カナタちゃんたちももう『赤犬亭』に行きたいとは思わないでしょう?」
問いかけに、奏多は「うん」と頷いた。
「行きたくないという思いは、店だけじゃなくてやがてこのリジア翠国そのものが対象になるよ。それはこの国の悪い噂になって広がって、やがて人の足を遠のかせる。
国は、人や物の流通がなくなれば死んだも同然なんだよ。
旅行者に酷い事をしているってだけじゃない。おやっさんがカナタちゃんたちにしたことは、いずれ国を殺すことなんだ。
1人2人にだけなら大した問題にならないとおやっさんは思っているんだろう。でもそんなことは無い。冒険者や商人のネットワークを甘く見たら痛い目を見るのさ」
淡々と話していく青年は、先ほどまでの楽しげで緩い雰囲気とは違うものを背負っていた。
けれど真剣に張りつめた青い目は、ごくりと息を飲んだカナタのそれと視線が合うと、元通りの軽い色に戻る。
「それに、ここは『規律と緑の国』リジア翠国だからね。規律を違反する者は女王陛下がお許しにならないよ」
にこ、と笑う。
「女王陛下? ここの王様は女の人なんですか?」
「そうだよ。とても美しくて、厳しくて、少しだけ寂しい顔をなさる方…だったんだけど、最近行方不明になっていた御子息が見つかってね!
毎日すっごく楽しそうだよ」
自分もとても嬉しいと、青年は端正な顔を緩めて言う。
別に疑っていた訳ではないが、彼は良い人なのだろう。
「それでね、不当に取られたお金…金貨一枚と銀貨16枚は必ず返して貰うと僕が約束するよ。
ただ、裁判が終わるまでかかってしまう。10日くらい、時間をくれないかな?」
その日数を聞いて、奏多は戸惑ってこちらを見た。
今日中に帰るから10日も待てない、と俺が言い出すんじゃないかとでも思っているんだろう。心配そうにうかがう。
正直な話、金は返ってこなくても構わない。日本に帰るのに、金貨が6枚でも8枚でも大した違いは無いように思えるからだ。
10日後に俺たちはいない。だが、それをここで言う必要は無い。
「分かりました」
俺が頷くと、奏多はほっと息をついた。
というか、なぜそこで不安になるのやら。相変わらず良く分からない思考回路をしているもんだ。
一旦話が落ち着いて、出されたお茶に手をつけた。お茶の傍らには、固めのクッキーのような長いスティック状のものと、鮮やかな黄色のジャム、白いクリームが添えられている。
お茶を飲むと、そば茶のような独特の風味があった。良かった、この異世界、お茶は美味いらしい。
恐る恐る口にした奏多も、ほぅと満足の溜め息を漏らしている。『赤犬亭』のアレは奏多にトラウマを背負わせたらしいな。
そして調子が戻ってきたのか、スティックに手を伸ばし、ジャムをつけて口に入れたが、そこで変な顔になる。
「まずいのか?」
さすがにジャムに失敗はないだろうと思うのだが…。奏多は横に首を振る。
「まふくは無い。へほ、ふっぱい」
「まずくは無いけど酸っぱい?」
こくり、頷く。
「ひはもははい」
「しかも…ははい? ああ、固いか」
見るからに固そうではある、と思いながら一本手に取る。予想より重く、確かに固い。
試しに端と端を両手で持って力を加えてみたが、折ることは出来なかった。
「奏多、これは歯が折れるぞ。口から出してリタイアしたらどうだ」
ううーと唸って、悩んでいる様子。
それから、ふと視線を移して、目を見開いた。
つられて俺も見ると、リュー青年が唖然とこちらを見ている。
なにか…不自然なことをしたらしい。
「何か?」
「あ…いえ…」
指摘しては恥をかかせると思っているのだろう。言いよどむ。
「私たち、本当に遠くから来たんです。なにも分からないので、良ければ教えて頂けないかしら?」
春歌さんが隣でふわりと首を傾げると、意を決してリュー青年は言う。
「食べ方が…全然違います」
■異世界マナー
白いティーカップに並々と注がれたお茶の名前は『ソジ実茶』。美容によいと昔から女性が好んで口にするらしい。(どうりで女性ばかりの店内だと思った)
けれどそのままだと独特の風味があって苦手とする人が多い。
なのでまず、添えられた大さじ一杯分のジャムをカップの中に投下。スティックで混ぜる。
中身がどろりとして来たら、クリームを乗せる。さらにスティックで混ぜる。
このクリームは固いスティック状の菓子を溶かすので、混ぜていくうちに短くなり、やがてぼろりと崩れていく。
それを喉に流し込むようにして飲む。
…というのが、正式な飲み方らしい。
実践は、した。
喉が爛れるかと思うような甘さだった。思わず鳥肌が立った。
が、奏多と春歌さんは平気らしい。
「クッキーがさくさくして美味しい!」
「柑橘系で爽やかね。…息子先生、和菓子にもこのくらい甘い物はありますよ」
女って凄いな。
というか、奏多。なぜ体重を気にするくせに、そんな太る塊のようなものを好むんだ?
ひととき経つと、女性ふたりは食べきって満足したらしい。
俺はその間に、まだ茶に手を加えていなかったリュー青年と交換してもらい、お茶本来の味を楽しんでいる。
物欲しげに手付かずのジャムを見つめていた奏多は、ふとリュー青年を見上げて言った。
「ねえリューさん。もしかしてリューさんってすごい人? 裁判とか、なんかすごいですね!」
と、目を輝かせている。
モーリスさんの時も思ったが、結構ミーハーだよな。
まあ、キラキラしい外見と、フライパンを一瞬で切断する剣の腕からもただ者じゃないオーラは出ていたけどな。
その質問に対して、リュー青年は気まずげに苦笑いを浮かべる。
「僕はただの放蕩息子だよ」
ということは、奏多曰くの『すごい人』であるのは間違いないんだろう。
「特に何が出来る訳でもないしねぇ…。それに、歳の離れた兄が、もうすっごく優秀だからね! 家のことは全部兄さんに任せちゃえば問題ない。僕なんてお呼びじゃないよ。
で、僕は安心してフラフラしてるんだ。
リジアまで来れば連れ戻しに来る怖い人も誤魔化せるしね!
まあ、その家とか家族の関係で、この国にはちょっとコネがあるから、裁判の申請が早く通りやすいんだ。ただ、身元証明とかに時間はかかってしまうけど、手続きすれば裁判は誰でも出来るんだよ」
と、にこやかに話をしめて、奏多は「そうなんですか」と相槌をうち、にこりと笑いあった。
おい。
どうせ、モーリスさんと似たようなものかなぁとか思っているんだろうが、こいつは全然違うぞ!!
他国に影響を及ぼせるような家の次男だ。
しかも、誤魔化せるってことは、他国まで探しにくる人間がいるほど重要な人物ってことだ。
最低でも大貴族。だが、俺の予想は…
春歌さんをそっと伺うと、ふわりと、何の問題もないというように安心させる笑みを浮かべて、
「わたし、暴れ○坊将軍って大好きなの」
と、全く安心できない助言をくれた。
そう、リュー青年は、恐らく王族なのだろう。
「まあ、僕自身は全然大したことないんだ。
だから、カナタちゃん。僕のことはぜひリューって呼び捨てにしてよ。
もちろん敬語もいらないよ。ああ、二人も普通に話してくださいね」
と、キラキラしい笑顔で彼は言う。
無茶言うな。
だが、誰よりこの場を理解していない奏多が、何の躊躇いもなく爆弾を落とした。
「ねぇ、じゃあリューは、異世界召喚って知ってる?」