城下町⑦
■王子様現る
「い、いや、だってこいつがウチの飯を死ぬほど不味いって言うんだぜ?」
まずいところを見られたと動揺を走らせながらも、こいつ、と店主は奏多を指さした。
「え! おやっさんの飯を?」
それを受けた金髪青年も驚きを浮かべて奏多をまじまじと見る。信じられない、と言いたげな視線を受けて、奏多はすっくと立ち上がる。
「そうだよ!不味かったもん!あんなの食べ物じゃない!どうせわざと不味いの作ったんでしょ!」
今にもつかみかかりそうな勢いで叫ぶ。
「ぁんだと!?」
と案の定店主が怒り狂って再度フライパンを持つ手に力が籠もるが、すぱん、と簡素な音と共にそのフライパンは持ち手と鉄板部分が離れた。支えを失った円形の鉄板部分は料理を撒き散らしながら床に落ち、ぐわんぐわんと反響しつつ独楽のように回り倒れる。
「俺の商売道具が!!」
「だから言ったのになー。それは料理道具であって女の子殴るための道具じゃないでしょ? むしろそんな道具なら無くて良い。
という訳で、僕に文句ある人挙手して!!」
悲鳴を上げる店主と、剣を鞘に納める青年。フライパンは彼が切断したらしい。良く通る声を張り上げて、店内の客たちに呼び掛ける。
どうやらこっちは放っておいても大丈夫そうだな。
俺はその隙に春歌さんの元に行き、手を取った。
「無茶をしましたね」
脈が普段より大分早い。それでも、一見しただけでは春歌さんに動揺は見られないのがすごい。柔和な表情のまま、「ちょっと、頑張っちゃったわ」と少しだけ苦い笑みを浮かべる。
「でも母親って、やるときはやるのよ? 息子先生のお母様、のばらさんもそういう方だったでしょう?」
突然母親の話になってギクリとした。
俺の母親はもういない。わずらっていた病気がついに治らず、俺は海外にいて死に目にすら会えていない。
父親と姉が帰ってこいと言う中で、母親だけが『来るな』と言った。男が一度目指したものを捨てるのかと。お前が来たら私は生き残れるのかと。
そんな訳が無かった。
「……後で、奏多に怒られますよ」
何とか絞り出した震える声に、春歌さんは全く気付かないふりをして、幸せそうに笑う。
「ふふふ。あの子は怖がりなのよ」
当たり前だ。親を失う恐怖に、泣き虫奏多が耐えられるとは思えない。
俺だって、まだ、母親の真意は分からないままだ。
「じゃあ、賛成の人は拍手!」
一方、店の方ではまだ青年が独壇場を繰り広げていた。
どうやら反対の手は上がらなかったようで、再び青年が追加で声をかけると、パチリ、と中の一人が拍手をする。
それを皮切りに、あちらこちらのテーブルで拍手が上がり、全員が立ち上がって盛り上がった。
「リュー! 相変わらずキレがあんなー!」
「やってやんなー! 酒の一杯も奢ってくれりゃあ加勢するぜー!」
などとわいわいやりながらビールを煽る。
常連に裏切られた形になった店主は彼らを振り返り、「黙れ、この裏切り者ども!」と涙声で叫んでいるが、もはや一時の迫力はどこにもない。いじめられっ子の雰囲気を醸している。
「みんな、ありがとう! 奢りはないけどこれで盛り上がってね!」
青年が声を張り上げ、腕を振るとキラリと小さいものがそこらじゅうにばら撒かれた。中にいた客達はその瞬間に我先に床にしゃがみ、小さいものを拾い集める。青年はまだまだ撒いているので、それを直接空中で捕まえる者もいる。
一つがこちらに来たので拾い上げると、それはモーリスさんに貰った小袋にもあった、何も書いていない小さい金属片だった。
間違い無くこういう使い方をするものでは無いのだろうが、客たちの態度を見ると価値はあるものらしい。よく分からない。
やがて満足したのか、彼は晴れやかな笑顔でごく自然に奏多の手を取って微笑む。
「危ない所だったね。怪我は無かった? 僕はリューっていうんだけど、君の名前を教えてもらってもいいかな?」
初めて見るレベルの美形を目の前にしているからだろう、奏多の表情は一切動かない。
ガチガチに固まったまま、「奏、多、です」と切れ切れに名乗っている。落ち着け、と言ってやりたいが面白いから見てても良いだろうか。
「カナ・タ・デスちゃん?」
ぶっ、と思わず噴き出した。
いいな、その名前は強そうだ。
奏多は耳聡く俺が笑ったのに気付いたようで、こちらをギッと鋭い目で睨む。助けなかったことも含めて混乱して八つ当たりが入っているな。面白くてしょうがない。
にやにやしていると、睨んでも効果が無い事がわかったようで、諦めて金髪青年に向き直った。
「いいえ、奏多です」
「了解。カナタちゃんだね。かわいい名前、似合ってるね!」
「ど…どうも」
言われ慣れなすぎて動揺している。
本気で助けて下さい!と目が言っているので、春歌さんを連れて奏多の所まで数歩の距離を詰めた。俺たちが近くに寄るとようやくほっと息をついて、奏多は金髪青年を真剣な目で見上げて、頭を下げた。
「助けてくれて、ありがとうございました。あのままだったら、お母さんが大怪我してた。本当に助かりました」
奏多のおじぎは何度見ても丁寧で綺麗だ。
もしこの世界に礼をする文化が無かったとしても、心のこもった動作というものは伝わるはずだ。
俺と春歌さんも後に続いて頭を下げ、感謝を述べた。あのフライパンで打たれたら、かなり重度の火傷を負ったはずだ。火傷は一定の範囲を超えてしまうと治療が難しい、時間と設備を必要とする怪我だ。命の恩人と言っても過言ではない。
「ううん、良いんだよ。僕はこの辺でいつもフラフラしててね、庭みたいなもんなの。散歩中に、自分の庭で怪我している小鳥がいたら手当てするでしょ? それと同じだよ」
にこにこと眩しい笑顔を浮かべて言うが、俺にはよく意味が分からない。
「さて」
青年は店主を振り返った。店主はまだ床に崩れてフライパンに嘆いている…かと思いきやそのフライパンに金属片をめい一杯拾い集めるのに夢中になっていた。駄目だなこいつ。
「おやっさん。この子に何か言う事ないの?」
その店主の手を掴んで止めて、青年は言う。
店主は邪魔をされて一瞬怒りかけたが、それをしたのが青年だと気づくとすぐに冷め、思案する。
「俺の飯は旨い。それと、昼飯代払え」
「違うでしょ。乱暴してごめんなさい、でしょ」
「知らねぇな。俺は寸止めするつもりだったんだぜ? リューが商売道具ぶった切ったせいでこっちは大損だ」
「弁償はしないよ。だいたいその手の調理器具は沢山あるでしょ。コレクターみたいなもんじゃないか」
「これは愛用品なんだよ! 油を仕込んで毎日毎日調整してんだ」
「あーあ。鉄にばっかり愛情込めちゃって。同じくらい女性にも優しくすべきだよ」
「ほっとけよ」
この2人は随分気心が知れているらしい。軽口めいたやりとりをして、お互い立ちあがった。
店主は太い指でガリガリと頭をかくと、奏多、そして春歌さんを見て、言いづらそうにしながらも言葉を口に出した。
「姉さん、悪かったよ。あんたには怖い思いをさせた。
嬢ちゃん、威勢が良いのは気に入った。だが、俺の飯は旨い」
どうしてもそこだけは譲れないらしい。流石に奏多も空気を読んで折れて、「うん、そうだね…」とどこか遠くを見ながら肯定の返事をし、「だろう!!」店主が嬉しそうに破顔した。
よし。ひとつ大人になったな、と後で言ってやろう。
「で、昼食代だっけ? 三人分?」
はい、と青年が店主に銀貨を三枚手渡すと、店主は少し苦い顔をしながらも「まいど」と受け取った。
なるほど。正規価格は金貨三枚ではなく銀貨三枚だったんだな。
それについて奏多がぴくりと反応したので、また話を蒸し返さない為にもさっさと退散することにした。
青年に声をかけて付いて来て貰いつつ、宿屋『赤犬亭』を後にする。
「また来てくれよな!」
店主の声を背中に聞きながら、
「絶対嫌だ…」
奏多の疲れた呟きと、俺の心の声がシンクロした。
そのまま数分連れ立って歩き、人通りが落ち着いた場所で息をつき、俺はリュー青年に銀貨三枚を差し出した。
「ありがとうございました。これ、お返しします」
しかし青年は受け取らなかった。
「いいよ、僕の奢りってことで。おやっさんの料理は口に合わなかったみたいだし、あんまり食べてないでしょ?」
あんまりどころか…
だが、だからといって助けてくれた青年に金まで払わせるのもおかしな話だ。
「いえ、そういう訳には」
と言いながら差し出すと、長いまつげでまばたきをして驚いたようだった。
「君は律儀だねぇ。普通は奢るって言われたら二つ返事で喜ぶものだよ?
まあ、そこまで言うなら受け取るけど。
でも、僕に払うのなら、最初からおやっさんにお金出しておけばあんな騒ぎにはならなかったんじゃない?」
銀貨三枚を受け取りながら、リュー青年は首を傾げた。こてん、という動作に違和感がない男も珍しい。
そしてその質問には奏多が勢い勇んで答えた。
「だって、金貨三枚って言うんだよ!!」
「宿代が金貨二枚と銀貨一枚だったもので。食事代がそれ以上ということは無いだろうと、流石に分かりましたからね。どうにも動きが取れなかったんですよ」
奏多に続いて補足した。
青年は、それを聞くと絶句して目を見開いた。
「宿代は1人3フォイ…銀貨三枚だから、金貨を1枚出したら、3人分でも銀貨十枚以上お釣りが来るハズだけど…」
「え?」
分かっていたことだが、やはり詐欺にあっていたらしい。