握力六十五キロ
……これは○○○新聞で行われた元少年Aの独占インタビューの記録である。
〝スポーツテスト〟というものがあるじゃん。小学校から高校まで行われる、いわば体力測定のこと。どのような意図で行われるかは知ったことじゃない。おそらく現在の体力を知ることでうんたらかんたら、だろう。
ぼくはスポーツテストが苦手だ。体格的には大きくないし、運動だってそこまで得意じゃない。ランクで言えば中の下くらいだろう。でも、一つだけ得意なものがあった。それは〝握力〟だった。〝瞬発力〟に分類されるこのテストは走ったり跳ねたりする必要がない。単純な〝力〟のみだ。それにプラスアルファで噛む力だったり手のサイズだったりがつくだけ。こんな簡単なテストは他にはないだろう。こんな〝もやし〟みたいな身体のクセに、どういうわけか〝握力〟だけは強かったんだ。驚くなかれ両方とも〝六十五キロ〟だ。得点でいえば十点満点中〝十点〟。まさにポ○イ級というわけだ。
それにはもちろん理由があった。一つは荷物がリュックではなく手提げカバンだということ。教科書や筆記用具を入れたカバンはかなりの重量がある。それをほぼ毎日つかみながら登下校するのだ。いやでも握力はつくだろう。それともう一つは……いや、ここでは避けておこう。
ぼくには夢があった。いろんな人を救いたい、という子供らしかぬ夢だ。別に親が医者というわけじゃないし金持ちというわけでもない。ただ、漠然とした夢を持っていたにすぎない。
ぼくにも夢があった。〝あった〟んだ。でも、もう叶えそうにない。なぜなら、ぼくの目の前には大きな障壁があったからだ。これから話すのは、ぼくの惨めな人生についてだ。耳を傾けてくれたら、と思う。
幼い頃から周りに迷惑をかけまくる問題児。他家の窓ガラスをぶち破るし、相手に暴力を振るって泣かせるしで、まさに人間のクズ。それがぼくだ。
もちろんその末路は決まっている。……〝いじめ〟だ。小学校二年くらいからだろうか。乱暴者だったぼくを取り囲みリンチした。もちろんぼくも暴れたさ。でも多勢に無勢だ。ボロカスにされたよ。でも、それが幸いしたのか、ぼくは他人を傷つけることはなくなった。代わりに傷つけられるようになった。
……ん? 自業自得だって? もちろんその通りだ。さすがのクズなぼくでも、それは理解できたよ。これは……報いなんだって。それにしてもあの時はすごかったよ。学校はおろか地域や、挙句の果てには家族さえもぼくを見限っていたからね。家族は直接的な暴力を振るわなかったけど、雰囲気でそう感じたんだ。子供の感覚って鋭敏だろう? とても相談できることじゃなかったよ。たぶん、ぼくと敵対することによってバッシングを少しでも和らげようとしたんだと思うよ。案の定、成功したようだけどね。良かったよね。……それに比べてぼくはまさに漫画の……なんだっけ? 思い出せないけどそういう漫画があったろう? ……まぁいいよね。
でも、そのまま続くわけじゃない。まさにドラマのような転機が訪れたんだ。……それは兄貴が中学に入った時だった。……あ、話すのを忘れてたけど、ぼくは四人家族で二人兄弟の弟なんだ。それで、兄貴が中学に入って部活を始めたのさ。それがキッカケ。
ぼくの唯一の味方は兄貴だ。表ではぼくをにらみつけたりするけど、裏ではぼくを励ましてくれるんだ。同じ部屋で寝てるんだけど、一緒にゲームしたり漫画を読んだりしてた。ぼくをかばいはしないけど、ぼくは兄貴に依存してた。
……え? 全く関係ないだって? 大アリさ。部活に入るとどうなる? ……もちろん心身ともに鍛えられるし、友人だって増えるし。兄貴は天才だったからね。ぼくなんか足元にも及ばないくらいに。……でも、それよりももっと大きく変わることがあるんだ。それは……〝ストレス〟。ハードな部活と濃密な人間関係で精神をすり減らされるようになった。まるで地雷原を渡り歩くような生活だったそうだよ。で、だ。そのストレスはどこへ向けられると思う? ……予想通り、〝ぼく〟だ。ついに兄貴はぼくに手を出すようになった。この時のぼくは小学校四年だ。
兄貴がストレスで暴力を振るうようになった。ぼくにとって唯一の味方だったのに……。これでぼくは〝孤立無援〟、〝四面楚歌〟になった。学校だといじめられ、家だと兄貴に痛めつけられる。そんな生活は三年間みっちりかかった。四六時中痛い思いをしてるんだ。……さすがに、雀やハチの死体を食わされたり、自殺ごっこを強要されたりはなかったけどね。
……え? じゃあどんな暴力だったかって? 学校だと……まぁハブられたり、教科書捨てられたりするのは当然だよね。リンチもあったし……なんだろう、覚えてないな。あ、根性焼きなんてのもあったなぁ。……簡単に言ってるって? そりゃね。こんなのぼくにとっちゃ生温いよ。……だって……家の方がきつかったんだから。
ぼくの家は部屋数が少ないから、必然的に兄貴と一緒の部屋なんだ。そこでは、兄貴より絶対に先には眠らない。一日中ならずっと起きてる。なぜなら兄貴に×されるからだ。……これでもぼくは中学生くらいまでは女っぽかったんだ。今では見る影もないけどね。それで、ストレス発散のためにぼくは×される。騒いだって無駄さ。誰も助けてくれないからね。鍵を掛けられ、密室で……。それが一年間くらいかな。男同士でもそういうことはあるんだよね。そういうことってだいたい女性が中心になってるけど、男性の場合だと聞く耳すら立ててくれない。だから泣き寝入りするしかないんだよね。しかも孤立無援な状況じゃなおさら。だからぼくは受け入れるしかなかった。……大丈夫、変な漫画みたいな状況はないよ。××に出されたり××されたりはなかったからね。もちろん××を吸わされたりも全くない。さすがにお縄になっちゃうからね。
いじめはぼくが中学卒業するまで続いた。兄貴の方は兄貴が中学卒業したらパッタリなくなったけどね。ストレスから解放されたみたいだよ。
それでぼくは卒業するとともに誰もいない高校に進んだ。そこではいじめに遭うことはなかった。友人もできてまともな学校生活を送る事ができたよ。……あぁ、これが人間の生活なんだって実感した瞬間だった。
ん? その後はって? 特に何もないよ。普通に学校に通って、大学に進学して卒業して終わり。……え? 謝罪はないかって? あるわけないじゃない。だって、彼らにしてみれば、あれは〝ストレス発散〟だったんだから。サンドバックを殴ってスッキリするのと同じ。これのどこに謝罪する理由があるのかな? ……ないよね。まぁ、彼らは高校進学後もいじめをしてたみたいだし、反省なんてないんじゃないかな。あと兄貴は何事もなかったかのように、ぼくをパシリにしてたし……うん。
……兄貴のあれがキッカケじゃないって? みんなから見ればむしろ状況悪化だろうね。でも、ぼくにとってはキッカケだったんだ。なんたって、拳を握る回数が倍以上になったんだから。……あ、これが握力が強くなった理由の一つだよ。さすがにいじめられっぱなしってわけじゃない。でも、諦め癖がついてたぼくは拳を握るんだけど、緩めちゃうんだ。勝てっこないから。それが何回も繰り返されて、知らずのうちに握力がついたってわけ。
……あぁ、そうだね。唯一の力を使わずにはいられなかったよ。手始めに兄貴の首を本気で絞めたよ。すごい感触だったなぁ。ぼきぼきって音が聞こえたんだ。たぶん首の骨が折れた音だろうね。……ほら、〝プチプチ〟って知ってる? 空気が入ったやつ。あれをプチプチ潰すのと同じ感覚だよ。すっごく気持ちいいんだ。納得いかない音だとムカツクから、思いっきり握ると、ぼきぼきぼきぃっ! っていい音が鳴るんだ。あぁ~っはは……で、次にいじめっ子。顔をつかんだらミシミシってしたよ。顔の骨って案外硬いからヒビも入らなかったよ。そのままじゃムカツクから首の骨を折ってやったけどね。……彼らはどうなったかって? 首から下は全部マヒになったらしいよ。脊髄を傷つけたんだね。ベッドで寝たきりみたい。
……最後に一言? あぁ、もし、本気で誰かを憎んでるのなら、首の骨か背骨を折ってやればいいよ。たとえ腕力で勝てないとしても闇討ちにハンマーでも持っていけばいいし、人体の急所だし、もれなくマヒになるからね。……なんでって? だってぼくがこんなメに遭ってるのに、暴行してた連中が幸せになるとかおかしいじゃん。ただ、簡単に殺すのは苦しまないからね、生殺しにしたんだ。兄貴たちはあと六十年近くもあんなイモムシみたいな人生を送るんだ。いい気味だろう? ……あっちの人権? そんなの知るかよ。ぼくの人権はどうなの? 誰か守ってくれた? ……守ってないよね? ぼくはちっとも後悔してないよ。自分で自分を守ったんだから。……自殺? ばかじゃないの? どうせ自殺して人生終わらせるなら、復讐して絞首刑になった方がマシだよ。どっちにしろ死ぬつもりならね。ただ、そこらへんは少年法が守ってくれるから死刑になるはずないし、服役して出所しても本人からは復讐なんてできないしね。したいならすれば? あっははは。
ごめん、まだ言いたいことがあるんだけど、それで最後にしていいかな? ……ありがとう。……加害者の諸君、これは警告である。我々被害者は非力な存在だ。しかし、非力であると同時に非情でもあるのだ。その手を止めずに暴力を振るい続けるならば、その手を地獄へと引きずり込むことになるだろう。我々はもはや〝神風特攻隊〟である。同志よ。今すぐに武器を持ち、彼奴らに絶望を与えるのだ!
以上のような話をして、取材を終了した。終始、あくびれたようすはなく、まるで花火大会を見に行くかのような、少し興奮したようすだった。自分の話を聞いてくれる人物がいたからだろうか。
私は気持ちが分からぬわけではない。かつて私も〝いじめられっ子〟だからだ。ただ、どこか人間離れしているような気がしてならない。ベクトルは違えど、かつての凶悪殺人事件と同じ匂いがした。
元少年Aはいじめの時期が早かったからなのか、精神が成熟していないようにも見えた。丁寧語を使わず筆跡も幼稚で、無邪気に笑うその顔は戦慄を走らせるには十分だった。取材を終えた今でも震えが止まらない。
確かに元少年Aの人生は不遇で理不尽なものであることは理解できる。しかし、復讐のタガが簡単に外れてしまうことは〝恐怖〟の一言に尽きる。想像してもらいたい。仮に、彼に何か不利益をもたらせてしまったら、その相手を躊躇なく手にかけるだろう。そうなれば彼と関わる人間が減ってしまうだろう。しかし、それすらも彼にとっては不利益でしかない。そうなったら対象は誰になるのだろう。もしかしたら〝社会〟なのかもしれない。つまり……凶悪事件になりかねない。
元少年Aは心身衰弱状態と未成年のため、減刑が命じられた。あれだけの事件でありながら、わずか半年の服役である。彼はまた世の中に放たれるのだ。これは猛獣を檻から出した状態だ。味方もいない、敵もいない。しかし自分から敵を作り出してしまうかもしれない。私の懸念はそれだけである。
どうも、水霧です。今回は〝その他〟のジャンルに挑みました。いかがでしたか? 思いつくままに書きました。今、〝いじめ〟についてよく報道されているので、極端な話にしてみました。
もちろんですが、このお話は完全なフィクションです。新聞社のインタビューや元少年Aのお話、裁判やその結果も存在しませんので、あしからず。それと、犯罪を助長する意図はありません。良い子の皆さんなら、大丈夫ですよね。
〝いじめ〟は昔から問題視されていますが、むしろよりひどくなっているように思えます。ですが、いつだって被害者は〝弱者〟です。いや、〝弱者〟であるから被害者にされてしまいます。しかし、これだけは言えると思います。〝弱者〟であるからいじめていい理由にはならない、ということです。ですが、これは〝被害者の理論〟なのです。加害者の理論は〝弱者が気に食わないことをしたから〟だったり、〝ムカツクから〟だったり、様々な理由です。つまり〝いじめられるのは被害者が悪い〟ということです。
被害者は〝加害者が悪い〟、加害者は〝被害者が悪い〟……、おそらく永遠に分かり合えないと思います。責任をお互いになすりつけているのですから。
ただし不幸なことに、社会では〝加害者〟が圧倒的に有利です。それはニュースを見れば分かると思います。学校はおろか警察にも頼れない、親にも頼れない。そうなったら被害者は自害するしかありません。本作はそんな〝元少年A〟が出した別解の一つなのです。極論ですけど……。
もし、あなたが被害者や加害者ならば、今一度ここで自省することをお薦めします。誇りや自尊心なんてこの際無視です。そこで、自分が何をすべきなのかを考えてみてください。その手を赤く染めるのか、相手の手をつかんであげることなのか。あるいは誰かに相談することもいいと思います。特に被害者は自分を守ることに徹してください。本作が本当にフィクションだけで済むように祈るのみです。
ちなみに、〝握力六十五キロ〟というのは筆者の記録でした(笑)。馬鹿力にもほどがある(笑)。
読んでいただき、ありがとうございました!