8
部屋に戻ると ベッドに座っていた女が グラリと前のめりに倒れるとこだった。
入り口で とっさに伸ばした手が彼女に届くはずもなく、床にドサっと鈍い音がたつ。
なんてことだ!!自害したか!?
慌てて駆け寄り女の脈を確かめる。ついで致命傷になりうる部位に傷がないか確認する。
脈はある・・・自傷の様子もない。弱弱しくはあるが呼吸もしている。
ほぅっと安堵のいきが漏れる。
ひんやり冷え切っている腕。青白い顔。
しかし先ほどよりは頬に色がさしているように見える。
・・・一人になって気が抜けたか・・。
ひとつ苦笑を漏らし、女を起こさぬようそっと抱きかかえてベッドに寝かせてやる。
青い顔色。
目の周りだけが赤く腫れぼったく色づいている。
ついさっきまでの女の怯えようはひどかった。
馬車に乗っているときもはひどく気を張っており、末期の病床にいるかのような顔色をしていた。
あまりにかわいそうで 寝たふりをしてやると ごそごそしたかと思うと急に静かになり こっそり見やれば女はすっかり眠ってしまっていた。
起こせばまた怯えるのだろうと思い 極力刺激を与えぬよう屋敷に到着した後もゆっくりそっと抱いて部屋まで運んだのだ。そうしてベッドへ寝かせた。
・・ここまでのわたしの対応は紳士であったはず。
なにもやましいところはない。
そのまま部屋を出ていけばよかったのか。
しかし 女の頭にゴタゴタとついている装飾品が安眠を妨害していそうで ほどいてやりたかったのだ。
そして つい、女の寝起きの顔をまじまじと見てしまったのだ。
目を覚ました女は寝起きの子犬のようで微笑ましく 潤んだ瞳もまた愛らしかった。
けれどもこれが 悪かったのであろう。
女というものは寝起きの顔を見られるのを嫌う習性がある。
親しい間柄ではないのに きっと不躾に見すぎてしまったせいで 驚かせたうえ、嫌悪されたのだろう。
急に距離をとられ せき込む姿があわれで背をさすってやろうとしたのだが・・・
あの拒絶にはさすがのわたしも少々傷ついた。
手を叩かれたと思ったら なんと剣を向けてきたではないか。
一瞬「やはりただの刺客だったか・・・・おしいものだ」なんて考えてしまった。
しかし幸いなことに扱い方は知らなかったようで、鞘の方を握り 柄をこちらに向けていたものだから
女の態度とは裏腹に そんな光景でさえも微笑ましく一瞬浮かんだ考えはすぐに一掃された。
必死の形相で震えながらもわたしに対峙している姿はいじらしくもあり、自然と笑みがこぼれた。
いや そこまで怖がられる所以はないと思うのだが・・・
「そのようにして振り回したらあらぬ方向へ飛び 貴方に刃が刺さるかもしれない。危ないからそれはよしなさい。」
まず怖がらせないよう両手をあげ 敵意のないことを伝えた。
「大丈夫。貴方を傷つけたりはしないから そんなに怯えないで。」
ゆっくり できるかぎり穏やかに 警戒を解きつつ 近寄る。
しかし女は首を振るばかりでさらに緊張を高めていく。
混乱して声が届いていないのだろうか。
「怖いことはないよ。大丈夫。それは危ないから。こちらへ渡しなさい?」
さて困った。
女は気を許すどころか、ここから逃げ出したいとばかりに扉へ手をかけ、そうして叩き始めたのだ。
気が違ってしまったかのように ダン!ダン!ダン! とひたすらに鈍い音を響かせる。
女との距離はもう二歩というところ
これは近づいてはいけなかったか。しかし剣を握ったままでは危ない 止めるべきか。
迷っている間に女の手に血が滲んでしまっていた。
ああ なんてことだ。せっかくの柔肌が!!
「やめなさい!!」
気が付けば女の様子を気遣う間もなくつい怒鳴ってしまっていた。
ああ しまった。
案の定 ビクンっと全身を硬直させた後、女は事切れてしまったかのように動きを止めた。
「驚かせてしまった。すまない。・・・貴方の手がすっかり傷だらけになってしまった。そのように怯えられるのはわたしのせいか?それとも貴方にやましいところがあるからか?」
反応は ない。
そうだった。声を奪ったのだった。
「本当に貴方に罪がないことを心から願っているのです。もしあったとしても女性に手荒なことはしたくない。どうかここで大人しく待っていてはくれませんか。」
女はピクリともしない。
軽く息を吐き「とりあえず手当てを。」と言い、剣を返してもらう。
あまり遠くに離れるわけにもいかず 部屋の中にあった清潔な布で応急処置をする。
・・・なぜ わたしがこの女の世話をしているか?
ここは当初から予定していた花嫁たっての願いである「海の見える別荘」である。
新婚旅行はできる限り二人で過ごしたい と願ったのも花嫁。
そのために必要最低限のものしかここにはいない。
さらにいえば
「目を合わせると御子お身籠ってしまう」などという 男として名誉だか不名誉だかわからない噂がまことしやかに囁かれているせいで 我が家の使用人は男ばかり。
本来なら花嫁自身が侍女を連れてくる予定であった。
等々の理由で
今 この見知らぬ女の世話をできる者がいないのだ。
ただの別荘に監禁できる部屋などなく、女性一人の部屋に男の護衛(兼監視役)を置くわけにもいかず・・・仮にもわたしの花嫁なのだ!!・・苦渋の選択としてあの華奢な足に枷をつける手段を選んだ。
この方法は 不本意である。
あの無骨な銀色の鎖はそこにあるだけで女性の魅力というものを半減してしまう。
せめて直に着けるものだけは金のアンクレットを選んだが・・あの金の太さには少々不満が残る。この白い足にはもっと繊細な金の方が似合うはずだ。
さて きちんと手当てしてやらねば。それに・・着替えも必要だな。
女の真っ白だったドレスには赤い染みが滲んでいる。
見た目より傷が深いかもしれない。必要なら医師も召喚せねばならない。
床に座り込んでしまっている女に手を差し出す。
「貴方に必要なものを用意してきます。ベッドで休んでお待ちなさい。」
女の様子は幾分か 落ち着いたようにみえていた。
軽い気持ちで声をかけたのだが
女の顔があがった瞬間
後悔した。
いや 何に対しての後悔かわからなかったが
なんという顔でこちらをみるのか。
なぜ泣いているのに笑うのか。
辛く悲しいなら苦渋に満ちた顔で泣けばいい。
なぜ笑う。
悲しみを滲ませ涙を流しながら笑むのはなぜ
わたしはこの女に絶望を与えているのか?
何に怯えているのか
何に
女性にこのような顔を見せられたことなどなかった
なにがここまで女を追い詰めているのか
原因はどう考えても供にいる わたし
わたしの何にそこまで・・・・
そしてひらめいたのだ。
そうか!
・・・・あの 噂か!
そうか やはりこの女は無理やり、もしくは何も知らされずにわたしの花嫁となったのだろう。
そうでなければこの怯えようは考えられない。
そうか ならば誤解を解いてやらねば。
歪んだ顔でこちらを見上げる女をやや強引に立たせベッドへ座らせる。
見下ろしては威圧的になってしまう。
誠意を見せるために片膝をついて 女の目を見る。
「貴方は誤解をされているようだ。そのように怯える必要はないのです。わたしは貴方の身の振り方を考えているだけ。貴方に無理やり子を産ませようなど考えてはいません。もし、わたしと目があったとしても わたしの手に触れたとしても・・・・・唇が触れ合ったとしても!・・・子を身籠るなどということは決してないので安心なさい。」
女の目にかすかに力が戻る。
「ここに誓いましょう。貴方が何者であれわたしは貴方を決して傷つけないことを。」
目をそらすことなく誓いを立てる。
女は何か思案している様子であったが やがて俯いてしまい首を横に振った。
・・やれやれ いきなりは信じろというのも無理な話か。
わたしはしかたなく立ち上がり着替えを持ってくることを伝え、部屋を後にしたわけだが
安らかとは言い難い女の寝顔。
皺のよっている眉間に軽く口付る。
自害したのでなくて よかった。
・・・やはり 目を離すべきではないな。
扉の外にむけて声をかける。
「シアはそこにいるか。わたしの部屋に女を移す。手伝え。」