ゴブリン退治前哨①
ゴブリン退治前哨のエピソード集には、女猟師メイベルとロウリ、街道クッキー、緑マーブル販路開拓、東中の原温泉等々様々な人や物が登場します。投稿時は、それらを初登場させるためのエピソードでした。
中の原盆地の北東部の山中では、アンガス率いる猟師達がクモの痕跡を探していた。中の原町長のアドルフからの依頼だ。
中の原の北部は急峻な山岳地帯になっている。その山並みはセルトリア王国を南北に分断していて、山頂部分は万年雪に覆われている。通常の人の目で確認できる大きさの生き物はいないとされていた。
四方に広がる山裾には深い樹海が広がっていて、様々な魔物が自分達の領域を持ち生息している。
最も強大な魔物は魔王だが、魔物の全てが魔王に従属しているわけではない。伝説のドラゴンを始め、魔王とは異なる生態系を築き上げる種族も生息している。クモを含めた虫系と呼ばれる魔物もそうだ。
魔物化していない虫がそうであるように、彼らの生存戦略の基本は多産だ。クモの場合、大量の卵を産み孵化した後に風に乗り拡散していく。行きついた先で他の生き物に次々に捕食されながら、ごく僅か生き残ったものが徐々に魔物として成長していくのだ。
数年を経て充分な強さになると、縄張りとして巨大な巣を樹間に作り魔獣をも捕食してより強大になっていく。
巣を作って後、数十年を経た個体は、もはや人間の手には負えない領域を築き上げている。
領域と領域が重なった場合は、争いが起こり勝ったものが双方の領域の主となった。
大量に産まれた幼生は時として人の住む領域の近くまで風に飛ばされてくることがあり、人の脅威となった。成長してしまうと、巣に引っ掛かった生き物は人であろうが家畜であろうが、不幸にも餌食になるだけだ。退治するにも相応の犠牲を伴っていた。
アンガスが調査しているのはそういった連中の生息範囲が拡大しているかどうかだ。
既に森に入って一週間が経つ。元々通報があった場所を中心にして、地元の猟師達とアンガスの連れて来た猟師達で、幾つかの山小屋を拠点として手分けして調査していた。
夕暮れ時になって、三人一組の猟師達が順にアンガスのグループが拠点とする山小屋に帰ってきた。山小屋は石材を積んだ土台の上に丸太を組み上げた頑丈なものだ。
現在この山小屋は、アンガスを筆頭にして十二人が起居している。
四班編成とし、三班が調査に出ている間、一班が留守番にあたった。留守番と言っても、食事の準備、生活環境を維持するための清掃、薪割り、水汲み、森での食材探しと多忙である。
アンガスの娘ハンナの幼馴染であるロウリも今回の調査に参加していた。今日は留守番にあたっていて、小屋にある調理場で罠に掛かった兎の肉と香菜とを煮込んだスープを作っていた。
そこへ一日の調査を終えたアンガスの班が帰ってきた。
「帰ったぞ。よう、ロウリ。美味そうな臭いだな」
三人の猟師がどかどかと入り込むと、テーブルの上に弓と矢筒を置く。一人は水瓶を置いてある所にいくと、水を一杯旨そうに飲んだ。水は留守番の班が汲んで来たものだ。
「お帰りなさい。アンガスさん。兎を煮込んでいるんですよ。皆さんが帰ってきたら食事にしましょう」
ロウリが良い臭いのする鍋をかき混ぜながら答えると、アンガスは満足そうに頷いた。
後の二人はどうした? と聞くと、小屋の裏で明日の朝食にする兎を炙っている、と返事があった。炙った後で氷室に入れて保存しておくのだろう。
アドルフ町長は、アンガスにクモの調査を依頼した時に、複数の初級魔法を使える斥候を一人貸してくれた。おかげで火おこしや穴掘り、水汲みといった作業が捗り重宝している。地下室の一角に箱を作って氷で覆い氷室まで作ってしまった。
依頼の報酬は二週間分の食費込みのはずなのだが、自前で手に入れた分の浮いた経費については返却不要だと言われている。そこはボーナスなのだろう。
彼をロウリと同じ班にしたのも正解だと思った。彼女は経験も浅く、まだ腕の良い猟師とまでは言えない。斥候の技に至っては未熟そのものだ。アドルフ町長直属の斥候と行動を共にすることは、ロウリにとって大きな経験になるに違いない。
皆が帰って来て食事になった。パンとチーズを齧り、兎のスープに舌鼓を打ちながら一日の報告をする。調査に出た三つの班からの報告はクモが多くなっているとのことだった。調査に来て以来同じだ。
しかし、今日は一つの班が今までと異なる事を報告した。ゴブリンがいたと言うのだ。ゴブリンは五匹で森を徘徊しており、クモを見つけては食べていたらしい。
ゴブリンの巣をどうするか。事実は事実として報告するにしろ問題が残った。
「跡をつけたか?」
アンガスが聞くと、棲み処と思われる洞穴を突き止めたらしい。五匹のゴブリンはそのまま洞穴に入っていったとのことだった。
「見回りか。だとするとかなりの数だな」
猟師達は腕組みをしながら唸った。
ゴブリンは夜行性だ。つまり昼間は大半が寝ているはずだ。それにも関わらず五匹の見回りが巣から出て来た。巣穴周辺の見回りを四方に出したとしたら見回りだけでも二十匹いる。巣穴に倍の数がいるとすれば全体で六十匹はいることになる。それも最低の数字だ。
魔王軍の手先なのか、それとも魔王軍とは関係ないのか。それによっても対応は異なってくる。しかもクモを食べていたのなら、今回はある意味益獣として働いている。現場として判断に迷うとはこのことだ。
「どうかしたんですか? ゴブリンを見つけたら衛兵隊に通報するんですよね?」
猟師達が深刻な表情をしているのを見てロウリが一人キョトンとしていた。
ゴブリンがいたら衛兵隊に通報する。退治には通常衛兵隊だけではなく猟師達も参加する。だから通報するか、自分達で退治して事後通報にするかで迷っていたのだが、ゴブリン退治の経験が無いロウリにとっては順番通りにするだけのことだった。
ごく当たり前の事を言われた猟師達は、お互いに顔を見合わせると笑い出した。
「ロウリの言うとおりだな。調査は調査、ゴブリンはゴブリンだ」
結局、依頼に無いゴブリンの巣についてはアドルフに通報することとし、クモについては他の場所の調査をすることにした。
どうせゴブリンがクモを食べているなら、調べたところであまり意味がない。それにゴブリンが食べていたのは恐らく魔物化したクモだろう。どういうわけか、魔物は魔物を識別出来るようだった。つまりクモの生息範囲が近いということで、それを確認するためには巣を越えた場所に行かないと調査にならない。
方針が決まった猟師達は、決定にあたって自分が重要な役割を果たしたとは気づかずに首をかしげるロウリを嬉しそうに眺めながら、近くの村へ行きアドルフに通報する手紙を渡す役目をロウリの班に任せることにした。彼女の班にはアドルフ直属の斥候がいるから丁度良かった。
近くの村とは言え往復の距離を考えると村に一泊する必要がある。そこで風呂に入れるだろう。ゴブリンの巣の扱いはいつも議論になる。それが簡単に決定したのだ。その位の褒美はあっても良い。




