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画面越しの目

作者: 江渡由太郎

 雨が降っていた。濡れたアスファルトの匂いに混ざって、どこか酸っぱいような、発酵したような臭いが鼻を突いた。


 商店街の裏手。古びたビルの一階にある「リ・メモリー」という看板のかかったリサイクルショップは、ほとんど廃墟のような外観だった。ガラス戸には黄ばんだ広告が貼られ、店内は薄暗い。中に入った瞬間、かび臭さと古布の湿気に満ちた空気が肺にまとわりつく。


「……本当に、ここで買うのか?」


 智也は隣で立ち尽くしていた彼女、菜穂の顔をちらと見る。


「安いテレビが欲しいって言ってたじゃん。ここの、遺品整理の品が多いって。掘り出し物あるかもって聞いたの」


 奥の棚に、四十インチの液晶テレビが置いてあった。多少くすんではいるが、画面にひびはなく、電源ランプも点く。値札は「3,000円」と書かれていた。


「売れたら困るから、今日持って帰るね」と菜穂が言い、智也がそれを担いで帰った。


 それが、あの夜のはじまりだった。



 アパートに戻り、テレビを部屋の隅に据えた。電源を入れると、モニターは真っ黒なまま、何も映らない。アンテナの接続がうまくいっていないのかと思い、ケーブルをいじったが、状況は変わらない。


「まあ、明日ケーブル買い直せばいいよ」と智也は言い、ビールを取りに台所へ行った。


 戻ると、テレビがついていた。


 モニターに、老人の顔が映っていた。


 いや、「映っていた」というより、浮かんでいたと言ったほうが正確だった。


 老人の顔はしわくちゃで、目は虚ろ。それでも、モニターのこちらをじっと見ている。


「……なに、これ」


 智也はリモコンを手に取って、電源を切った。だが、画面は暗くなることなく、老人の顔はそこにあり続けた。


 そのとき、菜穂が帰ってきた。


「どうしたの?」


「……いや、なんか、テレビ、映ってる」


「映ってる?うそ、地上波?」


 菜穂が近づいたとき、老人の目がわずかに動いた――菜穂を追って。


 その瞬間、部屋の空気が凍ったように感じた。モニター越しに、何か“気配”が流れ込んできた。



 翌朝、智也は目覚めて、台所の異臭に気づいた。焦げたような臭い。菜穂が料理でも失敗したのかと思ってキッチンへ向かうと、テレビが床に倒れていた。


 コードが焦げて黒くなり、テレビの裏側に何かが書かれていた。


 「ナオコが殺した」


 震えながらそれを指でなぞると、煤のような感触が残った。


 その日から、テレビの中の老人は毎晩現れた。ときに無言で、ときに口を動かして何かを言っている。


 そして数日後、智也は知った。


 ――あのテレビは、孤独死した老人の部屋から出たものだったことを。


 部屋には、誰にも看取られず餓死した男性の亡骸が、テレビの前で発見されたという。孤独死、異臭、そしてテレビが点いたまま――。



 菜穂は、日に日におかしくなっていった。


「ねえ、あの人、私のことを知ってる……“ナオコが殺した”って、言ってる……」


「ナオコ? 菜穂じゃなくて?」


「……源氏名が、直子ナオコだったの。大学のとき、キャバクラのバイト先で……あの老人、見たことある。客として来てた。酔ってて、私の体を触ってきて……私、突き飛ばしたの……。あの晩、凍えて倒れたって……警察には言ってない。ずっと、ずっと、忘れてたのに……」


 テレビが勝手につき、老人の顔が笑った。


 ――歪んだ口元で、笑った。



 菜穂は姿を消した。


 警察も、家族も、誰も行方を掴めなかった。智也の部屋には、あのテレビだけが残されていた。


 そしてその夜、テレビに映る老人の顔の隣に、新しい顔が浮かび上がった。


 目を見開き、口を塞がれたまま、涙を流す女の顔。


 智也は思わず、電源を引き抜いた。


 だが、暗闇の中――テレビはまだついていた。


 老人と、女の顔と、その奥に、次に“入る”顔のスペースがぽっかりと空いていた。


 まるで、それがあらかじめ決められていた順番であるかのように。




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