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第九章  彼女を想って

 四月後半、ゴールデンウィークを迎える。

 俺が働く町工場は、零細企業のようなもの。少しでも稼げるときに機械を動かし、製品を出荷しなければならない。俺も、特に休みが欲しい訳でもない人間だから、ゴールデンウィークが仕事でも影響はなかった。ただ、彼女との休みが合う日は、俺もできるだけ休みが欲しくなっていた。彼女はブティック勤務で、比較的土日は仕事だと聞いていた。俺は、日曜日が休みだが、彼女も日曜日が休みになることがあると言っていた。唯一、逢えるならその時だ。このゴールデンウィークは、彼女もきっと稼ぎ時で仕事だろうと思っていた。

 そして俺は、朝から仕事をしていた。世間は連休で家族連れなどは遠出の旅行だろう。また、街には買い物客が多く、通勤時間帯の電車でも、仕事スタイルの人は少ない。職場も、家族がある者の中には休みを取った者もいる。俺は、家族サービスに無縁の人間。つきまとうのは侘びしさばかりだ。所詮、独り者にあるのは、寂しさを紛らわさせてくれるごまかしの仕事かもしれない。

 サラリーマンなら、接待などで休みが欲しくても取れない人たちが多いだろうが、俺のような人間が働く職場では、多忙なためという理由もない。この連休すべての日に、仕事に出ているのはこの俺だけ。部品を作るのに研磨する機械が動く音の中、孤独を背負って、俺はひたすら仕事する。

 昼休み、いつものように自分でにぎった不細工なおにぎりを食べる。外は、暖かな風が吹いていた。太陽が眩しいくらいだ。いつもは汚いタオルで顔を覆って休むが、今日はそのまま真上を向いて目を閉じて眠った。瞼を通して瞳に届く太陽の光が、瞼を赤く染める。それは、ほんのりと温かく、俺の頬にも感じられた。

 ゴールデンウィークは仕事を休み、家族サービスをしている人たちばかりだと思うと工場の周りも静かで、俺もこういう時に、逆に、この場に存在しているように思えた。だからか太陽の光が優しい。彼女は月。しかし、今は太陽が昇り俺を照らす。普段なら、こんな明るさを必要としない。むしろ、存在を目立たなくしてくれるかすかな光を出す月の明かりが心地良い。俺の心には、彼女の存在がある。だから、太陽の光も心地良いと感じられたのかもしれない。

 俺は、自分の顔を見られないが、彼女と初めて逢った時のように、また自然と顔の筋肉が緩んでいたように思う。俺は、微笑みながら眠っていたようだ。

 仕事を終えて帰宅する電車内は、どこかへ買い物に行ったのか手提げ袋などを持った乗客が多い。小さな子どもが窓の方を向いて、沈もうとする太陽を眺めたり母親と話をしたり、中には遊び疲れたのか、上向きで、小さな口をぽかんと開けて、ウトウト眠ってしまっている子どももいる。また父親だろうか、子どもと一緒に眠る男性もいる。年をとった老夫婦は、孫にせがまれて遊園地に遊びに行ったのか、下を向いてコクリコクリしている。若いカップルはくっつくように並び、携帯電話を持って画面を見ながら話をしている。

 こんな光景を見た瞬間、俺は現実に戻った気がした。誰もが一緒でこの休日を楽しんでいたこと。そう俺を除いて。

 俺の心の中に棲む彼女は、あくまでも自分が空想で作りあげた女性。その彼女との時間があって成り立つ休日になる。太陽の光から得られる温もりも、彼女がいて感じられると思ったら、無意識のうちに俺の目には涙が溜まっていたようだ。

 自宅に帰り、窓から外を眺める。いつものように川から水の流れる音がはっきりと聞こえたが、休日のせいもあり、外からはまだ賑やかな音がする。

 この時季、アパートの軒下にはツバメが巣を作っていた。この巣はずっと前から作られたもので、気が付けば、俺がこのアパートに住み始めた頃から作られるようになっていたように思う。ツバメは、空き家に巣を作らないと聞いたことがある。そうしたら、ツバメは俺を家族だと思ってくれているのか。ここで巣立ったツバメが旅に出て、親になり戻って来て、また新しい生命を生み落とす。ツバメの夫婦も、ゴールデンウィークは関係なく、子育ての準備をしている。仕事という意味では、俺もツバメも一緒か。だが、ツバメは夫婦で精らしく飛び回っている。母ツバメは巣の近くで休み、時に父ツバメが交代して、卵を温め、やがて子に与えるエサになる虫を求めて飛び回る。

 少し時期が経てば、この巣から四、五羽の黄色いくちばしをした、可愛らしいツバクロが顔を覗かせる時が来るはずだ。毎年のように、時には巣に戻れなくなったツバクロが、雨に濡れながらも飛べないまま電線に停まり、じっとしている。その横に、父ツバメと母ツバメがそっと寄り添う姿も見受けられるだろう。昨年、俺はそんな光景を見て、大丈夫なのかと見守ることしかできなかったが、気付けばいつの間にか、電線から飛び立っていた。

 不安の目で俺が見ていたことをツバメは知っていたのだろうか、ツバメは俺を怖がらず、毎年ここに戻ってきてくれる。ツバメの巣を見ていると、ツバメの夫婦の愛しさを感じた。そして、眺めるツバメの巣の向こうの空に、ぽつんと輝いている一番星を見つけた。

凄いな、たくさんの星がこの空を埋め尽くすのに、たった一つの星が、こうして目立つように輝く。俺にはあんなことはできない。あの星は凄い。やがて一番星の仲間だと言わんばかりにいくつかの星がほぉぁん、ほぉあん……と輝き始めた。夕暮れの空を眺め、俺は思った。

 彼女が仕事中にあったことがどんなことだったのか、気にはしていないと言えば嘘になるが、ただ、彼女が涙を流すことがあるのなら、その涙を拭き取れなくても乾かせてあげるくらいの輝きだけは持ちたい。俺は、そうなりたいと。

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