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第四章  透明人間になる

 目が覚めると外はまだ薄暗かった。少し開いていた窓から流れ込む冷たい風が、身体の周りで舞う。

 今日も、何も変わることのない一日が始まる。俺は、占い師からもらった薬を鞄に詰め込み出勤。いつもと変わらぬ電車内の風景。まだ朝だというのに、俺と同じように疲れ切った顔をした年配男性がいないでもない。小一時間かけて通勤する人もいるのか、マンネリ化の雰囲気さえ感じられる。そう思うと、俺だけが社会から隔離された人間ではないように思えた。駅に着けば電車のドアが開いた瞬間から誰もが早足で降りる。俺も同じで、人の流れに合わせて早足になる。何も変わらない。昨日の出来事も、夢のような話に感じた。

 俺は、今日も定時になり退社する。少し遠出しようかという考えも起こらない。透明人間になる薬は必要ないとさえ思った。そんな思いも強かったが、不思議と気にしてもらえない侘しさがあったのも事実で、俺は駅のトイレに入り薬を飲んでみた。俺が透明人間になったかは判断がつかない。飲んでも変わった感じがしなかった。占い師は俺を見て、やはり適当な嘘をついたのだと思いはせた。

 俺は、トイレから出て電車に乗った。ただ、なんとなくだが、今日は席に座る気にはならなかった。やはり、自分自身が消えているのかどうかが気になっていたからだ。

 俺は、乗車口付近の通路に立っていた。一人の男が急ぎ足で電車内に駆け込み、すぐさま空席を見つけて座ろうとした。俺は、瞬時に避けようとしたが、男が目の前まで来ていて避けることができなかった。ぶつかったと思った瞬間、男は俺をすり抜けた。俺はまさしく透明人間になっていた。

 映画やドラマの世界の透明人間は、衣服を着ていればこれを脱ぐようなコメディ的な場面があるが、俺は洋服を着たままだ。身に着けている物や手に持っている鞄までも透明になっているようだ。俺が消えるだけでなく、俺自身が握ったり触れている持ち物、すなわち物質自体も消している。電車に乗っているが、俺が意識しなければ物体を通り抜けるらしい。逆に、意識して手に力を入れれば、物を持つことができるし、電車にも乗れるようだ。

 これは、幽霊でいう人を金縛りにあわせるようなものなのか、なんという力だ。この薬にそこまでの効力があるとは、正直、この薬に脅威を覚えた。この世にこんな薬があると、犯罪が多発するだろうと思えてならない。何故、占い師は薬を持っていて、俺にくれたのか。考えても答えは見つからない。俺は、今の状況を受け入れることに精一杯だ。

 俺は、透明人間のまま帰った。途中、占い師が店を出しているか気にしたが姿はなかった。

 自宅窓から今日も夜空を眺めながら、俺は月に向かって語る。

「この薬は、頻繁に使えないな」

 だが、月には俺の姿が見えているのか、言葉が返ってくることはない。白く輝く月は、俺の思いをわかってくれてか、優しい明かりを部屋と心の中まで差し込ませてくれる。

 夜空には多くの星が輝いているが、一つの星が消えて光を発しなくなったとしても、それは誰にもわからない。俺の存在は、そのたった一つの星みたいなものなのか。ただ少し違うのは、せいぜい工場に出勤しなくなって、初めて気に留めてもらえるといった程度だろう。

 透明人間になる薬を手に入れた俺だが、薬を飲む人生になれば俺の存在は加速して、世間から消え去ることになりそうだ。

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