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第十四章  彼女へプレゼント

 彼女との次の待ち合わせは、いつも逢った時に、「次はいつに」と確認していた。

 あの時から俺たちは互いに透明人間になって逢うことはなかったが、どうしても姿が見えるままでは逢う勇気がないことも希にあった。恥じらいもなく堂々としているカップルは大勢いるが、そんなことが恥ずかしいことかと言われるようなことが、俺と彼女にはできないこともまだ沢山あったのだ。

 実は、夏の夜の出店が並んだ道を二人で手を繋ぎ歩いてみたかった。毎年、花火大会の夜には出店が並ぶ。浴衣を着た女性が大勢歩く。彼女も浴衣を着たかったのか、だが、浴衣は持っていないと言う。阪神淡路大震災の時、母親が作ってくれた浴衣も焼けて、それ以来、浴衣を着ることがなくなったと彼女は話す。

 本当は、浴衣を着たいのが本音だろう。しかし、彼女は二十歳になり、成人式を迎えた際も周りは振袖を着た女性ばかりだったというが、振袖は無く借りることもできず、浴衣や振袖などの着物に縁遠くなっていたと話してくれた。

 彼女の脳裏には母親が作ってくれた浴衣の思い出があり、それに勝るものはないことが、逆に悲しみとなっていたのかもしれない。俺は、その悲しみの深さをどれだけ理解してあげられたかはわからない。彼女が出店が並ぶ道をゆっくりと歩いてみたいということに、どんな気持ちが含まれているのか、なんとなく感じることはあった。

 俺に貯金はある。貧乏生活は俺がお金を使わないだけで毎月少しずつの貯金をして蓄えは十分にあった。 

俺には電気の灯りが無くても月の明かりがある。部屋には、扇風機を出さなくても涼しい風が窓から入ってくる。だから今以上のものは必要なかった。むしろ、俺のものにお金を使うより彼女の為にお金を使い、浴衣を着させてあげたかった。

 俺は仕事が終わり、浴衣を買いに一人で近所の衣類屋さんに行った。あまり大きなデパートや専門店という場所が苦手で、ましてや女性の浴衣を買うことは、勇気を出さなければできなかったのだ。若い女性店員がいる店はもちろん苦手で、年配の方が営む店にした。そんな店だから浴衣が数多くある訳ではなかった。限られた浴衣の中で、三十代の彼女に似合いそうな浴衣を選ぶことにした。

 年配の女性店主は、俺が購入することに違和感を抱くことはなかったようだが、どのような目的で購入しようとしているのかと、俺は、少しは勘ぐられているような気もしていた。

「奥様にですか?」

と言った具合に聞かれたので、

「ええ、妻が誕生日なので……」

と、嘘で答えていた。

「そうですか、奥様へのプレゼントですね」

 俺は彼女の容姿など、雰囲気を女性店主に話した。

 店主は、年齢的にはやはり落ち着いた色のものがよいだろうと提案してくれた。

 ということで、黒色を基調に夜空の模様があしらわれた浴衣にした。帯もその浴衣に合うものを選んでもらう。こうして俺は浴衣を購入した。

 花火大会の夜までに、彼女と待ち合わせの日があった。俺は購入した浴衣と下駄を袋に入れ、待ち合わせの場所に向かった。彼女はいつも笑顔で待ち合わせ場所に来る。今日もそうだ。

「こんにちは」

 彼女は優しく一言。

 俺たちは、木陰のある芝生の上に座り込んだ。

「もう、夏だから暑いですね」 

 彼女はいつも笑顔でいてくれる。

「肌がヒリヒリしちゃいそうです。だから海も苦手なのですけど。それより、こうさんが荷物を持っているなんて珍しいですね」

 突然、彼女がこんな小さな変化に気づいて、そう言う。

 唐突で俺も、こんなちょっとしたことに気付くのかと思った。

「月子さん、あのね。実は渡したいものがあって」

 彼女の前に袋を出した。

「渡したいもの?」

 彼女は顔を横に少し折り曲げるようにして、不思議そうな顔をしていたが疑う気配もなく、ただ純情な表情をしていた。

「はい、どうぞ」

 俺は、袋ごと彼女に手渡した。

「開けて良いですか?」

 俺は、彼女の表情を見ることに照れが生じて下を向いた。

 彼女が袋を開けて中身を見る。

「あっ、浴衣だ」

 彼女は驚きながらも、

「ええ……」

 この長い「ええ……」はどういう意味だ?

 そんな矢先、彼女が、

「こうさん、私に浴衣をと思ってくださっていたのですね。私、わたし、嬉しいです。それにこの模様も。とてもお洒落で嬉しいです」

 彼女を見たら、笑顔の中に少し涙を溜めていた。

 俺は、浴衣をプレゼントして良かったのかと迷っていたが、彼女が正直に嬉しいと言ってくれて、救われた気持ちになった。

 金額は言えないが正直なところ高額でもなく、俺が買ったものだから、きっと値段も想像がつくのだろうが。

「私、浴衣を持っていなかったので。それに下駄まで」

「ほら見てください。ぴったりですよ。この色、私にぴったりです。すごく嬉しいです」

 彼女は喜んでくれた。あの震災の嫌な思い出の中に残っていたものをこれで消し去ることができるとは言えないが、どんな思い出にしてくれるかという気持ちになり、俺は安堵した。

 この日、彼女と、「花火大会の日は、こうしようとかあんなことをしたいね」とか、話に花が咲いた。

 そして、その日はお互いに透明人間になって逢う約束をしていた。時間は午後六時。場所はこの場所ではなく、いつも別れている駅にした。駅の方が花火を見に行くのには近く、彼女は仕事が休みだったが、俺が仕事なので都合が良かった。

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