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第十章  彼女が一番星

 五月中旬の日曜日、俺は透明人間になっていつもの公園へ向かった。五月晴れか、雨が降ることはなく眩しいほどに天気は良い。太陽が燦々と輝き、半袖でいても暑い。

 彼女と次の約束をしていなかったので、すれ違いの日々があったかもしれない。今日、彼女が来るかどうかもわからない。もちろん仕事なら彼女は来られない。要領の悪い俺には女性との付き合い方がわからない。情けないことだがこんなに彼女のことが気になる気持ちが強くなるとは思っていなかったからどうしようもないのだ。「また逢いましょう」と言われても、いい歳をした男が約束をしたところで、彼女の休みをきちんと聞かないのだからとんだ間抜けだ。そんな行動を自身で責めるしかなかった。

 とんちんかんな俺は、公園の芝生の上に寝転んだ。

 そういえば今日は何も食べていない。冷蔵庫の中はほぼほぼ空っぽだった。家での食事はお茶漬けだけの日もある。食事の準備をすることも、最近は面倒に感じることがあった。小さな茶ぶ台にたくさんの皿が並ぶことはない。せいぜい茶碗にお吸い物と湯飲み、それとおかずを載せた一枚の皿くらいだけ。意外とこんな食事だから俺は太ることはない。そう思ったら健康なのか、馬鹿なことばかり想像する。でも、痩せているのは事実だ。

 空を見上げていると、何も考えたくなくなるのだが、今日はつまらないことばかり想像していた。彼女と出逢い、ほぼ二箇月が過ぎたが、それなのに逢ったのはたった二回だけ。もちろん内緒で彼女の店探しをして、見つけたことを含めれば三回になるが。

 小一時間が経っただろうか。街の小道から女性がこちらに向かってくる。彼女だ! 俺は、上半身を起こし彼女に軽く会釈をする。彼女は、俺に向かって右手を胸の辺りで小刻みに左右に振りながら走り寄ってきた。

 俺の心は最高にウキウキ状態になっていたはずだ。いや、なっていた。宝くじに当たったことはないからこの感覚を比較なんてできないが、当たったらこうなるのだというくらいの興奮をしていたと思う。

 それなのに、如何にも冷静な振りをしてしまう俺は天邪鬼だ。

「お久しぶりです。こうさん、お元気でしたか」

 彼女は笑顔だ。

「ええ……はい」

「横に座っていいですか」

 俺には拒否する理由はないが、彼女は俺が返事をする前に座り込んだ。

「座っちゃいました」

 こういうことで男はときめいてしまうのだろうか。一回り以上も離れている俺に、こんな接し方をしてくる。周りの人たちに俺たちの姿が見えていても、彼女はこんな仕草をするのだろうか。

「こうさん、なに考えているの? ぼおっとしちゃって」

 俺の顔の前で、彼女はこちょこちょという感じで、左手を素早く二、三回横に振った。

「いや、なんでもないです」

 俺は照れていた。 

「実は、私、ここに何度か来ました。もしかしたら、こうさんがいるかなって」

「そうなの?」

 彼女もそんなにここへ来ていたのか。正直、嬉しかった。

 彼女は芝生に寝転んだ。

「良い天気ですね。嫌なことも忘れられそう、あぁぁ……」

 彼女は欠伸かため息か、息を吐いた。そして、目を閉じて笑っていた。「嫌なことも忘れられそう?」今の意味はなんだ。もしかして店であったことか?

 俺は、透明人間になって内緒で彼女が働いている店を探し、その時の様子を見たと言えなかった。

 少しだけ沈黙して、俺もまた芝生に寝転んだ。

「天気が良くて気持ち良いですね」

 また、丁寧な言い方に戻った。どうしても緊張してしまう。彼女は何故、俺の相手をするのか知りたかったのに。変に自分の思いを知られたくなくて、自分でもやきもきした。

「月子さん、一つだけ聞いていいですか?」

 色々な葛藤をしたが、思い切って彼女に聞いた。

「月子さんは、どうして俺と逢いたいと思うの? それは、俺が透明人間だったから?」

 彼女は、空を向いたまま目を閉じていたが、ゆっくりと目を開き、答えてくれた。

 まさか、自分以外にも透明人間がいるとは思っていなかったと言う。前にも言ったが、同じ透明人間だったら気にならないかということだった。

 やっぱりそうか、誰でも良かったのか。透明人間だから気になっただけか。所詮、そんなものなのだろう。俺は、寝転んだまま両手を真上に伸ばした。

「はあぁぁぁ」

 ため息とは知られないように大きな欠伸でごまかした。残念というか、むしろすっきりした。前に聞いたお兄さんみたいだという以外の意味を求めていた自分に、呆れた感じもした。見た目も最悪、誰が俺と付き合いたいとか思うのか、ある意味、俺が想像した通りだったと思えば情けなさもなんとかなりそうだ。

「そうですね、同じ消えている人間だから。はい」

「こうさん、今度からは日にちもきちんと決めて約束しませんか?」

 俺はためらった。一気に自分の気持ちを否定したかったのに、俺は嘘をついた。いや嘘なのか、まだ未練があってなのか、とにかく返事をした。

「俺で良いの? 他にも透明人間の男がいるかもしれませんよ」

 海辺で、砂で造った城に波が打ち寄せ、簡単に、一気に壊された感じがしているのに。

「私は良いですよ。こうさん、なんか可愛らしいです」

 どんな意味があるのだ、可愛らしいって。俺はかなり年上だぞ。まっ、退屈な人生、馬鹿な男を相手してくれる女がいると思えば、少しくらい神様も許してくれるだろう。瞬間的に思った。

 だが一つだけ、俺も素直になろうと思ったことがある。それは、前に彼女の涙を拭くことはできなくても、乾かせられるような輝きを持ちたいということだ。彼女の笑顔には、何か隠されている感じがして否定できない自分がいた。彼女に対して恋心を抱いた自分を慰めたかったし、それ以上に俺は役立ちたかった。

「俺なんか、全然可愛いという歳でもないのに」

 照れながら言葉を返す。俺の顔は引きつっていたかもしれない。

「すみません、前に話したように携帯電話なんか持ってないので、連絡が取れなくて。すみません」

「こうさん、さっきから謝ってばかり。私は、全然良いのに」

「すみません」

「ほうら、また言った。今度言ったらお仕置きですよ。ほら、こうやって」 

と、彼女は俺の左手を取り手の甲にしっぺをしてきた。

 なんだろう、俺は彼女との時間が経つことを嫌うように、時間が止まって欲しかった。時間も透明になり、二人だけの時間にして欲しいと思うほど心が苦しかった。たわいもないことに俺の心は乱れ、心拍数は上がっていたことだろう。これが恋愛か? 時間は知らぬ間に刻々と過ぎていった。

 彼女と休みの確認をして、次に逢う日を決めた。駅に向かって歩きながら話をする。

 夕暮れを迎え、先日のようにぽつんと一番星が輝いていた。

「あっ、一番星だ」

「そうですね、こんな広い空に一つだけ輝いていて、あの星はみんなに注目されるのでしょうね」

「あらあら、こうさんメルヘンチックなことを言っていますね」 

 くすくす笑われる。

「こうさんも、あの一番星みたいですよ」

 どういう意味なのだろう。

「私には、こうさんはあの星みたいな存在です」

 何? 尚更わからない。俺は、ちんぷんかんぷんな顔をしていたことだろう。

「もう、理由なんてありません」

 彼女は笑っている。

 よくわからないが、俺は深く追求もしなかった。

「そろそろ月も昇り始めそうですね」

「もう昇っていますよ、ほうら」

 彼女は笑いながら、この場で何度かジャンプする。

「あなたは月の子でしょ」

「月の子か……、あれが親なのかな」

 彼女は両親を事故で亡くしている。一人っ子だから、親はもういなくて家族はいないのだという。

 知らなかったとはいえ、失礼なことを言った。

「ごめんなさい」

 いきなり俺の右手を取り、しっぺされる。

「ほら、謝ったらしっぺですよ」

 笑いながら言われる。

 もう昔の話だし、どうしようもない事故だった。だから、誰も悪くない。彼女は独りだから、また話し相手になって欲しいと言ってきた。

 彼女の優しい言葉に、涙がこぼれそうだった。こんな俺も同じ独り身だが、まさか彼女も独りだったとは。それなのに明るい顔をして。彼女を見ていると、俺の愚かさが情けなく感じた。

「月子さんも、俺と同じ独り身だったのですね」

 俺も両親がいないこと。俺が三十歳を過ぎた頃に母を病気で亡くし、何年かして、残された父も後を追うように病気で亡くなったこと。俺も一人っ子で兄弟はなく、こんな年なので田舎の実家に帰るというのも、なんとなく気が引けていると伝えた。続けて、元々親とは仲が良かったという感じでもなかったし、一人でいることの方が楽だったと。

 彼女も突然の出来事で、高校を卒業する頃のことだった。そのまま就職したようなもので、でも、もう過去のことなのだと。

 一瞬だが彼女は暗い表情になり、語った。

 いつの間にか月は天に向かい昇り始めていた。俺たちは駅に到着した。

 また向かい合うホームに立ち、別れた。空に上った月は三日月だった。彼女の気持ちを表すかのように、尖った月を見ることになったのかもしれない。

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