11 手
11 手
第七実験棟を抜け、獣道のような細い道を進むと、沼が見えてきた。
周囲を木々に囲まれ、静まり返っている。風もほとんどなく、水面は鏡のように滑らかだった。
「……何もないですね。」
私は沼を眺めながらつぶやく。
「そりゃそうよ。昼間に来たんだから。」
朸込は肩をすくめる。
「怪異が夜に活性化するなんて決まってるわけじゃないですけど……まあ、何かしらの現象があるなら、夜のほうが出やすい気はしますね。」
「でも、暗い山道を歩くのは危険でしょ。何も出なかったとしても、転んだり、沼に落ちたりしたら元も子もないわ。」
それはもっともな意見だった。
私はもう一度、沼のほうを見た。
やはり、特に何もない。ただの沼だ。
しばらく二人で沈黙しながら水面を見つめる。
風が吹くと、水が小さく揺れ、波紋が広がる。
何もない。
「帰りますか?」そう言おうとした、そのときだった。
ぼこぼこぼこ……
「……?」
沼の中央で、突然、泡が立ち始めた。
私は思わず目を凝らす。
「……魚か何かかしら?」
朸込がつぶやく。
しかし、違和感があった。
魚にしては、泡が出る時間が長い。
泡立ちは一定のリズムを持っており、まるで何かがゆっくりと浮上してくるかのようだった。
ぼこぼこぼこぼこ……
泡の間隔が短くなり、次第に近づいてくる。
「……おかしいです。」
私の声に、朸込も眉をひそめた。
ぼこぼこ……
沼の水がわずかにうねり、水面に影が映る。
そして。
水の中から、何かの手が伸びてきた。
「——っ!!」
私は反射的に飛び退こうとしたが、遅かった。
水から突き出た手が、私の足を掴んだのだ。
「ひっ!!」
冷たい。
まるで、氷のような感触だった。
それは私の足首をぎゅっと握りしめ、引きずり込もうとしてくる。
「や、やだっ……!」
私は反射的に電撃を放った。閃光が走る。
次の瞬間、沼の中から「何か」が飛び出した。
ヒトの形をしている。
だが、違う。
長い髪が水に濡れて絡みつき、青白い肌が光を反射する。
その輪郭はヒトの女性のものだったが、ヒトにはありえないほど長い指が、不気味にうねる。
その顔は、恨めしそうに、じっと私を見ていた。