第四章 慈雨を求める
小学5年生5月、修一郎のクラスに1人の転校生が来た。
「今日から転校してきました。北山ゆきです・・・」
教卓の前に立った白い肌で、背の低い細身の少女がか細い声で言った。
1学年1クラスしかなく、全校生徒100人ちょっとの田舎の小学校では、転校生の存在は一大イベントとなった。ゆきは転校してから数日は、女子たちの質問攻めにあっていた。しかし、ゆきは何やら難しい名前の病気で、その治療の関係で転校してきていたらしく、毎日学校に来れるわけではなかったし、体育の授業は全て休んでいて、ランドセルを持つのもやっとだった。遊びたい盛りで体力が有り余っていた小学生たちにとっては、外で鬼ごっこをしたり、ドッジボールをしたり、遊具で遊んだり、秘密基地探検をしたりできないゆきはあまり馴染めていないようだった。活発的だった修一郎はそんなゆきを気にかけて、ゆきと教室で絵を描いたり、一緒に本を読んだりしていた。そのうち、ゆきも修一郎に心を開いていき、修一郎は毎朝ゆきの家に行って、ゆきのランドセルを持って一緒に登校したりした。
だが、修一郎とゆきが共にいる時間が長くなっていくと、どこからか、尾ひれのついた話や2人は両想いで付き合っているという噂が流れ始めた。だんだん、それはエスカレートしていき、教室に大きく修一郎とゆきの名前が書かれた相合傘が毎日のように黒板に書かれるようになったりしていった。そのたびに修一郎は平然とした態度で、それを消していた。ゆきは「ありがとう、もういいよ」といって気まずそうに修一郎を引き留めていた。修一郎はクラスの男子たちにからかわれたが、うまくかわしていた。しかし、ゆきの方は、しだいに持ち物を隠されたり、女の子達に無視されるようになってしまった。それでも、修一郎は自分のやっていることは間違いじゃないと思い、ゆきと一緒に過ごしていた。そのうち、ゆきは学校に来なくなってしまった。
後からわかったことだが、クラスのリーダー格の女子の一人が修一郎のことが好きだったらしく、いつも修一郎と一緒にいて、病気だからと先生にも何かと気にかけてもらっていたゆきのことが気に食わなかったため、まわりを巻き込んで起こしたことらしかった。また、ゆきが学校に来れなくなったのもこれらのことではなく、病気が悪化したことが直接の原因だった。
ゆきが学校に来なくなってからも修一郎は、自分のせいでゆきが辛い思いをしたのではないかと責任を感じて、毎日のようにゆきの家に行き、ゆきと話した。ゆきの状態は悪くなっていて、あまり長い時間ベッドから起き上がることができなくなっていた。修一郎はそんなゆきがかわいそうだと思い、この頃ハマっていた星座について熱心にゆきに話していた。
「ねえ、今日、流星群が見えるんだよ。ペルセウス流星群。三大流星群の一つなんだ」
ゆきの家で修一郎はゆきに星座の図鑑を見せながら話した。
ゆきは楽しそうに修一郎の図鑑を眺めた。
「流星群、いっしょに見にいかない?俺とっておきの秘密基地があるんだ」
修一郎はいった。
ゆきは秘密基地と聞いて顔を輝かせたが、すぐに、
「でも、ママが外でちゃダメって。ゆきはお家にいないといけないんだって・・・」
と言って、顔を曇らせた。
「俺、いい考えがある」
修一郎はゆきの母親がいつも夕方に買い物に行くことを知っていたので、その時に家を抜け出すことを提案して、ゆきを説得した。二人は作戦を立ててワクワクしていた。
「今だ。いこう」
その日、ゆきの母親が買い物に出かけると二人は家を抜け出した。
修一郎は小走りで数分のところにある水道局の裏口に向かった。ここには水道局が管理している、草が生えっぱなしになった小学校より大きい草原があった。
「修一郎君、まってよー、どこいくのー」
ゆきが修一郎に少し遠くから呼び掛ける。
「ゆき、はやくー」
修一郎はゆきに向かって叫んだ。ゆきは風で落ちた麦わら帽子を急いで拾って修一郎の方に駆け寄ってくる。修一郎は水道局の敷地の芝生にある金網をよじ登って超え、内側から金網につけられたドアのつっかえを外して、ドアを開けた。修一郎はゆきの手をとって走り出した。
「見て、ここ、秘密基地なんだ」
修一郎はある所で立ち止まり、目の前に広がる草原を見て言った。
「すごい。私ずっと家と病院にいたから、こんなところはじめてきた」
ゆきは目を輝かせて修一郎に言った。
「みんなには内緒だよ。今日は晴れてるから流星群だけじゃなくて、いろんな星がきれいに見えるよ」
修一郎はまだ明るい空を見上げて言った。
「私知ってるよ。夏には夏の大三角形がみえるんだよね」
「そう、こと座のベガとはくちょう座のデネブ、わし座のアルタイル」
修一郎はポケットから星座早見表を取り出して、順番に空を指さしていった。
夕暮れ時の誰もいない草原はまるで二人だけの世界のようだった。
「いつになったら流星群みえる?ママに怒られちゃうかも」
ヒグラシが鳴きはじめたころ、ゆきがいった。怒られるといいながらもゆきの顔はたのしそうだった。
「まだだよ。それまであそこで隠れていよう」
修一郎は草原の端に立っている大きな桜の樹を指さしていった。ゆきはうんといってうなずいた。
修一郎が樹に向かって歩き出したときドサッという音がした。横を見るとゆきが倒れていた。修一郎は慌ててゆきに声をかけたが、ゆきは意識を失っていて、返事はなかった。修一郎はパニックになって助けを求めようとしたが、周りにはだれもいなかった。
幸い、ゆきが倒れる直前に身に着けていた緊急用ボタンを押していたので、数分後には、救急車が来てゆきは病院に運ばれていった。
しかし、ゆきは翌日には帰らぬ人となった。
修一郎はその後のことはあまり覚えていなかった。父親にとてつもなく怒れたことと、父親がゆきの両親に謝る姿がおぼろげに記憶に残っていた。
その後、話がまわりまわって小学校では、修一郎がゆきを殺したということになってしまい、修一郎はは「サツジンハン」として、いじめられるようになってしまった。中学校に上がるときに修一郎は引っ越したが、それ以降修一郎はあまり人と関わらないようになってしまった。
「・・・でも、俺が殺したも同然なので周りが言ってくることを否定できませんでした。俺はほんとは生きてちゃいけない人間なんですよ。でも、サッカーだけはつづけようと思いました。小学校の頃からサッカーが得意だったので、唯一頑張れることでした。けど、これは、誰のせいでもないけど、うちは裕福ではないのはわかっていたので、父親が病気で倒れてから、もうサッカーは続けられないだろうと思いました。それで受験とか色んなことが重なって、夢にゆきが出てくることも多くなって・・・もう生きるのを辞めたいと思いました・・・。自分でもほんとにくだらない理由だと思うんですけど・・・」
「・・・サッカーのことは心配しなくていいと思う。実は私もお金ないけど、今んとこなんとかなってる。目指してた大学じゃなくても、サッカーを続けられる選択肢はあると思う。きっと、お父さんもそれは分かってると思う。修一郎君は今まで勉強を頑張ってきてたんだからきっとなんとかなる。」
修一郎の話を聞いていた花香はいった。
少し考えてから花香はまた、口を開らき、修一郎の顔を見ていった。
「・・・ゆきちゃんのことだけど、もし、両親の連絡先を知ってるなら連絡してみるといいと思う・・・。できれば、会って話せるといいな。・・・もし困ったことがあれば、私にできることがあれば手伝いたい。くだらない理由かどうかどうかは私が決めることじゃないから分からない・・・。けど、頑張ってたんだね」
修一郎は俯いた。テーブルには大粒の涙が落ちていた。