第三章 星屑、すばる
高校の夏休み明けの始業式の後、あかねはある猫カフェの扉を開けた。
「あ、緋依と優いるー」
あかねはそう言って店長に挨拶した後、テーブルで話していた二人の女の子達のところに歩いていった。
「あかねちゃん久しぶり!今日から学校だったの?」
2人のうち、ショートカットの方の女の子、優があかねに尋ねた。
「そう、いいなー大学生はまだ休みでー」
「いいでしょー」
もう一人の少し派手な見た目をした女の子の緋依が言う。三人は今年、この保護猫活動をしている猫カフェで出会い、意気投合して保護活動に共に参加しているのだった。
「あかねちゃん髪伸びたね」
優がそう言うと
「そう、高校入って部活辞めてから伸ばそうって決めて、気づいたら結構ロングになってた」
あかねはそう言って高めに縛ったポニーテールを手で払ってみせた。
「あかねも来たし、相談があるんだけど、聞いてくんない?」
あかねがイスに座ると、緋依がそう言って、あかねと優はなになにーと緋依に顔を寄せた。
「あのね、大学で気になってる子がいるんだよねー・・・」
「え?緋依好きな人できた?」
あかねは色めき立って言った。
「違う!女の子だよ、同じ学科の!いいから最後まで聞いて!」
緋依はあかねを遮って言った。
「へー、どんな子?私知ってるかな?」
緋依と友人で同じ学科の優は誰だろうというように首を傾げた。
「えっとー、いつも一人でいるけど、かわいくてー、黒髪で髪長い子」
「うーん、西本花香ちゃんかなあ。よく教室の右後ろらへんに座ってる」
緋依が特徴を言うと、優が答えた。
「そう!花香ちゃんだ!」
緋依は目を大きくして頷いた。
「その子がどうしたの?」
「えー、別にちょっと話してみたいなって思っただけ。」
「そんなの話しかけてみればいいだけじゃん」
あかねは何だそんなことかという感じで言った。
「それが難しいんじゃん!2年生になっていきなり話しかけに行くのも今更感あるし」
「私、花香ちゃんと言語のクラス一緒だからちょっと仲良いよ。確かラインもってるはず・・・」
優が言って、スマホで花香のラインを調べ始めた。
「まって、優、何でいつのまにか仲良くなってんの、それ早く言ってよー」
緋依は不満そうに優に言った。
「じゃあ、まず話かけてみることからだね」
あかねが言って、三人は次にここで会うときまで、緋依が花香と仲良くなるということを目標にして、どうするべきか話し合って盛り上がった。
***
修一郎は自分の部屋で一人頭を抱えていた。数日前の部活終わり、監督から大学の推薦の話をされたのだった。その大学は霞ヶ丘高校から毎年何人かスポーツ推薦で行っているところで、修一郎は高校に入学したときからその大学に入ることに憧れていた。だが、東京にある私立大学なので、学費や生活費が馬鹿にならないことは薄々気づいていた。修一郎の家は決して裕福ではなかったし、今の高校も私立だが、家から近いことでなんとか通わせてもらっているのだった。あかねも地元の商業高校に通い、大学には行かずに就職することにしていた。だから、今日推薦を断ってきたのだ。前から分かっていたことだったのに、いざ現実になるとやるせない気持ちになった。今週提出の進路希望調査の紙には、進学と書いたがそれ以上の希望は思いつかなかった。
あのときのことが頭によぎった。あのとき、あそこから一歩足を踏み出していたら、今悩むこともなかったかもしれない。あかねも大学に行くことができ、父親も倒れるまで我慢し続けないで、もっといい治療を受けて、今頃もっといい体調だったかもしれない。父親が倒れて、病名を聞いたときにとっくに将来的にサッカーを続けていくことは半分あきらめていた。それに自分は、本当は生きている価値がない人間なのだ。人殺しと同然のことをしたのだから。
***
数日後、修一郎は父親の入院している病院にいた。
「父さん、久しぶり」
修一郎は病室のカーテンを開けていった。
「進路のことあかねからきたぞ。推薦断ったらしいな」
「いいんだ。別に全部あきらめたわけじゃない。それだけ直接言いに来ただけだから」
「すまないな・・・」
「謝らないで欲しい・・・今まで父さんやあかねのおかげでやりたいことをやらせてもらってたから」
修一郎はそれだけ言って病室を出ようとした。
「修一郎」
後ろから父親の声がして修一郎は足を止めた。
「あんまり自分を責めてやるな」
「・・・わかってる」
そう呟いて修一郎は病室を出た。
***
ある日、花香はハンバーガーショップでまた時間を潰していた。修一郎からサッカーの推薦を断ったという話を聞いてから、修一郎はだんだんとハンバーガーショップに来なくなった。入試を受けて国公立の大学に進学すると言っていたので、勉強で忙しいのだろう。この時期は秋になり部活も引退し、本格的に受験シーズンになる。花香は修一郎に会う回数が少なくなって、少し寂しいと思いながらも、きっと仲良くなりすぎただけで、本来は自分は関わるべきではないのだから、これでいいのだと自分に言い聞かせた。
ふと携帯を見ると、月末のスマホの利用料金の支払い通知が来ていた。花香は家計簿アプリを開いて溜息をついた。今月も頑張らないといけない。
時間になると花香は店を出て繫華街に向かった。
***
「花香ちゃん、ちょっとごめんね」
大学の後期の授業が始まり、2限の授業を受け終わって食堂に向かうとする花香は、優に引き止められた。
「この子が花香ちゃんと仲良くしたいみたいなんだけど、今まで話かけられなくて・・・、急にごめんね・・・」
突然のことに驚いている花香に、優は緋依をほらと言って前に押し出しながら言った。
「あの、同じ学科の秋山緋依です。あの、もしよかったら一緒にご飯食べに行かない?」
「優ちゃんのお友達だよね。嬉しい。一緒に食べたい」
花香は笑顔で言った。優は緋依の隣で「なんか告白みたい」と面白そうに二人の様子を見守っていた。
「やった。行こ」
緋依は内心どきどきしていたが、花香が笑ったのを見てほっとして言った。
それから、緋依と花香はラインを交換して、3人は大学で一緒に行動することが多くなった。緋依と花香は好きな音楽が一緒だったこともあり、緋依は一緒にライブに行きたいと優にぼやいていた。
花香もずっと誰かを深く関わることを避けてきたが、緋依と優とは、不思議と一緒にいて楽しいと思えた。
***
「ねえ」
ある日、大学を出て駅までの道を歩いていた緋依が隣を歩いていた優の腕を引っ張り呼び止めた。
「あれ、花香ちゃんじゃない?」
緋依は駅前のハンバーガーショップの窓を指さして言った。
「ほんとだ・・・」
優も目を凝らしてハンバーガーショップの中を見つめた。
「隣の男の子誰だろう」
「彼氏―?」
「でも制服着てるよ」
「弟とか?似てないように見えるけど・・・」
「そうだ、あかねに報告しよう」
緋依はそう言ってスマホであかねに電話をかけ始めた。緋依はあれからあかねと優と三人で集まるたびに、花香と撮った写真を定期的にあかねに見せて、写真を見たあかねに花香のことをかわいいと言われてから、一緒に音楽の話をしたことやご飯を食べに行ったことを自慢していた。
「もしもし?今から来れる?駅前のハンバーガー屋。緊急事態なの。うん、とりま来て」
それだけ言って緋依は電話を切った。
数分後、ハンバーガーショップから少し離れたところにある学校から走ってやって来たあかねが到着した。
「なに?どうしたの」
息を切らしながらあかねが緋依に聞いた。
「店の中見て。花香ちゃんが男の子と一緒にいるの」
「なんだそんなことか、彼氏とかでしょ・・・」
そう言ってあしらったあかねは店内を見て息を飲んだ。
「花香ちゃんの隣にいるのウチのお兄ちゃん・・・」
「マジ?」
緋依と優も驚いて同時に聞き返した。
その後、あかねはラーメン屋によく来るので仲良くなった、涼と春斗にも相談したが、2人とも修一郎が3年生になってからハンバーガーショップによく行くようになったということしか知らないと言った。
緋依と優も花香に彼氏はいるのかと聞いたが、いないと言われ、結局このことは今後の経過観察で終わってしまった。
***
「花香ちゃん猫好きって言ってたよね?猫カフェとか行かない?緋依と優が参加してる保護猫ボランティアがやってる猫カフェが近くにあるんだよねー」
授業終わりの教室で、緋依が花香に行った。
「ほんと?今日何もないから行ってみたい」
花香は答えた。
「猫もそうなんだけど、ちょっと会ってほしい人がいるの・・・」
優が緋依の説明に付け加えた。
カフェに着き、緋依がカフェのドアを開けると、制服姿のあかねがいた。
「この子あかねって言ってここで会ってずっと一緒に活動してるの」
「じゃ、わたしたち用事あるから帰るね」
緋依と優はそう言うと示し合せたように帰っていき、花香は店内に取り残された。
「えっと、西本花香です・・・。緋依ちゃんと優ちゃんとは大学の友達で・・・なんか会ってほしい人がいるって言われたんだけど・・・」
花香はとりあえずあかねの前に座わるといった。
「そうそう、ウチのこと。東あかねっていいます。あの、いきなり聞いちゃうけど、花香はお兄ちゃんとどういう関係?」
「え?」
「修一郎。ウチ東修一郎の妹なんだけど、この前、花香がお兄ちゃんと一緒にいるところを緋依と優と一緒に見ちゃって、どういう繋がりなんだろうって気になったから」
「あ、全然責めてるとかじゃなくて、あいつ、ここ最近行動がおかしかったから誰かに迷惑とかかけてないかなって」
なにから説明しようと慌てる花香を見て何か思ったのかあかねが急いで言葉を付け加えた。花香はどう言ったらいいのか迷ったが、修一郎が困っているところを助けてから、ときどきハンバーガーショップで会うようになったと説明した。
「そっか、あいつまた・・・。本当、すみません、ありがとうございます」
あかねは花香の説明を聞くとそう言って頭を下げた。
「いやいや、そんな!謝らないで!大したことしてないし、私が勝手にしちゃっただけだから」
花香は慌てていった。
その後、あかねと花香は他愛もないことをたくさんしゃべった。あかねは積極的で、よく話す子だったので、修一郎の愚痴や、実家のラーメン屋のこと、学校でのことなどを花香にずっと話していた。二人は連絡先を交換して、猫カフェで会って話したり、緋依と優と4人で出かけたりするようにもなった。
花香は両親が自動車事故で亡くなったときから、「大切な人がいずれいなくなってしまうこと」を恐れて、人と深く関わることを避けてきたが、ここ数か月で、緋依や優、あかねと出会い、少しずつ誰かといることも良いかもしれないと思うようになった。書き続けていた日記も書く量が増えていき、日ごとに、日記を書いたり、読み返すことが楽しみになっていた。修一郎と会うことはほとんどなくなっていたが、以前ほど心配して重く受け止めることなく、修一郎も修一郎できっとがんばっているのだから、自分も自分のことを頑張っていけばいいと思えるようになっていた。しかし、相変わらずお金に余裕はなく、生活は苦しかった。
***
11月になって、寒いというよりはまだ暑さも残るころ、修一郎と花香はハンバーガーショップで会った。
「花香さん、あかねと仲良くなったって聞きました」
「そう、大学の友達があかねちゃんと知り合いで。あかねちゃんすごい話しやすいから、ときどき会ってるよ」
「あかねに何か聞かれましたか?」
「どういう関係なのかって聞かれたけど、ここでたまに会うってことくらいしか話してないよ。あかねちゃんもそれ以上は聞いてこなかったし・・・」
「・・・今日、花香さんに会ったら、あのときのこと話そうと思ってたんです・・・」
花香は無理に話す必要はないと言ったが、修一郎は聞いてもらいたいと言って話し出した。