第二章 残り梅雨に水無川で
修一郎は学校終わりに涼たちと別れ、グラウンドを足早に通り過ぎ学校を出た。部活に行かなくなってから一週間が経った(6月11日)。そろそろ、顧問に怒られるかもしれない、チームや涼たちにも迷惑がかかっていると思う。でも、部活に行く気にはなれなかった。
今日はハンバーガーショップに行こうと思っていた。学校を出て帰路とは反対方向にあるハンバーガーショップに向かった。15分ほど歩いて店に着き、中に入るとあの場所に花香がいるのが見えた。花香は特に何をするでもなく、ドリンクを飲みながらスマホを見ているようだった。修一郎はソフトクリームを2つ買って、花香に声をかけた。
「お久しぶりです。これ、2回もごちそうになったので・・・」
花香は修一郎を見るとスマホから顔を上げ、小さく微笑み、
「全然いいのに・・・。でも、修一郎君が前より元気そうでよかった」
と言った。修一郎は花香の向かいの席に座った。まだこの店に来て花香に合うのは3回目だが、不思議と落ち着いた気持ちになった。修一郎は自分が、今日この店に花香がいたことを嬉しく思っていることに気が付いた。花香のことなど名前くらいしか知らないが、そのくらいの関係だからこそ、この人といる間は、部活とか、勉強とか人生とかそんなことを考えなくていいからなのだと思う。花香はあんなことがあったにも関わらず修一郎から何かを聞き出そうとしたり、過剰に世話を焼いたりはしなかった。
「すみません、お邪魔しちゃいましたか」
修一郎は花香に言った。
「ううん、私ここでバイトまでの間、時間つぶしてるだけなの。ちょうど修一郎君、あれからどうしてるかなって心配してたから、顔見れてよかった」
花香は少し安心したような顔でそう言った。
「迷惑かもしれないと思って、行くの迷ったので・・・」
修一郎はすこしほっとしてそう言って、ソフトクリームを一口食べた。
「そんなことないよ。私よくここに来るから、全然話しかけて。あ、ソフトクリームありがとうね。いただきます」
花香もそう言ってソフトクリームを食べ始める。
「おいしい」
と花香が言い、修一郎もソフトクリームを頬張りながらうなずいた。
また、何を話すでもないゆっくりとした穏やかな時間が流れ、アイスを食べた修一郎は立ち上がった。
「俺、そろそろ帰ります」
修一郎はそう言って鞄を肩にかけた。
「気を付けてね」
花香はそう言ったあと少し考えて、
「あのさ、次もまた・・・」
と言った。
「この場所で・・・?」
修一郎はそう答えた。
「うん、また会えたら嬉しい・・・」
花香は嬉しそうに言って、なんだかおかしくなって二人は笑った。修一郎は手を振って店から出ていった。花香は修一郎が見えなくなるまで、店の中からその後ろ姿を見送った。
花香は家に帰ると、デスクに向かい、椅子に座った。棚から小型の手帳を取り出して、開いた。この手帳は花香が日記にしているものだった。色々なことが記されている中に小さく修一郎のことが書かれた所もあった。花香はページをめくり、今日の出来事を書き記していった。
6月11日(月)
今日はいつもの店でしゅういちろう君に会った。制服着てたから学校帰りだったんだろうな。頑張っててすごいと思った。私も頑張らないと。今日は前より明るい様子だった。もらったソフトクリームおいしかったな。でも、なんであんなことしたんだろう。きっと大変なことがあったんだろうな。私が止めて良かったのかな。まだ、止めたことがほんとに正しかったのかわからない。
修一郎は家に着くと、誰もいない部屋の電気をつけた。どっと疲れが押し寄せてきて、鞄を下すとベッドに横たわった。気が付くと修一郎はそのまま眠ってしまっていた。
***
6月も終わりに近づいた金曜日、花香はまたいつものハンバーガーショップに向かっていた。教職の授業を受けていたら、時刻は19時を過ぎていた。店に入りコーヒーを買っていつもの席に座り、パソコンを広げる。溜息をついてレポートに取り掛かる。この時期ちょうどレポートが何個も重なって、毎日何かしらのレポートに追われていて、ハンバーガーショップに通い詰めているのだった。スマホのカレンダーを見ると、前期のテストまであと1か月ほどだった。
「こんばんは」
レポートに集中して頭を抱えながらパソコンと睨み合っていた花香は、修一郎の声にハッとして顔を上げた。
「修一郎君・・・!」
「課題ですか?」
そう言って修一郎はドリンクを持って花香の向かいの席に座る。
「そう、なかなか終わらなくて・・・」
「大変ですね・・・」
「そうなの。最近毎日レポート書いてて・・・。あ、そういえば修一郎くんって何年生なの?」
「3年です」
「え、じゃあ受験生?私、勉強とかの邪魔しちゃってない?」
「いいんです。一応勉強はちゃんとしてるつもりです。それに俺スポーツ科なので・・・」
「前、霞ヶ丘高校って言ってたけど、霞ヶ丘ってサッカーが強いとこだよね。もしかしてサッカー部だったりする?」
花香は修一郎が前に言っていたことを思い出して聞いた。霞ヶ丘高校は花香が通う大学の近くにある、優勝こそしないもののインターハイ常連校で有名な私立高校だった。
「はい、実はサッカー部で・・・」
「え、すごい」
「まあ、最近部活行けてなくて・・・ちゃんと行かないといけないです・・・」
「そっか・・・」
「全然気にしないでください。今日はただ西本さんと少し話したかっただけなので・・・。課題やってる途中にお邪魔しました。俺はそろそろ帰ります。あ、俺テストもうすぐなんでよかったら今度勉強教えてください。じゃあ、また・・・」
修一郎はそう言うとほとんど口をつけていないドリンクを一気に飲み干して、店を後にした。花香はその後ろ姿を見ながら小さく
「また、この場所で・・・」
と呟いた。
ハンバーガーショップからの帰り道、修一郎は家の近くにある公園で、誰かの忘れ物らしい、サッカーボールを見つけた。近づいてサッカーボールを手に取り、軽く汚れを払うと通学用の革靴のまま何回かリフティングをしてみる。しかし、すぐにやめて、近くのブランコに腰かけた。空を見ると、もう暗くなった空にはちらほらと星が輝いていた。お気に入りの星空を眺めて大きく深呼吸をして、修一郎は家に帰ろうとブランコから立ち上がった。
花香は時計を見てパソコンを閉じた。もうすっかり夜になっていた。ハンバーガーショップを出て、繫華街の裏路地へと入っていく。駅から少し離れた、ブランコのあるひっそりとした小さな公園の前で、公園を囲う柵に寄りかかり、スマホを取り出して連絡をする。数分後、駅の方から中年の男性が現れ、花香と一緒に歩きだす。2人は繫華街に入り、キラキラと装飾が光るホテルの中へと入っていった。
***
朝、家から学校までの道のりで、修一郎は駅から出てきた涼と春斗に出くわした。
「今日テスト返却だけどどう?自信ある感じ?」
涼が修一郎と春斗に聞く。
「まあまあかな」
と春斗が言い、修一郎も俺もと言った。
「なんだよ、そう言ってどうせ二人とも高得点なんだろー?」
涼が少し不満そうな顔で言う。
「まあね」
と春斗がまんざらでもないように言い、それを聞いた涼が「こいつー」と言って、春斗と修一郎に体当たりしてみせた。
「でも、涼もいつも良い点だろ?」
修一郎が言うと、涼は
「まあまあまあ」
と嬉しそうに謙遜してみせた。それを聞いて春斗と修一郎は「おまえもじゃん」と言って笑い合った。
花香は満員電車に揺られながら、イヤホンで音楽を聴き、学校に向かっていた。最近ハマっているバンドのアルバムを永遠とリピートさせながら大学に入った。
修一郎は授業中退屈そうに片手でペンを回しながら先生の話を聞いていた。数学のテスト返却が始まると、涼と春斗で点数を見せ合い、春斗が最高点を取ったので、涼と2人で悔しがった。
花香は講義室の長机に1人座り、授業を聞いていた。例年テストが簡単な教授の授業だったので、ほとんどの学生がスマホを触ったり、ゲームをしたり、あるいは寝ていたりした。ちょうど12時を過ぎたところだったので、花香は、授業は上の空で、今日のお昼は何を食べようかと考えていた。
授業が終わり、修一郎はまた部活に行かずにハンバーガーショップに行っていた。
花香は6限の教職の授業終わりに大学を出ると、近くの繫華街の裏路地に入り歓楽街の煌びやかな建物に入っていった。
修一郎はハンバーガーショップで花香が来ることを期待して遅くまで待っていた。時刻は22時前だったが、花香が店に現れる様子はなかった。テーブルに広げた参考書もあまり進んではいなかった。
花香はシャワーを浴びて体を拭く。そうして鏡の前で髪の毛を整え、指で口角をキュッと上げて、部屋に戻っていていく。
何とか参考書に取り組もうとするがなかなかはかどらず、人が通るたびに花香ではないかと期待して顔を上げる修一郎。
家に帰り、疲れて泣きながらお酒を飲む花香。
ベッドに横たわり窓から見える星空を眺めながら眠れずにいる修一郎。
そんな二人のとっては日常になりつつある“いつも”の日々が何日か続いた。
そんなある日、修一郎はいつものようにハンバーガーショップで勉強をし、スマホの時計が23時になろうとしているのを見て慌てて荷物を片付け、店を後にした。
「お兄ちゃん!」
修一郎が帰り道を歩いていると後ろから声がした。振り返ると妹のあかねだった。
「お店の手伝い?」
修一郎は尋ねた。あかねは父親が病気で倒れてから、父親の経営するラーメン屋をよく手伝っているからだ。
「そう、締め作業してたら遅くなっちゃった」
あかねはそう答えた。
「ずっと任せっきりでごめん」
「だからー、いいの!いつも言ってるじゃん!ウチの好きでやってるから気にすんなって。てか、こんな遅くまで何してたの?」
修一郎が謝るとあかねは言った。
「・・・勉強」
「ほんとに?まあ、いいけど」
2人は話しながら一緒に家に帰った。
「先寝るねーおやすみー」
就寝の支度をしたあかねはそう言って修一郎の部屋に顔を出すと自分の部屋に入っていった。時刻は0時半を過ぎていたが、切りのいいところまで終わらせようと、修一郎は参考書の続きに取り掛かった。勉強を終え、ベッドに入り、ふとスマホに表示された日付を見て、今日が七夕であることに気がついた。窓から空を見ると外には星が輝いていた。思わずスマホで空を撮影してみるが肉眼で見るようなきれいな絵は取れなかった。「星がきれいに撮れるカメラほしいな」と思いながら、引き出しから、星座早見表を取り出して空にかざす。そういえばお願いごとをしていないと思い、考える。「また、西本さんに会えますように」そう願って修一郎は眠りについた。
***
「はやく、はやくー」
修一郎は少し離れたところにいる女の子に呼び掛ける。
「まってよー」
女の子が追いつくと、修一郎はその手を取って走り出した。青い草原をどこまでも走っていた。
しかし、突然繋いでいた手が振りほどかれ、女の子の姿が目の前から消えた。そして、目の前が真っ暗になった。
***
修一郎は勢いよくベッドから身を起こした。顔や背中には大量に汗をかいていた。しばらくあたりを見まわしていたが、スマホのアラームが鳴り響き、夢だったことに気づき、自分を落ち着かせるように一息ついてから、学校に行く支度を始める。支度を済ませてリビングへ行くとあかねはもうご飯を食べ始めていた。修一郎がおはようと言うと、あかねは口にご飯を入れたまま、もごもごと返事をした。
「うわー、最悪」
テレビの占いで最下位だったあかねがそうぼやく。
2人はご飯を食べ終わると揃って仏壇の前に座り手を合わせた。そこには2人の母親の写真が飾ってあった。
「お母さん、行ってきます。じゃ、お先―」
そういうとあかねは先に家を飛び出していった。本来なら今から家を出ないと部活の朝練に間に合わないが、修一郎は行く気にもなれず、リビングのソファに座りこんでいた。
その日の授業終わり、修一郎はまたグラウンドを通りすぎようとしていた。
「東!」
誰かに呼び掛けられて修一郎は足を止める。サッカー部の監督だった。
「最近全然練習に来ないだろ。まあ、お父さんのことで大変なのは分かるが、試合も近づいてきているし、おまえの事情を理解している部員もいるが、不満を感じている部員もいる・・・おまえもわかっているだろう?」
修一郎は父親の入院で、部活をしばらく休むことになっていたが、入院の件が落ち着いてからも色々なことが重なり、気分が落ち込んで、引きずるように部活を休んでしまっていた。インターハイも近づいていて、監督も心配してくれているのだろう。
「すみません・・・」
「明日からはちゃんとくるようにな」
監督はそう言って修一郎の背中を優しく叩いた。
翌朝、朝練で集まった部員達の前で修一郎は話す。
「私情で長い間お休みしていました。たくさん迷惑かけてすみません。今日からきちんと練習に参加します。よろしくお願いします・・・」
「ということだ。前にも言った通り、東は親御さんの入院の関係でしばらく練習に参加できていなかった。今日の練習も普段通りやってもらう。以上」
「じゃあ、練習始めるぞ」
監督の言葉が終わると、キャプテンがそう言い、みんな一斉に駆け足で動き始める。
「修一郎先輩、全然部活来てなかったじゃないですか。メンバーの自覚あるんですかね」
涼の隣にいた2年生の一人が不服そうな顔で呟く。
「あいつも色々あるんだろう。今は練習に集中しよう」
涼はそう言って2年生をなだめ、練習に取り掛かる。修一郎も顔色を変えず、真剣な眼差しで練習を始めたが、小さく聞こえた2年生の言葉が胸に刺さっていた。
***
花香は朝の満員電車に揺られていた。今日はテスト最終日なので、大学に向かう電車の中でも教科書やノートを開いている学生の姿が多くあった。花香も片手にプリントを持ち、言語のテストの勉強をしていた。テストが行われる教室を確認しようと鞄の中からスマホを取り出す。しかし、スマホだと思って取り出したのは、日記替わりの手帳だった。ふと開いたページには、修一郎のことが書かれていた。修一郎とはソフトクリームを食べた日以来、数週間会っていない。元気にしているだろうかと思いつつ、いや、もう私には関係ないことだと言い聞かせて、手帳を鞄にしまい、スマホを取り出して教室を確認し、再び手に持ったプリントに目を落とした。
夏休みに入り、試合が近づき、修一郎の部活もますます忙しくなっていた。部活に行くようになってから、修一郎は毎日朝誰よりも早く学校に来てグラウンドで一人練習をしていた。部活を休んでいた罪悪感で、このくらいはしないといけないという思いからだった。少しすると、涼と春斗もやって来た。
「今日も早いなー」
と涼が言い、3人は練習を始めた。
6限の教職のテストを終えた花香は久しぶりにハンバーガーショップへと向かった。ドリンクを注文し、いつもの場所を見ると修一郎がいた。真剣な顔で問題集に取り掛かっていたので、少し離れた場所から、声をかけようか迷っていると、ふと顔を上げた修一郎が花香を見つけて、
「あ、西本さんだ」
と嬉しそうに言った。
花香はドリンクを持って修一郎の向かいに座った。
「久しぶりだね」
「全然見かけなかったのでちょっと心配しました」
「今日までテストだったから・・・。私は明日から夏休みだよ」
その後2人はぽつぽつと会話をしながら、勉強したり、スマホを見たりしていた。しばらくして2人は揃ってハンバーガーショップを出た。
「あの・・・」
店を出た後に修一郎が口を開いた。
「ずっと言えてなかったんですけど、あのときはありがとうございました。俺、ほんとに・・・何て言えばいいんだろう・・・」
「うん、大丈夫だよ。私、修一郎君とこんなに仲良くなれると思ってなかったから嬉しい」
修一郎が言おうとしていることを察して花香がそう言った。
「俺、最近学校も部活もちゃんとやろうって思ってがんばってて・・・」
「そうなんだね、私も頑張らないとな」
「あの、これからもここで会えますか?」
「うん、いつでも。一緒に頑張ろ」
2人はそう言ってすこし微笑み合ってそれぞれ反対側の道に分かれた。外には小雨が降っていた。
***
あかねはバスから降り、市民病院へと入っていった。受付で面会受付をして、父親がいる病室のドアを開けた。
「お父さん来たよー」
あかねはそういって父親のベッドのカーテンを開けた。父親は身体を少し起こしてあかねの方を見て「ありがとな」と言った。あかねは慣れた手つきで着替えや必要なものをベッド脇の棚にしまっていく。
「最近お店繁盛しててさー」
「そうか、お前にも田中さん達にも迷惑かけてしまったな」
「別にそういうんじゃないけどさー。何とかなってるから大丈夫」
「そうか・・・」
そう言って父親は少しの間黙り込んだ。
「修一郎は元気か?」
あかねは作業の手を止めて父親の方を見た。
「なに、それが聞きたかったの?大丈夫、元気だって。最近は学校も休んでないし、朝早くに家出て、一番乗りで朝練してるみたい」
「そうか・・・無理し過ぎないといいが・・・」
「お兄ちゃんも頑張ろうとしてるんじゃない?知らんけどさ。そんなに心配するなら直接会って話せばいいのに」
「いいんだ。あいつは自分のことをやればいい。もちろんお前には感謝してる。何かあったらすぐ連絡しろよ」
「はいはい。分かってるよ。わたし帰るね」
そう言ってあかねは病室を後にする。
あかねは病院を出るとバスに乗って、駅の近くの繫華街入り、あるビルの一階のラーメン屋の裏口に入っていった。
「あかねちゃんお疲れ様」
服を着替え厨房に入ると田中さんが声をかけてきた。田中さんは父親が経営するこのラーメン屋で長いこと働いてくれている優しいおじさん社員だった。先月に父親が病気で倒れてから、ラーメン屋は田中さんとあかね、バイトの男の子2人で交代しながら、何とか切り盛りしていた。田中さんにいたってはほとんど毎日店に来ていた。
あかねは田中さんに「お疲れ様です」といい、厨房から店内を見渡した。まだ客はそれほどいなかったが、徐々に人が増え、これから混んでくるような感じだった。
「今日金曜日で人多そうだったから、あかねちゃん来てくれて助かったよ」
「いえいえ、田中さんにはたくさん働いてもらっちゃってるんで」
「いつもわるいねぇ」
そう言って、あかねと田中さんはテキパキと仕事に取り掛かる。
「修一郎君、最近がんばってるんだって?修一郎君のお友達が言ってたよ」
客足が少し落ち着いた頃、田中さんがあかねに尋ねた。
「そうみたいです。お友達って涼と春斗?」
「そうそう。その2人が今日部活終わりに食べに来てね」
「ああ、やっぱり。あいつはみんなにたくさん助けてもらってるのに何にも気づいてないんですよ。頑張ってるのはいいけど、すぐ自分を追い込もうとするし」
あかねはそう言って顔をしかめた。
「お互いに大変な時期だからね」
田中さんはそう言ってあかねをたしなめた。
「そうそう、田中さん聞いてください。あいつ最近帰ってくるのが遅いときがあって、何してるのか聞いたら、勉強って言うんですけど、涼と春斗に聞いたら、駅前のハンバーガーショップに行ってるって言ってて。今まで外で勉強することなんて無かったから、変なことして油売ってるんじゃないかと思って」
「そうかあ。修一郎君も彼なりに何か考えているのかもしれないねえ」
田中さんはそう言い、2人はしばらく修一郎について、あてのない考察を繰り広げた。
***
「修一郎君、まってよー、どこいくのー」
肌の白い、花柄のワンピースを着た女の子が修一郎に少し遠くから呼び掛ける。
「ゆき、はやくー」
修一郎は女の子に向かって叫んだ。女の子は風で落ちた麦わら帽子を急いで拾って修一郎の方に駆け寄ってくる。修一郎は水道局の敷地の芝生にある金網をよじ登って超え、内側から金網につけられたドアのつっかえを外して、ドアを開けた。修一郎は女の子の手をとって走り出した。しかし、急に視界が暗転して真っ暗になった。
***
修一郎は教室で目を覚ました。
「お、起きた」
顔を上げると涼と春斗が自分の机の前に座っていた。時刻は19時を回ったところだった。日が沈みかけていて西日が眩しかった。部活の1日練習を終えた後、3人で学校に残って夏休みの課題をやろうと計画していたが、修一郎は課題を結局ほとんど進められていなかった。
「俺もしかして結構寝てた?」
「だいぶ。ずっと寝てたから起こしちゃ悪いと思って」
「朝練も頑張ってるしさ」
涼と春斗がそう言った。
「課題どこまで終わった?」
修一郎は涼と春斗に尋ねると、二人は揃ってスマホのゲームの画面を示して見せた。
「このとおり」
「まったく終わらなかったな」
3人は今日のところはあきらめようと言って、学校を出た。
校門のところで、修一郎は二人と別れハンバーガーショップに向かった。
花香は鏡でメイクの仕上げをして、家を出た。家にいると寝てしまうので、夜の予定までの時間をハンバーガーショップで過ごそうと考えていたからだ。花香は大学の近くで一人暮らしをしているので、大学近くのハンバーガーショップは時間を潰したり、何か作業をするのにもってこいなのだ。それにここ数週間は一度も修一郎を見ていなかったから、もしかしたらいるかもしれないという思いもあった。
花香がハンバーガーショップに入るとそこには修一郎の姿があった。
「修一郎君!」
花香は修一郎に話しかける。課題をしていた修一郎は顔を上げた。
花香は新作のハワイアン風ハンバーガーセットが乗ったトレーをテーブルに置いた。
「あ、俺も同じの頼みました」
「ほんとだ」
修一郎は花香のトレーを見て自分のトレーに乗ったハンバーガーを指さして見せた。花香は席に着き、修一郎は課題の手を止めてハンバーガーを食べ始める。
「これ分かりますか?」
少しした頃、修一郎は花香に夏休みの課題の問題を見せて尋ねた。
「えっと、積分のとこ?」
花香は問題分を読んだ。
「はい。花香さんって何学部なんですか?」
修一郎はふと気になって聞いた。
「私は教育学部だよ。先生になるために勉強してるんだ」
「そうなんですね。じゃあもってこいだ」
「うーん、私英語の学科なの。積分なんて久しぶりだなあ。できるかな」
花香は問題を読んで眉間にしわを寄せた。
そのとき、辺りが一瞬光って雷が鳴った。二人が窓の外を見ると、外では雨が降り始めていた。
「なんか花香さんといるときって雨多い気がします。雨女だったりしますか」
修一郎がそう言った。
「あー確かに私、学校行事はほとんど雨だったなあ。」
花香は苦笑して言った。
「でも、私、雨は好き」
「そうなんですか。俺は雨あんまり好きじゃないです。服とか靴とか濡れるし」
「まあね、でも雨だといつもの景色がちょっとだけ違って見えて、それが良いんだよ」
花香はそう言ったが、修一郎はあまり分からないといった様子で首を傾げた。
「あの、花香さんにお願いがあるんですけど・・・」
しばらくして修一郎がそう切り出した。
「なに?」
花香は不思議そうに首をかしげる。
「俺、今度最後のインターハイなんですけど、もしよかったら試合見に来てくれませんか?実は準々決勝の試合が少ししたらこの地域であって・・・」
「そうか、修一郎君インターハイ出るんだ。・・・え、それってめちゃ凄いことじゃん」
花香は驚いて言った。
「はい、花香さんに見てもらいたくて」
修一郎は少し恥ずかしそうにそう言った。
「ほんと?見に行きたい!」
花香は嬉しくてそう返した。
「やった。絶対来てくださいね!」
「もちろん」
修一郎は嬉しそうにしてまた課題に取り掛かり始めた。
***
花香は満員のスタジアムの中にいた。今回のインターハイのサッカーの開催地が地元ということもあって、修一郎と同じ高校名が入った服を着た人も大勢いた。
対戦相手が去年の優勝校ということもあり、前半でリードされていたが、後半では修一郎のアシストで1点が決まった。霞ヶ丘高校に得点が入ると周りの女子高生たちが修一郎やそのチームメイトの名前や歓声が飛び交った。立ち上がって抱き合う人もいた。そんな中、花香は少し気まずそうに1人で観客席に座っていた。
試合が終わり、花香は混んだスタジアムからやっと外に出た。大方の人はもう駅に向かっていて、人はそれほど多くなかった。
「花香さん!」
呼び止められて振り返るとユニホームを着て汗で濡れた修一郎がいた。
「よかった。来てくれたんですね。」
修一郎はタオルで汗を拭いながら言った。
「すごい、かっこよかったよ。・・・でも、なんにも持ってきてなくてごめんね」
試合後に近くの女子高生が、ドリンクや手作りらしきお菓子やなんやらを「修一郎先輩と誰々先輩たち」にあげるタイミングを話し合っていたのを聞いてしまった花香はそう言った。
「何言ってるんですか。俺は来てくれるだけで嬉しかったです」
修一郎は笑って答えた。
「試合は負けちゃったけど、後悔はしてないです。花香さんがあのとき俺を助けて良かったって思ってもらえるように頑張りました。」
「そっか。伝わったよ。お疲れ様」
修一郎の言葉に花香は涙がこぼれそうになるのをこらえて言った。
***
修一郎は女の子の手をとって草むらを走り出した。
「みて、ここ秘密基地なんだ」
修一郎はある所で立ち止まり、目の前に広がる草原を前にして言った。
「すごい。私ずっと病院にいたから、こんなところはじめてきた」
ゆきは目を輝かせて修一郎に言った。
「みんなには内緒だよ。今日は晴れてるから流星群だけじゃなくて、いろんな星がきれいにみえるよ」
修一郎はまだ明るい空を見上げて言った。
「私知ってるよ。夏には夏の大三角形がみえるんだよね」
「そう、こと座のベガとはくちょう座のデネブ、わし座のアルタイル」
修一郎はポケットから星座早見表を取り出して、順番に空を指さして言った。
***
修一郎はハッと目を覚ました。スマホを手に取ると、時刻は午前3時だった。
最近小学生の頃の夢をよく見る。試合は終わったがこのところ練習が忙しかったので、疲れすぎて眠りが浅くなっていたのかもしれない。修一郎は部屋の奥から小学校の卒業アルバムを取り出す。あるページを開くと幼い自分とクラスメイト達が写っていた。ただ一人、「北山ゆき」と書かれた女の子だけ、みんなとは違う場所で撮られた写真だった。修一郎はその写真を見つめた。裏の寄せ書き用のページは真っ白のままだった。しかし、「修一郎くんへ ゆきより」と書かれた何通かのしわくちゃの手紙が挟まっていた。修一郎はそっとその手紙を取り出し、読み始めた。
その日は珍しく部活が休みだった。修一郎は夕方、やっとの思いで夏の課題を終わらせると、数週間ぶりにハンバーガーショップに行った。気が付くと8月も後半に差し掛かっていた。
涼しい店内で、冷えたシェイクを買った。いつもの席には花香の姿があった。
「あ、久しぶりだね。課題終わった?」
修一郎に気が付いた花香が言った。
「はい、なんとかやっと」
修一郎はイスに座りながら応える。
「これ駅前でもらったんですよ。毎年やってるやつ」
修一郎は今週末に行われる花火のパンフレットを花香に見せる。
「花火もう今週か。私、大学入ってこっち来てから去年初めてみたよ」
「俺はもう毎年見てます。今年は流星群が見れる日と重なってるんですよ」
「そっか」
花香は少し考えてから言った。
「私の家来る?」
「え?」
修一郎は驚いて聞き返した。
「私、一人暮らしだし、マンションの上の方だから花火綺麗に見えるからさ」
「でも、いいんですか?」
「うん、修一郎君が良ければ全然」
***
花香と修一郎は狭いベランダで空を見上げていた。数秒おきに花火が打ちあがり空に輝いた。
「やっぱり綺麗だなー」
花香はサンダルを履き、ベランダの鉄柵の間に足を入れて柵に寄りかかり、アルコールの缶を片手に呟いた。赤い大きな花火が上がった。修一郎は花香の瞳にも花火が写って輝いているのを眺めた。それはとても綺麗に感じた。
花火は30分ほどで終わってしまった。2人は部屋に戻り、テレビをつけて一緒にカップ麺をすすった。花香は二缶目のお酒を開けていた。
「ゲームでもする?」
花香は食べ終わったカップ麺のゴミを片付けながら言った。
「いいですね」
「これしかないけどね」
そう言って花香はテレビ台の引き出しからWiiスポーツのソフトを取り出した。
「なつかしいな。俺、ボーリングとテニス得意ですよ」
修一郎はそう言ってコントローラ―を手に取った。
「テニスやろうかな。あんまりはしゃぐと怒られちゃうから騒いじゃだめだよ」
そう言いつつ、ゲームが始まると花香が一番はしゃいでいた。
「花香さん、もうすぐ流星群見えます」
一通り遊んだ後、時計を見た修一郎が言った。
2人はまたベランダに出た。
「ほら、今見えた」
修一郎は星が流れる空を嬉しそうに指さした。花香はそんな修一郎の顔を見つめた。
「ペルセウス流星群です。三大流星群の一つなんですよ」
「修一郎君は何で星が好きなの?」
「えー、宇宙は広いなって思えるから・・・?星を見てるときは自分はこのおっきい宇宙の小さい存在にすぎないって感じるんですよ。そしたら、少しは気持ちが軽くなるっていうか・・・」
「たしかに、他の星では私達と同じようにがんばってる宇宙人もいるかもしれないねー」
「はい、そう思います。宇宙人からしたら俺らも宇宙人だしなーとかそんなことを考えます」
「でも、流れ星って宇宙の塵が通り過ぎてるだけだよ」
「はは、まあそうですね。ちょっと酔ってますか?花香さんらしくないです」
「そんなことないよ。今、私たちは宇宙のゴミを見てるんだよ。あ、お酒飲む?」
花香は飲みかけの缶を修一郎に差し出した。
「ダメですよ。俺まだ高校生だから」
修一郎は手で差し出された缶を制止した。
「まだ大人の味は分からないかあ」
「しょうがないじゃないですか。でも、ゴミも塵も遠くから見たら綺麗に見えるんですよ。花香さんもきっと星の良さが分かりますよ」
「どうだろうー」
「まあ、今日晴れて良かったです。花火も流星群も見れたし。そう、だから俺雨きらいなんですよー。星みえないから」
「えー、それは許せないー。雨だって良いのにー」
「自分だって流れ星はゴミとか言ったのに」
1時間ほどくだらない話をした後、2人は部屋に戻った。花香はお酒を飲んだせいかソファに横になるとすぐに寝てしまった。
修一郎はもう一度ベランダに出ると一人流星群を眺めていた。