深夜の堕落なピザ
昼に沢山食べたからか、夕飯の時間になってもお腹が空かず。
僕と弟はそれぞれ本を読みながらベッドに転がっていた。
時々リトが読めない字を訊きに来る以外は特に会話も無く、静かに夜が更けていく。
夕方まではTwinkleMagicの2階の休憩室で過ごさせてもらった。
昼食の帰りに立ち寄った、不思議な占いの店。
そこで聞いた"女神様の行方を知っている魔術師"について考えるためだ。
オーナーの持ち込んだ本棚に、魔術師についての本がいくつかあった。
それを見せてもらいたかったのだ。
途中で黒江さんが様子を見に来てくれたから、占いの店で言われた"魔術師"がどんなものなのか調べてる事は報告した。
僕らの話を聞いた黒江さんは困ったような考えるような微妙な表情になって『魔術師、か…』と呟いた。
調べものについては、どの本がオススメか教えてくれたけど…
微妙な表情と呟きが気になったリトが『心当たりがあるの?』と訊ねても、黒江さんは『どうかなぁ…』と言葉を濁した。
もしも手掛かりになるようなら、教えてくれる筈だ。
もしも情報があったとしても、言えない理由があるんだったら、それ以上訊かない事にした。
黒江さんならきっと、言うべき時には言ってくれる筈だ。
そう信じて。
僕らは取り敢えず、"魔術師"というものについて少し知ってみる事にした。
オーナーに許可を取って本を数冊借り、家で読み始めて…
もう何時間かは経っているだろう。
ふとリトがベッドから話しかけてきた。
「アン、俺先にシャワー浴びてきていい?眠くなってきた。」
その言葉に、時計を確認すると…
「えっ、もう21時か!浴びて来て。僕もそろそろ休憩する。」
「はーい。」
リトは本を丁寧にカウンター机の端に置くと、風呂場へ向かって行った。
僕も本を閉じると、他の借りて来た本たちと一緒に鞄に仕舞う。
"魔術師"とは魔術を研究したり行う人で、魔術と称されるものは多岐に渡るようだ。
今日聞いた"占い"だってその一部とも言えるし。
生活の役に立つようなものから、僕らの世界で行われていたような儀式、それに恐ろしい呪いまで…
あらゆるものがあって、一概に"こういうもの"というには難しそうだ。
つまり"魔術師"とはどういう人かというのも、なかなかに難しい。
僕の今の知識だけで想像すると…
研究熱心で日々部屋に籠って居そうでどちらかというと暗い雰囲気のありそうな…
少なくとも昼食を食べにいったあの店の店主では無いなと思った。
占ってくれたオヒゲーノさんは、"魔術師は近くに居る人かもしれない"と言っていた。
研究熱心で陰のある…というと、黒江さんだけど。
流石に違うかな。オーナーの好きな占いにもあんまり興味が無さそうだった。
TwinkleMagicのお客さんで雰囲気だけはそんな感じの人は居たけど。
その人のことを何か知ってるわけでもないし、数回見掛けただけだから…
魔術師について考えを巡らせていると、風呂場からリトが戻って来た。
「タオル忘れた!」と言って、裸で。
「お湯被る前で良かったー。」とタンスをゴソゴソ漁っている。
全くだ、床を濡らされたら怒らなきゃならないとこだった。
呆れて弟を見ていると、僕はおかしな事に気付いた。
リトラビアの足。
膝から下の肌、真っ赤だ。
「リト?…お湯とか被ってないんだよね?お風呂入ってないよね?」
「えっ?うん。なんだよー、濡れてないだろ?」
本人は気付いてないようだ。
なんの感覚もないんだろうか。むしろ何も感じない方がおかしいと思うぐらいに赤いのに。
「足…足、が…」
なんだか怖くて、声が震えた。
僕の尋常じゃない様子に、リトもハッとしたように僕の視線を辿る。
足の前側。膝から脛の全体、足の甲までが、赤い。
それを見て、本人は固まってしまう。
自分でも驚いたのだろう。
「…え?え?」
リトの口から疑問の声が出たのも、間があってからだった。
「ど、どうしよ、アン。これ、なんだろ?段々痛くなってきたかも…」
動揺する弟。
原因がわからない以上、僕にはどう対処していいのかわからない。
でも痛みがあるのに放っておいていいわけがない。
「黒江さん呼んで来る!すぐ戻るからな!」
自分達じゃどうしようもない以上、助けを呼ぶしかない。
まだこの時間だったら黒江さんは店に居る筈だ。
僕は上着も着ないで外に走り出た。
階段を駆け下り、店の裏口に走り、ドアを幾分乱暴に開けた。
「黒江さん!助けて!」
店に迷惑だとか、考えも出来なかった。大きな声で黒江さんを呼んだ。
僕らが突然にこの世界に来た事自体、わけのわからない不思議な事だったから…突然何もしてないのに弟がケガをしたって、最悪消えてしまったっておかしくはないんだ。
つい先日"どうにもならない"そんな思いをしたばかりだ。
不測の事態、というのが僕にはどうにも怖かった。
僕の叫びを聞いて、黒江さんはすぐに裏口に駆けつけてくれた。
「アン?どうしたのそんな」
「リトが、よくわからない、ケガかな?急に…っ」
うまく説明できなくて焦って、息が上がってしまう。
「深呼吸して?…もうお客さんいないから鍵閉めて来る。待ってて。」
黒江さんは速足で表の鍵を閉めに行き、すぐに裏口に戻って来てくれた。
それからふたりで急いでリトの所へ駆けつける。
部屋に戻ると、リトはタンスの前で座り込んでいた。
バスタオルを肩から掛けて、足は投げ出している。
その足はさっきと変わらず、真っ赤だった。
「黒江さん、俺の足…」
「これは…何があったの?」
「なんもない、どこにもぶつけてないし…シャワー浴びようと思って、それで…」
「熱湯でも被った?」
リトは首を振り、「なんにもしてないんだ。いつからこんなだったかもよくわかんない…脱いだからアンが気付いてくれただけで、最初は痛くも無かったし。でも見たらちょっと痛くなってきて…」と一生懸命に説明する。
「アレルギー…?にしてはおかしい症状だな…」黒江さんも首を傾げる。
するとリトが何か思い当たったのか「あっ!」と声を上げた。
「占い…オヒゲーノさんの店を出る時に、足をどうした?って言われた。あの時からもうこんなだったのかな…」
服をしっかり着ていた状態で、この足が見えたとは思えないけど…
あの人は確かに、目には見えないものが見えそうな…そんな不思議な力がありそうだ。
「占い…もしかして…」黒江さんも何か思い当たる節があるようだ。
「ちょっと待ってね。」スマートフォンを取り出してどこかへ電話を掛ける黒江さん。
僕らはまだ持たせてもらってない、外でも連絡を取れる便利なもの…。
黒江さんとレイさんには『色々便利だけどまだ早い』と言われている。
誰に連絡を取っているんだろう。
多分敢えてそうしてるんだろうけど、僕らから少し離れて抑えた声で話をしているからあまり聞こえない。
しばらく話して、黒江さんが戻って来る。
「連れて来いって。リト歩ける?ダメなら背負っていってあげるよ。」
「やってみる。痛いの赤いトコだけだし…。アン、ちょっと手貸して。」
リトの手を引っ張り、立たせてみる。
「うん、大丈夫。歩けそう!」と元気に言ってくれて、僕は少しホッとしたけど…
バスタオルがハラリと床に落ちるのを見た黒江さんが「裸で外は出ちゃダメだけどね…」と困り笑いしたのだった。
リトの足は触ると痛いみたいなので、緩い服を着せて…
なるべくゆっくり歩き、黒江さんに連れて行かれたのは近所の家だった。病院でもない、何かの店でもない。
誰かの家。TwinkleMagicと同じぐらいの大きさだけど、背が高い建物だ。3階まであるんだろうか?
玄関は階段を上がった先、2階部分にあるようだ。
僕が表札を見る前に「新城さんちだ!」とリトが叫ぶ。
あの新城さんの家だったのか。まだ助けてもらったお礼も言いに来てなかったのに…
また助けてもらいに来てしまった。
「うるせぇぞリト。部屋まで聞こえたわ。なんだ元気そうじゃねーか。」
新城さんがダルそうに玄関から現れた。
確かにリトの声は大きいけど、部屋まで聞こえる程じゃないと思う。
きっと連絡を受けて玄関で待っててくれたのだろう。
威圧感ある雰囲気だし、黒江さんと言い合いするし、吉崎を黙らせる事ができるなんて、ちょっと怖い人なのかなと思ってたけど…
リトにくれた色鉛筆も新品みたいだったし…もしかしてわざわざ買ってきてくれたのかもしれない。
この人実は優しいのかな…
『人には色んな顔があるのじゃ。』と、オヒゲーノさんの声が聞こえた気がした。
それから僕らは2階の広い部屋に通された。TwinkleMagicの休憩室にあるテレビよりずっと大きいテレビがあって、反対側の奥にはキッチンがある。
床には子供の玩具がいくつか散らばっていた。そういえば新城さんは子供とランチを食べに来るお客さんでもあったんだ。
男3人が座っても余裕の、大き目のソファにリトを座らせると、問題の赤くなってしまった足を見せた。
新城さんは少し黙って考えるような仕草をしてから、「触るぞ?」とリトに確認し、リトが頷くとそっと赤い部分に触れる。
「ぅあっ…!!!」途端、リトが叫ぼうとしたのを新城さんが止める。
大きな手でリトの口を塞ぎながら「椎、風呂に水溜めて来て。冷たい水な?」と黒江さんに指示する。
「わかったよ、ちゃんとアンにも説明してあげてね。」
僕に「大丈夫だからね」と声を掛けてくれて、黒江さんは部屋を出て行った。
リトを見ると、いつの間にか気を失っているようだった。
そんなに痛かったのかな…
新城さんはリトをソファに寝かしてやると、僕に向き直った。
「まず、俺は椎やレイが知ってるようなお前らの事情は全部知ってる。あのカフェに流れ着いた"異世界からの訪問者"の事の殆どは知っている。あと、俺はTwinkleMagicのオーナーの絶対的味方だ。それを承知で聞けよ?」
僕は頷いた。
余計な質問はせずに話を聞けということだな。
気になる事は沢山あるけど、今はまずリトラビアに何が起こったのかを知りたい。
「リトの足、あれは肉体的フラッシュバックだ。」
「肉体的、フラッシュバック…」
「人はあまりにショックな出来事があると、時が経っても、突然にそこに心が戻ってしまう事がある。自分の心が"過去のその時"に戻るんだ。わかるか?」
「心が戻る…そのショックを受けた時の心になってしまうってことですか?」
「そうだな。まるで自分がショックを受けたその場に居るような気持ちになる。息苦しくなったり胸が痛くなったり、酷いと気を失ったりもするな。それがフラッシュバックという症状だが…敢えて"肉体的"と呼んだのは、リトが体だけ"その時"に戻っていたからだ。」
「足が赤くなって…」
「そう、普段はボンヤリしている記憶が戻りかけたんだろ。リトの場合死ぬ直前の記憶だ。」
「それ…僕は知らなくて。だって僕は先に…。」
新城さんは僕の言葉を聞くと、少し沈黙した。
そしてその眼がジッと僕の顔を見詰めた。
「お前は血の流し過ぎで死んだな。リトはその後…」
「なんでわかるんですか?」
僕は咄嗟に新城さんの話を遮った。僕の最期を視られたのも怖かったし、リトの話を聞くのも怖かった。
「…なんでわかるか、とは今重要な事か?弟がどんな状態にあるか知りたいんだろ?」
少し厳しい声になる新城さん。
確かにそうだ。
新城さんには、わかるからわかるんだ…。今その理由を説明してもらおうとしたら、とても時間がかかることかもしれないし、僕にはわからないような難しい内容なのかもしれない。
もしリトに、もしかしたら僕にも、同じような事が起こった時。
理解しておかないと対処が出来ない。今リトに何が起こってるのか。
怖くても聞かなければ。
「ごめんなさい。リトの事聞かせてください。」
僕が謝ると、新城さんは表情は変わらなかったものの、雰囲気を和らげてくれたように思えた。
「まぁ、双子ってのは共感してしまうからな。お前までこうなっても困るし詳しくは言わない。…リトはな、死ぬ直前に足に火傷をしたんだ。」
火傷。
そういえば前に火傷の話をした時、リトが取り乱したことがあった。
今思うとあれは"フラッシュバック"というものだったのかもしれない。
あの時は心が…今はじゃあ、体が"その時"に戻っているってことなのか。
「じゃあ、今のこの足も、火傷してしまってるんですか?」
「それとも少し違うな。リトは足の状態を確認するまでなんともなかった。痛くもなかったワケだよな?」
「あ、そうですね…」
「なんらかの思い出すキッカケがあったかもしれんが、体が先に"勘違い"して、後から心が引きずられたんだ。…俺が触ったから、精神まで一気に"その時"に戻って気絶したんだろう。」
「えっ…それは大丈夫なんですか」
「大丈夫。そうじゃなきゃ俺だってもっと慌ててる。俺もそこまで非情じゃない。」
新城さんはニヤリと笑った。
新城さんがリトに触れたのは、その傷が出来た経緯を読み取る為と、現在の体の状態を知る為だったようだ。対処法を探らねばならない。
ただ、その時にどうしても"記憶"にも触れてしまうらしい。
新城さんが記憶に触れた事で、それがリトにも見えてしまった。
そのショックで気を失ってしまった。
しかし、命には別条無いとのことで、それを聞いてやっと安心した。
「大きな傷を負うと、記憶と共に体に反応が出る時がある。ただそれは体が"思い出している"だけであって、今実際には起こっていない事だ。慣れれば放っといても消えるが、リトは初めてだろうからな。」
そこまで話すと、黒江さんが戻って来た。
「できたよ。それでどうするの?」
黒江さんの言葉を受けて、何故か新城さんは僕の方を向いた。
「アン?火傷にはまずどういう手当をするか知ってるか?」
と、僕に問いかける。当然知ってるだろ?という目で。
「まず水でよく冷やす…」
前にレイさんが一通りの応急手当は教えてくれたから、ちゃんと知っている。
そうか、だから黒江さんに水を溜めるように言ったのか。
「あー重い。まったくお前らはよく俺を使ってくれるよな…」
文句を言いながらも、新城さんがリトを風呂場まで運んでくれる。
「あっ、そうだ、この前助けてもらったお礼をまだ…」
「あーわかったわかった、それは後で聞く。」
風呂場の手前で一旦リトが降ろされる。
まだ目が覚める気配は無い。
「えっ、このまま水に入れるんですか?」
「大丈夫大丈夫、心臓が止まってもなんとかしてやる。」
「いくら遥でもそこまではできないでしょ…冗談やめてよね…」
本当に、そんな冗談はやめてほしい。
なんなら僕ら一回死んでるんだよ…。
リトを浴槽に入れるのは3人で協力した。
下半身だけゆっくりと水に沈める。
室内は暖房が効いていたとはいえ、風呂場は空気が冷えている。
まだ冬だ。浴槽の水も冷たいし…。
流石に寒そうだな…と思いながら、リトを見る。
水に浸けた途端に飛び起きるかと思いきや、リトはすぐには目を覚まさなかった。
足の方を見ると、少し赤みが引いて来たように思える。
良かった…僕が思わず溜め息を付いたその時…
「っあ!!えっ!!!なに!?」
新城さんに上体を支えられたリトが、暴れながら目を覚ました。
「あっぶな…大人しくしてろ。」
怒られて、きょとんとするリト。
「あれ…新城さん。何してんの?」
更に怒られそうな態度を取るリトに、僕は慌てて説明した。
「リト、新城さんが足治してくれたんだよ?」
「そうなのか!あっ本当だ痛くない…ありがとう新城さん。」
「あぁ…良かったな。ほら、上がって着替えろ。お前にもちゃんと説明してやる。」
新城さんがリトの手を引いて浴槽から出してやろうとしていると…
僕の後ろから、子供の声。
「とと!何してるの?」
振り返ると小さな男の子。
やんちゃそうな顔付きのその子は、僕と黒江さんの間を抜けて新城さんに駆け寄って行った。
「おぉ吉春ぅ!久し振りー!」
「あれっリトだー。なんでオレんちの風呂居る?」
リトとこの子は顔見知りのようだ。
そうか新城さんがランチに連れて来る子って、この子か。
リトはランチの時間に店に居るから、知り合いなのは当然だな。
「あっ!シイも居る!…んっ…ん?」
黒江さんを確認して、僕の方を見て…もう一度リトの方を見て僕の方を見て…
吉春君は僕を初めて見たから、混乱しているようだった。
「リトってふたり居たの?」
純粋な吉春君の質問に、僕と黒江さんは思わず笑顔になってしまった。
それから皆でさっきの広い部屋へ戻る。
リトの足はすっかりいつもの色白な足に戻っていた。
新城さんが僕に説明してくれた事を、もう一度リトに説明する。
案の定リトは何回も「なんで?」「どうして?」「どういうこと?」と口を挟み、「まず黙って聞け」と新城さんに怒られていた。
寝室で眠って居た筈の吉春君はバッチリ目が覚めてしまったらしく、新城さんとリトが話をしている間は僕と黒江さんと一緒に児童書を読んでいた。
僕も児童書は好きだ。内容も割とわかりやすく、日本語の勉強にも丁度良いし、この世界の価値観や倫理観も伺える。
吉春君が自信満々に児童書を読み上げてくれる。
「まほう使いは言いました。この中で好きな色の玉を持っていけ。」
魔法使い、かぁ…。魔法使いと魔術師とは違うのかな。
ふと、僕は新城さんの方を見た。
魔術師…。
色んな事を"知っているから知っている"不思議な人。
そういえば店にある新城さんの描いた絵も、何か魔術の図形のようなものを感じた。
もしかしてオヒゲーノさんの言っていたのは、この人なんじゃ…
「アン?どうしたの?」
リトがふたりの方を向いている僕に気付いた。
「あ、ううん。話の邪魔してごめん。」
「いや、もう終わるからいいぞ。もう吉春も寝かさないとな。」
「オレは寝ないぞ!とと!」
さっき吉春君に"とと"って何?と訊いたら"父"という漢字を上手に紙に書いて『ちちを、とと、と読むのだ!』と教えてくれた。
前にレイさんが教えてくれた"兄"を"あん"と読むようなものかな?と感心してしまった。
吉春君の父は、我が子の元気な"寝ない宣言"に一瞬めんどくさそうな顔をしたが、「あ。」と声を漏らすと悪戯を思い付いた子供みたいな表情に変わった。
「お前ら、腹減らない?」
ニヤッと笑った新城さんの問いに、いの一番にリトが「減った!」と手を挙げた。
そういえば僕も、夕飯も食べてないし…
色々感情が忙しくって、沢山考えて、安心して…気付けばお腹がかなり空いている…
「そういえば小腹が減ったねー…なに、遥なにか作ってくれるの?」
黒江さんの言葉に「いや作るのは面倒。けどイイモノ食べさせてやるよ。」と返すと、新城さんは何やらスマートフォンを操作し始めた。
スマートフォン…この世界では最早当たり前ように使う物みたいだけど…
僕らにはあれが魔法だか魔術じゃなくて何なんだろうと思えてしまう。
どれだけの技術や情報が詰まっているんだろう。
いつかそれを使いこなせるだけの知識が僕らにもつくんだろうか…
「さて、飲み物ぐらいは用意してやるか。吉春手伝え。」
「手伝う!」
何かの操作を終えた新城さんと、元気なお手伝いさんの吉春君がキッチンへ向かう。
その間に僕は黒江さんとリトに「新城さんって魔術師って感じしない?」と訊いてみた。
リトは「あっ、確かに。めっちゃそんな感じ。」と頷き、黒江さんは少し考え込むような様子を見せたあとに…
「正直、ふたりの話を聞いた時に頭に浮かんだのは遥だったよ…」と溜め息を付いた。
「ある意味では本当に女神様の行方を知ってるかもしれない。けど、それはまた改めて訊きにおいで。彼の好きなお菓子でも持ってね。」
明日は丁度店が休みらしく、その新城さんが好きだというお菓子を黒江さんも一緒に買いに行ってくれる事になった。
そうだ、助けてもらったお礼も、今度こそちゃんと言いに来なくちゃな。
吉春君が得意げに「どーぞ!」と渡してくれたリンゴジュースを飲みつつ、少しだけ眠気を感じて来たところで…
―――リリリリリ
と、ベル音が鳴った。
誰かが来たようだ。
「こんな時間に?」と黒江さんが首を傾げる。
「こんな時間に、だ。」と新城さんがニヤッとすると、玄関に向かった。
少しの話声がした後、戻って来た新城さんの手には平たいふたつの箱。
「あぁあー!遥!こんな夜中になんてものを!」
それを見た黒江さんはどこか嬉しそうに新城さんを非難する。
非難してるのに、なんでそんな嬉しそうなの?
「フッ、夜中にこんだけ人が集まってるんだ。こんな機会もなかなかあるまい?諦めて堕落しろ。」
ソファの前の長く低いテーブルに、箱を並べて置く新城さん。
堕落…とは…?
吉春君は「とと!オレも食べていいの?!」と喜び、返事を聞く前に「皿取ってくる!」とキッチンへ走って行った。
その嬉しがりな背に「食べたらもう1回歯を磨くんだぞー。」と、父親から声が掛かる。
リトは吉春君と同じぐらいにキラキラした目で箱を見詰めている。
僕もすっかり眠気はどこか行って、ワクワクしながら箱のふたが開くのを待った。
「なんだお前ら、宅配ピザは初めてか?」
僕ら双子の様子を見ながら、新城さんがふたを開ける。
箱の中には大きなピザが入っていた。
昼に食べたイタリアのピザ…ピッツァより、一回りは大きい。
「あっ、遥ったらチーズ増量したでしょ…悪魔の所業だよ…こんな時間にこんな…!太っちゃうでしょうが…!」
「お前、随分嬉しそうだけどな。」
吉春君が人数分の皿を持って戻って来た。
「好きなの食べな?」ソワソワしてる僕とリトに、新城さんがピザを勧めてくれる。
お言葉に甘えて、2枚の大きなピザを見比べると…
1枚の中で半分ずつ、違う種類のソースと具になってるみたいだった。
「えっ、すごい、どれにしよ…」
「どれも美味しそう…」
昼にもこんなセリフをふたりで言ってた気がする。
「全部一切れずつ食べればいいだろ?」
「うわ新城さん頭良すぎ!ありがとう!」リトは勢いよくお礼を言うと、まずイカとかエビとかが乗ってるピザを皿に取った。
僕は全部の種類は無理かもしれない…ピザ自体が大きいのでその一切れも大きい。
リト程食べれない事を考慮して、一番食べたいと思うものを取る事にする。
すると僕の手元を見た吉春君が、
「あっ、照り焼きチキンとコーンの!オレもそれが一番好きだ!」と嬉しそうに言った。
皆それぞれの一切れを皿に乗せると、「いただきます。」は一緒に言って、食べ始めた。
僕も相当お腹が空いていたのかもしれない。
コーンが好きなのは自分でもわかっていたけど、一緒に乗っていた照り焼きチキン、これも美味しくて。あっと言う間に食べてしまった。
レイさんが居たら『ゆっくりよく噛んで』と叱られたかもしれない。
黒江さんはベーコンとポテトのピザを、嬉しそうにゆっくり食べている。
ただでさえ垂れ目な黒江さんの目が、更にさがっているような…幸せそう。
店ではまず見ない顔だから、黒江さんのこんな顔を見れてちょっと嬉しい。
「ん?アンもコッチの食べる?」僕の視線に気付いた黒江さんが、ベーコンポテトピザの箱を差し出してくれる。
「あ、うん。食べる。」
見惚れてたとは言えない。僕はつい焦って、リトに返事するような言い方をしてしまった。
ちょっと恥ずかしい。
黒江さんはそれを気にする様子もなく「美味しいよ、それ。」とニッコリしてくれた。
結局3枚も食べてしまった。
お腹一杯で、今度こそ眠気は去らない。
家が近くで良かった…
外に出ると、とても寒くて。そういえば真夜中だったと思い知る。
「じゃあまた改めてお礼に来ます。」
「新城さん、ほんとにありがとう!」
玄関先で、リトと一緒に頭を下げる。
「あぁ、今度は昼過ぎ辺りに来いよ。」
吉春君を抱っこした新城さんが見送ってくれた。
結局お腹一杯になった吉春君はコロっと寝てしまい。
今は父の腕の中だ。
僕は父親の事は記憶は無いけど…
自分の子供をこんな風に抱いてみたかったな。
あの子はどうなったんだろう。
僕の子なのかリトの子なのかわからないけど。
実は女神様との間に子供が居た。
神殿にしたらそれは"子供"ではなく、単なる"器"なんだけど。
次の神の器を作る事も、僕らと女神様の大切な仕事だった。
必ず器に沿う子供が産まれるわけではない。
白い髪、白い肌、その特徴を持つ女児だけが、女神の子として認められる。
幸か不幸か、僕らの間に最初に産まれた子が女神の子だった…
あとはある程度までその子が成長し、傍に仕える次代の双子が見付かれば。
僕らは死の国へ旅立つ事が義務付けられていた。
そんな事が何代も続いていたのだ。
今居るこの世界の常識に慣れてくると、とても異常な事に思える。
それでも元の世界に居る時は、それらを当然と思う事もあった。
女神様の産んだ女の子…
元の世界で生きては居るだろう…
けど…きっと次代の女神様として育てられて…
「アン!起きろよ!」
弟の大きな声で、意識が戻る。
眠っていたみたいだ。
そう、あの後考え事をしながら帰って、家に帰るとすぐに寝てしまったんだった。
起き上がると床にはリトが落としたバスタオルが見えた。
昨晩出て行った時のそのままになっている。
「今日はお菓子買いに行くんだろー。昼はさ、なんか野菜が美味しい店行くんだって。」
「野菜…黒江さんってば、昨日ピザ食べたからかな…。」
「だよな、俺もそう思った!」
「いつも外連れてってくれる時ハンバーグなのにね。」
時計を見るともう11時をまわっていた。
大変だ、もう約束の時間になってしまう。
僕は慌ててベッドを飛び出し、出掛ける支度を始めたのだった。