真昼の陽気なピッツァ
『いや!離して!助けて!』
女神様の悲鳴。
『大丈夫ですよ、いつまでも貴方達は共に在るのですから。』
女官長の抑揚の無い声。
拘束された俺と、もう息をしていない兄。
あれ…どうしてこんな事になっているんだっけ…。
何年も神殿に居たのに、見た事の無い部屋。
3人で居るには狭い、息の詰まる部屋。
放り込まれ取り残されて、重そうな扉が閉められて、3人だけになる。
部屋の奥に一つだけ松明が置かれて、燃えていた。
煙が小さな穴に吸い込まれていく。
…死んだら…死んだら死の国に行って、死者は安寧を手に入れると教わった。
目の前の女性に宿っていた"女神"に祝福されるとも言われた。
けどそうじゃなくて…俺とアングレルは、この目の前の女性と…
もう少し、生きて居たかった。
一緒に神殿の外が見たかった。
そうさせてくれたら、素直に死の国に行ったかもしれない。
もう少しだけ…もう少しだけ…
「もう少しだけ…」
自分の呟きで目が覚める。
また夢を見ていたようだ。
目覚まし時計は鳴らないし、もう昼近くだった。
カフェの仕事は少しお休みを貰っている。というより、休まされている。
店長曰く、何かよくない薬を沢山飲まされたので、完全に体調が戻るまでは出勤禁止なのだそうだ。
確かに普段より多く眠ってるかもしれないけど、それ以外はもうなんともない。
そして何をされたとか、覚えてない。
アンに訊いたら、喋っちゃいけない事をいっぱい喋っていたとか、酔ってたみたいな様子のおかしさだったとか、なんかそんなこと言ってたけど…
その辺の事が全くと言っていいほど覚えてない。
美味しいケーキ食べて、変なお茶を飲んだのは覚えてるけど…
そう、女神様を捜しに行って…
あの医者の情報が嘘だった、かもしれないんだった…と思うとちょっとヘコみかけた。
せっかく女神様の事知ってる人が現れたと思ったのにな。
女神様の絵を飾ってもらってよかったー!と思ったのにな。
「はぁー…」
「なに、大きな溜め息。」
キッチンの方からアンの声。
「アンー…俺…」
「うん?」
「腹減ったよう…」
俺のふにゃふにゃな声に、アンは「ぶはっ」と吹き出した。
ここ数日レイさんが言うところの"体にやさしいゴハン"ばっかりだったので、気分転換に近くの商店街まで外食に行こうということで話がまとまった。
なんでも最近新しい店がオープンしたらしい。黒江店長が教えてくれたんだけど…
『TwinkleMagicのライバルになんて絶対なり得ないんだけどさ、まあ気にはなってる。昔からの知り合いが出す店なんだよね実は。…そんなにあいつに会いたくは無いんだけど…うん。いや別にね、仲が悪いわけじゃないんだよ…ただちょっとねー…』
とか言ってた。ワケありの知り合いなんだろうか?
黒江さんは10年前、TwinkleMagicの開店当時からここに居るから、この辺の知り合いが多いみたいだ。
仲の悪い人も仲の良い人も色々と縁があるみたいなんだけど…
"ただちょっとねー"ってなに?と訊いても困り笑いされるだけで教えてくれなかった。
そんなわけで黒江店長の"ただちょっとねー"の知り合いが出した店に、俺達が偵察に行こうじゃないかっ!となったのだ。
とはいえ、また勝手に行動するのは良くないよなと思った俺とアン。
TwinkleMagicで仕事中の店長に声をかけてから出掛ける事にした。
ランチ時間の最中忙しそうな店長に、
「店長ー、俺らゴハン食べに行ってくる!」
と声を掛ける。
すると「これテーブルにお願いね」とキッチンに居たミヤビにトレーを渡し、裏口の方まで来てくれた。
「体調が大丈夫なら行っておいで。近くにするんだよ?おまもり持ってる?」
これからは近くに出る時も"おまもり"を持っていくようにと厳重に言われてる。
もうあんなことは無いに越したことはないけど、もしもがあったら怖いし、勿論アンが首から下げている。
「持ってますよ。あの新しく出来たっていうお店に行ってみようかと…」
と、アンが行先を報告すると黒江さんは、
「えっっ!?ええぇー…あーーー…それは…僕も着いていきたいとこだけど、忙しいからなぁ、感想聞かせてね…あと、余計な事言わないように。」
と、俺とアンの肩をガシッと掴んだ。
余計な事言わないように。余計な事ってどれが余計な事なんだろ?
わからなかったけど、取り敢えずうんうん頷いておいた。
黒江さんに了承を得た俺達は、足取り軽く虹ノ口商店街へやって来た。
TwinkleMagicから徒歩数分、駅の脇まで続く商店街だ。
飲食店、精肉屋、八百屋、魚屋、惣菜屋…雑貨も服も売ってるし、100円ショップまである。
そんなに大きな商店街じゃないけど、大体必要なものは揃うって感じだ。
その店を見付けるのに時間はかからなかった。
店の前に"開店祝い"と描かれた飾りがいくつか置いてあったし…
なんか、店の見た目が凄く…
「光ってるねぇ…」
「光ってるなぁ…」
昼だっていうのに、看板がピカピカ光っていて。
筆で書いたような文字で"ビストロ♪アベトロ♪マエストロ♪"とある。
壁はこれも眩しい黄色。
外に張り出されたメニューには"美味しいイタリアンを貴方に"という文字で始まって…
♪アベトロのオススメメニュー♪
・自慢の窯で焼き上げたピッツァ♪ぉぃしぃョ
・オレの気まぐれパスタ♪お得だョ
・昼飲みおつまみセット♪ョッ大統領
と陽気な雰囲気で書かれている。
これを書いた人はきっと楽しい気持ちだったに違いない。
「ここまで…なんか、すごい店は初めてだね。」アンの語彙力が死んでる。
俺もなんて言っていいかよくわからんから、「うん、なんかスゴイ。」と頷く。
ここに立っててもしょうがない、意を決して顔を見合わせ、ふたりで店に入る事にする。
店のドアを開くと、頭上から"ヒューッ♪お大臣♪"と人の声。
びっくりして上を見上げると、黒い箱。録音された音だったみたいだ。
えっ、つまりこれ、TwinkleMagicでいうベルなん?
ベルの代わり?
唖然としていた俺らに、再生された声と同じ声が「いらっしゃぁーせえ!」と飛んでくる。
どうもこの声はこの店の主の声だったみたいだ。
「そこの奥のテーブルどうぞ!」
元気で明るい声。この人が"ただちょっとねー"の人で間違いないだろうという直観があった。
俺は楽しそうで好きだけど、黒江さんはこういう…テンションの高い人が苦手っぽいんだよなぁ。
『仲が悪いわけじゃないんだよ…ただちょっとねー…』
という黒江さんの声が頭の中で再生される。
「リト、何食べる?」
アンがメニュー帳を開いて声をかけてくれた。
ふたりでそれを覗き込む。
外に出してあったのより詳しく書かれていて、写真もついている。
日本語はかなり理解できるようになったけど、こうして見た目がわかるのは凄くありがたい。
物の名前ひとつとっても色んな種類があるから時々困るのだ。
パスタ…は、わかる。
TwinkleMagicでも日替わりパスタっていうのがあって、レイさんが毎日具を変えソースを変え出している。
オススメって書いてあるし、きっと美味しいんだろうなと想像できる。
でもせっかくなら知らないメニューを食べてみたさもある…。
…ピッツァって、なんだろ?
見た感じ、ピザ…なのかな…?
俺達がメニューをジーッと見て迷っていると、陽気な店主がテーブルまで来てくれた。
「そこなボーイたち、お迷い中?」
おまよいちゅう。
迷ってる?って事か?
「えっと、どれも美味しそうで…」と返すアン。
「わかるっどれも美味しいもんでスイマセン。」笑顔で腕組みしてうんうん頷く店主。
この人マジで面白い。
「そーね、若い男子ふたりだったら…ピッツァとパスタと肉類1品ずつ頼んで半分こして食べたらどう?ランチサービスでスープとサラダも付いちゃうぞ♪」
と、楽しそうにオススメしてくれる。
「じゃあそうします。えーと…ピッツァは…」
アンがメニュー帳をめくって"自慢の窯で焼き上げたピッツァ"というページを開く。
それを見て俺は思い切って店主に訊いてみた。
「あの!ピッツァてなに?」
俺の質問を受けて、店主は嬉しそうに「よくぞ訊いてくれました!」と拳を握った。
「そう!ピッツァとは…イタリアのピザだッ!!」
自信満々で言ってくれたけど、残念ながらその凄さがよくわからない俺達。
ピザはわかる。何回かレイさんが自宅のオーブンで焼いてくれたことがある。生地から作ってくれて美味しかったなぁ。
それに、TwinkleMagicにもピザトーストがある。あれも俺は好きだ。
「つまりピザなんですか?」と、今度はアンが訊ねる。
「ノンノン、ピッツァだよ、ピッッツァ!」
店主が首をふりふり答える。
そしてハッと何かに気付いたように「まさかとは思うけど、イタリアをご存じない…!」と凄く驚いた顔をされる。
あれ、これもしかして"余計な事"だったのかな。
この世界の人だったら誰でも知ってるようなことを聞いちゃったのかな?
咄嗟に俺は「俺食べたらわかると思う!」と言っていた。
この言葉には店主も満足そうに頷き「そうさ少年、考えるな、感じろ。」といい笑顔を向けてくれた。
良かった。イタリアをご存じないのがバレなくて。
場所なのは分かるし、この世界の勉強もしたから、どこか別の国なのもわかるし。
けど深く知ってるわけじゃない。
そういえば前に黒江さんが"ドイツ料理の店"に連れて行ってくれたことがある。
他の国の料理を出してくれるお店だ。"洋食"というジャンルとはまた違うんだそうで…
そういう"その国の料理の店"っていうのがあるって知った。
ということはここは"イタリア料理の店"なんだな。
イタリアはご存じないけど。
前に行ったドイツもご存じなかったけど、料理美味しかったなぁ…
きっとイタリアも美味しい…
「コレと…コレと…あとコレで。いいかな?リト。」
外食で半分こずつ食べるとなったら、アンがほとんど決めてくれる事が多い。
俺の好みもよくわかってるし、店員さんと話すのも上手だから任せてる。
「うん!美味そうー。」
写真を確認して更にお腹が空く。
「ピッツァはビスマルク、パスタはボロネーゼ、肉料理はカチャトーラね!」
店主は元気に注文を確認すると、厨房へ入って行った。
ここはカウンター越しに厨房が見える。TwinkleMagicと同じだ。
店の規模は半分ぐらいだろうか。カウンター席が多くて、テーブルは二人用のものが2席。
通路もすれ違えるギリギリって感じだ。
あの人ひとりでやってるんだろうな。
調理もして配膳もするなんて。めっちゃ忙しそう。
てきぱきと店主が料理をする様子を俺は眺めた。
店内に流れる個性的な音楽に乗って、楽しそうに調理する姿は見ているこっちまで楽しくなる。
俺の視線に気付いたのか、店主はこちらを向くと「少年!見てごらん!」と手招きした。
「なになに?」
カウンター席まで行って、店主の居る厨房を覗く。
「ピッツァとは!この窯で焼くのだよ!」
店主が自慢げに紹介してくれたのは、見た事無い、綺麗なタイルが張った…窯。
「窯?オーブン、じゃないの?」
「ふっふふ、この窯は電気じゃなくて火を使うんだ。高温で一気に焼くのが美味しさの秘訣!」
ソースとチーズと具が乗って、すでに見た目が美味しそうなピッツァを窯の奥に滑らかに入れる。
俺は若干身を乗り出してそれを見る。
平たい生地が少し膨らんで、チーズが溶けて、レイさんちのオーブンよりずっと早く焼けていく。
高温…って言ってたな。きっとTwinkleMagicにあるオーブンだってこんなに高い温度にはならないんだろうな。
火って、凄いんだな。
…俺達が仕えていた神殿でも、火を信仰してた。
そもそも、元の世界には"電気製品"なんてなかったけど。あったら電気を信仰してたりしたんだろうか?
灯りだって、料理だって、暖をとるのだって、全部火だった…
火…
なんだか自分が窯の中に居るような錯覚がして。一瞬息が詰まった。
胸がぎゅっと苦しくなる。
「出来上がり!」
楽し気な店主の声でハッと我に返る。
店主の手元を見ると、美味しそうなピッツァ。
ほんとにあっという間だった、なのに表面がぐつぐつ言うほど良く焼けている。
ピザに乗ってるのは見たことない、玉子が乗っている。
そしてその玉子は半熟だ。
その周りは焦げ目がついてるのに。不思議だ。
「美味そう…!」
お腹が"ぐぅう"と鳴った。
そうだ、あっと言う間に焼けたけど、そのずーっと前からお腹空いてたんだよな…
それからテーブル席に戻って、アンと再びメニュー写真を見ながら"アレも食べたいコレも食べたい"なんて話していると、待望の料理が運ばれてきた。
「はーい、お待ちどぉさま!あっ、サラダから食べるのが美容にいいぞ!でもピッツァもアツアツで食べてね!」
店主はウインクして「ボロネーゼはもう少し後で持ってくるから!」と言い残し去っていった。
ホントに楽しい雰囲気の人だ。
お店繁盛しそうなのに、なんでランチの時間に俺達だけなんだろ?
なんて思っていたら、"ヒューッ♪お大臣♪"の音。
新たなお客さんが来たようだ。
「らっしゃぁーせー!」と元気な店主を横目に、俺達は美味しそうなイタリア料理をいただくことにした。
アンは店主のオススメ通りにサラダから食べている。
これはTwinkleMagicで出しているような、セットサラダって感じだ。
レタスにキュウリにミニトマト…あっ、でもかかってるドレッシングが全然違うかもしれない。色がついてない。何味なんだろ?
俺は"アツアツで食べてね!"と言われたピッツァに手を伸ばす。
真ん中に半熟の玉子が居る。
「これ、潰していいのかな?つけて食べんのかな?」
「多分そうじゃないかな?ふふっリト潰していいよ。」
アンが笑って言う。
俺が半熟玉子潰して食べるのが好きなのを知ってるからだ。
食べにくくなるんだけど、なんかトロッとしたのが食べる前から"美味そう!"ってなるんだよな。
実際食べたら美味しいんだけど。
"美味そう!美味そう!…やっぱり美味い!"っていうのが俺にとって凄く幸せだったりする。
アンのお許しも出たので、玉子を潰す形でカットする。
レイさんちで使ったことあるけど、このピザを切るヤツ、不思議だよな。
円盤状の刃とか。
「おぉお…」
思わず感動の声を漏らしつつ、俺はピッツァを切り分けた。
これ半分にするまではいいんだよな。でもそこから等分にすんのが難しい。
若干の不揃い感だけど、まぁいいだろう。
今日は俺たちふたりが食べるものだし、美味しく食べれたらそれでヨシ。
TwinkleMagicでお客さんに出すピザはカットしてから出すんだけど、俺はカットする役は辞退することが多い。自信無いから。
トロトロした玉子を付けながら、美味そう~とテンション上げつつ…
大きく一口食べる。
「あはは、わかりやすい。」アンが俺の顔を見て笑っている。
口をモグモグさせてた俺は、きっとめちゃくちゃキラキラした顔してんだろうな。
そして"食べたらわかると思う!"と豪語したけど、確かにレイさんちで食べたのとは違うかも。
生地の感じがパリッとモチッとしてて、焦げ目がついてるのにパサパサしてないんだよな。
チーズもなんか食べた事ない感じのチーズが乗ってるかも…
白い、これもモチモチしてる。
餅?じゃないよな?
後から乗せたのであろう、玉子を取り囲んだ薄い肉は…黒江さんが好きな"生ハム"だ。
このピザ…じゃなくてピッツァは、きっと黒江さんも好きなやつだ。
帰ったら教えてあげよう。
ピッツァを続けて二切れ食べて、サラダを少し食べる。
かかってるドレッシングは爽やか味で。多分レモンっぽい。
レモン、かぁ…。俺はちょっとイヤなことを思い出しそうになり、頭を振った。
しかし覚えておきたい事もある。
"美味しい配分"ってあるんだなってこと。酸味も丁度良かったらこんなに美味しい。
「うーん、美味しいなぁ…」
「美味しいねぇ。」
相槌を打ちながら、アンが肉を切ってくれる。
カチャトーラって言ってた。鶏肉を…トマトと…焼いたというより、煮込んだものかな…?
サラダを食べ終わってから、今度はそのカチャトーラを食べる事にする。
これはレイさんが作る料理よりも、かなり濃い味。
トマトだからケチャップっぽいのかと思ったらそうでもないっていうか…
「あっ、濃いミネストローネに肉入ってるみたい!」
「あぁ、わかるかも。」俺に続いて一口食べたアンも頷く。
ミネストローネはたまにTwinkleMagicの日替わりスープにも登場する。俺も好きなスープのひとつだ。
あっ…そういえば…
「そうだレイさんがミネストローネってイタリアのスープって言ってた…!」
そうか、あれもイタリア料理ってやつだったんだな。
「気付いてしまったかね少年…イタリアンの美味しさに…」
ふっふっふ、と不敵な笑みを溢しながら、陽気な店主が現れた。
「はい、ボロネーゼね!そういやランチの飲み物追加出来るけど、水で良かった?」
「あっ、欲しい!オレンジジュース!」
「僕もオレンジジュース!」
「いや双子かーッ!」店主は笑いながら当たり前の事を言うと、またまた楽しそうに厨房に帰って行った。
「ふ、…双子です。」アンが小さく呟いたのを聞いて、なんか可笑しくて笑ってしまった。
運ばれてきたボロネーゼは、何度か食べた事があるミートソーススパゲッティに似てるけど、やっぱりピザとピッツァぐらいに違う感じがした。
にく!って感じだ。
ソースに肉が入ってるんじゃなくって、肉にソースが絡んでる、みたいな…
全体的に濃い料理だったところに、店主が「仲良しオレンジジュース到着!」と持って来てくれたジュースは凄く美味しく感じた。
「はーっ、美味しい。」
「こういう料理だったら、きっと黒江さんはお酒飲むんだろうね。」
「あ、絶対飲むね。」
「じゃあランチじゃなくてディナーだろうなぁ。」
帰ったらいっぱい感想を言ってあげよう!と思いを巡らせつつ、アンと食後の一息をついて…
会計を済ませ、「めっちゃ美味しかったです!」と店主に伝える。
「ありがとう、また来てね!」と明るい笑顔を最後にもらって。
"ヒューッ♪お大臣♪"
の陽気な声を聞きながら外へ出た。
「なぁアン…おだいじん、て何?」
「大臣、の事かな?んー、王様の次に偉い人じゃない?集団で二番目に偉い人、とか…」
「じゃあ黒江さんはお大臣だな?」
「そうだなぁ、うん、オーナーが王様だもんね。」
"ビストロ♪アベトロ♪マエストロ♪"の、看板を見上げて話していると…
フワリと細い煙が流れてきた。
食べ物の匂いじゃない、花の香りみたいな…。
神殿で使っていた香油にも似てる。
不思議な煙が続く方を見ると、そこには建物と建物の間にギュッと詰め込まれたような扉。
今出て来た店のすぐ隣にあるのに、入る時は気付かなかった。
扉には小さな板看板が掛かっていて…
"オヒゲーノの占いの店"
と書いてある。
アンとそーっと近づいて、小さな声で話す。
「占い…オーナーがいっぱい持ってるアレだな。」
「ああ、時々オーナーがやってくれる…簡易奇跡ね…。」
"簡易奇跡"とオーナーが言った"占い"。
オーナーは占い好きで、たくさん本とか道具を持っている。
『女神様のお告げや、予知とかの奇跡が"占い"に当たるのかな?』とオーナーに訊いたところ…
『そうやな神様じゃなくても出来る…まあ一般人でも勉強したら出来る、簡易奇跡やな!』と説明してくれた事があった。
それからたまに、"明日の運勢"とかを占ってくれて。『リトとアンにも出来るよ』と言っていくつか占いのやり方を教えてくれたりしたけど、そういえばしばらく練習してなかったなぁ…。
簡易奇跡、とはいえ、奇跡だ…。それで女神様の居場所とかはわからないんだろうか?
アンも実は同じように考えてるんだろうか。
ふたりしてこの気になる扉の前でじっと黙って居ると…
"ギィッ"と扉を軋ませて、中から人が出て来た。
随分小柄で、丸いレンズの眼鏡をかけ立派な髭を生やした男性だ。
「探し物でもしとるのかな?」
穏やかな声色で話しかけてくれたけど、見透かされような言葉に俺はドキッとした。
「占いって、探し物のある場所もわかるんですか?」
俺が言う前に、アンが訊ねた。
「ふぉっふぉっふぉ、どうかのう?分かる事もあるし分からん事もある。まあ良かったら寄って行きなさい、あんたらが本日の7人目のお客様じゃて。」
髭の男性はそう言うと、一枚の紙を取り出した。
それはこの店の広告のようで…
"オヒゲーノの占いの店 7人目のお客様は10分無料サービス!"
と書いてあった。
「10分無料サービス…」
「そうじゃよ、10分ならお気軽じゃろ?」
俺とアンは顔を見合わせて「10分ならいいか…」「ちょっと訊いてみようか…」と頷き合うと、店に入ってみる事にしたのだった。
入り口も狭かったけど、店内も狭い。
奥にさっきの髭の人。そして丸い机を挟んで、俺達ふたり並んで座るのがやっとの小部屋という感じだ。
だけど不思議と圧迫感は無い。
壁に柔らかそうなカーテンがかかってるせいだろうか?
机に置いてある綺麗なランプのせいだろうか?
「さて、ワシがこの店の主で占い師のオヒゲーノじゃ。」
独特な喋り方だけど、間違いなく日本語。
この世界の絵本で読んだ"鉱山の妖精"みたいに小さいけど、人間には違いないだろう。
でも"実は妖精です"って言われてもあんまり驚かないかも。不思議な雰囲気のある人だ。
「さて、探し物だったかの。」
「探し物、というか人を捜してて…」
「ふむふむ。」
頷きながらカードを机に並べていくオヒゲーノさん。
オーナーが持っている物もたくさん見せてもらったけど、見たことない種類だ。
カードの背は金色に光っている。
1枚を俺とアンの真ん中に差し出し、めくる。
そのカードには白い肌で白い髪、まるで女神様のような、綺麗な女性が描かれていた。
また俺はドキッとする。
何も説明していないのに、どうしてこんな絵のカードを差し出してくるんだろ?
本当に占いとは奇跡なんだろうか…
「そんなに緊張せんでもいい。しかしリラックスしている時間もないのぉ?お試し10分じゃからな。」
"ふぉっふぉっふぉ"と独特な笑い声を響かせながら、オヒゲーノさんは次々とカードをめくる。
俺とアンはカードの絵を目で追う。
全てめくり終わると、オヒゲーノさんはうんうんと頷いて告げた。
「捜している女性の行方は…魔術師が知っているであろうよ。但し君たちには心の成長が必要なようじゃ。その女性と再会する為には、まず己の心を見付ける事じゃな?」
「魔術師って誰?オヒゲーノさんじゃないの?」俺は思わず訊いた。
「残念ながらワシではないんじゃ。知ってりゃ教えるわい。面白い子じゃのう。」
オヒゲーノさんは今度は"ワッハッハ"と笑った。
「魔術師にはすぐ会えるじゃろう。案外知り合いかもしれんぞ?人と言うのはいくつもの顔を持っているものじゃ。それについては君らも最近実感したようじゃがのう。」
「「えっっ」」
「さぁ、お試し10分はこれにてお仕舞いじゃ。お迎えが来たようじゃぞ?」
オヒゲーノさんが言うと同時に、扉が"コンコン"とノックされた。
穏やかな声で「行きなさい」と促されて、アンが先に立ち上がり、扉を開ける。
するとそこには少し心配そうな顔の、黒江さんが居た。
「黒江さん!迎えに来てくれたんですか。」
「うん、お店落ち着いたから来てみたんだけど…そっちの店に居なかったからさ。」
なんでノックの前に、黒江さんが来たってわかったんだろ?
俺が不思議な気持ちでオヒゲーノさんを振り返ると…
「足をどうしたね?大事になさい。」
と、俺に向かって呟いた。
「え…?」
なんのことだろうと呆然とした俺に「リト?帰ろう?」とアンが声をかける。
ハッとして、アンと一緒に「ありがとうございました。」とお礼を言って、店を出た。
薄暗い店内から明るい外へ出たせいか、なんだか夢を見ていたような、寝起きみたいな、フワフワした心地がした。
オヒゲーノさん…不思議な人だった。
本当に、妖精だったりして…。
「黒江さん、行かないんですか?ビストロア…」「行かないよっ」
アンの声に被せて黒江さんの声。
それを聞いて俺は料理の感想を黒江さんに話し出す。
「でも黒江さん絶対好きだよ!ピッツァ!今日食べたやつは玉子が乗っててそんで…」
敢えて陽気な店主の話はせず、美味しい料理の感想を並べまくり、3人で楽しく帰ったのだった。
占ってもらった結果は、帰ったらまたアンと話してみよう。
女神様の行方を知っているっていう魔術師…
一体、誰なんだろう…?