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簡易味噌汁と不思議なお茶と愛情味噌汁


午前3時。

深夜は殊更静かなTwinkle(トゥインクル)Magic(マジック)の店内に、玄関ベルの音が響き渡る。



この時間に来るお客さんは、仕事で終電を逃した人や、商店街で酒を楽しみに楽しんで酔い覚ましに来た人や、大学のレポートが終わらなかった学生さん、研究に没頭しすぎて家に帰りそびれた学者さん、寝付けないご近所さん、等々…


案外色んな人が来るものだけど、当然毎日来るわけでもなく。

誰も居ない時もある。


今日は0時をまわった辺りでお客さんが帰ってから、誰も来店していない。

店長は1時に帰宅したし、今は店に僕ひとりだった。



そこに、深夜の来訪者。


僕は見たことが無い客だったが、初めての来店ではないようだ。

「そこ、いいかい?」

と、席をすぐ決めて、メニューも見ずにホットココアを注文した。


その人が座ったのは一番奥のテーブル席だった。

リトの描いた女神様の絵の、一番近く。



手早くホットココアを淹れて、静かに運ぶ。

「どうぞ。」

と、ホットココアをテーブルに置くと、その人は笑顔で「ありがとう」と言ってくれた。


店員にお礼を言ってくれるタイプの人は、良い人だという認識をしている。

笑顔を向けてくれたし。雰囲気がどことなく優雅な紳士だ。


その人はココアを一口飲むと「あぁ、甘いものは疲れた体に染み渡るね…ほっとするよ。」と、呟くように言う。

他に誰も居ないし、独り言にしては大きめの声なので、僕に話しかけてくれたんだろう。


それにその気持ちは凄くわかるなぁと、「そうですよね。僕も疲れた時に飲むココア好きです。」と返答する。


するとその人は「ふふっ」と笑った。


そして壁に飾られていた女神様の絵に視線を移す。

「ココアを待つ間、この絵を眺めていたんだがね…とても綺麗だね。この女性はもしかすると実在する人なのかい?」


「えっ、あっ、はい。この絵、弟が描いて…」

「ほう、弟さんは若いのに才能があるんだね。…ではこの女性は身内の方かな?」


「身内…あー…家族かって事ですかね…一応そうです。」

「一応…か。何か事情があるのかな。すまないね、気になったものだから。」


「いえ…気になった、っていうのは…その、髪や肌が白いからですか?」

黒江さんは、女神様の髪や肌がとても珍しいと言っていた。

僕とリトも肌が白い方ではあるけれど、比にはならないし。

目の色も髪の色も違うから、血が繋がってるようにはまず見えないよな…。


「…そう、やっぱりこれは写実画だったんだね。」

「写実画?」

「現実の通りに描く絵、だよ。」


「あ、あぁなるほど。」

現実の通り。つまり、想像で描いたわけではないってことだ。

厳密に言えば想像…思い出の中の女神様だけれど、僕たちにとっては確かに存在した女性だ。

そしてきっとこの世界にも…存在していると信じている。


あれ…?


「やっぱり、というのは」「実はね、この女性を見かけたんだよ」


その人と僕の声が被った。

だから聞き間違いかと思って聞き返してしまう。


「今、なんて…」


「この女性を見かけた、と…」


「えっ!本当ですか!」

僕は思わず大きな声を出してしまった。

動揺した。


「何か事情がありそうだね?話を聞こうか?あぁその前に…」

その人は鞄から小さなケースを取り出し、そこから一枚の紙を抜き取ると、僕に手渡してくれた。

漢字で名前が書いてある。以前黒江店長からもらったことがあった。

名刺、というやつだ。


なんと読むのだろう。

僕が紙の上をじっと見詰めていると、その人は柔らかい声で名乗ってくれた。


「吉崎。よしざき、ますみ、と読むんだよ。日本語は勉強中かい?」


「吉崎さん…」


彼は「そうだよ、上手だね。」と言うとニッコリと人の好さそうな笑顔を向けてくれた。




吉崎さんはまず自己紹介をしてくれた。

小さな個人病院を開いているお医者さんなんだそうだ。

医者の傍ら色んな難しい研究もしていて、仕事と研究に追われて夜遅くなり、それでこんな時間に来店したのだとか。


Twinkle(トゥインクル)Magic(マジック)に来るのは久し振りで、以前は常連さんだったようなのだが…

(しい)君と喧嘩してしまってねぇ…」


しい…?一瞬誰かと思ったが、すぐ思い当たった。

黒江店長のことだ。黒江(くろえ) (しい)。店長の苗字ではなくて"名前"だ。


名前で呼ぶのはかなり親しくなってから。と教わったけど…

リトは五条君の事を"ミヤビ"と名前で呼んでいる。


そのぐらいには親しいということだろうか。


「喧嘩…気まずくなって、来れなかったんですね。」

「そうだねえ、だから私が来た事は秘密にしといてくれないか?私はともかく、彼はまだ怒っているだろうからね…けれど、疲れた時にはここのホットココアが恋しくなってしまうんだ。」


だからまた黒江店長の居ない時間にコッソリ来店したいそうだ。

しかし顔を合わせたらマズい程に怒ってるって…どんな酷い喧嘩をしてしまったんだろう。


こうして話していて、吉崎さんはちょっとやそっとじゃ怒るような人には見えないし…。

黒江さんも穏やかな方だと思う。叱る時にはしっかり叱ってくれるけど…。


疲れた時にはここのホットココアが恋しくなる…その気持ちは凄くよくわかる。

僕もこの店を離れることがあったなら、やっぱりこの店のココアが飲みたいなって恋しくなるかもしれない。


「わかりました。店長には秘密にしておきますね。」

僕の言葉に吉崎さんはホッとしたような顔で「ありがとう。助かるよ。」と言ってくれた。



「じゃあ私の話はこのぐらいにして、君の話を聞かせてくれるかい?」

「はい、ええと…」

「他に誰も居ないし、良かったら座って聞かせてくれるかな。」

吉崎さんが正面の椅子を勧めてくれたので、僕はそこに座り、ゆっくり話し始めた。


勿論、全てをありのままに話すわけにはいかない。

Twinkle(トゥインクル)Magic(マジック)の外の人間には、それはしていけないと黒江さんにもレイさんにもオーナーにも止められている。


沢山教わったこの世界の事に沿うように…一生懸命に考えながら説明した。



血は繋がっていないけど大切な家族で、3人で事故に遭って行方がわからなくなってしまったと。女神様…と言ったらおかしいので、"妹"と言っておいた。



「僕と弟も事故に遭った時、強く頭を打って…その、記憶が戻って来たのが最近なんですけど…それで弟が妹を絵に描いて…」


「そうかそれは辛い思いをしたんだね…」

うんうんと頷いて吉崎さんは労わるような表情を向けてくれる。


なんて良い人なんだろ…初対面の僕にこんなに親身になってくれて。


「私も大切な人と離れなければならない状況になったことがあるよ。後から探そうにも、何も手掛かりがなくてね…。」

だからなんとか力になりたい、ということらしい。


「実は彼女を見かけたのは、うちの病院内なんだ。私は担当はしていないが…気を悪くしないで欲しいんだが、何分見目が珍しいものでね。覚えていたんだ。彼女は眩暈を起こして倒れたみたいなんだがね、すぐに保護者が迎えに来たよ。だから今はどこかで保護はされている筈だ…保護者の連絡先は病院に戻らないとわからないな…。」


そしてこう付け加えた、連絡先は"個人情報"だから、簡単には開示出来ないし、病院の信用問題にかかわるのだと。だから詳しい話を訊こうと思ったらしい。


「話を聞かせてもらった今でも…君の身元を証明できなければ、本当は教えてはいけないんだが。しかし離れ離れの兄妹を放ってもおけまい…急だが、明日…いや今日、夜が明けてから、昼過ぎになるだろうか、迎えに来ようか。」


「えっ」

本当に急な話で、頭が追いついて行かない。

女神様を見掛けた…しかも病院で。眩暈を起こしたけど、どうやら誰かに保護されて無事のようだ。


そして、女神様がどこに居るのかを、この人は病院の信用までかけても探そうとしてくれている。

僕はこの世界のシステムを理解しきっているわけじゃないけど…神殿に例えれば、神官が信者を裏切ってまで助けてくれようとしているようなものなんじゃないのか。


混乱している様子の僕に、吉崎さんはゆっくり優しく言った。

「一緒に私の病院へ来てもらって、君の妹さんの行方を捜してみよう、という事だよ。」


僕は何度も頷いた。

女神様がこの同じ世界に存在するのか、不安になっていたのもあって…吉崎さんの情報と申し出は希望でしかなかった。


「とはいえ、私も昼まで仕事があるのでね。そうだな…15時でどうかな?近くの黒那川にかかる橋はわかるかい?そこで待ち合わせよう。弟さんも連れておいで。」


僕はまた何度も頷いた。

「必ず行きます!」


もしかしたら、女神様が見つかるかもしれない。

逢えるのかもしれない。


「ああ、ココアが冷めてしまったね。お代は3杯分払うから、もうあと2杯ホットココアをいただけるかな?君も一緒に飲もう。」

吉崎さんは優しい人だ。

きっと黒江さんと喧嘩したのも…ほんのちょっとの気持ちの行き違いとか、そんな事なんじゃないだろうかと思わせる程に。


ふたりが仲直りして、吉崎さんが堂々とココアを飲みに来れたらいいのにな。


でも今はまだ、黒江さんには内緒にしておこう。

こんなに親切にしてくれる人を裏切りたくはないから。


吉崎さんは淹れ直したホットココアを僕と一緒に飲むと、「では15時に、橋のこちら側でね。」と微笑んで言い残し、帰って行った。


その後もひとりも客は来ず。



朝の4時半。


「おはようー。アン。」

まだ夜が明けない寒い中、レイさんは出勤してくるなり僕の顔を見て…

「あれっ?今日機嫌良いね?いいことあった?」と笑った。


そういえばいつもこの時間には、さすがに少し眠くて疲れが出てるんだけど…

今日は、女神様に逢えるかもしれないという興奮で目がパッチリ開いていた。


でも正直に話すわけにはいかない。

黒江さんに秘密にするなら、レイさんにもまだ黙っておいたほうがいいだろう…。

流石に女神様が見付かったとなればふたりに報告するけど。


なんなら、女神様が見付かって、それがキッカケで吉崎さんと黒江さんが仲直りしてくれたらいいなと思う。


嘘をつくというのも心苦しいからレイさんには「ココア飲んだからかも?」と返す。

嘘は言ってない。ホットココアで大分元気が出たのは本当だ。


「あぁ、ね。ココアって何気に目が覚めるよなー。」


「実はアレにもカフェインてやつが含まれててなー…」とココアの成分の説明をしながら朝の支度を始めるレイさん。


僕はそれに耳を傾けながらも、リトが元気よく出勤して来るのをソワソワと待っていた。


それから約30分後、リトがいつも通りに「おはようございまーす!」と裏口から入ってきた。

僕は深夜にあったことを今すぐ話したかったけど、それをなんとか堪えて…

ロッカールームでエプロンの紐を結んでいる弟のすぐ横に近寄る。


そしてレイさんに聞こえないように抑え目の声で、

「リトラビア、詳しくは帰って来てから話すけど…今日は15時から一緒に出掛けて欲しいところがあるんだ。必ず真っ直ぐ帰って来て?」

とだけ伝えた。


僕らが互いを愛称でなく呼ぶときは、『何か大切な事があるんだな』と理解し合っている。

遊びに出掛けるような気軽な用事ではないと、弟も察したようで…


少し真面目な顔をして「わかった、仕事終わったらすぐ帰る。」と頷いた。






それから僕は家に帰って寝支度をして…

しばらく横になっていたけど、午後からの予定を思う度落ち着かず、なかなか眠れなかった。


ふと時計に目をやると、朝9時を過ぎている。

まかないモーニングをもらわずに帰って来たから、お腹が空いた…


とはいえ、店に食べに行く気にもなれず…。

リトの顔を見たらソワソワしそうだし、黒江店長はまだ出勤してるかわからないけどもし居たら…

やっぱりなんだか"秘密"が、気まずくなってしまいそうだし。


「何か作るか…」

ひとりポツリと呟き、キッチンへ向かう。


凝ったものを作る体力は残ってないし、そんなに沢山食べたいわけでもないから…


レイさんに『夜食とか朝ご飯にいいよ』と教わったものを作る事にする。

まずお湯を沸かして…


お椀にお湯を注ぎ、冷蔵庫から取り出したのは"白だし"と書かれた調味料。

『便利だから1本持っておきなさい』とレイさんに勧められて常備している調味料のひとつだ。


その白だしをお湯に加える。ほんの少し。香りはつくけど味はついてないんじゃないか程度。


そして次に冷蔵庫から取り出したのは"味噌"だ。

これはレイさんのお気に入りの銘柄をわけてもらったものだった。


キレイな箸で一口分掬うと、そのままお湯に溶かす。

塩味が足りなかったら美味しいと感じるぐらいまで、白だしを足してもいいって言ってたな。


味噌が落ちた箸を舐める。もう少しかな…?

またほんの少し、白だしを入れる。


そして最後に…


海苔。うちにはリトが好きな"味海苔"しかないけど。


その味海苔を2,3枚取り出して、お椀の上で細かく千切って入れる。

軽くかき混ぜて…完成。

レイさんはこれを"簡易味噌汁"って言ってたな。


白だしと味噌で程良くぬるくなった味噌汁を、キッチンで立ったまま、飲む。

空っぽの胃に温かい液体が入っていくのがわかる気がする。


「はぁー…」自然と溜め息がでる。

吉崎さんが言っていた『疲れた体に染み渡る』っていうのはこういう事を言うんだろう。

温かい甘いココアもそうだけど、温かい塩気のあるスープも"染み渡る"って感じがする。


うん、温かいっていうのが重要なのかな。


だったらお湯でもいいんだろうけど、そこに何か手を加えると、またひとつ"ホッとする何か"が追加される気がする。



お椀が空っぽになると、軽く水ですすいでシンクに置く。

もういいや、箸とお椀は起きてからちゃんと洗おう。


お腹が温まったら、途端に眠くなってきた。







その後「ただいまー!」というリトの元気な声で起こされるまで、ぐっすりと眠った。


昼食は、帰って来たリトと一緒に、お店から貰って来たサラダの残り野菜でサンドイッチを作った。

リトと僕の好きなスライスチーズも挟んで…


作りながら話すとリトの手元が危うくなると思ったので、サンドイッチを美味しく食べ終わった後に、僕は深夜の出来事について話し始めた。



初めて会うお客さんの吉崎さんのことは「えっなにその人良い人そうだな。あの黒江さんと喧嘩とか、何があったんだろうなぁ?」と首を傾げ…

女神様の事を見掛けたという話になると「は!?なにそれ、話ってそれ?!」と動揺した。


そしてこの後吉崎さんと女神様の情報を捜しに行くと言うと「勿論着いてく!早く行こう!」と、リトもソワソワし始めた。

僕も朝こんな顔してたのかな、もしかして。



朝に居たのがレイさんではなく、黒江さんだったら誤魔化せてなかったかもしれない。

レイさんは良い人過ぎるのだ…心配性である一方、言葉を言葉通りにそのまま受け取ってしまうとこもある。


黒江さんだって良い人だけど…慎重で警戒心が強い。店長という立場もありそうだけど…

実はレイさん以上に心配性なんじゃないだろうかと思う。

よーく僕らを見ている。こないだだって、遠慮しているのを見抜かれてしまった。

言葉の裏まで見る人といった感じだ。


だから黒江さんに隠し事っていうのは、なかなか難しいのかもしれない。



僕は今日も夜から仕事で、黒江さんと顔を合わせる。

吉崎さんの事を黙っている自信が少し揺らいできつつも…出掛ける準備をした。



「ちょっと早いけどそろそろ出ようか。」

14時30分。黒那川まではゆっくり歩いても15分はかからない。

大分早いけど…

「そうだな!なんか落ち着かないし…」

リトが僕の気持ちを言ってくれる。

そう、落ち着かない…。


「よし、じゃあ行こうか。」


「あっ、待ってアン!おまもり持った?」

玄関に向かおうとした僕をリトが引き留める。


おまもり。去年の末ぐらいだったか、黒江さんとレイさんから"ふたりだけで遊びに出かけても良い"という許可が出た時に貰ったものだ。

『近所なら良いけど…電車に乗ったり車に乗ったりする場所に行く時は、必ず持って行ってね。』

と、言われていた。


そうか、待ち合わせ場所は近所だけど、吉崎さんの病院が近所かはわからないか…。


「忘れるとこだった。黒江さんに怒られちゃうもんな。」

僕はベッドの横に戻って、棚に大切にしまってあるおまもりを取り出した。


小さなおまもりは板のような形で、レイさんが僕らを守ってくれるようにと心を込めて編んでくれた編み紐に通されている。

これがあると黒江さんとレイさんに守られているような気がして、落ち着く。


首からおまもりを下げると、ソワソワしていた心も少し落ち着いた気がした。


「おまもりも持ったよ。行こう!」

「財布はー?」

「持った持った。」


忘れ物確認をお互いにしながら、僕らはアパートを後にした。







結局20分程早く待ち合わせ場所に着いてしまったけど、川を眺めてリトと会話していたらすぐ時間になった。

ひとりで待っていたら長く感じたかもしれない。


吉崎さんは時刻通りに待ち合わせ場所に来てくれた。

車で。


「やあ、弟君とは初めまして。吉崎です。」

「あ、どうも…初めまして。今日は宜しくお願いします。」ぺこりと頭を下げるリト。

僕は驚いた。吉崎さんは僕ら双子が並んでいるのを初めて見たというのに、真っ直ぐリトラビアの方を見て"弟君"と言った。

そんなにすぐ見分けがつくものだろうか。


案外僕らは似ていない?いやそんな事は無い。

あの黒江さんでさえ、最初の頃は僕らをどちらがどちらかわからなかったんだから。

よく間違えられたものだ。


やっぱり、"医者"というものは観察眼に優れているのだろうか。


「さぁ乗って。」

僕らは言われるがまま、ふたりで後部座席に乗り込んだ。


走り出すと、車内に音楽がかかる。


五条君の車以外には初めて乗った。

五条君の車にも音楽は流れるけど、それとはまったく違う種類。


優雅な滑らかな音だ。


「ミヤビの車と全然違う…」リトもポツリと呟く。


車の音はする筈だけど、音楽も流れているのに…

とても静かに感じるというか…

不思議な空間だ。


しばらくは会話無く車は走った。

『運転している人にあんまり話掛けちゃダメだよ』と黒江さんに注意されていたし。

この不思議に静かな空間を壊す気にはなれなくて。


何度か道を曲がったけど、やがて真っ直ぐな道が続き…ふと、吉崎さんの方から話しかけてきてくれた。

「君らは、歳はいくつ?」


「歳…あー、えっと、20歳です。」

少し弱気な声になってしまっただろうか…

実は僕らの年齢はハッキリわからない。

元の世界とこの世界では、年月の数え方がどうも違うらしく…。


恐らくは20歳ぐらい。という事になっている。


「そう、この国では、やっとお酒が飲めるようになった歳というわけだ。きっと出身は日本ではないのだろうね?」

吉崎さんが後部座席のどちらともなく問いかける。


「最近記憶が戻り始めたのでなんとも!でも日本語出来なかったので…えと、ほかの国ですね。」

一応リトには"余計な事は喋らないこと"と念を押したけど、心配だから僕が率先して答える。


「そうか、言い辛い事をすまないね。美味しいケーキをいただいたんだが、少しお酒が入っていてね?君らに振舞おうと思っていたものだから。」


「美味しい…ケーキ…」リトがぼそりと呟く。


食いしん坊か。

さっきサンドイッチ食べただろうが。

なんだかんだ言って僕も食いしん坊なので気になるけど。


お酒は何度か飲んだことがある。Twinkle(トゥインクル)Magic(マジック)の中でだ。

『酔ったら危ないからふたりの時は飲んじゃダメ』とレイさんと黒江さんに言われてる。

お菓子に少し入ってる程度…なら大丈夫かな。



いやいや、お茶に呼ばれに行くんじゃなくて。

女神様を捜しに行くんだ。


ケーキの事を考えてる場合か?



「もう少しで着くからね。」

と、車が道を曲がった。

少し坂道になっている。


いつの間にか車は、緑が多い山際へと走って来ていたようだ。


なだらかな道を少し上ると、頑丈そうな建物が見えて来た。

なんだか神殿を思い出すような…

ズッシリと重量感のある建物。


神殿程は大きくはないけど。


きっと吉崎さんの他にも"医者"が何人もいるのだろうなといった大きさ。

吉崎さんはここの一番偉い人、なのかな?



敷地に入る時に"吉崎医院"と看板があった。



建物の前が駐車場になっていて、車も何台か止まっている。

そこを抜けて建物の裏へ。

静かに車が止まる。

「さあ、着いたよ。」


車を降りると、正面の入り口よりは随分小さい裏口へ僕らを案内してくれる。

中へ入ると、そこは白を基調とした明るい雰囲気。

僕たちは"病院"というものに入ったことは無かったんだけど、確かにここに来たら病気が消えてなくなりそうだと思った。


清潔感、そう。キレイなんだ。ここは。


Twinkle(トゥインクル)Magic(マジック)だって僕らも頑張って掃除してピカピカにしてるけど、こういうキレイさではない。

人が生活するとこではない。変な言い方だけど"自然じゃない"って感じ。


まわりは木が茂っている山だっていうのに…。

この建物の中は別の世界みたいだ。



「あら吉崎先生おかえりなさい。」

途中、吉崎さんが綺麗な女性に話しかけられる。

この人も医者なんだろうか。


「あぁ、ただいま。お客さんの対応をするからまだ暫くそっちは頼むよ。」

「はい。…まぁ可愛らしいお客さまだこと。」女性は僕らを見てニッコリ笑った。


そうか、きっと美人ってこういう事を言うんだな。

"イケメン"もこういう用途なのかも。形だけじゃなくて心も加味された言葉っていうか。


きっとこの女性は神殿で言うと女官長なのかなと思った。神殿を取り仕切る女の人だ。

僕らが居た神殿の女官長は、造形は美しくとも、心が無いように感じた。



「綺麗な人ですね。」

リトが女性の目の前で言う。

僕の弟は思った事をすぐ口にするとこがある。


「あらっ!イイコねぇ!」

女性は照れた仕草を見せてから、「ありがとね、それじゃ。」と笑顔で去って行った。


「ははは、弟君は素直な子のようだね。」

吉崎さんは僕に向かって楽しそうに笑った。

「はあ、すいません。失礼を…」

「なんで?なんかよくなかった?」


「いや、良いんだよ。彼女は嬉しそうだったろう?」

と、吉崎さんは言ってくれたけど…

レイさんや黒江さんには怒られそうな気がする。



その後も何人か人とすれ違ったけど、吉崎さんはやっぱりこの病院で一番偉い人なんだなと確信した。

急いでいる人でさえ軽く頭を下げて挨拶していくし。

お客さん…じゃなくて、患者さん、か。患者さんも吉崎さんを見ると「あら先生」と笑顔を向けていた。

皆からとても信頼されているんだな。


怪我や病気を治してくれるんだもんな…。

僕らの世界で言えば、それは神みたいなものだ。

医者も居るには居たけど。僕らの世界より、きっともっと凄い技術があるんだろうな…。



「この部屋で待っていてくれるかい?」

案内された部屋は、廊下やほかの部屋とはまた雰囲気の違った部屋だった。

言うなれば吉崎さんの車の中のような、音があるのに静かな雰囲気。

車の中で聞いた音楽と同じような音楽が流れていた。


この部屋は吉崎さんの個室なのだろう。


立派な椅子…ソファに座らせてくれて、低いテーブルに話に出ていた"美味しいケーキ"を置いてくれた。

「"洋酒ケーキ"というものだよ。乾燥させたフルーツが入っていて、お酒を染み込ませてあるんだ。とても良い香りがするだろう?大人のケーキ、というやつだね。」


部屋の中にはキッチンと言うには狭いけど、お茶を入れる小さなスペースがあるみたいだ。

そこでお湯を沸かして、お茶を淹れてくれる。


「気持ちが焦るだろうけど…コッソリ資料を持ち出すのでね、少し時間がかかるんだ。お茶を飲んで待っていてくれるかい。」

吉崎さんはそう言うと、ガラスのカップに注がれたお茶をふたつ置いてくれる。


お茶…お茶?


「え、これ??」

リトが先に疑問の言葉を口にする。


お茶?と僕も思った。

青い。青い液体。


お茶って黄色か茶色か…紅色に近いのもある、あとは緑茶というものもあるけど…

こんなに空のように青いお茶なんていうのは初めて見た。


「ふふ、珍しいだろう?これはね、ハーブのお茶なんだ。もし酸味が好きなら、レモンを中に入れてごらん、面白い事が起きるから…」

小さな皿に、レモンのスライスを乗せてお茶の横に置いてくれる。


面白い事ってなんだろう…


「さあ、私は少し下の階に行ってくるからね。戻るまではこの部屋の中に居て欲しい。何かあったらそこの…その白い電話の、6と書いたボタンを押してくれれば私に通じるからね。」


吉崎さんはリトと僕の顔を見て丁寧に説明すると、部屋から出て行った。


それを見送ると、リトが僕に「食べて、いい?」と訊く。


「なんで僕に訊くんだよ。」


「吉崎さんに、いただきますって、言いそびれた。」


「…そうだね。でも食べて待っててって事だと思うよ。」


「だよなっ。」


リトは嬉しそうに笑うと、金色の小さなフォークに手を伸ばした。

そして小さく「いただきまーす。」と呟いて、洋酒ケーキを一口食べる。


僕は取り敢えず弟の様子を観察する。

僕も弟もお酒に弱い方じゃないっていうのは検証済みだけど…


「どう?」

「んっちょっと苦いけど甘い。あとめっちゃいい匂いする。」


「美味しいってことでいいのかそれ?」


「うん!美味しい!…これが大人の味ってやつかー。」

と、リトは子供みたいな言い方で言って、もう一口ケーキを口に運んだ。


美味しそうに食べているリトをひとしきり眺めてから、僕もフォークに手を伸ばした。


確かに苦いけど甘い。いい香り…。

前にオーナーが飲ませてくれたお酒の香りに似ているかな…?

果物で作ったお酒って言ってたか…


酔う程ではないけど、しっかり"酒"って感じだ。


「そういえば、これにレモン入れたらどうなるんだろ?」

2切れあった洋酒ケーキをほとんど食べ終わったリトの興味は、青いお茶に移っていた。


『面白い事が起きる』って吉崎さんは言ってたな。


「うーん、どうなるんだろ?」

言いながら、僕は自分の分のカップを見詰めた。

透明なガラスのカップに真っ青なお茶。


取り敢えず何も起こさない状態の青いお茶を、今度は僕が先に一口飲む。


ほとんど味がしない。気がする。

香りもほとんど感じないのは、洋酒ケーキを先に食べたせいかな…?


レモンを入れたら味が変わってしまうんだろうなと、先に一口飲んでみたけど…これはレモンを入れた方が美味しいやつかもしれない。


ふと正面を見ると、リトがレモンをカップに沈め、ティースプーンで突いている姿が目に入る。

僕はレモンが沈んだ青いお茶を観察する。


すると…ほんのり色が紫色に変わって来た。


「色が…」

「ほんとだ…!」


「もっと入れたらもっと変わるかな…」


「おいリト、酸っぱくなるぞ?」


リトはもう2枚、レモンをカップに放り込む。

青だったお茶は、紫を通り越し、濃い赤のようなピンクのような色に変わった。


「「おおっ…」」

これには僕も弟も感動した。


確かに面白い。


鮮やかな青色っていうだけで珍しいのに、その上色が変わるなんて。


けどレモンをたっぷり入れたお茶を飲んだリトは「酸っぱ…」と、顔をしかめた。

それはそうなる。


僕は1枚だけレモンをお茶に浮かべて、ほんの少し紫色になったお茶を飲んだ。

甘苦いケーキを食べた口がスッキリする。


あぁ、でも、お茶だけ続けて飲むと…少しだけお茶も苦いかな?

レモンを入れたせいかな…


なんだか、部屋に流れている音楽が遠くで鳴っているように聞こえる。

少しボーッとしているみたいだ。

酔った?ケーキで?


「アン?」

リトの声も、1枚壁を隔てたような音に思える。


「なあ…俺…」何か言いかけて弟がソファに手を付くのを、定まらない視点で追う。

リトの様子もおかしい…どうしたんだろう…


ケーキのせい?お茶のせい?

でもそれって…だとしたら…


吉崎さん…?




もう考えられなくて、眠気とも酔いともつかぬ眩暈で、僕は気を失った。











『あなたはだれ?』

『夢に見たの。』

『赤い髪の人。』


女神様の声?


『あなたはいつものあなたじゃない。』


そうだそんな事を言われたことがあった…

いつだったろう…


"儀式"の時だ…


女神様が違う人に見えたことがあった。

きっと女神様にも僕が違う人に見えていたのかもしれない。


おかしいなと思って女官長の方を見たら、彼女は無表情で頷いただけだった。

もしかして"儀式"としては正しい反応だったのかもしれない。


女神様に視線を戻すと、何か眩暈を感じて…


眩暈…



そうだ、こんな風に意識が…



ぼんやりと光が見えた。

と同時に、歌声が聞こえた。男性の低い声。


目が少しだけ開いた。体はほとんど動かない。


寝起きよりずっとずっと体が重たい。

頭だけ少し傾けて、辺りを見ようとする。


歌声はこの場で人が歌っているのではなく、何か、音楽を再生しているのだろう。

見たことない形の箱から歌声が聞こえてくる。

Twinkle(トゥインクル)Magic(マジック)にあるものともまた違う、車にあるものともまた違う…。



そうだ。

僕たちは女神様の情報を捜そうと…

車で…吉崎さんの病院に…


少しずつ状況を思い出す。


でも上手く頭がまわらない。



「君が生まれたのはどこ?」


「アカの神殿ノかわのムラ」



話声。

頭を傾けた反対側。


見る方向を変えるだけで、一苦労なぐらい、感覚が鈍い。


けど、この声…

吉崎さんと、リトラビアの声だ。


そんな事話しちゃダメだよ。


それに、話し方がおかしい。

リトはかなり日本語が上手なのに、とても聞き取りずらい…

覚えたてみたいな話し方。


反対側を向くと、白い布?

視界を遮られていて、二人の様子が見えない。



「ふはっ、なんで?」

リトが笑っている。

酔っている時みたいな、少し変な笑い方だ。


「もう一度訊こうか…女神様とは誰?」


「だれって、女神さまは、めがみさまだよ?」


ふたりは僕が眠っている間も話をしていたんだろうか…

それにしても、どうしてそんな話を?


これはまだ夢?

僕は夢を見てるんだろうか…?


そういえば声も上手く出ない。


「うぅう…」

少し呻き声が出せるだけだ…

でもふたりには聞こえないんだろう。


ふたりは会話を続けている。



「もう大分眠そうだね。では、最後にしようか。…リトラビア。君は一度死んだ?」


「し…?」


「この世界に来る前、とても苦しかったり痛い思いをした?」


それは…

訊いちゃダメだ。


途端に自分の胸が脈打った気がした。

あまり感覚が無かった体に力が入る。


「おれは女神さまがやけ」

「ダメ!!」

弟が喋るのを遮るように叫ぶ。

大きな声を出したつもりが、普段よりはずっと声が出なかった。


それでも僕は体を動かし、床に転がり落ちた。

体の感覚が薄いせいか、痛みはあまり感じなかった。



「おや…起きてしまったのか。元気な子だね。」

白い布の向こうから、吉崎さんが現れた。


「吉崎さん?なんで?」

起き上がる事は出来ず、床に這ったまま必死に見上げる。


「女神様を捜しに来たんだろう?大丈夫一緒に見付けようね。」

吉崎さんは出会った時と変わらぬ微笑みを浮かべた。

優しく親切な、良い人だなぁと思ったその微笑みのまま。


それなのに、なんだか怖い。

いや逆だ。だから怖い。


何故この状況でこんな穏やかに笑ってるんだこの人は?


「リトに…弟に何をしたんですか。」


「大丈夫、しばらく眠たいだけだからね。あぁ…怪我はないかい?ストレッチャーから落ちてしまうなんて…少し待っておいで?」

吉崎さんは僕の元から離れようとした。

ここからじゃリトの様子は確認出来ない。


「待って、リトは…!」

手を伸ばそうと思っても、思ったように腕は上がってくれない。


どうしよう。

怖い。


子供の頃、神殿でリトラビアと引き離された時の事が頭を過った。

あの時とても怖かった。

いつも一緒に居た弟と会えなくなる、説明されてもワケがわからない、抗おうとしても大人たちの力は強くて。何も出来なくて。

僕は泣き喚いた。



本当は僕の方が、ずっと弱くて、ずっと泣き虫だ。


弟が居るから頑張れた。

また会いたいから頑張ったよ。


「お願いだから、弟に酷い事しないで…」

結局また、僕は泣いてるだけ。


何も出来ない…。



吉崎さんには聞こえなかったのか、聞こえないフリをしているのか。

何も応えず、僕に背を向けて白い布の向こうへ行ってしまった。


また意識を失わないように、必死に息をする。


頭が重たい…。


と、部屋に電子音が響いた。


―――ピーッピーッピーッ


規則的に鳴る音が止んだ後、「あぁ、わかったよ。下に来てもらって。」と吉崎さんの声がした。

電話の呼び出し音だったのか…。


続いて吉崎さんの大きなため息が聞こえると、彼はこちらに戻って来た。

そして屈んで僕の顔を覗き込むと、またあの笑顔を向けて言う。


「残念、仲直りしたかったのになぁ…。また怒らせてしまったみたいだ。」


仲直り。

……黒江さん?


ふたりが喧嘩した原因って…



もう頭を持ち上げるのも限界で、考えを巡らすのも限界で…

僕はまた気が遠くなっていくのを感じた。



それからどれくらい意識が無かったのかわからないけど、やがて起きてるのか眠っているのかわからない状態になって音だけが聞こえて来た。


『絶対許さないから!!二度とうちの子に近寄らないで!!』黒江さんのこんな怒鳴り声初めて聞いた。

『やめろ、もういいだろ。構うだけ無駄だぞ。』これは新城さんの声だろうか…


しばらく話声が続き、ドアの音、車の音…

あれ?誰の車だろう…

五条君の声は聞こえなかった。


新城さんが居たな…新城さんの車かな…


『リト!アン!』これはレイさんの声だ。


目が開きそうで開かない。

でも皆の声がしたから、もう大丈夫なんだとわかった。



そうかもう大丈夫なんだ…


リトラビアも傍に居るよな。

大丈夫だよな…








それからしばらく、眠っていたんだと思う。


目が覚めたのは、自分達の部屋だった。

いつものベッドの上。


しばらく手のひらを握って開いて、感覚を確かめる。

まだだるい感じはするけど、ちゃんと動いた。


ゆっくり起き上がると「アングレル!」と呼ぶ声。


勢いよく抱き付いてきた弟に倒されそうになりながら、手を突っ張って耐える。

「リト…ああもう」

勢い付けすぎ…危ない…と言いたかったけど、言わなかった。


心配してくれてたんだきっと。


「起きないんじゃないかと思っただろ!寝すぎ!」

リトラビアの声はほとんど泣いてるような声だ。


「ごめんな…」

「俺より生きろよ。置いて行くなよ…」

今度こそ本当に泣いている。

ぐすぐすと鼻を鳴らして、小さい子供みたいに。


そんなに泣かれたら、僕だって泣きそうだ。



「リト、そんぐらいにしてあげてくれ。取り敢えずおかえり。アン。」

リトの後ろから声をかけてくれたのはレイさんだ。


「レイさん、何がどうなったの?僕、あんまりよく覚えてない…」


「んーまあ、まずはさ…お腹空いてないか?喉も乾いてるだろ。」

話をする前に、とレイさんは僕からリトを引っぺがし、涙を拭いてやり、ベッドに座らせた。


そして白湯が入ったマグカップを持ってくると、僕らにそれぞれ渡す。


「まずはそれを飲んで。ちょっと待ってな?もう出来るから。」


僕らはイイコにマグカップを両手で持って、ふぅーと冷ましながら飲んだ。

時々お互いの顔を見ては、ホッとした表情になった。


良かった。ちゃんと生きてるし、ちゃんと帰って来れた…。



「出来たぞー。アン、座れそうならこっちおいで。」


レイさんが呼んでくれて、ふたりでいつものカウンター机に向かう。

座り慣れた家の椅子。


それ自体は固い木の椅子なんだけど、オーナーがくれた小さなクッションが乗っているので座り心地は良い。


「へへっここに座ると帰ってきたって感じ。」と、リトが笑う。

僕もそう思う。


机の上にレイさんが用意してくれていたのは、味噌汁だった。

簡易じゃない、レイさんが鍋で丁寧に作ってくれた方の味噌汁。


「食べれそうならご飯もあるけど、まずそれ飲んでから考えな。」

そう言いながらもおむすびを握っている辺り、リトは確実にご飯を食べるとわかっているんだろう。


僕よりも先に目が覚めていたようだし、リトは僕よりもよく食べるから。


「「いただきますっ」」


温かい味噌汁はやっぱりホッとした。

自分で作った簡易味噌汁よりも、ずーっと美味しかった。

小さめに切った豆腐が入っている、出汁はいつもと少し違う気がしたけど、何か隠し味でも入っているのかな。



レイさんがよく"愛情入りだから美味しいんだよ!"って言ってるけど、本当にそうかもしれない。

愛情って、美味しいのかも。


でもそれを聞いた時リトが『俺の料理は愛情入りなのにマズいのはなんで?』って訊き返してたっけな…当時は料理を習い始めたばっかりで、僕の料理もリトの料理も、イマイチだったっけ。


「ふふっ」

僕は思わず笑ってしまった。


「なに?どした?」

リトが僕の顔を覗き込んで来る。


僕は「ううん、味噌汁美味しすぎてさ。笑った。」と誤魔化した。

半分は本当だ。美味しくて安心したから笑ったんだ。



リトはあっと言う間に味噌汁を飲み終わって、おかわりして、レイさんが握ってくれたおむすびをふたつ食べた。

「ゆっくりよく噛んで!」と注意されながら。


その様子を見ていたら僕もお腹が空いてきて、小さめに作ってもらったおむすびをひとつ食べた。

"ゆっくりよく噛んで"だ。



それからレイさんが黒江さんを呼んで来てくれて、一連の話を聞いた。


まず僕らが会った吉崎さんという人の事。

彼は確かに優秀な医者で、地元の人にも慕われているし、信用されている病院の院長だそうだ。

けどかなり研究熱心な人だそうで…その為にはかなり過激な事もしてしまうらしい。


その研究の中には"転生と記憶"や"双子の差異"なども含まれていて、僕らはとてもいい研究材料だったんだろうとの事だ。

実は前に居た双子の女の子、レティシアとナティシアも彼に連れて行かれてしまったことがあり、黒江さんはその件でずっと怒っていて、店に出入りを禁止したのだそうだ。


「あとは個人的に、僕にも凄くちょっかい出してくるから。」と、黒江さんは思い切りしかめっ面をした。


と言っても、ここ2,3年は、なんの接触も無かったらしく。

以前の件で懲りたのだろうと、黒江さんとレイさんも油断していた。


そんな時に"おまもり"から知らせが来たという。


僕らが持たせてもらったこの"おまもり"は、僕たちの居る場所がわかるものらしい。

Twinkle(トゥインクル)Magic(マジック)から遠く離れると、黒江さんに知らせが行くようになっている。


遊びに行く予定を事前に聞いていたり、遠出したとしてもいつも行くような場所ならあまり気にしないみたいだけど。

今回何も言っていないし、僕は夜から仕事が入っているのに遠くに出掛けるなんて、いつもならあり得ない。


おかしいなと思って、僕らの位置が停止した場所を確認したら…

因縁のある"吉崎医院"だった、というわけだ。


「すぐ(ハルカ)ん家に走って行って、車出してもらって…、もー…ほんっとに…」


「心配したぁ…」と言いながら黒江さんは深いため息をついた。


「ハルカって誰?」リトがきょとんとして訊く。

「あ、新城さんの事だよ。今度お礼に行こうね。」


やっぱり車を出してくれたのは新城さんだったんだ。


「遥は吉崎さんに強いから一緒に来てもらってマジ助かった。」と頷くレイさん。


「強い…っていうと…?」今度は僕が訊ねる。


「うーん!研究仲間みたいなもん!だけど、遥の方が立場が上っていうか…弱みを握ってるっていうのとは違うんだけど…なんて言ったらいいかな。」

レイさんが説明に困っていると、黒江さんがフォローするように「遥しか持ってない情報があるんだよ。それを提供して貰えなくなるのは、吉崎には凄く不都合なの。」と教えてくれた。


「彼は薬を使って、君たちから欲しいデータを引き出そうとしたんだ。こんな利用の仕方…ほんっとクズ…」

黒江さんがとっても不機嫌そうに呟く。僕らの前でこんな顔するなんて。

たまに仕事の愚痴を言う黒江店長だけど、そんなの冗談なんだろうなってぐらい。



しかし、利用…利用されたってことは…


「あの…嘘だったんですかね」

「嘘だったのかな」


僕ら双子は同時に口にした。

とても悲しい気持ちで。


「女神様を見掛けたって、嘘だったのかな?」


黒江さんとレイさんは、なんとも言えない顔で僕たちを見た。

間が空いたのはきっと一瞬だけど、とても長く静かだった気がした。


黒江さんは怒っているのか泣いているのか、少し震えて下を向いてしまった。

横にいたレイさんが代わりに言う。レイさんも少し、怒っているというか、悔しそうな声で。

「そうだな、嘘…だろうな。」



あんなに優しそうな人が。あんなに怖い思いをした今でも、あの人が僕を騙したなんて少し信じがたい。

でも思い返すと、おかしな所はたくさんあったかもしれない。


僕も女神様が存在しないんじゃないかって…思い始めていたから。

騙されてしまったんだな。


でも僕が吉崎さんを信じてしまったせいで、弟まで危険な目に合わせてしまった。



「ごめんなさい。僕が…」謝りかけると、黒江さんが「違うよ。」と遮った。


「違うよ、僕のせいだよ。僕が油断してたからだし、あの人は僕をからかいたいんだ。だから僕の大切なものに手を出すんだよ。」


からかいたい、なんて。

そんなレベルの事だろうか…


そこでレイさんが場の雰囲気を変えるように「とにかく!」と大き目の声で言う。


「とにかく、ふたりとも休んで早く元気になれよ?もうあの人が手出ししてくることはないから。遥がなんとかしてくれたから。」


そして僕と弟の頭をぐしゃぐしゃーっと撫でて、

「あの人が嘘をついただけだ。あんな嘘に負けんな、何年でも探せ!」

と優しくて力強い言葉をくれたのだった。



そうか。

嘘をつかれたけど、ただそれだけだ。


女神様がどこにも居ないなんて事ではない。



「良い事言うね。レイ…。あー、もうお腹空いた!」

黒江さんも気持ちを切り替えるように言うと、立ち上がった。


「ね、ゴハン食べに行こ!僕の奢り!」


「おい、アンは病み上がりだぞ。」


「えっレイさん俺も病み上がりだぞっ!でも行きたい!」


「アハハ…歩けるかなぁ…」




結局僕の事を心配してくれたレイさんは、家でホッとケーキパーティーをしてくれた。


僕が焼くよりフワフワのホットケーキは、あったかくて甘くて、やっぱり…

自分で作るのよりずっと美味しいと思った。






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