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食べ盛りモーニングと大きなカレー


囁き声が聞こえる。

小さな小さな声だけど、耳元で言われたから、ちゃんと解った。


あったかい吐息と一緒に耳をくすぐった言葉。

「私ね、知ってるの…ふたりいるでしょ?」


ふたり。

俺と兄と、女神様のしもべはふたり。


でもそれは女神様に言ってはいけない事で、本来女神様にバレてはいけない事で…。

もしも気付いても、女神様も知らないフリをしないといけなかったんだと思う。

本当は…。


けど女神様は、小さな小さな声で、見張りの女官長に届かぬ声で、会う度に囁いた。


「知ってるの…3人で、会えたらいいのにな…」


「声が違うの…」「目も違う…」「匂いも違う…」「息の仕方も違う…」「体温も違う…」


「3人で会えたらいいのにな…ふたりと手を繋げたらいいのにな」


耳元で囁けるぐらいに、傍に来れた時だけ。

儀式の時にだけ、衣擦れの音よりも小さいのではないかという声で、一言二言。


神のお告げなんかじゃない。


ただの女の子の声。

寝起きの幼い子が喋ってるみたいな。


囁き、呟き。


『3人で会えたらいいのにな…』







――ポッポーポッポーポッポーポッポー


ずっと聞いて居たい女神様の声は、間抜けな目覚まし時計の音に搔き消された。


「あああー…今日は良い夢だったのに…」

盛大な溜め息と共に起き上がる。



3人で会えたら…

女神様の願いは叶った。


ほんの少しだけ。



でももっと一緒に居たかったな。


せっかく夢に見た女神様の声が、切ない気持ちに流されそうになる。

「よしっ!」そうはさせるかとひとり気合を入れる。


アンの居るTwinkle(トゥインクル)Magic(マジック)に出勤すべく、俺は準備を始めた。

外はまだ暗い。





「おはようございまーす!」

いつも通りに裏口から挨拶しながら入る。


「おはよう。」と少し眠そうなアンがロッカー室を覗く。

「おはよー、リト。今日も元気だな!」と厨房からも声がした。


俺の出勤する朝5時には、兄のアングレルと厨房のレイさんが居る。

レイさんは日によっては6時過ぎに来る事もあるけど、今日は早くから居る日だったようだ。


ここは6時に一旦閉店して、7時にまた開店する。

閉店して余裕があれば、アンも一緒に3人で朝食を食べる。

一息ついてから、アンは帰って、俺はレイさんと開店準備をして、7時にまた店を開ける。


それがいつもの朝だ。


モーニングの仕込みの手伝いや、店の掃除、備品の補充等々、細々したことをしてると、あっと言う間に1時間が過ぎる。

一旦看板を"close"にして閉店。

するとレイさんが声をかけてくれる。

「リトはゴハン食べるだろ?アンは今日朝食べてく?」


「あー…今日は帰って寝ます。」

少し迷った後、アンは眠そうに返事した。

今朝はちょっと疲れてるみたいだ。


朝食を食べる間も惜しんで眠りたい、アンにはそういう日が度々あるようだ。


「そっか、OK。食べなくてもいいけど水分はとっておけよ。」

「はーい。」とイイコな返事をして、アンは着替えにロッカーへ向かった。


「俺は朝に食べないと元気が出ないけどなぁ。」

呟きながらカウンター席に座る。

すると厨房からレイさんが野菜スープとピザトーストを持って来てくれた。

「そりゃリトはな、朝がちゃんと朝だからなぁ。アンにとっちゃ今が夜なんだよ、1日の終わりだな。」

「あ、そっか。1日の終わりって思うと…俺も寝ちゃう日があるかもしんない。」


「だろー?」とレイさんは笑って、隣に座った。


「じゃあお疲れ様でしたー。」とアンが顔を出したので、レイさんとふたりで「お疲れ様!」と返事をして見送る。


裏口の扉がパタンと閉まる音を聞きながら、「いただきまーす!」と朝食を食べ始めた。


Twinkle(トゥインクル)Magic(マジック)のモーニングに、こんなメニューは無い。

野菜スープに付くのは普通のトーストだし、ピザトーストにはサイドメニューが付かない。

追加注文は出来るけど。


というのも、この野菜スープはこれだけで一品になるほど、大き目の野菜がごろごろ入ってるからだ。

ピザトーストにも他で見かけるよりずっと具が多く乗ってるし。


朝からこの組み合わせでは、お腹がいっぱいいっぱいになってしまうだろう。


けど、俺は食べる。

レイさんは俺の事を"食べ盛りの子"と言う。


同じぐらいの歳じゃないのかなぁと思うけど。

確かにレイさんは俺より食べない。


隣のレイさんの朝食を見ると、バタートーストと白湯。

白湯がコーヒーになってる日もあるけど、今日は白湯。


「レイさんそんだけ?お腹空かない?」

つい何回も訊いてしまう。


「えー空くよー?まぁそんときはそんときで食べるからいいの。」


確かに10時頃、モーニングの残りなんかを少し食べてるのを時々見かける。

でもそこから14時頃までまた食べないで働いているから、よくお腹が持つなぁっていつも思う。


7時には開店だから、そんなにのんびり食べてもいられない。

味わって食べたいぐらい美味しいんだけど、朝ばかりはちょっと急いで食べる。


野菜スープは日によって入ってる野菜が違う。

大体その季節の旬のものを入れてるってレイさんは言ってた。

今日は、キャベツとカボチャとニンジンとカブ…それから菜の花、だったかな。

菜の花は最近パスタランチに使われてたのを見て教えてもらった。


まだこんなに寒いけど、菜の花が店に出始めるともうすぐあったかくなるなって思うものなんだって。

春が来るなぁって。


「ごちそうさまでした!」


少し先に食べ終わっていたレイさんを追って、厨房に食器を片付けに行く。


「美味しかった?」と笑いかけてくれるレイさんに「美味しかった!」と返事する。


「ははは、ほんとにリトには作り甲斐があるよ。はい、食器頂戴。」

「いいよ俺洗うよ。」

「いいって、一緒に洗っちゃうから頂戴。」


「じゃあ…ありがとうレイさん。」と、洗い場に居たレイさんに食器を手渡す。


「ん。今日も元気にお仕事お願いします。」


「へへっ、まかせてー。」

返事して厨房から出ようとして、ふと思い出し振り返る。


「レイさん!訊きたい事あったんだけど!」


「んー?どした?」


「チョコレートって、そのまま食べる以外に何か使い道ある?」


チョコレート。そうチョコレート問題だ。

数日前、バレンタインデーというものがあった。


俺とアンは、教えてもらったばかりの"バレンタインデー"というイベントに盛り上がり…

食べてみたいチョコレートをアレもコレもと買ってしまったのだった。

プリンとかケーキとかを先に食べ、腐らないものは後でいいかと一口ずつ味見して、また明日~とか言ってたんだけど…


翌日、『遅れたけど…』と、数人からチョコレートやチョコレート菓子を貰ってしまい…

自分達で買った分は後回しにしながら、貰った分は美味しく食べた。


けど…流石に少々飽きてしまった。



経緯を説明すると、レイさんは「なんだモテモテかよ!」と笑った。

「えー、俺とアンは悩んでるのに!」


「あっはっはっは!いや~、お前らイケメンだもんな~…しかしチョコレートねえ…」

レイさんは楽しそうに笑いながらも考えてくれてるみたいだ。


イケメン…って、この世界に来てから何回か言われているけど、いまいちよく意味がわかっていない。

午後からバイトに来る仲良しのミヤビや、レイさんはよく使う言葉だ。

あと若い女の子も。

『イケメンの概念か!難しいなぁ…』と黒江さんが悩んだ挙句教えてくれたのは…

『男として美しいって事かな?見た目だけじゃなくて、性格とか生き方とか…そういうのにも使うよ。』との事だった。


美しい。じゃあなんで"美しい"とか"綺麗"とかっていうのとは違うんだろ?

ここの世界の言葉はとっても複雑で、たくさんたくさん種類がある。


チョコレートの事じゃなくて、言葉の事で悩み始めた俺に、レイさんが「あっ、あるよチョコレートの使い道!」と声をかけてくれた。


「えっ、なになに?」


「それはな…?」





レイさんが教えてくれた"チョコレートの使い道"を実行すべく。

仕事が終わると、俺はスーパーマーケットへ駆け出した。


もうアン起きてるかな?

お昼ゴハン作っちゃったかな?


いや今朝眠そうだったし、きっとまだ寝てる!


俺は駅前に急いだ。


店に着いてカゴに放り込んだのは、牛肉の切り落とし、タマネギ、ニンジン。

それから大切なカレールウ!


そう、レイさんの教えてくれたチョコレートの使い道とは、カレーに入れる事だった。


俺達が料理を少しずつ教わっていた頃、家でも作れる料理としてカレーライスを教わった。

料理はアンの方がずっと上手で、今家で料理を作っているのはほとんどアンだ。


俺も店で調理を手伝うので、まぁまぁ作れるけど…アンの料理の方が美味しい気がするのでつい作ってもらってしまう。


今日は、そんな日頃の感謝も込めて俺が美味しいカレーライスを作ろうと決めた。

チョコレートも使えるし。




「ただいまー…」

若干小さな声でコッソリと部屋に入る。

俺が起こさなければ、アンは眠っている確率が高い。


お昼ゴハンの匂いで起こすのもいいな!と思ったのだ。


予想通り、アンはまだ寝ていた。


なんか悪戯をしているみたいな気分になって、「ふっふっふ」と小さく笑いが出る。


手を洗って着替えて、「よぉし」と腕まくり。


まず米を洗って、炊飯器に入れて、早炊きボタンを押す。

『お米は優しく洗って…30分水を吸わせて…』アンの声が頭の中でした気がする。

今日は怒られそうな米の炊き方だけど、急いでるから仕方ない。

それにこんな適当なやり方でも美味しいと俺は思う。


すぐ食べたいなら…と、レイさんが教えてくれたカレーは、ジャガイモ無し。


『ニンジンは千切り、タマネギは薄切り。難しかったらこないだあげたスライサーを使って?』

レイさんの言葉を思い出しながらカレー作り開始。


"こないだあげたスライサー"それは板に刃が付いた便利アイテムだ。

オーナーが店で使ってるやつを新調してくれたもんで、今まで使ってたやつを家用に貰ったのだった。


3種類の刃が1セットになってて、千切りも薄切りも簡単に出来る。


『ただ手元には注意して。刃物や火を扱う時は、気を付けるんだよ。』

レイさんにも店長にも、怪我には気を付けるようにって何度も何度も注意されている。


どうも俺は手元に力が入り過ぎるみたいで、そこをレイさんにかなり直されている。


気を付けて、慎重に…


集中していたら、ボウルいっぱいのニンジンとタマネギが。


「んっ、やりすぎたか。」

思わず呟くと、ベッドの方から「うぅん…」とアンの唸り声。


まてまて、寝てろー寝てろー…と念を送る。

まだ起きて来なくていい。


少し静かにしていると、また寝息が聞こえ始めた。

よしよし…



鍋に水を入れて、肉も入れて、野菜も入れて、火を付ける。

時々菜箸でちょっとかき混ぜて、全部に火が通るまで煮る。


火が通ったら、一旦コンロを消して。

カレールウを入れる。溶けたらまた火を付ける。


グツグツとカレーが音を立てて、いい匂いが部屋に広がって行く。


これには流石にアンも寝てられないだろう。

と思ったんだけど、意外と起きない。



さて、最後に…カレーを作るキッカケになったチョコレートを、砕いて入れる。

レイさんが言うには、『コクが出て美味しい』らしい。



―――ピーッピーッピーッ


ご飯が炊けたよ!と炊飯器が鳴く。

するとその音でアンは起きたようだ。


もそりと起き上がる兄。

そしてこっちを見ると、「あれ…いい匂い。お腹空いたー」と眠そうな顔で言ったので、俺は「ゴハンできたぞアン!食べよ!」と笑顔で応えた。



皿に大盛りにしたカレーライスをふたつ。

カウンター机に置く。


この部屋にはこれ以外机は無い。

小さいテーブルを買おうかって話もあったんだけど…なんとなく『まぁいいか勉強は店でするしゴハンはカウンターで食べれるし』とか言って流れてしまった。


だから今日も横に並んでゴハンを食べる。


「「いただきまーす。」」


声を揃えて言うと、大盛りカレーにスプーンを刺す。

ふぅふぅ冷ましながら夢中で食べる。


美味しい!


チョコレートの味なんかは全然感じない。

でも、いつも使ってるカレールウなのに、美味しさが増してるような気がする。


半分笑いながらアンが言う。

「凄く美味しいけど、ちょっと盛り過ぎじゃないか?」


「いやー、腹減って…凄く。」

つい、な。と俺も笑う。



「おかわりもあるよ、アン。」


「作り過ぎだろ…!」


「いやー…野菜をスライサーするのが楽しくって…」



結局チョコレート入りカレーは、その日の晩と、次の日の昼まで食べる事になった。

翌日はアンが"カレーうどん"にしてくれて…


『チョコレート、うどん…』と不思議な気持ちにもなったけど、そのカレーうどんもまたとても美味しかったのだった。


レイさん曰く、『カレーはな、懐が深いんだよォ…海みたいにな…』だそうだ。



俺達はまだ海に行ったことは無いんだけど、大きいっていうのは知ってる。

大きいっていうか、…レイさんに、この世界の半分以上が海なんだって教わった。


海みたいな、カレー。

めっちゃ凄いな…



俺も海みたいになりたいなぁ…


カレーみたいになりたいとは思わんけど、うん。


いや、アンと女神様を笑顔にできるなら、カレーもいいかな?

なんてね。







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